詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

伊藤悠子『道を 小道を』(再々)

2007-08-16 23:34:25 | 詩集
 伊藤悠子『道を 小道を』(再々)(ふらんす堂、2007年07月25日発行)
 このひとの詩は本当におもしろい。おもいしろいということばで感想を書くのをためらうような詩、たとえば「行方」という詩も、私はあえておもしろい、と言いたい。

さいしょは両腕で抱いていた
いつのまにか片腕で抱く小ささになり
すぐに手のひらに移り
またたくまに指先から離れていった
中指にきびがらのような感触が残った
赤ん坊は
あかまんまの野に向かっただろうか
近付いてきたひとに話すと
「それは昔からいる世を渡る赤ん坊のことでしょう」
と言った

 この「赤ん坊」は幼くして亡くなった赤ん坊かもしれない。赤ん坊の記憶を、抱き締めた肉体の記憶、自分の側に残る肉体の記憶を、伊藤は書いているのかもしれない。そうであるなら、「おもしろい」という感想は不適切かもしれない。
 繰り返し繰り返し、亡くなった赤ん坊を思い出す。それはたしかに切ないことなのだけれど、こころの切なさを回復させるように肉体は動くのである。肉体がこころを裏切る(?)ように、少しずつ印象を変えていくのである。
 これはある意味では、赤ん坊を亡くしたことよりも切ないことかもしれない。なぜ、あの大切な重み、命の重みそのものを肉体はいつまでも維持できないのか。そして、その維持できなさに比例するようにこころの切なさも薄れて行くのか……。そんなことがあっていいのか。ほんとうの苦しみがそこにあるかもしれない。切なさを超えた苦悩がそこにあるかもしれない。
 しかし、軽くなっていいのだ。小さくなって、「きびがらのような感触」になってしまっていいのだ。なぜなら、赤ん坊を亡くした女性たちは、亡くなった赤ん坊が「機微がら」になるまで、繰り返し繰り返し、抱き続けたのだから。
 そして、悲しみ、切なさのなかで、「神話」を作り上げたのだ。

「それは昔からいる世を渡る赤ん坊のことでしょう」
 
 赤ん坊を産んだ女性だけのものではなく、世の中のもの、世の中を渡っていく赤ん坊。あの赤ん坊は、私の腕のなかで生きていく赤ん坊ではなく、世の中を渡っていく赤ん坊だったのだという「神話」を生み、その「神話」のなかで、悲しみが昇華するのだ。
 詩のつづき。

ほうぼうのひとに少しのあいだ抱かれていくらしい
得心がいく説明だったから
わたしは荒玉水道通りをあとにした
あれから時は巡っていったけれど
あの小さな渡世人はいまごろどうしているだろう
きのう通りがかった遠い町の
客の少ないパン屋の店先などで
抱かれているかもしれない
駅で眠るひとの腕の中に
もぐり込んでいるかもしれない
きびがらのようなかるさだけを預けて

 「神話」のなかに亡くなった赤ん坊を昇華させたけれど、それは忘れることではない。いつでもしっかりと思い出すための神話なのである。「小さな渡世人」は、ふとした瞬間にいつでも「神話」といっしょにあらわれる。そして女性たちに共有される。

 「神話」というのは多くの場合、男性原理というか「権力原理」と結びついたものであるけれど、伊藤が書いている「神話」は、そういうものとは違う。どんな権力とも無縁の、命を失った悲しみ、そして命を生み出した愛しみ(かなしみ)とともに、ただそこにあるだけのものである。

 すでに2回書いてきたことだけれど、また、ここで書いておきたい。
 伊藤のことばは、繰り返しをへて、簡潔で揺るぎないものになっている。繰り返しのなかで余分なものが少しずつ削りとられ、ていねいに磨き上げた芯だけが強いまま残っている。
 こうした美しいことばは最近の詩集ではとてもめずらしいもの、貴重なものである。ほんとうにいい詩集だ。



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伊藤悠子『道を 小道を』(再び)

2007-08-15 22:16:46 | 詩集
 伊藤悠子『道を 小道を』(再び)(ふらんす堂、2007年07月25日発行)
 「これを」という作品の書き出し。

陽が弱まると 急に
風の温度は下がり
海の色が深くなった
バス停の路上に
青い洗濯ばさみの片割れが転がっている
海草を干す際に使われていたが
これから後は
砕かれていく
散らばっていく
丈低い草の中にとどまっても
それを露草と見まがうことはない

 海辺のバス停。バスが来るまでのあいだ見かけたものをただ描写しているだけのようだが、とても美しい。こんなに美しいのは、きのうの繰り返しになってしまうが、こうした風景(洗濯ばさみが壊れて半分路上に転がっているという風景)を伊藤が何度も何度も見てきたからであろう。私も何度か見たことがある。そして、伊藤と私の違いは、伊藤はその見た風景を何度も何度もことばにしてきた、ということだ。書くとか、誰かに話すというのではなく、伊藤自身のなかで、何度もことばにしてみたのだ。描写してみたのだ。だからこそ、

これから後は
砕かれていく
散らばっていく

という簡潔で、しかもリズムがあって、なおかつそのリズムの中に「時間」そのものがあるという美しいことばになるのだ。
 私は「抒情」というものが嫌いだったが、伊藤の詩を読んで、ああ、やっぱり詩の基本は「抒情」にあるのだ、と思ってしまう。

丈低い草の中にとどまっても
それを露草と見まがうことはない

 この悲しさは、伊藤にしか書けない抒情だ。
 洗濯ばさみの破片を露草の花と勘違いしたという抒情なら、たぶん入沢康夫なら書ける。露草の花と見間違え、そこから別の世界へと進んでいくという詩なら入沢康夫には書けるだろう。(そういう詩なら、入沢康夫は書くだろう、という意味である。)しかし、伊藤は洗濯ばさみの破片、車にひかれて、砕けた破片を露草とは見間違えない。絶対に、見間違えない。なぜか。何度も何度もそういう風景を見てきたからだ。そして、何度も何度も、それを「露草」と見間違えてきたからだ。あきるほど見間違えてきた。だから、今は絶対に見間違えない。
 「見まがうことはない」という静かなことばの奥には、悲しい悲しい抒情がひっそりと呼吸をしているのである。
 この呼吸を大切にしたまま、詩は静かに進む。

最終のバスが来た
ふり返ると
海は一枚の黒い布のようにして
島を包んでいた
小さな子の手をとると
窪みの奥に貝殻が握られている
暗く膨らんだ海は
浜に貝を寄せることなど
とっくに忘れたようにみえたが
帰るあてのない父のために
ひと日の終わりには
なにかをそっと用意する子に
海は
これを と

 突然、涙がこみ上げてきて、私はびっくりしてしまった。
 青い洗濯ばさみの破片が草むらに落ちているのを見て、伊藤は何度も何度もそれを露草と見間違えてきた。わかっていても、繰り返し繰り返し、見間違えてきた。その繰り返しの果てに、もうそれを露草と見紛うことはないと自分に言い聞かせている。
 その伊藤の前に、突然、つまらないもの(大人から見て、つまらないもの)を、とても美しいものに見間違える子供があらわれる。小さな貝殻。それは何? 子供には父への大切なお土産。子供は、それを本当に宝物と見間違えているのだ。--そのときの、見間違えるこころの美しさ。純粋さ。つまらないものを美しいもの、世界でたったひとつのものと見間違える「能力」というものが、どこかにある。そして、それを大人になった伊藤は失ってしまったが、ふいに、子供によって教えられるのだ。
 どきっ、とする。そして、涙があふれてくる。

