「第三景 滑川哀歌」。この詩には、田村のことばの特徴が凝縮している。さまざまなことばが、田村という「人間」のなかで出会い、輝く。
春になればヤマザクラが咲き
左へ曲がればハラキリ・ヤグラ
ハラキリ・ヤグラのすぐそばに北条高時の井戸
上方勢が稲村ガ崎に黄金の太刀を投げこんで乱入したとき
北条一族は滅び
高時は井戸のそばで切腹し身を投じる
東勝寺は、
「東ガ勝ツ」ことを祈願して建立されたのに
あっけなく敗北した
このあと
ぼくの若い日本は
南朝側と北朝側に分裂して内乱状態をむかえてさ
ハラキリ・ヤグラのすぐとなりに修道院
レデンプトリスチン修道院
神サマと結婚した美しいシスターたちの館は
ぼくの目には壮麗に映る
北海道のトラピスト修道院では
バター飴とクッキーを売っているけれど
ここでも彼女たち手焼きのクッキーを製造していて
若宮大路の洋品店で売っている
サクラからハラキリ、北条一族、さらには修道院、シスターたちの副業(?)と、ことばはさまざまなものを渡り歩く。自在に動く。
この詩で、おもしろいのは、「ぼくの若い日本は」という行だ。
「ぼくの若い日本」。なぜ、「ぼくの」ということわりがついているのだろう。「田村の」「若い日本」だけが「南北朝時代」にはいったわけではない。歴史はだれにとっても同じである。けれども、田村は「ぼくの」と書いている。
ここに田村の特徴がある。
詩とは、詩のことばとは、あくまで「個人」のものなのである。歴史として「教科書」に書かれていることであっても、詩人が書き直せば(語り直せば)、それは「詩人の(田村の)」歴史である。
「語り直す」ということは、それが既成の事実であっても、「共有」のものではなく、あくまで「個人」のものになるということだ。「個人」のものにするために、詩人は語り直すのだ。
そして、そこに書かれていることは「ぼくの」歴史であるから輝くのだ。独特の光を放つのだ。田村の北条時代は、サクラとハラキリと井戸がいっしょになったものである。それが南北朝時代へと突き進む。
つぎに出てくる「ぼくの目には壮麗に映る」も、同じである。「ぼくの目には」と書かなくても、それは田村の目にうつった「光景」としか見えない。だれも、田村以外の人間が修道院を「壮麗」と見ているとは思いはしない。けれども、田村は「わざと」「ぼくの目には」と書き加える。「ぼくの目」をとおって、ことばは動いているのだ。そのことばを追うことは、「田村」の内部をくぐることなのだ。そして、その田村の内部というのは、サクラとハラキリと井戸がしっかり結びついている世界である。
この詩集は「ぼくの鎌倉八景」と明確に「ぼくの」と断わっているが、これはとても重要なことなのだ。あくまでも、「田村の」である。
「ぼくの」であるからこそ、この詩の最後の部分は非常におかしい。修道院の手作りのクッキー、洋品店で売られているクッキーに、田村は「鎌倉」を見ている。
それにしても
とぼくは思う
どうしてシスターたちがつくったクッキーが
洋品店で売られているのかしら
色とりどりのパンティやブラジャーやスカーフに
いりまじってさ
ここでも「ぼくは」思うのである。
洋品店に売られているのは「パンティやブラジャーやスカーフ」だけではないはずだが、田村の目をとおると、洋品店はそういうものにかわる。スカートやブラウス、セーターではなく、「パンティやブラジャーやスカーフ」とクッキーが出会って、鎌倉を賑やかにする。「田村の」鎌倉は、そうやってできている。
世界は「もの」であふれている。けれども「肉眼」が触れる「もの」には限りがあり、それが「ことば」になるには限りがある。限りがあるのだけれど、その限られたことばが、ふつうの「歴史」「観光案内」を逸脱して、田村自身を語りはじめる。そのとき、そこに、詩が存在する。
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