「現代詩手帖」12月号(22)(思潮社、2022年12月1日発行)
四元康祐「手相」。
この線は
トルコを追われた
アルメニア人の死の行進の跡
手相には、そのひとの歴史が刻まれるのか。「手相占い」は、そういうことを根拠におこなわれるのだろう。
さて。
四元は、だれの「手相」を見ているのか。「だれ」ではなく「時代(現代)」の手相であると四元は答えるかもしれない。
頭のいいひとは、それで納得するだろうが、私は納得できない。もし「時代の手相」であるなら、アルメニア人を追い出したトルコのひとの手相と合わせてみないといけない、というようなことを言うのではない。
そのニュースを知ったとき、四元の「手相」にどんな傷が残ったのか。それを見せてもらいたい。いや、その傷跡(手相)というのがこの詩である、と、また頭のいいひとが答えているのが聞こえる。
「わざと」しか、私には感じられない。「わざと」ではなく「技」である、と、頭のいいひとは言うかもしれないけれど。
天沢退二郎「本文と註(春の章)」。句集、らしい。
春一番去って脚註散乱す
春の嵐本文の字も乱しけり
註を食って冬生き延びた紙魚も居て
5・7・5が乱れていくところがとてもいい。語調をととのえる「技」が追いつかないのである。あるいは「技」を追い越して、書きたい欲望があふれてくる、といえばいいのか。そして、その欲望、私はいま「(天沢の)書きたい欲望」と書いたのだが、「主体」は天沢ではないかもしれない。「ことば」そのものが、天沢の「頭の支配」を突き破って動きたがっている。それに天沢が反応している。そんなふうにも読むことができる。
天沢が書きたいのではない。ことばが書かれたがっている。天沢に。
「註」と書いているが、註をつけたことがあるひとなら、註こそが本文を突き破って動きたがっていることばだ、と感じたことがあるだろう。天沢のことばは、そうやって動いている。動き出すと止まらなくなっている。
どれ、とはいわないが、むかし読んだ天沢の詩に似ている。何が書きたいかなんて、知ったことではない。ことばが動いていく。それについていく。制御しようとすればするほど狂暴さが増す野性のことば。
註と来て註と汁(つゆ)出る凍み豆腐
これは「ちゅう」という音が暴れている。
本文に蕗の芽ピチと割註す
「ちゅう」と書くなら「ピチ」も書いてとことばが言ったかどうか知らないが、「割註す」は、「割註、ほら、かわいいでしょ? 見落としていたでしょ? ちゃんと書いてね」という声が聞こえそうだ。「私は割註ということばを知っているんだぞ」という天沢の自慢かもしれないけれどね。
ここには四元の「トルコ」や「アルメニア人」とは違った、天沢自身の「手相(過去)」が刻まれている。
新井高子「空気の日記 から」。註に「第二波。コロナにも斑点模様にも水玉模様にもおびえていた」とある。青葉の裏側に並んだ赤い斑点(毛虫の卵?)を見て、風疹(たぶん)の斑点を思い出す。それからコロナウィルスのことを思う。
で。
ほんとうは見えているんじゃないか、
ウィルスを
赤茶色のその斑点を
突風が運んできた瞬間だって
見えているんだよ、
だから
怖いのさ
「手相」をいうなら、この新井のことばが「手相」にあたるだろう。見えないって? 手相に刻まれているよ。見えるひとには見えるんだよ。
新井は、コロナウィルスを書くために、「わざわざ」風疹体験を持ち出してきている。それは違うよ、と頭のいいひとに言われることを承知で、それでも書かずにいられない。風疹体験が、新井の肉体を突き破って、いま、「手相」として出現してきている。それが新井に見える。新井は彼女自身の「手相」を読んでいるのである。それがことばになるとき、ことばは新井を映し出すだけではなく、「世界」を映し出す。
もちろん、新井の書いていることを否定するのは簡単である。「ウィルスは目(肉眼)には見えない」と。でも、「ことばの目」には見えるのだ。
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