 伊藤は、それを子供が発見したとは書いていない。海がそっと「これを と」子供に教えてくれて、その声を子供が聞いて、貝殻を広い握りしめていると書いている。
 自然は非情だ。人間のこころなんかまったく気にしない。貝殻なんてつまらないもの、という大人のこころなんか気にしない。そして、そういう大人のこころを無視して、純粋な子供にだけ語りかけたのだ。これをお土産にするといいよ。お父さんが喜ぶよ、と。子供はその声を聞いて、ただ従っている。貝殻を宝物だと信じている。

 ほんとうは何も知らない子供ではなく、何もかも知っている大人、伊藤こそが貝殻を宝物と見間違えなければならないのだ。そういうこころを取り戻さなくてはならないのだ。--そういう悲しみ。その瞬間の抒情。

 とてもいい詩集だ。
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伊藤悠子『道を 小道を』

2007-08-14 11:52:59 | 詩集
 伊藤悠子『道を 小道を』(ふらんす堂、2007年07月25日発行)
 感情を追いかけるだけでなく、追いかけるとは見つめなおすことだということ自覚した詩集だ。文体が非常に成熟している。詩を書く以前に、何度も何度も、こころのなかで(頭のなかで、肉体のなかで)、伊藤自身を見つめなおしてきたのだろう。ことばに書くことはなかったかもしれないけれど、常にことばは動き続けていたのだろう。詩という存在にであって、そうしたことばが静かに定着した。そういう感じの、とてもいい詩集だ。
 巻頭の「たたく」がすばらしい。

「わたしは門のそとに立ち とびらをたたいている」
歌詞を見ながら歌う
岡の林の木の間に隠れない木戸
夕暮れの町に紛れない鎧戸
叩いているのはわたしだと思って歌う
果てもなく絶え間なく


しかし叩いているのは
そのひとだという

どんな姿を纏いわたしを叩いていたのか
叩いているのか
だれかれを思う
しかし
だれかれを思うことも
扉を叩くこと
扉を叩いているのは
わたしではないことだけを思うだけで
よい
冬の空を見ている

 歌のなかの「わたし」に「私=伊藤」を重ねて歌のなかへ入っていく。これは、ごく自然なことだ。歌の気持ち、ことばの気持ちを理解するというのは、ことばのなかの「わたし」と一体になることだから。
 ところが、そうではない、という世界もある。それを伊藤は知った。そこからどんなふうにして、いとう自身をもとに戻すか。間違った「解釈」から正しい「解釈」へ戻るか。
 伊藤は強引には戻らない。強引に自己修正をしない。

だれかれを思うことも
扉を叩くこと

 この2行。その発見がすばらしい。
 扉を叩いている「わたし」は「私=伊藤」ではない。では、だれなんだろう。あれこれ思う(想像する)こと、そのこと自体が「扉を叩く」という行為なのだ。「扉を叩く」のは、扉を叩いているひとがいると、はっきり意識するためなのだ。
 「扉を叩く」という行為のなかに、肉体の動きのなかにすべてがある。
 扉を叩くという行為を、「とびらをたたいている」ということばをとおして反復する。確かめる。そのとき、「わたし」と「私=伊藤」で深く結びつく。なぜ「扉をたたくのか」、その答えを探しながら、歌を繰り返す。
 そして、

扉を叩いているのは
わたしではないことだけを思うだけで
よい

という、伊藤自身の「答え」を見つけ出す。「私=伊藤」意外に、だれかが「扉を叩いている」。生きているのは「私=伊藤」だけではない。他者の存在を知る。(その「他者」とは、あるいは「神」を含むかもしれないが、「神」のことは私はよく知らない。)
 「私=伊藤」がいて、「他者」がいて、「私=伊藤」も「他者」も「扉を叩く」ことができる。扉を叩く事情は、おなじかもしれない。違っているかもしれない。違っていて「扉を叩く」という行為はおなじである。「扉を叩く」とき、「私=伊藤」と「他者」は「事情」を超える。「事情」を超えながら、同時に「事情」の奥底へ深く深くおりてゆく。「こういう事情もある」「ああいう事情もある」……。
 そして、世界がひろがる。

冬の空を見ている

 この終わりもすばらしい。
 人間の(伊藤を含む)の「事情」を超越して、冬の空は存在している。自然、宇宙の超越。そのなかで人間は生きている。勘違いし、勘違いを知らされ、反省し、しかし、「絶対的な真実」にはたどりつけず、「扉を叩いているのは/わたしではないことだけを思うだけで/よい」という具合に、きょうはきょうの「おりあい」をつけて生きている。

 この詩集には、伊藤がそれまでことばにしないで、ただ肉体のなかにしまいこむかたちで「おりあい」をつけてきたものが静かに並べられている。そして、その「おりあい」が「冬の空」のような自然(世界、宇宙)と、これまた静かに向き合っている。
 この静かさをこそ「抒情」と呼びたい。

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有馬敲「『源氏物語』と庶民生活」

2007-08-13 07:03:12 | その他(音楽、小説etc)
 有馬敲「『源氏物語』と庶民生活」(「イリヤ」創刊号、2007年07月14日発行)
 「夕顔」の、庶民の「声」の出てくる部分と現代語訳を比較している。有馬が参考にしている原文は『大島本』翻刻。問題の部分は、

 隣の家々、あやしき賤の男の声々、目覚まし「あはれ、いと寒しや」、「今年こそなりはひにも頼む所すくろく、田舎の通ひも思ひかけねば、いと心細けれ、北殿こそ、聞きたまふや」など、言ひかわすも聞こゆ。

 「あはれ」以下を与謝野晶子、谷崎潤一郎、船橋聖一の3人が、複数の声でなく単数でくくっている--と指摘し、そのことに疑問を投げかけている。(庶民のことばに訳されていないことにも疑問を投げかけている。)
 円地文子の訳もひとくくりである。瀬戸内寂聴は「あはれ」と「今年こそ」を二人の会話にしている。それでよいのか、というのが有馬の疑問である。
 もうひとり中井和子の訳も取り上げている。それは3人の会話になっている。

 隣の家々の、あやしい賤男たちが目をさます声がして、
「ああ、えろう寒い」「今年は、実入りの方もさっぱりで、田舎回りもあてにならんし、心細いこっちゃ」「北隣さん、お聞きどすか」
 などと言い交わしているのどす。

 中井の訳は京都弁がつかわれており、3人の会話になってる。これが正しいのでは、というのが有馬の説だと推測できる。
 なるほどねえ、と思いながらも、私は有馬の論には、あまり与したくない。
 3人が会話しているときは、たしかに現代の国語教育(作文教育)では3人分のカギ括弧が必要かもしれない。しかし、現代の国語教育がそうだからといって、与謝野晶子、谷崎潤一郎、船橋聖一、円地文子の表記が不適切と言えるかどうか。
 会話は必ずしもカギ括弧でわかるように書き分けなければならないわけでもないだろう。
 たとえば大江健三郎賞をとった長嶋有の「夕子ちゃんの近道」。このブログにも書いたことだが、その会話表記は少し変わっている。新潮社版の44ページ。

