詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高柳誠『フランチェスカのスカート』(6)

2021-06-10 18:07:36 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

高柳誠『フランチェスカのスカート』(6)(書肆山田、2021年06月05日発行)

 「修道院」は「親方」を別の角度で描いている。もちろん親方は出てこないが。登場するのは院長先生と教育係のシスターだ。

  ぼくたちの教育係だったシスター・エリザベートは、院長先生とは
  正反対で、ある意味スキだらけのずいぶんな年寄りに見えた。

 私が棒線を引いたのは「正反対」ということば。「正反対」が登場することで、世界の幅が広がる。「親方」におかみさんがいるのと同じだ。
 この正反対は、まず、院長先生について書かれている。

         きびしさの中心にやさしさがあるのだ。

 きびしさとやさしさの同居。そのとき、高柳は「中心」という不思議なことばをつかっている。
 「正反対」のものがあるとき、その間には「中心」がある。それは対立するというよりも、ひとつの「円」なのである。「正反対」は「中心」があることで生まれる。
 だから、ほんとうのキーワードは、一回だけつかわれている「中心」ということばである。「正反対」は中心の存在を証明する「方便」なのである。
 そして、それが「方便」であるとすれば。
 ここから、もうひとつ、おもしろいことが見えてくる。
 「ぼく」(詩の主人公)がいたずらをすると、

  眼を見開いて「まあ、あなたって子は…」と言ったきり、絶句して
  しまう。そして、体中がぶるぶるふるえだすので、そのまま死んで
  しまうのではないかと心配になる。その深く刻まれたしわのなかの、
  悲しみに満ちた眼をみると、ぼくの心にはじめて後悔の念が襲って
  くるのだ。

 「ぼくの心」が「中心」を生み出している。「中心」を発見している。そしてそのとき、その「発見」は自分自身の発見でもある。
 「きびしさはやさしさである」と発見する。それに気づいた「ぼく」が院長先生の「本質」を発見するとき、「ぼく」は僕自身の「生き方」を発見する。
 「中心」は「ぼくの心」である。それは同時に「世界」を描写する高柳の「ことば」である。
 「中心」ということばのなかに「心」という文字があるのは象徴的である。

 

 

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高柳誠『フランチェスカのスカート』(5)

2021-06-09 09:02:08 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

高柳誠『フランチェスカのスカート』(5)(書肆山田、2021年06月05日発行)

 「星降る丘」は丘を描いているというよりも星空を描いている。

                      星空は、びっしりと書
  き込まれた一冊の巨大な書物だ。

 だから、ひとは「星空を読む力をいつも試されている。」
 だが、読むとは、どういうことか。

       文字が知識を伝えうるのと同じように、星空はそれ自体
  おびただしい量の叡智を表出している。この丘には、星読む人にな
  りたいがために、自らの存在自体をすっかり忘れ果てて、星空の書
  物にいつまでも見惚けている人々が、あちこちの暗闇に音もなく潜
  んでいる。

 キーワードは「自らの存在自体をすっかり忘れ果て」るである。これを「見惚ける」と言いなおしている。ただ「惚ける」のではなく「見」惚ける。「見る」という動詞になる。そして、自己存在を「忘れる」。それが「読む」ということ。
 そのとき何が残るのか。
 「書物」が意味を喪失して、残る。「意味」あってはいけない。
 意味のない書物としての詩。そう考えるとき、私は再び那珂太郎、時里二郎、阿部日奈子を思い出すのである。書物には(詩には)意味は存在せず、ただことばの自在な運動がある。それは星のように、人間の叡智を超えて動いている。かれらは、それを「読んだまま」「書く」。

 

 

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特ダネ記事の読み方

2021-06-09 08:05:02 | 自民党憲法改正草案を読む
読売新聞(ウェブ版)に、きょうも「独自(特ダネ)」記事。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210608-OYT1T50283/
【独自】G7、東京五輪の開催支持へ…首脳宣言に明記で調整(見出し)
先進7か国(G7)が英南西部コーンウォールで11日から13日の日程で開く主要国首脳会議(サミット)の首脳宣言に東京五輪・パラリンピック開催への支持を明記する方向で調整していることがわかった。菅首相は五輪開催の前提として新型コロナウイルス対策に万全を期す考えを表明する方針だ。
↑↑↑↑
 この記事のポイントは「菅首相は五輪開催の前提として新型コロナウイルス対策に万全を期す考えを表明する方針だ」。この部分には、主語(菅)があり、述語(表明する)があり、目的語(考え=五輪開催の前提として新型コロナウイルス対策に万全を期す)がある。ようするに、菅がサミットで、オリンピック開催に向けて安全対策をすると言うというだけ。
 つまり、コロナ対策は万全の態勢が整った(日本の感染者はゼロにおさえられている、ワクチンも国民全員がサッシュしている)とは言えない。あくまで「万全を期す」としか言えない。
 これを受けて、読売新聞は「首脳宣言に東京五輪・パラリンピック開催への支持を明記する方向で調整していることがわかった」とつづけるのだが。
 誰が、調整してるのか。各国の事務方が文章を練っている? まさか。日本(菅周辺)が、一生懸命頼み込んでいる、というところまでも達していないかもしれない。頼み込むための文言を考えているということだろう。言いなおせば、菅は「支持をとりつけたい」と画策している。
 しかも。
 その支持は、あくまで「万全の対策を期す考え」に対する支持である。そりゃ、どこの国だって、「万全を期します」と言っている人に対して、その考え(万全を期す)に対して「反対」とは言わないなあ。バイデンも言わなかった。あくまで「万全を期す」ことを支持しただけだ。
 こういうことろに、「外交」のトリックがある。
 それを、まるでサミット三か国が東京五輪開催を支持する(支持した)かのように、見出しにしてしまうのは、世論誘導というものだろう。ニュースではなく、作文で、世論を誘導しようとしている。(紙面では、西部版は一面のトップだった。)
 それは、主なテーマとして掲げている一覧表からもわかる。
 「東京五輪開催」は主なテーマとして討論されない。討論されると決まっているなら、一覧表にあるべきだ。(見出しにしているくらいなのだから)
 日本がテーマにしてほしいと「頼んだ」にもかかわらず、主なテーマから外された。だからこそ、必死になって、サミットで菅は五輪対策を訴えるとアピールしているのである。
 新聞には「ニュース」と一緒に「作文」が書かれている。どこが「作文」かを見極めないと、「事実」が見えなくなる。「特ダネ作文」からわかることは、菅の側近のだれかが、読売新聞に「菅はサミットで五輪開催について発言する」とリークした、ということである。その「リーク」の返礼として、読売新聞はそのことを一面トップに仕立て上げている、ということである。
 もう一つ。
 コロナワクチンについて、職場接種(企業接種)の受付開始が始まったというニュースがある。企業が積極的に接種を進めるというのはいいことだけれど、私は疑問に思っていることもある。
 企業が接種をすすめる従業員(あるいは、その家族を含む)のなかに、非正規雇用者が含まれているのか。きっと正規雇用者が優先されるのだろう。
 そのことは、職場接種が大企業中心に進められていることからもわかる。
 中小企業は含まれない。当然、非正規雇用労働者は含まれない。
 ここにも「格差」問題がある。
 大企業さえ安心・安全なら、それでいいのだ、という考えが露骨に見える。
 だいたい65歳以上の接種を7月末までで終わらせると言っていたが、その「7月末」が期限の予約に申し込んだら、一回目の接種が8月以降というひとが何人もいる。2回目の接種は10月というひともいる。
 65歳以上の接種予約はすんだ。だから、そのひとが何月に接種しようが関係ない。次は、65歳以下の予約を促進する。大企業の社員の接種率をあげれば、国全体の接種率もあがる。65歳以上の高齢者の接種がいつになるかは知ったことではない。予約は「本人」がしたことであって、10月を選んだひとが悪い。きちんとあいている日を探さないのが悪いのだ、ということになるのだろう。
 菅には、困っている人を救おうという気持ちが全然ない。
 菅は安倍と同じく、自分を応援してくれそうな人を優先的に救うだけなのである。
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秋亜綺羅「人形痛幻視」

