詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岡本勝人「亡き父のための都市の詩学」

2006-08-14 13:57:22 | 詩集
 岡本勝人「亡き父のための都市の詩学」(「ガニメデ」37)。
 なつかしい詩を読むときのような、静かな気持ちになる。たとえば、冒頭の「都市が暮れ色に染まるとき」。

架線を通過する電車の音を聞きながら
うす暗い喫茶店でクラシック音楽をあかず聴いた頃
クロード・モネ展にでかけては
ビッグ・ベンの淡青色の絵をじっと見つめた頃
ロンドン橋のうりにバスを止めて
幾羽もの鳩が時計台を横切るのをカメラに収めた頃
テートギャラリーにウィリアム・ブレイクを見に行く途中で
ウェストミンスター寺院の詩人たちの胸像に出会った頃

それはどれも日常からこぼれおちた顔の異なった
暮れ色に染まる時間の宇宙全体をしめしていた
テーブルの上の赤と青の林檎をながめている
林檎は生の断片だったが
はじめてのエスキース
球と円筒と円錐はそれぞれの小宇宙だった

 「日常からこぼれおちた」「顔の異なった」「宇宙の全体」。ある一瞬に宇宙の全体を見る。そういう視線がなつかしい。そういう視線がこころを静かにさせるのだろう。それだけなら、私は、たぶんこの詩の感想を書かない。
 こころを静かにさせると私は書いたけれど、実は、この詩はどこか不気味である。特に2連目が不気味である。最後の3行は私にはどうしてもセザンヌの絵に見えてしまう。ところがこの詩には「セザンヌ」は登場しない。1連目にたくさんの人名や特定の場所が出てくるのに、「セザンヌ」の名前がない。
 何よりも不気味なのは2連目の2行目と3行目のつながりぐあいである。2行目でいったん文脈は完結するのだろうか。そうであるなら、この作品は「暮れ色に染まる時間の宇宙全体をしめしていた」という行のあとにこそ「一行空き」が必要だろう。2連目の2行は1連目に結びついていた方がわかりやすいだろう。
 「顔の異なった」は「宇宙」にかかることばなのに1行目と2行目には行のわたりがあり、別の世界を描いている「暮れ色に……」の行と「テーブルのうえの……」が「空き」もなくすぐ隣に結びつく。
 この不安定な行の構成そのものに、岡本の「詩」はあるのかもしれない。存在と存在の境目が揺らぐ。揺さぶりをかけられて、そこからはみだしてしまう。はみだしたものが本来結びつくはずのものではないものと結びついてしまう。いや、岡本の詩の場合、結びつくというより、別の存在の隣に並列してしまうといえばいいだろうか。
 異質なものが並列する。たとえば「電車の音」と「クラシック音楽」。そのとき、その並列によって何かが照らしだされ、そこから誘い出されるのか、押し出されるのかして、存在そのものからはみだしてしまう。「電車の音」は電車の音ではなくなり、クラシック音楽はクラシック音楽ではなくなる。つまり「日常からこぼれ落ちた顔」になってしまう。それは宇宙の全体をしめしている。

 それは宇宙全体をしめしている……か、どうか。実は、そう読んでいいのかどうか、私にはわからない。「宇宙の全体をしめしていた」はもしかすると1行目、2行目の行のわたりのように3行目の「テーブル」に行わたりでかかることばかもしれない。
 「宇宙の全体」に呼応することば「小宇宙」はセザンヌと思われる絵の構成、その部分について言われているからである。
 ことばの「境目」がどこかあいまいなところがある。揺れるところがある。そこから何かが噴き出そうとしている。それが不気味である。同時に、何か緊張感を誘う。もしかすると、この緊張感こそが本当は静けさのもとかもしれない。

 「境目」と私は書いた。実は、このことばは岡本の別作品のなかに存在することばである。「手帳のなかの記号は現在をしめす」。

整序から遠く離れてゆがんだカオスのままの自筆の文字群
日々の境目をなにげなく通過してきたが
人知れぬ急速と効率のよい仕事のためにも
都会の小さな現在は手帳のなかにあった
純粋時間をひたすら歩んでいた

 「純粋時間」とは「日常からこぼれおちた」「顔のことなった」「暮れ色にそまる時間」の「宇宙の全体」のことになるだろう。
 「境目」に似たことばは、たとえば「都市と海と砂漠の信号機を越えて」のなかの次の行にも見られる。

「生」と「死」の境界には道路標識が立っている

 「死」とは「日常からこぼれおちた」生、逸脱した生であろう。だからこそ、そこに「詩」の本質がある。「都市と……」の最後の2行は美しい。

思い出はいつ死んでしまうかわからないから
いけるところまでいってみよう

 これは「日常からこぼれおち」「純粋時間」のなかへ出かけていこうという意思表明である。それが「亡き父」を追悼することである。つまり「亡き父」の生をたどることである。