「それよりも、お風呂のかきまぜ棒いらない」風呂道具といわずにはじめからそういえばいいのに。
「うち、風呂ないですよ」銭湯ですよ、知ってるでしょう。

 実際に「声」に出された部分はカギ括弧、「声」には出さなかったけれどこころで思った部分はカギ括弧につづけて「地」の文として書かれている。長嶋は厳密に区分けして書いているようだが、読者は「地」の部分も「声」として聞き取ってしまう。主人公が思ったことは、「声」に出そうが出すまいが、主人公の「声」だからである。そして会話というものは、「声」にだした部分だけで成り立っているのではなく、「声」に出さなかった部分からも成り立っている。カギ括弧に含まれていないから、その「声」は会話ではないと判断して読むと、この小説は成り立たなくなる。
 カギ括弧のもっている意味を現代の国語教育の基準で判断してしまうのは、小説の読み方として不十分であると思う。

 源氏物語の訳に戻る。
 光源氏は女のもとに一泊した翌朝、先に引用した「会話」を聞く。それが「声々」とあるからたしかに複数なのだろうけれど、光源氏にとって「複数」であり得たかどうかを問題にしなければならない。
 光源氏は女をひとりひとり区別している。生活の場を同じくしている「貴族」の男もひとりひとり区別しているだろう。しかし、庶民は? 庶民の男は? ひとりひとりを区別していないかもしれない。庶民の男だからひとりひとりを区別しないのは「差別」かもしれないが、そういう意識はカギ括弧は会話をあらわすという現代国語教育の意識と同じく、きわめて「現代的」なものである。
 光源氏はたしかに複数の声を聞くのだが、その意味内容はひとりひとりの個性を明らかにするものではない。単に庶民がこんなことを言っている、というひとまとめのものにすぎない。だれが「ああ寒い」と言ったのか、だれが「田舎回りもあてにならない」と言ったのか、そしてだれが「北隣りさん、聞こえますか」と言ったのか、そんなことを識別する必要はない。識別する必要のないものは、ひとくくりにしてしまう。それは、ある意味で小説文体の「経済学」である。
 与謝野晶子、谷崎潤一郎、船橋聖一、円地文子は、そうした小説の「経済学」(文体論)にのっとって訳しているだけのように私には思える。
 そして、私には、与謝野晶子、谷崎潤一郎、船橋聖一、円地文子の訳の方が、源氏の気持ちを適切にあらわしていると感じられる。中井の訳では、そのことばを源氏がどのように受け止めたかを、もう一度自分自身で整理しなおさなくてはならない。これは、ある意味で、読者に余分な負担を強いることである。読者の「経済学」にとって、こういうことはあまりうれしいことではない。
 「などと言っている」(与謝野)「言い合っている」(谷崎)「話合っている」(船橋)「話し合う」(円地)という文を読めば、それが正確に聞き取る必要のないもの、複数のひとの会話であることがわかる。それで十分だろう。
 3人の会話が3人のそれぞれの声として独立して表現されなければならないのは、その3人のうちのだれか特定のひとりの発言が光源氏の精神に(行動に)影響を与えるときのみである。3人のうちのだれかが特定される必要があるときは、その特定ができるように書くし、必要がないときは特定されないように書いても何も不思議はない。


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山岡遊「絵金」

2007-08-12 21:46:13 | 詩(雑誌・同人誌)
 山岡遊「絵金」(「犯」31、2007年08月01日発行)
 屏風絵を見て、その感想を描いている。とても魅力的な部分がある。

泣くな
目を凝らせば
人は不完全な鳥
育ての母は
空、
あの世から
でしゃばるものたちを
父とする

 「不完全な」という一語がとりわけ魅力的だ。「不完全」ということは、完全になりうるということである。何がきっかけで完全なものに変身するのかわからないが、その可能性をひめいているのが「不完全」である。
 「でしゃばる」という口語も魅力的だ。
 泥絵のなまなましい感じが、この「でしゃばる」という口語で、まるで口臭のようにせまってくる。
 「母」と「父」。その交接。そして不完全なものの誕生--というより、何か交接の「不完全」さが、より魅力的な交接を誘っているような、生々しさを感じさせる。「父」と「母」は「不完全」ということばが呼びよせた命の形かもしれない。

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笹田満由『閨房詩篇』

2007-08-11 23:19:24 | 詩集
 笹田満由『閨房詩篇』(書肆山田、2007年08月10日発行)
 「天使」ということばが何度も登場する。タイトルにも登場する。そして「闇」も何度も登場する。「堕胎」という作品の全行。

闇の中に
乱暴な
手が現れて

強引に
肉を脱がし
剥奪していったが
ごらん

残されたのは天使
これが
闇の正体

 「天使」と「闇」はどこかでつながっている。笹田は、その具体的なつながりを語ろうとしていない。
 なぜか。
 緊密に結びつきすぎていて、天使と闇の距離を測れないからである。それは笹田が自分を天使と感じており、同時に笹田自身を闇だと感じているからである。天使と闇が、表裏となっているからである。二つのあいだには距離がないのだ。
 天使になろうとしても、かならず闇がついてくる。闇になろうとしても天使が放してくれない。
 この不思議な苦悩を、笹田は、語るというよりは、感じさせようとしている。説明するのではなく、説明を拒否して、そこに天使でも闇でもないものがあると感じさせようと試みている。受け止めてほしいのだ。読者のなかで、笹田の天使と闇とが解き放たれ、そして再び結びついてくれることを願っている。--つまり、読者が「笹田」になってくれること、同質(?)の人間になってくれることを願っている。
 天使と闇とが深く結びついたとき、たとえば「薔薇」は次のように見える。

命がまだ
肌というなら
わたしに
下さい

目覚めたとき
泪のあとを
追って行かぬよう

流れる血が
闇から
あふれるまで

 薔薇とは、命と肌と泪と血と闇が一体になったものである。
 そんなふうにして、天使と闇とが深く結びついた目で存在を眺めるとき、あらゆるものが何かと何かが深く結びついた形であらわれてくる。区別のつかないものとしてあらわれてくる。
 これを「抒情」と呼んでもいいかもしれない。
 抒情とは、説明するもの、納得するものではなく、ただ感じるものだ。



 河津聖恵が笹田の「天使性」について「しおり」でていねいに書いている。


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柴田千晶「死霊」

2007-08-10 15:41:31 | その他(音楽、小説etc)
 柴田千晶「死霊」(「街」64、2007年04月01日発行)
 
 死後残るホームページや黄水仙

 俳句はよくわからない。よくわからないけれど「死霊」というタイトルをもった7句のなかではこの句が一番印象が強い。たぶん「や」という切れ字がきいているのだ。「死後残るホームページ」と「黄水仙」には、ほんらい何のつながりもない。すでに切れいてる。その切れた二つの存在が「や」という切れ字によって「切れ」が強調されるとき、その「切れ」て存在するということの美しさが浮かび上がる。「黄水仙」という自然は非情である。非情というのは、ようするに「人情」なんか関係ないということである。人情なんか関係ないものが世界をつくっている。そういう非情な世界で、人間は「人情」を求めて生きている。ホームページなんかつくったり、こういうブログを書いてりして。そういう人情のさまざまをさっと振り払って屹立する黄水仙。
 この句に比べると、たとえば

漢ばかり埋もれし谷やぼたん雪

 「漢」は「おとこ」だろうか。男の仏ばかりという意味だろうか。そう思って私は読んだのだが、「おとこ」「埋もれる」「雪」が「切れ字」を含むにもかかわらず、強い粘着力でつながっている。そのことばの響き合いに、私は窮屈な感じを覚える。