2021-06-08 09:27:48 | 詩(雑誌・同人誌)

 

秋亜綺羅「人形痛幻視」(「現代詩手帖」2021年06月号)

 秋亜綺羅「人形痛幻視」は、いつもながらの感じ。

  これはソーセージではない
  メッセージ
  一卵性メッセージ

 「一卵性双生児」のなかには「メッセージ」が含まれている。「人形」は「人間」の双生児であり、人形のあるところ、そこには人間のメッセージが存在する。

  夢の中で目覚めようとしたのだけれど
  夢の中だったよ

  これはマジックではない
  ミュージック
  ひとの心を惑わす

  (略)

  これは警報音(サイレン)ではない
  サイレンス
  人は一度生まれて一度死ぬ

  ここは永遠ではない
  きみが呼びつづける孤島までの
  ひとりきりの遠泳

 私はもともと「語呂合わせ」というものが大嫌い。めんどうくさいとしか感じない。こういう音の運び、意味のずれのようなものに快感を覚える人もいるのだろうけれど、私は嫌い。「語呂の対句」は、私には音楽に聞こえない。洗脳のコマーシャルに聞こえ、ぞっとする。
 ということを書けば、この詩の感想の一つを書いたことになると思うけれど、きょうは少し視点を替えて。
 というか、この詩の後半はリズムが違ってくる。そして、私はその部分がおもしろいと思った。
 こうである。

  夢からさめると
  青空と屋上は接触している
  太陽は分裂しコンクリートに散らばっている
  きみが地上に落とした人形の呼吸
  赤い骨と白い血のネガフィルム
  目をつむった目のないことばたち
  時間を食いちぎる影が脳髄を横切り
  夢からさめると
  青空と屋上は混濁している
  太陽のかけらは溶岩になって流れている
  きみの人形が地上に落とした呼吸
  黒い骨と黒い血の無声映画
  眼を開いても意味の見えないことばたち
  脳髄を食いあさる影がコンクリートに横たわる

 ここにも「対」がある。「夢からさめると」と始まることばは、前半の七行と後半の七行は「対」である。そして、一行のなかにも、たとえば「赤い骨と白い血のネガフィルム」のような「対」があり、この一行には「赤い血」「白い骨」が逆転している(ネガになっている)という「対の仕掛け」も隠れている。最初の七行をポジと仮定するならば、後半の七行はネガである。
 その行の中で、私は「きみが地上に落とした人形の呼吸」をとてもおもしろく読んだ。「きみが落とした」のは何か。「人形」か、それとも「(人形の)呼吸」か。私は、「呼吸」を落とした、と読んだ。全体からみると、「人形」そのものを落とした、「人形を自殺させた」と読むことができるのだが、そうではなくて、あくまで「呼吸(息)」だけを落としたのであり、「人形」は生きている、と読んだ。「呼吸」だけ落とし、その「呼吸を落とす」という虚構を通して「人形の自殺」を暗示している。
 こう思った段階では、まだその詩のつづきを読んではいない。「対」の説明をするために、まとめて引用したが。
 で、その「人形の、虚構の自殺」のあとに、「きみの人形が地上に落とした呼吸」という行がある。ここでは「人形」が主語。落としたのは「呼吸」となっている。前の行では、主語は「きみ」だったが、ここでは主語が「人形」と入れ替わっている。入れ替わっているからこそ、「虚構」以前では(虚構の前に起きた現実、事実では)、「きみ」が自殺したのだと暗示される。その「事実」を拒絶するために、秋は「人形の呼吸」が自殺したと書くのである。
 事実を拒絶して、世界はどうかわるか。秋は「夢からさめると」ともう一度繰り返す。

