監督 トーマス・ベズーチャ 出演 ダイアン・キートン、クレア・デインズ
「努力しないこと」(自然体でいること)をモットーにしている一家。そこへ「頑張り屋」の女性が長男の婚約者としてやってくる。そして繰り広げられるどたばた。というような設定のなかで、ダイアン・キートンがすばらしい。
長男役のダーモット・マロニーに対して恋人のサラ・ジェシカ・パーカーはおまえにふさわしくない、と言う。そのあと「失敗したとき、そばにいてやることができない」とも。ダイアン・キートンは癌が再発し、あと1年も生きられない。そのことを知っていて、息子に対して、そう告げる。そのときの顔がいい。「いつでも、いくつになっても、おまえのことを心配だ」というのではない。「いつでも、いくつになっても、おまえのことを心配していたい」という、一種の母親の欲望(母親の生きる希望)のようなものが、とても自然に浮き上がってくる。その感じがいい。
ダイアン・キートンの演技の質そのものがだいたい「受け」の演技だが、この映画ではそれがとても自然に生かされている。ダイアン・キートンは家族全員に対して「いつでも、いくつになっても、おまえ(たち)のことを心配していたい」と願っている。それは裏を返せば、「どうか本当の自分自身をみつけて、それを大事にして欲しい」という願いでもある。本当の自分の欲望に従って生きるなら、どんなことも失敗ではない。自分の欲望にしたがわず、何か無理をして(つまり努力して)、つまずくことが失敗である。しかし、それも自分自身へたどりつくための道なのだから、それはそれでいい。そのとき、いつでも、いくつになっても「頼ってほしい」と願っている。頼られる母でいたいと願っている。それが、もうできなくなるんだよ、と訴えかける。
こんなことはもちろん映画のなかでセリフで言うわけではない。言うわけではないが、それが伝わってくる。だから、すばらしい演技だと思う。私の思ったことはもちろん見当違いかもしれない。しかし、それが見当違いであっても、そういうことを想像させてくれる演技、そういう思いを引き出してくれる演技が私は好きだ。
途中から登場するクレア・デインズもいいなあ。目が魅力的だ。そして肌がきれいだ。なんといえばいいのだろうか。肌というのは人を人の形にとどめておく「壁」みたいなものだが、クレア・デインズの肌には「壁」がない。透明ななので、そのままこころに触れることができるような感じがする。無防備な感じがする。そして目は、矛盾するようだが、とてもしっかりしている。主張がある。無防備な肌に主張する目。その対比が美しい。引き込まれていく。
「努力しないこと」(自然体でいること)をモットーにしている一家。そこへ「頑張り屋」の女性が長男の婚約者としてやってくる。そして繰り広げられるどたばた。というような設定のなかで、ダイアン・キートンがすばらしい。
長男役のダーモット・マロニーに対して恋人のサラ・ジェシカ・パーカーはおまえにふさわしくない、と言う。そのあと「失敗したとき、そばにいてやることができない」とも。ダイアン・キートンは癌が再発し、あと1年も生きられない。そのことを知っていて、息子に対して、そう告げる。そのときの顔がいい。「いつでも、いくつになっても、おまえのことを心配だ」というのではない。「いつでも、いくつになっても、おまえのことを心配していたい」という、一種の母親の欲望(母親の生きる希望)のようなものが、とても自然に浮き上がってくる。その感じがいい。
ダイアン・キートンの演技の質そのものがだいたい「受け」の演技だが、この映画ではそれがとても自然に生かされている。ダイアン・キートンは家族全員に対して「いつでも、いくつになっても、おまえ(たち)のことを心配していたい」と願っている。それは裏を返せば、「どうか本当の自分自身をみつけて、それを大事にして欲しい」という願いでもある。本当の自分の欲望に従って生きるなら、どんなことも失敗ではない。自分の欲望にしたがわず、何か無理をして(つまり努力して)、つまずくことが失敗である。しかし、それも自分自身へたどりつくための道なのだから、それはそれでいい。そのとき、いつでも、いくつになっても「頼ってほしい」と願っている。頼られる母でいたいと願っている。それが、もうできなくなるんだよ、と訴えかける。
こんなことはもちろん映画のなかでセリフで言うわけではない。言うわけではないが、それが伝わってくる。だから、すばらしい演技だと思う。私の思ったことはもちろん見当違いかもしれない。しかし、それが見当違いであっても、そういうことを想像させてくれる演技、そういう思いを引き出してくれる演技が私は好きだ。
途中から登場するクレア・デインズもいいなあ。目が魅力的だ。そして肌がきれいだ。なんといえばいいのだろうか。肌というのは人を人の形にとどめておく「壁」みたいなものだが、クレア・デインズの肌には「壁」がない。透明ななので、そのままこころに触れることができるような感じがする。無防備な感じがする。そして目は、矛盾するようだが、とてもしっかりしている。主張がある。無防備な肌に主張する目。その対比が美しい。引き込まれていく。