馬跳びの一人は死霊大枯野

 この句のよさ、おかしみは「馬跳びのひとりは死霊」にある。「馬跳び」と「死霊」の配合の妙にある。それで終わればいいのだが、「大枯野」が邪魔をする。「馬跳びのひとりは死霊」のなかにすでに「切れ」が含まれている。こっけい、というものはそういうものである。そのせっかくの「切れ」を「大枯野」が埋めてしまう。この句は「大枯野」を取り去ると傑作になる。そんな予感がある。

 発行日はいつかわからないが「俳句文芸」3月号にも柴田は「赤き毛皮」というタイトルで句を書いている。(コピーを読んだ。)最初の2句がおもしろかった。そして、それをおもしろいと思うのは、私が俳句を書いていないからかもしれない。門外漢だからかもしれない。

体重計孤島のごとし雪の夜
クラリネットは男の背骨寒かりき

 「体重計」の句は、どう読むのだろうか。「体重計/孤島のごとし雪の夜」だろうか。「体重計孤島のごとし/雪の夜」だろうか。「/」は「切れ」の位置である。
 同じく「クラリネット」の句はどう読むのだろうか。「クラリネットは/男の背骨寒かりき」か「クラリネットは男の背骨/寒かりき」だろうか。
 俳句の基本を知っている人には「切れ」の位置は明確だろう。だが、私にはわからない。そしてわからないから、自分勝手に読む。

体重計孤島のごとし/雪の夜
クラリネットは/男の背骨寒かりき

 家のなかにぽつんと置かれた体重計。外は雪。ぽつんと置かれている「人情」(ぽつんとほうりだしてある柴田の事情)と、そんなことには関わり合いのない「雪」。それがおもしろい。
 「クラリネットは」と言おうとして、一瞬の「間」が生まれる。「間」は「魔」手あり、「切れ」である。うまく言えないものを力でねじ伏せて「男の背骨寒かりき」と動くことば。そのときの「間」の揺らぎのようなもの。
 書けないものが、書けないまま、そこにほうりだされて、存在している。それがおもしろい。

 また、

朧夜の掌を押し返すインコの頭

 は、あたたかな肉体感覚がとても印象的だ。「インコの頭」というはげしい字余りが、どうしてもそれを書きたいという欲望のようなものを感じさせて、笑いたくなる。(楽しい、という意味です。)しかし、「朧夜の」の「の」が重たいと思う。「朧夜」という季語を独立させる方がよくはないか。「切れ字」で切ってしまった方が空間が広々とすると思う。

まくなぎに顔消されゆく帰郷かな

 言いたいことはよくわかるけれど、「切れ」の位置が窮屈である。「まくなぎ」という季語で切れてほしい。「に」では「意味」になってしまう。
 しかし、これも門外漢の感想なので、俳句を専門に読んでいる人からみると、とんちんかんな感想かもしれない。
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田中郁子『ナナカマドの歌』

2007-08-09 14:28:54 | 詩集
 田中郁子『ナナカマドの歌』(思潮社、2007年07月31日発行)
 どの詩にも繰り返し繰り返しこころのなかで書いてきた記憶のぬくみのようなものがある。こころのなかで繰り返すことで、心臓の血が、少しずつことばのなかにしみこんで、温みとなって残っている--という印象がある。
 たとえば「そのままの朝」。

古い家の台所にはそのままの朝がある
敗戦後わたしが中学生だった頃
食べるものも着るものも貧しかった時代の雪の朝
母はいつものようにカマドでご飯を炊いていた
めらめら燃える炎の前でなぜか泣いていた
父はすこし離れたところで行ったり来たりしていた

夕方山から帰った父は獲物の雉を手にしていた
わたしはまだ温もりのある雉の暗緑の羽に触った
それから羽をむしる父の手さばきをみていた
貴重な食肉だった骨まで砕いてまるくまるめた
母は雪の畑から大根をほりだし七輪に炭を置いた
朝の争いが何であったか解らないまま胃の腑はみたされていった

戦後は薄れていくが消えるのではないそのままの朝に
そっと体を入れるとひび割れたカマドが燃えはじめる
あの日涙した女もうろうろした男もあわてて去った気配がして
しかしその気配だけは完全にわたしのものだった

 ある朝の情景。母と父が争ったあとの情景。それを何度も何度も田中はころのなかで繰り返した。それは田中の姿を感じたとたんに争いを中断した母と父の姿でもある。争いを中断し、母は涙を流している。争いを中断し、父はことば(怒り)をどこへやっていいかわからずうろうろしている。そこには争いが中断した気配だけが残っている。争いそのものは母と父の体のなかへ引き返して行ったのだ。
 その気配。繰り返し繰り返し思い出し、繰り返している内に、内容が断定できないまま、ひとつの世界になっていく。温かい日常になってゆく。おそらく母と父は食べ物のことで争ったのだろう。その争いは、ありきたりのものである。父は、こんなものしかないのか、云々。母は、だった何も買えやしない、云々。そのあと、父は山で苦労して雉をつかまえてくる。--二人は、田中に、食べ物や金のことで争っている姿を見せたくなかった。そういうありふれた戦後の情景。
 もちろん、私の推測が正しいわけではない。田中が同じように、そんなことを想像したとはどこにも書いていない。書いていないけれど「あの日涙した女もうろうろした男もあわてて去った気配がして/しかしその気配だけは完全にわたしのものだった」の2行で繰り返される「気配」が、そういう情景をひき出してくる。
 子供に争いを見せない、貧しさを見せない、大人のつらさを見せない--そういう生き方を、大人になった今、田中は暮らしのなかで繰り返し繰り返し自分自身のものとして体験してきたのだろう。ふとした瞬間に母と父の争いのあとの情景、争いがあったという気配だけの情景を繰り返し思い出すことによって、母と父の生き方そのものを繰り返し、そうすることで自分自身の生き方として受け継いだのだろう。
 そして、この「受け継ぎ」の瞬間、田中のなかでは、母と父がもう一度生まれている。母と父から生まれた田中のなかで、母と父の血が蘇り、同時に母と父が田中から生まれている。
 こうしたいのちの継承を見るとき、いのちというのは「生き方」である、ということがわかる。繰り返されるいのち。それは繰り返される「生き方」でもある。古い「生き方」には時代にそぐわないものもあるかもしれない。そうであっても、そのなかには変わらないものがある。引き継ぐしかないものもある。そういう「生き方」を引き受けるとき、そこに「血」がにじむ。それは母や父が流してきた血(あるいは隠してきた悲しい血)である。田中の詩は、その血のにじみそのものが息づいている。
 「ナナカマドの歌」には

わたしはちちやははから生まれたのでした
けれども ちちやはははわたしから生まれたのでした

という行がある。ちち「と」はは、ではなく、ちち「や」はは。この「や」は対象を限定せず、拡げる。「生き方」は「父と母」からではなく、さまざまないのちの継続のなかで積み重ねられ、磨かれてきたものであることがわかる。「生き方」とは思想なのである。
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坂多瑩子「きょう」

2007-08-08 21:58:23 | 詩(雑誌・同人誌)
 坂多瑩子「きょう」(「青い階段」36、2007年08月01日発行)
 自宅で介護(?)している人をデイケア施設に送り出す。何もすることがなくなった日のことを描いている。

高齢者送迎バスがくる
おねがいします
挨拶をすると いってきます
すこし間のびした言葉でかえってくる
陽は玄関の前を照らしているが
庭のあたりは日陰だ
家に入り
冷たいリンゴジュースを飲む
へやを見渡した
とても静かだ
私ははしゃいでいた
顔をざぶざぶ洗った
それから 椅子にすわったのだが
理由を説明しなさい
手もあげないのに
アリによく似た顔の先生が
はい あなた答えて
と ひどく緊張した声でいう
まともな説明などできない
私ははしゃいでいるのだから
こうしてあさが過ぎた
ひる頃 先生がまたあらわれた
これといってやりたいことが思いつかないので
じっとすわっていることにした