 「境目」、そして逸脱と、そこから始まる「並列」については、「現代のチンパンジー語をさがせ」のなかのことばが端的に語っている。

電車のなかで首をかしげると
背後から突然の非文脈的コミュニケーション

 「非文脈的コミュニケーション」が「詩」なのである。

 岡本の詩には、強い統一された意識がある。「日常からこぼれおちた」もの、「境目」を失ったもの同士が唐突にコミュニケーションをはじめる。そこから「詩」が立ち上がる。ちょっとエリオットに似ている。エリオットは今までそばになかったものを並列させることで「日常からこぼれおちた」「顔の異なった」「時間」を演出した。岡本は、演出ではなく、エリオットと逆の操作で、そこへ行ってみようとしているように思える。



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ポール・グリーングラス監督「ユナイテッド93」

2006-08-14 01:46:56 | 映画
監督 ポール・グリーングラス 出演 コーリイ・ジョンソン、デニー・ディロン

 結末がわかっているのに、思わず身を乗り出し、最後は助かるんじゃないか、と思ってしまう。がんばれ、がんばれ、とこころのなかで叫び、テロリストに立ち向かった行動が成功するように祈ってしまう。飛行機が墜落したあとでさえ、これは映画にすぎない、本当は全員助かったのだ、と思い込みそうになる。
 いやあ、びっくりした。
 テロリストたちの祈りのシーンから始まり、空港のざらざらした映像にまるで現実そのものと錯覚してしまいそうだ。臨場感というのも奇妙だが映画を見ているという感じが全然しない。
 映画は、管制のやりとりと、ユナイテッド93の機内の様子が交互に描く。だれもが全体像がわからず、自分にできることを懸命にやる。あ、あのとき管制塔はこんなふうに混乱していたんだ。混乱のなかでこんなに冷静にというか、できることは何かを的確に判断していたのかと驚く。パニックに陥らないところがすごい。混乱しながら、そして貿易センタービルの映像も見ながら、驚愕し、それを現実としてしっかり向き合う。これ以上の混乱を引き起こさないためにどう対処すべきかを考える。それも瞬時のうちに。人間というのは、すばらしいものだと驚く。
 それはユナイテッド93の乗客についても同じだ。恐怖のなかで混乱しながら、電話をつかい情報を集め、何ができるかを探る。彼らだけが、他の旅客機の乗客と違い、乗っ取られた飛行機が何のために使われるかを知っている。出発が後れたために「時差」が生じたのである。そこからがすごい。すばらしい。テロリストとの戦いを決意するだけではなく、乗客同士が助け合い(たとえば携帯電話を隣の人に貸してやるというような、自分にできることをきちんとする)、懸命に生きようとする。人間にはこんなに多くのことができるのかと感動する。勇気というものを通り越して、立派だ。敬服に値するとはこういう行動を指すのだろう。
 この感動が、冒頭に書いたがんばれ、がんばれ、という願いになる。

 ユナイテッド93の乗客たちが、この映画どおりに正確に他のテロリストの行動と結果を把握していたかどうかわからない。たぶん、この乗客の描写には、監督の祈りがこめられているのだと思う。ユナイテッド93の乗客たちは世界を救ったのだと思う。彼等の人間としての意志が世界を救ったのだと思う。もしユナイテッド93がホワイトハウスに突入していたら、アメリカの対テロ戦争はもっと激烈だっただろう。テロリストがいるかもしれないあらゆる場所を壊滅したに違いない。そしてテロは今よりももっと激しく、世界各地でおこなわれただろう。

 映画の感想からずいぶんずれてしまったかもしれない。しかし、そんなことを思わず考えてしまう、感じてしまう映画だった。



 映画そのものにもどれば、リズムがすばらしい。映像のざらざらした感じもリアルで衝撃的だ。無名の俳優をつかいきった監督の技量がすばらしい。
 管制塔の状況を克明に再現したところがすばらしい。「プレインズ、と言っている。複数だ」というテープの分析の冷静さをあぶりだしたところがなんともすごい。管制官が雑音とも思える音を克明に聞き取っている様子を再現したところがすばらしい。
 何よりも遺族の証言をもとにユナイテッド93の内部を、あたかも実際に見てきたかのように再構成する想像力がすごい。そして、その想像力の根底に、人間の行動力への信頼をすえていることが見事だ。
 ユナイテッド93の機内で起きた実際のことはだれも知らない。生きている証言者はだれもいない。それなのに、この通りのことが起きたのだと信じ込まされてしまう。信じたくなる。人間を信頼し、愛している監督の視線に感動してしまうのだ。

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