詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇262)Obra, Jesus del Peso

2022-12-20 20:46:56 | estoy loco por espana

Obra, Jesus del Peso

 ¿Es la escultura de Jesús de la izquierda una combinación de partes que se han desprendido del cuadro de la derecha? ¿O es al revés? ¿El cuadro de la derecha está formado por partes que se han escapado de la escultura de la izquierda?
 Las formas no se solapan exactamente. Pero si se combinan bien las dos obras, se convierten en UNA. Tengo el impulso de intentar unirlos.
 En realidad, esto no es posible. Pero en un sueño, podría ser posible.
 Ah, sueño.
 ¿La escultura sueña convertirse en cuadro? ¿El cuadro sueña convertirse en escultura?
 El sueño se mueve.

 O quizás las dos obras sean amantes. Amar es seguir al otro sin miedo a cambiar uno mismo. Siento un fuerte amor entre las dos obras. Hay un amor tan intenso que casi siento celos.

 Jesus の左の彫刻は、右の絵画から抜け出してきた部分が組み合わさってできているのか。あるいは逆か。右の絵画は、左の彫刻から逃げ出してきた部分が組み合わさってできているのか。
 形がぴったり重なり合うわけではない。しかし、立体と平面をもっと分解し、さらに重ね合わせてみたい衝動に駆られる。
 現実には、それはできない。しかし、夢のなかでなら、可能かもしれない。
 あ、夢か。
 左の彫刻は平面を夢見ているのか。右の絵画は立体を夢見ているのか。
 夢が動いている。
 自分ではないものになりたいという夢が動いている。

 あるいは、これは恋人同士なのかもしれない。愛するとは、自分がどうなってもいいと覚悟して、どこまでも相手についていくことだ。二つの作品の間に、強い愛を感じてしまう。嫉妬してしまいそうなくらいの、激しい愛がある。

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「現代詩手帖」12月号(11)

2022-12-20 16:06:06 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(11)(思潮社、2022年12月1日発行)

 岸田将幸「無題(ラブソング)」。

悲しいからこれ以上
何も言わないでほしい「生」を僕らは生きるのだから

 この二行目の書き方は「わざと」である。二行に分けた方がリズム的に読みやすい。しかし、それをあえて二行にせずに一行にしている。そして、それを「わざと」一行にしたとき、不思議なことが起きる。もし、あえて二行してみると、

何も言わないでほしい
「生」を僕らは生きるのだから

 なのか

何も言わないでほしい「生」を
僕らは生きるのだから

 なのか、わからなくなる。
 どちらでもないのだ。
 二行にしてしまったら、リズムは読みやすくなるが、それは「単なる「音」のリズムである。「音のリズム」を優先させたとき、「意味の連続のリズム」がくずれてしまう。
 「生」はどちらにつながることばなのか。
 わからないまま、一気に動いていく。
 これがこの「意味の連続のリズム」なのである。「意味のリズム」ではなく「意味の連続のリズム」が、「自然に」このことばが一行であることを要求しているのである。「ねじれ」のようなものを要求するリズムである。

信念なんてないさ
あるのは独り言だけた
賭けていよう
うまくゆく
このまま口笛を
口笛をこのまま

 「このまま口笛を/口笛をこのまま」は「意味の切断のリズム」であると言える。「ラブソング」というか、愛(恋)というのは、二人の人間のつくりだす「連続」と「切断」の交錯かもしれない。それが、そのまま行の形になっている。
 「わざと」と最初に私は書いたが、それは「自然」を優先させるための「わざと」であることがわかる。