バスに乗りこんでいった人が
帰ってくるまで
じっとすわっていた

 「それから 椅子にすわったのだが」以降がおもしろい。
 坂多は学校の先生なのだろうか。あるいは先生だったのだろうか。先生が名指しで誰かに答えを要求する。そういう現場を何度も見てきたのだろう。体験してきたのだろう。そういう「過去」がふっと湧いて出てくる。そのあらわれかた、ことばのリズムにむりがない。やりとりが、坂多の「肉体」になってしまっている。こうした「肉体」の表現が私は大好きだ。ことばを「頭」で動かしてゆくのではなく、「肉体」が抱え込んでしまっていることばにしたがう。「肉体」から聴こえて来ることばに耳をすまし、聞き取るという詩が大好きだ。

 最近、日経新聞に「名訳」だったか、「名著」だったか忘れたが、書評で絶賛されていた「輝くもの天より墜ち」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)を読んだ。文章がつまらない。ストーリーを展開するのに忙しくて人間が描かれていない。1章読んで、やめてしまった。
 文学の文章というのは「事件」の報告ではない。文学というのはストーリーではない。そこに何があり、何が起きたかということは重要ではない。重要なのは、そこに存在するものが、主人公にとってどんなふうに見えたか--その見え方である。
 世界の見え方は人間の数だけある。
 見え方をつたえるのが文学である。
 坂多の「それから 椅子にすわったのだが」以降は、そういう「見え方」をきっちりとつたえている。部屋の中には誰もいない。アリの顔を先生などいない。それでも、その先生がいて、坂多に質問して来る、というふうに坂多には「世界」が見える。「世界」がそんなふうに見えるのは、そういう生活を坂多がしてきたからだ。今、ここ、という現実のなかに過去が噴出して来る。「見え方」とは、過去の噴出の仕方と言い換えることもできる。
 そこに何があるか、何と向き合っているか、ではなく、それと向き合ったとき、それがどんなふうに見えるかという「見え方」のなかに人間性があらわれる。
 そうしてあらわれた「人間性」。それが肯定に値するものなのか、否定すべきものなのか、ということは、そして文学には関係ない。
 坂多がひとりで時間をもてあまし(?)、やりたいことがわからずにただ座っている--そのことが評価に値することか、否定すべきことなのかは、文学とは関係ない。「見え方」にあらわれる「人間性」が「正直」であるかどうかが問題なのだ。
 坂多は正直である。
 その正直さは、「理由を説明しなさい/手もあげないのに/アリによく似た顔の先生が/はい あなた答えて/と ひどく緊張した声でいう」というリズムと、冒頭の「おねがいします/挨拶をすると いってきます/すこし間のびした言葉でかえってくる」のことばの間合い、リズムの共通性になってあらわれている。今起きたことの対話(?)のリズム、現実のリズムと、存在しない先生とのやりとりのリズムがぴったり重なり合う。ぴったり重なることで、架空のものが「現実」になる。そういう重なり具合のなかに、正直さがあらわれる。
 そして、正直であるがゆえに、「私ははしゃいでいた」「私ははしゃいでいるのだから」がせつせつと迫って来る。特に「はしゃいでいるのだから」の「いる」という現在形がせつせつと響いて来る。ほんとうははしゃいでいない。じっとすわっている。それでもはしゃいで「いる」のだから、というのは、はしゃぎたいのに、はしゃぎたかったのに、という気持ちがあるからである。はしゃぎたい、はしゃぎたかったのに、その気持ちを、まだ気持ちにならない気持ちが裏切ってゆく。
 自分の気持ちを、ほかでもない自分の気持ちが裏切ってゆく。矛盾。その矛盾のなかに、坂多の人間性、思想があらわれる。
 矛盾--ということばを書いたついでに補足すれば、そこにはいない先生が坂多に質問して来るというのも、一種の「矛盾」である。ありえないことである。そうした「矛盾」を描くことで、世界を表現するのが文学なのだ、と、あらためて思った。

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谷川俊太郎「「午後おそく」による十一の変奏」

2007-08-07 13:29:25 | 詩(雑誌・同人誌)
 谷川俊太郎「「午後おそく」による十一の変奏」(「現代詩手帖」2007年08月号)
 1950年01月09日に書かれた「午後おそく」を冒頭に掲げ、十一の「変奏」を書いている。(他にルイス・キャロルからの引用をひとつ加えている。)
 1950年の作品と今書かれた作品のあいだに「差」がない。谷川俊太郎は一貫して谷川俊太郎という「詩人」を生きている。
 その特徴が一番よくでているのが第2の「変奏」である。

木は空へと伸びてゆく
年輪に自分を記録しながら

ヒトも空へと背伸びし
宇宙にさまよい出てゆくが

その記録は年輪のような
中心をもたない

かたむきかけた日の光に
梢は天を指す金色の矢印

私は木に添いたい
中心にある誕生の瞬間が

垂直に宇宙へ通じていると
信じて

 「ヒトも空へと背伸びし/宇宙にさまよい出てゆくが」が谷川である。「宇宙」が登場するからではない。「ヒトも空へと背伸びし」という木と人間とを同化させる方法が谷川なのである。谷川は、ここでは「空へ伸びてゆく」木へ、何の疑いも挟まずに「自己同化」を試みている。「空へ伸びてゆく」木に対抗して、地中へ、闇へ根を張る、という形で「自己同化」する方法があるはずなのに、そういう形での「自己同化」という出発はしない、というのが谷川である。明るさの「肯定」がまず最初にあるのだ。ある存在、木なら木を明るい方向へ肯定し、その肯定にそって自己を拡大する形で「自己同化」を試みる。いのちへの信頼、拡大してゆくことへの信頼のようなものが谷川の基本である。

 「同化」を拒む、ということばの動きも、もちろんある。ある存在に対抗しながら自己を拡大してゆくという作品もある。
 たとえば3つめの「変奏」。谷川は女と対話している。

「あなたは素通しの硝子ね」
と女が言う
「光を自分の中にとどめておけないのよ
影がこわくて」

「きみは鏡だな」
と男が言う
「光をすべて反射してしまう
きみも光がこわいのかな」

 女が言う「影」が、たとえば「木」にとっての「地中」である。女は空を目指すという形で木を把握する男に対して「なぜ明るい方向だけを見るの? なぜ、地中を見ない? そこにも根という形の木のいのちがあるのに」と言っているに等しい。
 これに対する「男」の答えには、谷川の「かなしみ」が深くやどっている。
 男の答えは本当に谷川の声を代弁しているのか。谷川は本当にそう信じているのか。たぶん、違う。思っていないことも、ことばは語ることができる。あることばに対抗して、ことばが無意識に動いてしまう。しかも、その場に論理のあとを正確に残した形で--つまり、他人に「意味」が通じる形で。
 谷川のことばは、自然に、そんなふうに動いてしまう。そこには谷川を超えるなにかがある。ことばの運動、ことばの論理--谷川が作り上げたものではなく、人間存在が作り上げてしまった「嘘」の「意味」がある。つねに「明るい」方向をめざしてしまうというかなしみがある。
 こうした自覚は、つまり無意識にことばが「論理」(しかも詩的論理)を追いかけて動いてしまうという自覚は、谷川には強くある。だからこそ、そうしたやりとりを引き受けて、女に次のように言わせもする。