  夢からさめると
  見えないものしか見えない
  人形痛幻視ここは
  過去でも岐路でもない
  未来でも終着駅でもない
  歴史でも白地図でもない

 「事実」を拒絶すると「虚構」が見える。つまり「見えないもの(存在しないもの)が見える」。足を切断して、もうその足がないのにもかかわらず、切断された足の先の親指が痛いと感じるように、自殺した「人形」の痛みを人間が感じるはずがない。同じように、自殺した「他人(たとえばきみ)」の死ぬ瞬間の痛み、あるいは死後の痛みというのは、私にわかるはずがない。でも、それを感じてしまう。「痛幻視」。
 「意味」を暗示するために、秋は「対」を利用して、虚構の構造を明らかにする。
 私が「誤読」した「虚構」が、秋の実感している「虚構」と重なるかどうかは、知らない。ただ、私は、そう読んだ。
 そして、そこには書き出しにあったような「語呂をあわせる/語呂をずらせる」ことで「意味」を暗示するというのとは違ったことばの動きがあると感じた。「ポジ」「ネガ」の「対」ではない、第三の「項」が生まれている。私は、持続しながらずれていくことばの動き、ずれの中で拡大してくる虚構ののなかから、新しい何かが生まれてきたのだと感じた。
 この「夢からさめると」は六行。先の「夢からさめると」が七行ずつの「対」になっていたのと比較すると、そこには「破綻」がある。破れ目がある。しかし、その破れ目を、連を替えた最後の二行で、こうしめくくる。(連を替えずに、最後の二行を一行にしてくっつけると、第三の「夢からさめると」も七行になるのである。)

  きっときみは
  近くまで来ているよ

 この「近く」ということばに何を補うか。すぐ寸前には「過去」「未来」があった。「いま」を基準にして、「過去からいまのすぐ近く」までなのか、「未来からいまのすぐ近く」までなのか。それとも「過去」も「未来」も関係なく、ただ「いまという時間の近く」、ここという「白地図」の近くに来ているのか。
 秋は、めずらしく(と、私には感じられる)、ここでは「語呂合わせ」でみせたような「仮の答え」さえ拒絶している。読者に判断をまかせている。この終わり方もいいなあ。
 私は、長い中断はあったが、秋のことばは高校時代から読んできている。秋のことばは高校時代から、ずっと変わらないと感じていた。しかし、この詩の後半の書き方に、新しい秋のことばの運動を感じた。

 

 

 

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ルキノ・ビスコンティ監督「異邦人」

2021-06-07 19:41:53 | 映画

ルキノ・ビスコンティ監督「異邦人」(★★★★)(KBCシネマ1、2021年06月07日)

監督 ルキノ・ビスコンティ 出演 マルチェロ・マストロヤンニ、アンナ・カリーナ

 ルキノ・ビスコンティは「異邦人」のごとにひかれたのだろうか。「異邦人」の何を撮りたかったのだろうか。
 映像は、大別して三つある。ひとつは顔のアップ。これを近景と呼んでおく。二つ目は人の全身が映る中景。もうひとつは自然(たとえば海)の遠景というか、なぜ人の動きが小さくしか見えない広い空間を映したのかわからない映像。
 アップ、近景では、目のちょっとした動きが意味を持つ。マルチェロ・マストロヤンニは、表情が目まぐるしく変わるという顔ではない。顔の表面に、うっすらと脂肪がついていて、表情筋がそのまま表情をつくる感じではない。でも、目が動くとき、顔全体も動いたように感じられる。アンナ・カリーナにかぎらず、ビスコンティ映画に出てくる女優は目が鋭い。口が大きい。大声で笑う。非常に野性的な感じがする。イングリット・バーグマンのように「知的な女性」という印象から遠い。野生の女、という感じ。そして、その野性味が、男の「知性」を浮かびあがらせる「補色」のような働きをする。例外は、この映画には出ていないアラン・ドロン。アラン・ドロンは、ビスコンティの映画のなかでは、野蛮な(野生の)欲望をもった男優だ。目というよりも、口を大きく開けて「肉体」を覗かせるとき、野蛮が剥き出しになる。
 ビスコンティの映画では、男は基本的に「口」では演技をしない。笑わない。目で、誰にも理解されていない自分というものを、具現化する。目が、自分の悲しみだけをみつめている。この映画でも、マストロヤンニは、そういう演技をしている。
 ほかの男優は、マストロヤンニとは違って、「口」で、つまり「ことば」で演技をしている。口を大きく開けて、ことばに意味を持たせる。マストロヤンニは、ことばも目と同じように、自分をみつめるためにしかつかわない。最後の方に牧師との対話があるが、このときでさえ対話というよりも、自分と向き合っている。けっして神(絶対に自分ではないもの)とは向き合わない。そう考えると、口を大きく開けてことばを発するとき、他の男たちは「神」に向かって自分はこういう人間であると主張しているのかもしれない。もし対話というものが男たちの間で成立するとすれば、間に「神」を置くことによって対話していることになる。法廷がまさにそれ。この映画では「法」を間に検察、弁護側がことばを戦わすというよりも、「神」を間において激論している。マストロヤンニの演じる主人公は「神」を拒絶しているから、誰とも「対話」にならないのだ。「不条理」というのは、なぜ、その人が「神」を拒絶しているかわからない、という意味かもしれない。
 まあ、こんなことには立ち入るまい。私は「神」を見たことかないから、何を書いても空論になる。
 私が中景と呼んだシーンでは、据えつけられたカメラの前を人が横切ったりする。こういうシーンはいまでこそ珍しくないが、この映画がつくられた当時は珍しかったのではないだろうか。主役の動きが、他の人物の動きによって瞬間的に見えなくなるということはなかったと思う。いわゆる誰でもない存在(神)の視線のように、主人公にかぎらず登場人物の姿をくっきりと映し出している。そして、このことは逆に言えば、ビィスコンティは「神」の立場から、この映画をつくっていない、ということになる。ある瞬間には、目の届かない世界がある。目が届かないところでも、何かが起きている、ということを語っている。
 この印象が、遠景になると、まったく違う。人間は非常に小さい。海辺では、海があり、砂浜があり、空がある。それは人間とはまったく関係なく存在している。言いなおすと、その自然のなかで人間が何をしようと、自然は関知しない。これは、人間が何をしようと「神」は関知しない。責任をとらない、ということを語っているかもしれない。
 こんなことを書くつもりではなかったのだが(マルチェロ・マストロヤンニの顔についてだけ書くつもりだったのだが)、ここまで書いてきたら、突然、思い出すのである。「異邦人」の主人公は、殺人の動機(?)について「太陽がまぶしかった」と言う。これを「神」がまぶしかった、と言いなおすとあまりにもキリスト教的になるのか。「神」とは言わず、「人間の行動に関知しない存在がまぶしかった(その存在に目が眩んだ、自分を見失った)」と言いなおせば、どうだろう。関知しないを関与しないと言いなおせば、「異邦人」の最初にもどれるかもしれない。母が死んだ。その死に対して、主人公はどう関与できるか。もちろん死を悼むという関与の仕方はある。それは死後のことである。母が死んでいくとき、息子は、その死にどう関与するのか。看病する、介護するという「関与」の形があるが、そういうことは、たぶん「異邦人」の主人公にとっては「関与」とは言えないものだろう。だいたい、施設にあずけるという形の「関与」はしている。人間には、関与できないことがらがある、と主人公は知ってしまった、ということだろう。
 こうした認識をもつ人間の行動は、「神」の関与・関知を人間存在の条件と考えるひとからは「不条理」に見える。でも、それは逆に言えば、「神」の存在を実感していない人間から見れば、「神」の関与・関知を絶対的と認める人間が「不条理」になる。ビスコンティは、たぶん、「神」の存在、「神」が人間に関与・関知しているとは認めない哲学を生きたのだと思う。「神」が関与・関知するとしたら「自然」に対してだけである、と感じていたのではないだろうか。
 そして、「神」が関知・関与する「人間の自然」というものがあるとしたら、それは「造形=顔、美形」というものだと信じたのではないか。そう考えると、ビスコンティが美形にこだわる理由も、なんとなく納得できる。「神」が関与・関知した美形が、人間社会のなかで苦悩する。それをしっかりみつめる愉悦。それがビスコンティの本能なのか、と思った。マストロヤンニは、とびきりの美形ではないが、苦悩する顔は(その目の悲しみは)、もっともっと苦しめと言いたくなるくらいに美しいからね。苦しめば苦しむほど、美しくなる男--というのは「不条理」でいいなあ。