 金時鐘「二つの部屋」。

鍵を下さい。
ご臨終の
母がいます。

ここを開けて下さい。
閉ざせない眼が
あいたなりです。

 部屋(扉)によって、切断されている二人。息子は、接続を求めている。死んでしまった母もまた接続を求めているだろう。それは「閉ざせない眼」によって象徴されている。「あいたなりです」という息子の絶望がそれをくっきりと浮かび上がらせる。
 「開ける」「閉ざす」「あいたなり」。この切断された接続は、とても強烈だ。つまり、「自然」がそのままあふれている。「あいたなり」の「なり(なる)」がとてもいい。
 この「なる」は、岸田のことばでいえば「生」である。英語で言えば「be」である。ハムレットの「to be or not to be」の「be」。それは「生きるべきか、死ぬべきか」と翻訳されるときもあれば「なすべきかなさざるべきか」と訳されることもある。

 竹内敏喜「L・Bに倣って 2」。「L・B」とは、何か。一時期「BL」という略語が飛び交った時代があった。「Boys Love (男の同性愛)」。
 詩のなかに、

きみは話をそらせるとき、たいてい異性に眼をむけさせたね
でもたしかに女性の後ろ姿はより女神に似ている

 この「きみは話をそらせるとき、たいてい異性に眼をむけさせたね」なかの、「わざと」の感覚が、「Boys Love 」の感覚か。「わざと」異性に眼を向けさせる。
 でも、「女性の後ろ姿はより女神に似ている」とは、どういうことか。「わざわざ」付け足している(?)ことばが、私にはピンと来ない。「わざと」とも感じられない。ただ、とても「不自然」だと感じる。
 「納得できない」を「不自然」と言っているだけなのかもしれないが。

 

 

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Estoy loco por espana(番外篇261)Obra, Xose Gomez Rivada

2022-12-20 08:48:55 | estoy loco por espana

Obra, Xose Gomez Rivada
Titulo _Falso Profeta,Tecnica Mixta,Sobre Passpartue,35x30

 El rostro representados por Xose es feo. Y hermoso. Reformulado para ajustarse al título, "Falso Profeta" es a la vez feo y hermoso. La falsa profecía traiciona a la gente. Por eso es feo. Pero lo "falso" es hermoso porque nos muestra nuestros deseos. Nadie piensa que sus propios deseos sean feos. Si piensamos que son feos, no podemos desearlos. "EL ECHO (o LA PERSONA)" no podemos dividirse en fealdad y belleza.
 La cara de este "Falso Profeta" es fea. La forma es distorsionada y fea. Los colores se mezclan y no hay pureza. La fealdad es la ausencia de pureza. La belleza es pureza. Sin embargo, el contraste y el equilibrio entre el rojo, el azul claro, el negro y el blanco es precioso. Los colores se mueven libremente.
 Si sigo escribiendo así, ya veo. Tanto la fealdad como la belleza están determinadas por ciertos "patrones de pensamiento". Si se ajusta o no a un "patrón de pensamiento existente". Esta es la base de todas las sentencias.
 También es el patrón de pensamiento que determina si algo es "falso" o "real". Lo que se necesita ahora es destruir el modelo existente. Encontrar el "EL HECHO" que no es ni falso ni real, ni feo ni bello. ----Nos lo exige Xose.

 Xoseの描く人間の顔は醜い。そして美しい。タイトルに合わせて言い直せば、「偽の予言」は醜い、そして美しい。「偽物」は人を裏切る。だから醜い。しかし「偽物」は願望を見せてくれるから美しい。自分自身の願望を醜いと思うひとはいない。醜いと思えば、願望できない。「事実」は醜さと美しさに分断できない。
 この「偽予言者」の顔は醜い。フォルムが歪み醜い。色が交じり合い、純粋さがない。醜さは純粋さがないことだ。美しさとは純粋であることだ。しかし、赤、水色、黒、白の対比、バランスが美しい。色が自由に動いている。
 そう書き進めれば、わかる。醜さも美しさも、ある「思考パターン」のなかで決められる。「既存の思考パターン」に合致するか、合致しないか。そのことが、あらゆる判断の基礎にある。
 「偽物」か「本物」かを判断するのも「思考パターン」である。いま必要なのは、その「既存のパターン」を破壊することだ。偽物でも本物でもない、醜さでも美しさでもない、「事実」を見つけること。--Xoseは、それを私たちに要求する。

 

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