「なんだか気恥ずかしい台詞ね」
と女が言う
「光は理性の暗喩のつもりかしら」

 さらに男の反論があるのだが、省略する。
 3つめの「変奏」ものおもしろいけれど、さらにおもしろいのは、2つめの「変奏」と3つめの「変奏」の関係である。
 2つめは「肯定」を生きている。3つめは「否定」に対抗して生きている。「否定」から立ち直ろうとして動いている。
 そして、純粋な「肯定」と、「否定」を「否定」した形の「肯定」が横に並ぶとき(隣り合うとき)、そこに「肯定」の密度の差のようなものがあらわれ、それが「年輪」をつくりだす。
 「年輪」というものは、ひとつの動きではない。「急成長」と「緩慢な成長」という「差」(成長密度の違い)が「年輪」となってあらわれる。それと似た感じで、人間の「年輪」も純粋な「肯定」と「否定を否定する形の肯定」を描くことで、ことばの濃度(密度)をつくり他し、人間のある瞬間瞬間の「幅」を浮かび上がらせる。それが「詩」にとっての「年輪」である。
 木にかこつけて読めば(深読みすれば)「肯定」が垂直の上昇方向、「否定の否定という形の肯定」が垂直の下降方向ではなく、水平の拡大方向をとっている点が、谷川の、さらに谷川らしさである。あくまで広さを求めている。拡大してゆく。垂直の上昇、水平の拡大--それが組み合わさって谷川をつくりあげる。

 谷川は宇宙へさまよい出てゆく人間の記録は「年輪のような/中心をもたない」と書くが、それは谷川にとって中心が自覚できないということであろう。中心がないと感じるのは、谷川のことばの方向が、水平方向にのみ運動するからではない。谷川のことばは上昇方向と水平方向を組み合わせて拡大する。「年輪」は、木の場合、垂直の方向に伸びたものを水平に切ったときにあらわれてくるが、谷川の場合は、そんな具合には見えて来ない。もし、どうしても「年輪」という比喩にこだわるなら、谷川という「木」を地上から天へのびる木という形ではなく、まんまるな「球」という形で想像するしかない。膨脹する「球」を想像するしかない。
 「球」のなかに重なったいくつもの「層」、地球の地層のようにできた「年輪」がある。地球の一部分を断面化しても水平の地層しか見えない。しかし、もし地球を丸切りにすることができれば、その断片的な地層がつながって「年輪」のように丸くなっているのがわかるだろう。同じように、谷川という世界をもし「球」の形にとらえなおして丸切りにすることができれば、同じような「年輪」に出会えるだろう。

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原恵一監督「河童のクウと夏休み」

2007-08-06 00:36:03 | 映画
監督 原恵一 声 富沢風斗、横川貴大

 夏の風景が美しい。白い光が空中に乱反射し、影はあくまでくっきり。健康な夏。実写ではありえない空気の力強さがいい。昔は確かにこんな風景あった。
 この白い光であふれた空気がクライマックスで赤く染まる。その日中から夕方への1時間を、このアニメは丁寧に描く。空気の色の変化を描く。一日の終わりの夕焼け。それが夏の終わりに重なり、さらに貴重な時間、夏休みの終わりに重なる。その間に、こころは動きつづける。そして、動き続けたこころから、最後に「声」が飛び出てくる。こころからこころへ響く二人だけの声。河童のクウと少年の別れ。二人は互いを見つめない。見えない。見えないから「こころの声」で語り合う。見えないことが、より強く「こころ」を浮かび上がらせる。
 涙が出る。
 あ、この映画は見えないものを見てしまった少年の物語なのだと、その瞬間気がつく。
河童は現代にはいない。見えない。少年はその見えないものを見てしまったために、見えないものにつながっているさまざまなものを見てしまう。自然破壊もマスコミの喧騒も、いじめも。それからまだ残されている自然。同じように少年のこころのなかに残っているやさしさ、も。
 そして、そういうものを見ながら少年が見逃してしまうものもある。河童が自殺を思いとどまるときに現れた竜。少年は河童のクウをひたすら見つめていたので、みんなが見た竜を見ていない。見ていないけれど、少年はそのことが残念ではない。クウが東京タワーから飛び降りなかったことにより、クウと一緒にいる時間が増えたからだ。
 幸せとは、自分にとって大切なものが見えること。自分にとって大切なものを発見すること。
 クウには死んだ父親の腕が父親のものであることが見える。少年は、いじめられっ子の少女のこころが見えるようになる。見えないものが見えるようになることが成長である、と書いてしまうと、なんだか教科書くさくなってしまうが、このアニメは私の文とは違ってあくまで楽しい。
 特に、遠野の川での、河童の川流れ(?)、屁の河童ならぬ、屁の噴射で水中を猛スピードで泳ぐクウの生き生きした感じ。それにつれて少年の肉体の喜びが爆発する感じ。水中から見上げる空。光の揺らぎ。見ていると山の川で泳いだ肉体の感覚がよみがえる。とても興奮した。そうした山の川の体験を少年と、またクウと共有している感じになるのだ。
 美しい風景とは相反するように、ちょっとつたない主人公たちの動きも、奇妙にノスタルジックで楽しい。少年が走るシーンなどは、止まったまま走る「エイトマン」(昔のテレビ漫画)に近くて、不思議な味がある。ジブリにはない味だ。この感覚も、私の世代には、少年、クウとの時間の共有感覚として、とてもなつかしかった。
 遠野の宿で流れる「座敷童の子守唄」も美しい。とても気に入った。


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小池昌代『タタド』

2007-08-05 13:28:45 | その他(音楽、小説etc)
 小池昌代タタド』(思潮社、2007年07月25日発行)
 第33回川端康成賞受賞作「タタド」を含む3篇。(「タタド」「波を待って」「45文字」--「45文字」については2007年04月03日に短い感想を書いた。)
 「タタド」が一番おもしろい。文体が統一されていて、すみずみまで「尺度」がかわらない。4人の男女が主人公である。海辺の家に集まる。そうして、起きるようなことが、起きる。(大庭みな子の「三匹の蟹」をちょっと連想した。)
 この小説がおもしろいのは、4人が4人ともしっかりした肉体を持っていることである。肉体の感覚が小説のなかにさらりと溶け込んでいる。

1 イワモト

 ここのトイレは風呂場のように広い。満足かというと、実はよくわからない。身体には狭い空間感覚がしみついているので、つい、ちょこまかと遠慮がちな動きになる。眠るときも海老のように丸くなって、ああ、ここではもういいんだよ、伸び伸びしなさい、と自分に言い聞かす始末である。ふたつの家を往復することで、イワモトは自分が伸びたり縮んだりする奇妙な感覚を味わっている。

2 スズコ

 スズコは誰にも言わなかったけれど、癖のような一つの病があった。ひどく衝かれると、そこらへんをふつうに歩いているひとびとが、みんな薄紙でできた人間の模型のように見えてしまうのだ。紙人間は平面的で、みな、不気味にそよぐように泳いでいる。それがこわくてたまらない。

3 オカダ

 タマヨが来ると聞いてから、オカダはなんとなくそわそわしていたのだが、本当に来て実物を見ても、最初は実感がわかなかった。目鼻のつくりよりもなによりも、その濃い空気に魅せられた。