 

 

 


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高柳誠『フランチェスカのスカート』(4)

2021-06-07 08:00:00 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

 「親方」は「印刷所」の親方を描いている。活字の父型を彫る。それは完璧な美しさをもっている。しかし、一文字一文字が完璧であればいいというものではない。活字は、

               美しさにおいて自立しながら、全体の
  調和に奉仕するだけの親和性を身におびていなければならない。

 きょう私が棒線を引いたのは「親和性」ということばである。高柳のことばは「親和性」をめざしている。「親和性」の定義はむずかしいが、高柳は「調和に奉仕する」と説明している。
 細部は独立しているが、全体は調和している。これを「親和性」がある、と呼んでいる。
 これを具体的に言い直したのが、書き出しと、締めくくりである。その間にはさまれた「中身」には、この作品のテーマである「活字」のことが書かれているのだが、その細部を支える要素として、親方の「人間性」が語られる。そこに「親和性」の源がある。
 こうである。

  親方は、無口で頑固で無愛想と三拍子そろっているからとっつきは
  悪いものの、相手によって対応を変えることのない公正な人だ。

  おかみさんがぼくに冷たく当たったあとなど、だれもいないときを
  見はからってクッキーやパンなどを突然差しだし、「食べるか」と
  だけ言い残して奥に引っこんでしまう。きっと感情を表に出すのが
  照れくさいのだ。

 「相手によって対応を変えることのない」人間に見えるが、活字の一つ一つに気配りし、全体の調和を考えるように、常に人の「調和」を考えている。「調和」を意識した結果として「親和力」がある、ということだろう。これをまた「感情を表に出」さないことと言い直している。
 もし高柳の作品に問題があるとしたら、それは「調和」がとれすぎている、感情の暴走によって破綻することがないということかもしれない。
 「ぼく」よりも「親方」の方に、高柳の生き方が反映されていると私は感じる。

 

 

 

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高柳誠『フランチェスカのスカート』(3)

2021-06-06 09:33:48 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

高柳誠『フランチェスカのスカート』(3)(書肆山田、2021年06月05日発行)

 「印刷所」には時里二郎の通じることばが出てくる。

                          組版の段階で
  は意味のない左右さかさまの紋様でしかなかったものが、端正な文
  字の列となって出てくるところなど、魔法じみている感じさえする。
  世界がぐるっと反転するような感覚が、そして世界がまるごと一枚
  の紙のうちに収まるような感覚が、内臓をゾワゾワさせるのだ。

 「反転する」が、それである。そして、その「反転する」は単に反転するだけではなく、反転することで「正しい」ものになる。「端正」ということばのなかに、その「正しい」がある。
 これは、こう言い直される。親方が、見習職人の「ぼく」に助言する。

  原稿の意味に引っ張られるようじゃだめだ。原稿を見た途端に、そ
  の反転した字姿を見通すんだ。それがどういう組版を望んでいるの
  かを感じ取るんだ。それが習慣づけば、原稿を手にすると同時に、
  活字が組み上がったときの姿が細部にわたるまで見えてくるはずだ。」

