監督 西川美和 出演 香川照之、オダギリジョー
これは最初から完成した脚本があったのか、それとも映画を撮りながら徐々に脚本を完成させていったのか。後者と思いたい。そんな不思議な映画だ。
最初に写真を現像しているシーンがある。現像液のなかでゆれる映像。それが何かわからない。ただ現像しているということだけがわかる。このシーンはとても象徴的だ。あらゆる映像は現像の仕方によってかわる、とつげていように思える。
兄弟がいて、恋人がいて、その奪い合いがある。吊り橋から恋人が落ちる。事故か、殺人か。--ストーリーは「真実」をめぐって、ゆれる。その「ゆれ」もおもしろいが、もっと興味深いのは、兄と弟のこころのゆれである。
「真実」はひとつのはずなのに、ふたりとも、それをどう語っていいかわからない。真実を語ることが相手に対して何をすることになるのかわからない。自分自身に対しても、それがどんな意味があるのかわからない。「真実」よりもつたえたいことがあるからだ。その微妙な人間の心理を香川照之が絶妙に演じている。
随所に「嘘」をはさむ。「嘘」に対して弟がどう反応するか(正直に反応するか、嘘で答えるか)をさぐりながら、「嘘」のなかでしか言えないことをいう。どうして、おまえ(弟)がいつも言っていることをおれが言ってはいけないのか。他人への怒り、自分の本音をどうして言ってはいけないのか。そんな心の叫びが、そのまま肉声になって噴出する。その演技、香川照之の演技がすばらしい。
まるで香川照之がこんな演技がしたい、こんな人間を演じたい、と申し入れてストーリーをつくっていったような感じがする。おとなしい兄、人間のできた兄のこころのなかではこんなことが起きているということを、こんなふうに演じてみたい、と香川が申し入れて人間を造形していったのではないかと思ってしまう。
その「嘘」のなかにひめられたこころの叫び、それは対抗するようにオダギリジョーが繰り広げる「嘘」と真実。「いい兄」に対することばにならない怒り、憎しみ。
だれもがことばにならない「声」を肉体のうちに持っている。それを、この兄弟はともに「嘘」でしか語れない。互いに相手を「嘘つき」と思っているのに、その「嘘つき」という批判だけはことばにしない。そこから「ゆれ」がはじまる。だから「ゆれ」のなかにしか「真実」はない。「嘘」と「嘘」のあいだに、声にならない声、真実の声がひそんでいる。
「嘘つき」と言えればよかったのに、二人とも「嘘つき」と言えないばっかりに、どんどん道を踏み外していく。「ゆれ」つづける。
香川の演技がなければ成り立たない映画である。
*
西川美和の映画は初めて見た。とても鋭い人間観察力を持っていると思う。残念なのは自然描写が美しくない。吊り橋、川の流れ、山が絶対的な存在として浮かび上がってこない。人間を無視して存在を主張してこない。それが見ていて少しつまらない。ただし、街の描写はおもしろい。車の流れ、高速道(?)の表情、ビルの表情、すべてに生々しい動きがある。
これは最初から完成した脚本があったのか、それとも映画を撮りながら徐々に脚本を完成させていったのか。後者と思いたい。そんな不思議な映画だ。
最初に写真を現像しているシーンがある。現像液のなかでゆれる映像。それが何かわからない。ただ現像しているということだけがわかる。このシーンはとても象徴的だ。あらゆる映像は現像の仕方によってかわる、とつげていように思える。
兄弟がいて、恋人がいて、その奪い合いがある。吊り橋から恋人が落ちる。事故か、殺人か。--ストーリーは「真実」をめぐって、ゆれる。その「ゆれ」もおもしろいが、もっと興味深いのは、兄と弟のこころのゆれである。
「真実」はひとつのはずなのに、ふたりとも、それをどう語っていいかわからない。真実を語ることが相手に対して何をすることになるのかわからない。自分自身に対しても、それがどんな意味があるのかわからない。「真実」よりもつたえたいことがあるからだ。その微妙な人間の心理を香川照之が絶妙に演じている。
随所に「嘘」をはさむ。「嘘」に対して弟がどう反応するか(正直に反応するか、嘘で答えるか)をさぐりながら、「嘘」のなかでしか言えないことをいう。どうして、おまえ(弟)がいつも言っていることをおれが言ってはいけないのか。他人への怒り、自分の本音をどうして言ってはいけないのか。そんな心の叫びが、そのまま肉声になって噴出する。その演技、香川照之の演技がすばらしい。
まるで香川照之がこんな演技がしたい、こんな人間を演じたい、と申し入れてストーリーをつくっていったような感じがする。おとなしい兄、人間のできた兄のこころのなかではこんなことが起きているということを、こんなふうに演じてみたい、と香川が申し入れて人間を造形していったのではないかと思ってしまう。
その「嘘」のなかにひめられたこころの叫び、それは対抗するようにオダギリジョーが繰り広げる「嘘」と真実。「いい兄」に対することばにならない怒り、憎しみ。
だれもがことばにならない「声」を肉体のうちに持っている。それを、この兄弟はともに「嘘」でしか語れない。互いに相手を「嘘つき」と思っているのに、その「嘘つき」という批判だけはことばにしない。そこから「ゆれ」がはじまる。だから「ゆれ」のなかにしか「真実」はない。「嘘」と「嘘」のあいだに、声にならない声、真実の声がひそんでいる。
「嘘つき」と言えればよかったのに、二人とも「嘘つき」と言えないばっかりに、どんどん道を踏み外していく。「ゆれ」つづける。
香川の演技がなければ成り立たない映画である。
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西川美和の映画は初めて見た。とても鋭い人間観察力を持っていると思う。残念なのは自然描写が美しくない。吊り橋、川の流れ、山が絶対的な存在として浮かび上がってこない。人間を無視して存在を主張してこない。それが見ていて少しつまらない。ただし、街の描写はおもしろい。車の流れ、高速道(?)の表情、ビルの表情、すべてに生々しい動きがある。