4 タマヨ

 スズコの家に行くと、表向きはさりげなく、つい目が探すような感じになってしまう。そしてよく、イワモトとスズコのふたりが死んでしまったときのことを想像した。そうしたら、心ゆくまですみずみまで探せるのに。そのとききっと、いままでタマヨがなくしたモノのすべてが、あちらからこちらから、次々に現れ出でる! ああ、こんなところに! こんなところにも! そこまでを想像してうっとりする。

 この4人の感じ、引用した部分の「思い」は会話のなかでは出てこない。つまり、それぞれの「こころ」のなかにある声である。そのことばにならない「声」が視線となって交錯する。誰も思っていることをことばにしないのに、どこかで、今、ここにいる4人の関係が「いつわり」というといいすぎになるけれど、けっして安定したものではないことを感じあう。偶然のもの、任意のものにすぎない、ということを感じ取ってしまう。

 帯に「海辺の家に集まった男女四人。倦怠と甘やかな視線が交差して、やがて朝になると、その関係は一気に「決壊」する--。」とある。
 「決壊」というよりも、イワモトが感じていた肉体の感覚を援用すれば、「関係が伸びたり縮んだりする」ということになると思う。4人の関係はあいかわらずそのままであり、その距離が伸び縮みする。その朝まで、4人がそれぞれの肉体感覚を守り通しているからこそ、朝、偶然はじまったダンス--肉体の触れ合いから、距離が伸び縮みする。それまで離れていたものが接触することで、「こころの距離」であったものが、「肉体の距離」に変化し、その変化のなかで、もういちど「こころの距離」をつくりなおすということがはじまる。伸び縮みしながら、水平方向へも垂直方向へもひろがっていく、という感じなのだ。

 「あとでまた、交代しましょう」
 (略)
 「ええ、そうしましょう」

 伸び縮みのあいだにかわされることば--その距離の不思議さ。それが、どこまでもひろがって行く感じが象徴的にあらわれている。
 こうした感じが残るのは、くりかえしになるが、小池が4人の肉体、その感覚をていねいにことばに定着させているからだ。肉体をもった人間として描くことに成功しているからだ。



 「波を待って」では、主人公が夫の背中に日焼け止めクリームを塗りながら、潮汁をつくったことを思いだすシーンがとても魅力的だ。

 火にかけた鍋のなかで、蛤たちが、次々と口を開くのを亜子は待っていた。いよいよというとき、おたまで鍋のなかをかきまわそうとすると、ちょうど、ひとつがぱくりと口をあけ、亜子がぼんやりと握っていたおたまを、ぐいと上に押しやった。そこ、どいてくれよ、というように。亜子は驚き、その柔らかく決然とした拒絶の力に、自分の命が押し返されたように思った。それは驚くほど官能的な触覚だった。

 小池は触覚が鋭敏なのだろう。「タタド」の官能もダンスという肉体の接触からはじまった。触れることは、自分の命が押し返されること。そして、それへの反発というか、対抗があり、距離がゆらぐ。ひろがる。新しい世界がはじまる、ということなのだろう。

 触覚は亜子の夫のサーフィンボードによせる思いのなかにも出てくる。サーフィンボードについて、彼は次のように言う。

卵の殻みたいなもんなんだから、すぐに傷つくんだ。ものをぶつけたりしないように大切に触ってくれよ。

 小池は「こころ」に触りながらではなく、「肉体」に触りながら、ことばの距離を正確に測り、小説世界の構築をめざしているのだと感じた。

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長嶋南子「産み月」

2007-08-04 14:49:37 | 詩(雑誌・同人誌)
 長嶋南子「産み月」(「すてむ」38、2007年07月25日発行)
 長嶋南子について私は何も知らない。「産み月」を読みながら、「ツレアイ」と死別した女性と思った。

真夜中目覚めると
息をしているのはわたしと猫
目をつむる

見たことがある男がいた
ツレアイだった
ぐずな男だったから
河原をウロウロしている
とまどった時の子どももの顔つきのままで
早く川を渡って
すきなところへ行けばいいのにといってやる
おまえが決めてくれだって

天井がきしむ
猫が顔を上げてききみみをたてている
うす明かりのなかに誰かいる
そんなところにいないでそばにおいで
声をかける
すっとわたしの口のなかに入る
飲み込んでしまった
腹が膨らんできた

ずっと
大きなおなかを抱えている
ツレアイはまだ生まれない
産み月はまだだ

 「河原」は「三途の川」の河原であろう。三途の川を渡れずにうろうろしている。夢に出てくるので、そんなふうに想像するのだろう。

早く川を渡って
すきなところへ行けばいいのにといってやる
おまえが決めてくれだって

 この3行の「おまえが決めてくれだって」がいい。その「だって」が。
 「……だって」という具合に、ツレアイのことを友人たちに何度か話したのだろう。「……」のなかには、そのつど別のことばが入るのだろうけれど、とりわけ「おまえが決めてくれ」ということばが多かったかもしれない。
 ここには長嶋とツレアイの関係だけではなく、そのツレアイとのつきあいをそのまま受け入れている女たちのつながり、広がりがある。長嶋の友だちも、「わたしのツレアイも、しょっちゅうおまえが決めてくれっていうのよ」というような会話をした(する)のだろう。そして笑いあうのだろう。
 女と男の、欲情とは違った愛の形がここにある。女が男を受け入れるときの、一種の共通の愛がある。それを「だって」ということばが自然に語っている。
 別のことばで繰り返すと……。
 この詩には「だって」ということばを聞いてくれる女友だちは登場しない。登場しないのに、あたかも女友だちと会話するときとおなじような口調(口癖)が長嶋の詩にあらわれている。これは、詩のなかに、自然に長嶋の女友だちとの関係が取り込まれているということである。女友だち、気心が知れた友だち、気の置けない友だち、同性。そうした関係のなかで開かれる気分のゆったりさ。そのゆったりさは、同じ性を生きる人間の、一種の同じ体験をもとにした「事実」(日常)の受け入れの姿である。そこには一種の体験の「共有」というものがある。その「体験の共有」が長嶋をゆったりさせるのである。
 長嶋がツレアイを愛する、という関係が、女が男を愛するという関係にまで広がり、共有される。男って弱虫だね、男ってだらしないね、男って女がいないとなんにもできない……。そういう感覚を共有しながら、女はゆったりと大きくなって行く。
 そういう体験が共有されるものだからこそ、「妊娠→出産」という体験のなかへと、長嶋の思いは収斂し、そこでもう一度別の次元でツレアイをなくしたかなしみが共有されるのだ。このとき、「かなしみ」は「悲しみ」であり、同時に「愛しみ」でもある。死によって、ツレアイはもう一度長嶋のなかで生き返る。そして「出産」されないこと、胎内にいつづけることによって、永遠に生きる。「愛」とともに。「愛しみ」となって。

 男はいつになったら、こんなふうにツレアイの死と、ツレアイへの愛を語れるようになるだろうか。

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諏訪哲史『アサッテの人』

2007-08-03 22:15:22 | その他(音楽、小説etc)
 諏訪哲史アサッテの人』(講談社、2007年07月23日発行)
 第 137回芥川賞の受賞作。
 「ポンパ」など、意味不明のことばを突然発する叔父のことを「書く」小説である。叔父を描くふりをして、「書く」ことを描いた小説である。そして、この「書く」という行為には、叔父の妻、叔父そのものもからんでくる。彼らの「書いた」日記(手記?)が重要な役割を果たしている。だが、その叔父の妻、叔父の「書いた」日記(手記)も、「作者」によって書かれたものである。「作者」が叔父の妻、叔父の日記を「書き」、それを叔父の妻の日記、叔父の日記と言い放って、引用し、小説を組み立てる。組み立てようとしている小説、「書く」をめぐる小説である。
 小説としては、そんなに目新しい手法ではない。

 叔父の妻の日記におもしろい部分がある。夫(つまり叔父のことだが)の「ポンパ」などの不思議な発言をめぐる部分である。

わたしは夫の言葉をこのように採取し、記述し、分析してみることを思い立った。…けど、果たして、このわたしの行為は常軌を逸したものだろうか。それともいたって理性的なものだろうか?