 おもしろいのは、その「反転する/反転した」ということと対比するように、「意味」ということばがつかわれていることだ。「反転する」ことによって、「原稿の意味」を超える。そして、その「意味」を超えるものとは何かというと、「細部」なのである。「細部」は「事実」と言い換えることができるかもしれない。
 「意味は無意味だ」(ことばに意味はいらない)、大事なのは「細部=事実」だというのは、那珂太郎の詩学に通じるかもしれない。高柳にしろ、時里にしろ、あるいは阿部日奈子にしろ、那珂太郎の好んだ詩人にはひとつの共通要素がある。散文形式で詩を書く。そのことばの運動は「論理(意味)」の形成をめざしているように見える。しかし、実質は「意味」を拒絶している。別の言い方で言えば「意味を反転させている」。意味の反転としての無意味。それを「細部」にわたるまで、克明に描く。そのときの「事実の正確さ/書き換え不能」が彼らにとっての詩なのである。那珂太郎の詩で言えば、たとえば「アメリイの雨」の書き出し。「雨のピアノが奏でるチヤバイビコボフブスブキビイビ」という音の楽しさ。
 その「細部の事実(具体性)」として、高柳は、こんなことを書いている。

  一日の長い仕事の後、薄暗いなかで活字を拾い続けていると、疲れ
  と眠さについ集中力が切れて、うっかりbとdを取り違えるといっ
  た初歩的な誤りを犯してしまう。

 「bとdを取り違える」というのは活版印刷でしか起きない「事実」である。いまのコンピューター製版では起きない。もう死んでしまった世界が、ふいに出現してきて、笑いを引き起こす。この「笑い」の性質も、高柳、時里、阿部に共通しているかもしれない、と思った。

 

 

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ばかやろー新聞

2021-06-06 07:56:07 | 自民党憲法改正草案を読む
新聞を読んでいて思わず「バカヤロー」と声が出るときがある。
無批判性が頭に来る。
きょう6月6日の読売新聞。「独自」、つまり特ダネが載っているのだが、これは単に読売新聞の記者の無批判性が厚労省のだれかに利用されたというだけ。「独自」取材ではなく、リーク先を選択されたというだけ。
その「ニュース」というのがこれ。
【独自】「ステージ4」減って11道府県…病床使用率で新方式、実際に入院中の人だけで計上
 厚生労働省は今月から、新型コロナウイルス感染者の病床使用率の集計方法を変更した。これまでは、入院中の人だけでなく入院先が決まった人も含めて計上していたが、新方式では、実際に入院中の人だけで計上する。これにより、医療の逼迫ひっぱくが最も深刻な「ステージ4(50%以上)」の状態にあるのは2日時点で大阪や愛知など11道府県となり、前週の20道府県から大きく減った。
 病床使用率は、国が定めた7指標の一つで、医療の逼迫度を分析し、緊急事態宣言の解除などの参考にしている。従来の集計では、入院先が決まっているものの、準備が整わずに自宅などにいる感染者も加えて集計していた。このため、病床の逼迫度合いが正確に把握できていなかった。
↑↑↑↑
この集計方法では、「入院先が決まっているものの、準備が整わずに自宅などにいる感染者」が死亡したときはどうなるのか。
また、「準備が整わず」とは誰のことなのか。病院か、患者かもわからない。
いま現実に起きている問題として、自宅で待機中(療養中)に死亡するひとがいる。
こういう例が増えれば、ベッドの使用率はどんどん下がる。
「準備が整わない」という理由で入院させなければ、ベッドの空きはどんどん増える。
ベッドの使用率にほんとうに余裕があるのなら、自宅待機(療養)は即時に中止して、全員入院させるべきである。
統計上の「数字」をごまかしても、自宅待機(療養)の患者が減るわけではない。
ベッドの「使用率」が問題なのではなく、入院できない感染者がいるということが問題なのである。集計方法を変更して、ベッドの使用率が低くなったかのように見せかけても現実は変わらない。
この計算方法を思いついた厚労省のだれかは、きっと菅に「こうすれば、ベッド使用率が下がるので、ステージ4の都道府県数が減る。安全・安心オリンピックをアピールできる」と進言するのだろう。そうやって出世していくのだろう。
この「特ダネ」を書いた記者も、「やった、特ダネだ。これで出世できる」と思っているのだろう。
国民(感染者)そっちのけで、自分の出世だけを考えて行動している。
あまりに情けない。
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池田清子「ルーティーン」、徳永孝「居酒屋(2)」、青柳俊哉「干し藁の中へ」

2021-06-05 22:19:53 | 現代詩講座

池田清子「ルーティーン」、徳永孝「居酒屋(2)」、青柳俊哉「干し藁の中へ」(朝日カルチャーセンター福岡、2021年05月31日)


  ルーティーン       池田清子

  私から
  知らぬ間に剥がれ落ち
  気づいたら
  見える範囲で掃き集め
  その度に
  それらを全て捨て続ける

  落ちる前は
  私のものだったのに
  私には必要なものだったはずなのに

  いつの間にか
  毎日のルーティーン

  もうそろそろ
  折り合いがついてもいいのでは

 「ルーティーン」とは何だろうか。ここには具体的には書かれていない。二連目のことばから、新陳代謝を読み取った受講生がいた。生まれ続け、死んでいくもの。そういう人間の活動。また、こころの変化を読み取った受講生がいた。たとえば、生きる悲しみのようなもの。
 たしかに人間は悲しみをずっと持ち続けるわけではない。ときどき手放す。あるときは悲しみも必要である。悲しみが生きている実感をささえることもある。そして、そういう悲しみと「折り合い」をつけるときが、やがてくるかもしれない。いや、やっぱり手放さずに生きていたい……。
 こう読み取った受講生は、池田の過去の詩を思い出していた。八木重吉の、悲しみが腑にたまる、を思い起こしたと語った。
 池田が書きたかった「何か」は「悲しみ」ではなかったようだが、私は、何かを「悲しみ」ととらえる読み方が好きである。
 詩は作者のものであると同時に、それを読んだ人のもの。読んだ人の「感想」を通じてひろがってゆく。さらに他人に手渡される、ということがある。

  居酒屋(2)(Air Force Mini2 )    徳永孝

  ぼくは加湿機
  Air Force Mini2 

  先週はカウンターの左はし
  3日前は棚の上
  今日はカウンターの少し内側

  ぼくはどこにいればいいの!