 「わたしの行為は常軌を逸したものだろうか。それともいたって理性的なものだろうか?」。のこ論理の順序が、私にはとても不思議に思えるのである。私ならば、

 わたしの行為は理性的なものだろうか。それともいたって常軌を逸したものだろうか?

 と考える。まず、自分が思い立ったことは「理性的」だという意識があり、そのあとでもしかすると逆かもしれないと反省する。ところが叔父の妻はそんなふうには考えないのである。最初から「常軌を逸したものだろうか」と考えはじめる。
 そして、この感じ(叔父の妻の思考の感覚)が、どうも作品全体を貫いているように感じられる。いろいろなことが書かれているが、そのすべてに対して「これは常軌を逸したものだろうか。それとも理性的なものだろうか?」という意識が見える。(そういう意味では、「定規」がしっかりしている。文体が安定している。)

 「書く」ということをテーマにした小説を書く。これは常軌を逸したものだろうか。それとも理性的なものだろうか? 実際、この小説は、そのことを問うてもいる。常軌を逸していると思う人は1ページで読むのをやめるだろう。理性的なものだと思う人は最後まで読むだろう。
 そして、読み終えたとき、「理性的」ということばが、いやあな感じでのしかかってくる。小説って「理性的」に読むものなのか? 理性で読むものなのか? そのことが気にならなければ、この小説は楽しいかもしれない。
 私は、かなりいやな感じが後に残った。読んでよかった、おもしろかった、新しい文体を読んだという感じがしなかったのである。

 ただし、「チューリップ男」の部分だけはとても好きである。叔父がエレベーターのなかを監視カメラで見ている。

彼が箱の隅にしゃがみ込み、頭の上に両手でチューリップを作って、じっと目を閉じていたことがある。あの、子供が「お遊戯」でやるような、冠のチューリップだ。僕はそれを見て、思わず胸を衝かれるような、世にも美しいもの目の当たりにしたような、なんともいえない息苦しさを覚えた。そして「ああ、これだ」と思った。繁忙を極めるオフィスビルにあって、唯一この箱の中だけは、周囲から隔絶した静かな刻が流れているように思えた。彼をこころから賞讃したい気持ちになった。

 日常(定型)から逸脱する男。そこに人間のいのちの輝きをみている。そしてこの逸脱を、この小説では「アサッテ」と呼ぶのだが、しかし、チューリップ男と「ポンパ」叔父では違いすぎないだろうか。
 逸脱はチューリップ男のように、その行為の意味が誰にでもすぐわかるものでなければ「逸脱」にはならないのではないのか。「ポンパ」と叫ぶ叔父の逸脱は、逸脱とは呼べないものだろう。それをなんとか「逸脱」の枠内に取り込もうとしているのがこの小説の企みといえばいえるのだろうけれど、どうもすんなりとは落ち着かない。私のこころにはすんなりとは落ち着かない。
 小説を読み終わった瞬間に、ああ、あの「チューリップ男」を主人公にした小説が読みたい、とただ、それだけを思ってしまった。

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木村和史「二種電気工事士試験」

2007-08-02 23:44:33 | その他(音楽、小説etc)
 木村和史「二種電気工事士試験」(「tab」5 、2007年07月15日発行)
 「交通事故のあとの変調に経年劣化が加わって少々ぎくしゃくしている頭を、漢字や算数のテストのような数値化できるもので確かめてみたい」という気持ちで「二種電気工事士試験」を受ける。その準備の過程(つまり、勉強中)に感じたことを書いているのだが、途中から突然おもしろくなる。

 脳の機能に関して、面白い説がある。十数年前に聞いた話なので、最新の脳研究では修正されているかもしれないが、脳細胞が試行錯誤して正解の道を発見すると、それまでに失敗したカイロをカルシウムが塞いでしまうのだそうだ。次回からは正解への最短距離を辿ることができるようになる。このことをイメージすると、自転車に乗る練習をして乗れるようになると、乗れないことができなくなる、どうしても乗れてしまう、乗れない振りをすることが難しくなる、といった感じになるのだろうか。

 「自転車」の例が、おもしろい。「乗れないことができなくなる」だけではなく、追い打ちをかけるように「どうしても乗れてしまう、乗れない振りをすることが難しくなる」とつづける文体がおもしろい。ことばが、すーっと動いていってしまっている。その自然な感じが、とてもいい。
 「自転車」の例を書くことが木村の目的ではなかっただろうと思うけれど、そういう「目的」から逸脱して、ことばが自然に動いてしまう瞬間にこそ、ことばの美しさがある。木村の「思い」の深みの部分が、揺れぶられて浮き上がってくるのである。深い水の底から、新鮮で冷たい水が湧いてくるような感じ。その新鮮さ、その輝きに、すーっと引き込まれてしまう。

 つづけて読んでいくと、

 ついでに、さらに空想すると、迷い道を塞がない、あるいは非常に劣悪にしか塞ぐことができないように脳の構造ができあがっていたら、人間社会の在り方もまったく違ったものになっていたのではないだろうか。

 という文に出会う。
 「迷い道を塞がない」以下が、木村の「書きたいこと」のエッセンスかもしれない。たぶん多くの人は、ここに木村の「思想」を読み取るかもしれない。
 私は、その部分ではなく、その前、「ついでに、さらに空想すると」に実は木村の「思想」を感じる。より正確にいうなら、「ついでに、さらに」に私は木村の「思想」を感じる。
 この「二種電気工事士試験」は、すべて「ついでに、さらに」でできあがっている。木村がなぜその試験を受けるのか。書き出しに書いてあるように「自分の手で屋内配線工事ができたらなにかと便利だし」ということはたしかにあるのだろうけれど、それ以外に「ついでに、さらに」理由をいうとすれば云々。そしてまた「ついでに、さらに」いうと、最初に引用したように「交通事故のあとの変調に経年劣化が加わって少々ぎくしゃくしている頭を、漢字や算数のテストのような数値化できるもので確かめてみたい」。
 木村は「ついでに、さらに」とは何度も書いていない。私が引用した部分にだけ、そのことばは出てくるのだが、木村の文章のあらゆる場所に「ついでに、さらに」を補うことができる。
 引用した「脳の機能に関して」の前にも「ついでに、さらに(言うと)」を補うことができる。そして、その「ついでに、さらに」の部分で、木村のことばは自由になり、すーっと動く。木村の体験をひっぱりだしながら、それを普遍へと展開していく形で、ことばが動く。木村が書こうとしていたこと以外のことを書いてしまう。そして、その書いてしまったものが、自然に動いたことばであるからこそ、深い深い真実を含んでいる。

 いいなあ。書くというのは、いいことだなあ。ことばが自然に動くというのは美しいなあ、と思うのである。
 途中であきらめたりせず、どこまでも「ついでに、さらに」とことばが動いていく。そのとき、そこに「詩」がある。言い換えのできない「肉体」のようなものが姿をあらわす。おもしろいなあ、と思う。


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