  ウィルスをやっつける強いぼくだよ
  叔父さんはアメリカ空軍の大統領専用機
  Air Force One 

  もっとまん中に置いて
  活躍させてよ

 コロナ時代の居酒屋の情景を描いている。ことばがリズミカルで楽しい。
 「活躍させてよ」が印象に残る。加湿器の名前Air Force Mini2 がAir Force One に似ているのが楽しい。「叔父さん」ということばが効果的。Air Force Mini2 とAir Force One は直接関係がないが、その直接的なつながりのないことが「叔父さん」ということばで象徴されている、と好評だった。
 徳永は「アメリカ空軍の大統領専用機」ということばを書こうか、書くまいか迷ったと言っていたが、私はあった方がいいと思う。なくてもAir Force One がアメリカ大統領の専用機であることはみんな知っているかもしれない。しかし加湿器の名前と対比させているということを明確にするには、大統領専用機ということばがあった方がわかりやすいし、おかしさが倍増する。

  干し藁の中へ   青柳俊哉

  朝霜にぬれて立つ
  干し藁の中へおりていく
  心の層にひこばえの田んぼがうまれる
  秋爺のもみがらを焼く煙がたなびく
  白菜畑の葉のうえを冬の蝶がつたう
  藁の隙間を通過する小さな星の 
  満開の稲の穂先のすずなりの氷のそよぎ
  星にむかう鶏鳴 土のしたの蛙の
  眠りの中にふる雷鳴と雹の雨のいたみ
  太陽が昇り 藁の表面に
  細い氷のすじが
  とけだす頃

 刈り取りの終わった田んぼの風景だが、イメージが美しい。風景だけれど、「心の層」ということばが指し示しているように、心象風景にもなっている。心と風景が重なっている、と受講生の声。
 どの行が一番印象的か問いかけてみた。
 「満開の稲の穂先のすずなりの氷のそよぎ」が印象的で、特に「氷のそよぎ」に驚いたという声。
 「の」ということばで、イメージがどんどん広がっていく。そこに青柳の詩の特徴かあるが、私は、「秋爺のもみがらを焼く煙がたなびく」の「の」の使い方に目を向けてみることを提案した。
 この「の」はふつうはどう書くだろうか。秋爺「が」もみがらを焼く煙がたなびく、といわないだろうか。主語を指し示す格助詞の「が」。「が」と書くと、次の「煙がたなびく」の「が」と重なるから避けたのだろうけれど、それだけではなく短歌(和歌)などでも、こういう「の」の使い方があるように思う。そして、そのときの「の」は、やはり全体のリズムをつくるのに効果を上げている。そういう意味では、秋爺のもみがらを焼く煙「の」たなびく、でもよかったかもしれない。「が」になったり、「の」になったりして、主語が流動する。イメージの流動が加速する。
 「の」の響きあいのほかに、「鶏鳴」と「雷鳴」、「雹」と「表面」の音の響きあいも、イメージをゆさぶる働きをしていておもしろいと思う。
 最終行の「とけだす頃」は、「とけだす頃」何をするのか、明確に書かれていないが、「干し藁の中へおりてゆく」と自然に読めると思う。ことばが前へ引き返すことで、イメージを完結させる(閉じ込める)効果を上げている。

 谷川俊太郎の「パンジー」も読んだ。(集英社文庫、「私の胸は小さすぎる」収録)

  あなたは詩を欲している
  あなたは詩に飢えていると女は言うのだ
  そうしてぼくに萎れかけたパンジーを一本くれる

  「これは宇宙からの引用です」
  恥ずかしげもなく女は言う
  下手な自作の何行かをワープロで打って渡されるよりましだが
  ぼくは別に詩に飢えているわけじゃない
  かと言って腹もへっていないが

  女の目はぼくを見ていないみたいだ
  女の鼻はなんの匂いも感じてないみたいだ
  きれいな顔をしてるのに

  ねえきみ今のぼくに必要なのは詩よりもむしろ情なんだ
  心の中でぼくは言う
  宇宙には情なんてひとっかけられありゃしない
  だから星はあんなにきれいに見えるのさ

 「詩」とはなんだろうか、と話し合ってみた。
 「これは宇宙からの引用です」という行が印象的で、この作品のなかでは、この行に詩を感じるという声が集まった。
 「詩」と対比されている「情」とは何だろうか、とつづけて尋ねてみた。
 最後の二行に対して、宇宙を見ているひとに情がなければ、宇宙はきれいに見えないのではないだろうか、という、谷川に直接聞かせたいような感想があった。
 私は、情に対しては非情ということばを思い浮かべる。漢詩の世界。人情を無視して自然の絶対性が全面に出てくるときがある。そのとき「非情の美」と思う。それに通じるかな、と思っていたので、「見ているひとに情がなければきれいに見えない」ということばに大変驚いた。
 「情」に対する考え方(定義の仕方)はいろいろあるだろうけれど、この谷川の詩に限定して言えば、三連目が手がかりになると思う。三連目には「情」は書かれていないが、最終行に出てくる「きれい」が、ここにも出てくる。「きれいな顔をしている」と。
 この三連目は、起承転結の「転」であり、「結」から逆に見ていくと、女の人の顔が「きれい」なのは「情」を欠いている(情なんてひとっかけられありゃしない)ということになるのだろう。
 さらに、他人に対して「詩を欲している」とか「詩に飢えている」と言うことは情にあふれる行為と言うよりも、「情を欠いている」ということになる。だから女のことば(詩)はつまらないが、顔は「きれい」。
 では、もし「情」をあらわすとすれば、この詩の女の人はどうすればいいのだろう。
 こういうことまでは時間がなくて話し合わなかったのだけれど、私は、ことばを添えずに「萎れかけたパンジーを一本」谷川に渡すことが情を示すことかなあと思う。谷川が受け取るかどうかわからない。でも、何も言わずに萎れかけたパンジーを一本渡せば、谷川は違った詩を書いたかもしれない。しかし、そうすると、この詩は書かれないことになるから、どうもややこしい。永遠につづく循環回路に迷い込んだみたいになる。
 結論が出ない。
 でも、それが詩を読むということかもしれない。「結論(意味の発見)」というのは、あくまでも仮のもの。いろいろ考え、いろいろ思うこと、それをことばにしようとすることが詩に触れること、詩を体験することだと私は思う。

 

 


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高柳誠『フランチェスカのスカート』(2)

2021-06-05 09:04:19 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

高柳誠『フランチェスカのスカート』(2)(書肆山田、2021年06月05日発行)

 「柳絮」は「霧」に形態が似ているかもしれない。

          昨日まではどこか凛とした身振りで周囲の空気を
  支配していた冷気の底が割れると、頬をなでるやわらかな風に紛れ
  て白い使者たちがひそかに町に忍び込んでくる。

 「冷気の底が割れると」と高柳は書いている。季節に関係している。それは「やわらかな風」に乗る。そして「白い」。なによりも「ひそやかに」(音をたてずに)「忍び込んでくる」ところが似ている。「冷気の底を割る」かどうかは別にして、「頬をなでるやわらかな風に紛れて白い使者たちがひそかに町に忍び込んでくる。」という描き方は、主語を「霧」にしても通じるだろう。
 「ひそやかに/忍び込んでくる」という運動の形態が「霧」と「柳絮」をつないでいる。「霧」では「ひそやかに」ということばはつかわれていなかったが「秘めやかな」ということば、さらに「自在に伸縮する」という表現があった。「秘やかに/自在に」忍び込んでくる柳絮と言い直すことができる。

                   季節はずれの雪が舞い踊るか
  のように、無数の白い綿毛が穏やかな青空全面を覆いつくしている。

 この部分には、高柳のことばの運動の特徴のひとつがあらわれている。「柳絮」は「白い綿毛」、それは「雪」ではない。その季節的にかけ離れたものをあえて結びつける。そして、その接着剤として、季節「はずれ」ということばをつかう。「はずれている」。そのことを強く意識している。
 ほんらい、それは結びつくものではない。だが、結びつけるのである。その運動を「詩」と定義しているのかもしれない。
 そのことを意識すると、次の部分こそが高柳の書きたいことなのだとわかる。

          一つ一つの綿毛が一つ一つの世界をもち、それら
  が互いに連係を保ちながら全体で一つの神秘の舞踏を織りなす。

 「連係を保つ」。高柳は、ある存在を把握するとき、その存在がどんなふうにして世界とつながっているかを見る。つながりの中に「世界」を見る。ある「一つ」の存在(柳絮、あるいは霧)を出発点に、ことばがつなぐことができたところまでが「世界」なのだ。
 綿毛の「一つ一つ」が連係するだけではなく、連係することで生まれる世界が「一つ」なのである。それは切り離すことができない。この切り離せない関係を、高柳は「神秘」と呼んでいる。一瞬の連係ではなく、連係を「保つ」とき、そこに「神秘」が生まれる。
 きょう、私が棒線を引いたのは「連係を保ちながら」ということばである。

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高柳誠『フランチェスカのスカート』(1)

2021-06-04 09:20:28 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

高柳誠『フランチェスカのスカート』(1)(書肆山田、2021年06月05日発行)

 高柳誠『フランチェスカのスカート』を一日一篇ずつ読み進めてみる。先のページは読まずに、その日読んだことばだけを手がかりに高柳の「文体」について考えてみる。読み進むにしたがって、修正し続けなければならなくなるかもしれない。そうだとしても、その修正の過程でしかつかみ取ることのできないものがあるはずだ。むしろ、どこまで修正し続けることができるかを試してみたい、と思う。
 一日目は「霧」。

  霧は、一日二回、決められた日課のごとくにこの町を襲う。早朝、
  海から這い上がってくる霧は、夕方、ふたたび海へと帰っていく。
  この霧の動きが、人々の生活のリズムを根底から決定している。

 この書き出しには、高柳の多くの詩に共通するテーマがある。人間は自己決定しない。もちろん自己決定する部分もあるが、人間以外のもの、人間の意識では操作できないものが人間を支配している。「この霧の動きが、人々の生活のリズムを根底から決定している。」高柳は「決定する」ということばをつかっている。そして同時に「根底から」ということばをつかっている。「決定」は表面的なものではない。むしろ、内面的なもの、内面を支配してしまう決定である。
 キーワードはどちらか。単純に読むと「決定する」である。「この霧の動きが、人々の生活のリズムを決定している。」で意味が通じる。しかしだからこそ、その「意味」をさらにつきすすめている「根底から」の方が重要である。「根底から」ということばがなければ高柳はこの詩を書き進めることはできなかっただろう、と私は思う。乱暴に言い直せば「決定している」は「支配している」でもいいのだが、どちらの動詞をつかうにしても「根底から」ということばを高柳は書かずにはいられないだろう。もちろん「根底から」を「内面から」とも言い直すことはできるが、その書き直しは「決定している」を「支配している」と書き直すのとはかなり違う。「決定する」をつかうにしろ「支配する」をつかうにしろ、その前に「説明」を付け加えたい、その説明によってこれから始まる世界を「限定」したいという気持ちが高柳にはある。「根底から」は必要不可欠なことばであり、それは必要不可欠だからこそ、半分無意識である。「根底から」は高柳の「肉体」になってしまっていることばである。こういうことばを、私は「キーワード」と読んでいる。私は読みながら「根底から」に棒線を引く。
 読み進むと、もう一回、思わず棒線を引いてしまう別のことばに出会う。
 霧は、家の中にまで侵入してくる。そして、霧のために……。

  家のなかでさえ、銀のスプーンやフォークはいくら磨いてもすぐに
  曇ってしまうし、鏡も表面が滲んだように靄がかかって、かえって
  そこに映し出された人の秘めた内面を浮き立たせる。

 私が棒線を引いたのは「かえって」である。ふつうなら、鏡が曇れば何も見えない。だが、逆に鏡が曇ると「人間の外観」は映らないが、「内面」が映ると高柳は書く。しかし、こんなことはありえない。鏡は最初から「外観」を映し出すものであって、「内面」を映し出したりはしない。ありえない。そのありえないことを、ある、というために高柳は「かえって」ということばをつかっている。何かが逆転する。しかもそれを引き起こすのは、鏡、霧という存在ではなく、ことばなのである。「かえって」ということばが存在しなかったら、高柳はこの詩を書き続けることはできない。もちろん「逆に」でもいいけれど、それは最初に書いた「根底から」が「内面から」であってもいいのと同じ意味での可能性である。(実際、「内面」は「根底」と同じ概念を共有しているだろう。)私が指摘したいのは、ことばの運動を支配する「はずみ」のような存在のことである。ことばを動かすエネルギー。そのエネルギーのあり方は、人それぞれによって違う。高柳は、この詩では「根底から」「かえって」ということばを必須のものとして書いている。それは高柳の「エネルギー/肉体/いのち」であり、削除してしまうと、高柳の詩は死んでしまう。
 このあと高柳は、こう書いている。

                          おのれの本質
  を直視することに耐えられなくなった人々は、鏡に被いを掛けてし
  まいこみ、その存在自体を忘れてしまうしかない。

 「その存在」とは文脈にしたがえば「鏡」である。しかし、「霧」と読みたい衝動にも、あるいは「自分自身(の本質/内面)」と読んでみたい衝動にも襲われる。あえて「誤読」し、その「誤読」を推し進めていくと何が見えるか確かめたい気持ちになる。
 つまり、高柳の詩を忘れ、自分自身の問題として「霧/鏡/自分」の関係を考えてしまう。こういうことは「解釈」の基本から外れてしまうことだが、私は、そういうことが大好きである。
 この詩人の言いたいことは何か、要約せよ。
 こういう質問は、つまらない。この詩人はこう書いている。それについてどう思うか。これは単に詩の「解釈」に限らず、あらゆる瞬間に起きることである。
 だれかの発言の「真意」(その人の言いたいこと)など関係ない。そのことばによって、自分が何を考えたか。それが大事だ。発言者は「誤解だ(誤読だ)」いうだろうが、「誤読」のなかには「誤読」なりの必然性がある。

 あ、脱線した。

 脱線とはわかっているが、私はこんなふうに読む。それを、全作品に触れながら書いてみたい。途中で休むかもしれない。やめてしまうかもしれない。先のことはわからないが、やってみるしかない。

 

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石毛拓郎「コーヒールンバ異聞」

2021-06-03 21:17:54 | 詩(雑誌・同人誌)

石毛拓郎「コーヒールンバ異聞」(「飛脚」28、2021年05月10日発行)

 石毛拓郎「コーヒールンバ異聞」は「新作」ではない。末尾に「自薦詩篇(2021・5・5改作、再録)」という注がついている。書き出しには「……2011・7・10 むかしアラブの偉いお坊さんが……で始まる「愛の歌」にも、死の灰は降り積もる。」という注がついている。「コーヒールンバ」を知らないひとがいる時代だから。あるいは、その歌を知っている人の方が少ないかも。

  さーあて そのリズムは
  小鳥のさえずりではない
  そうとも そのメロディーは
  野草の悲鳴でもない
  あそこで 自販機がうたっている

 さーあて。
 この詩の感想はむずかしい。
 書き出しの注釈からわかるように、東日本大震災の被災地に、自販機がある。その自販機から「コーヒールンバ」の曲が流れてくる。これを、どうつかみ取るか。
 石毛は「リズム」と書いている。それから「メロディー」と書いている。そのあとに「自販機」ということばが出てくる。その「自販機」ということばのリズム。そしてメロディー(旋律)。石毛が意識しているかどうかはわからないが、「自動販売機」を「自販機」というときのリズム。私は、そこに、奇妙な「違和感」を覚える。実を言うと、私は「自販機」ということばが嫌いなのだ。だから「違和感」を覚えるのだと思う。なぜ嫌いかというと、ことばが軽いからだ。
 私はあるとき、若者が(私より若いというだけのことだが)、ラブホテルを「ラブホ」と言っているのを聞いたとき、やはり何とも言えないいやな感じを覚えた。「実態」がない、という感じ。「自販機」も、私には「実態」がない存在に聞こえるのである。
 そこにあるのに、「実態」がない。逆に言えば「ことば」だけがある。しかも、その「ことば」は「記号」なのだ。
 「存在」というよりも「ことば」の「記号化」が進んでいる、と私は感じてしまう。「記号化」することで、軽くなる。情報処理が早くなる。そして処理された情報だけが反乱し、その出発点にある「実態」が希薄化する。見えなくなる。そういうことが起きていると思う。
 それが、被災地の「自動販売機」でも起きている。「自動販売機」が「自販機」になるように、東日本大震災、東京電力福島原発事故が「3・11」という記号の下に隠されてしまう。
 石毛の詩は、そういうことを書いているわけではないが、私は、そういうふうに読んでしまう。2011年ではなく、2021年だから、そう感じるのかもしれない。「事実」の記号化が進んだ。これを事実の風化が進んだと言い直すこともできるかもしれない。その「記号化」した「3・11」のなかで、「自販機」が「コーヒールンバ」を歌っている。

  だーれも いない
  瓦礫の片隅で
  歌詞のないうたを うたっている
  軽快なリズム
  ここちよく ながれるメロディー

  だーれも いない
  瓦礫の片隅で
  自販機がひとりで うたっている
  蛍光電飾が
  哮哮と 夕暮れにきらめいて

 「だーれも いない/瓦礫の片隅で/歌詞のないうたを うたっている」同じことばが繰り返され、繰り返したあと違うことばがかわる。「軽快なリズム/ここちよく ながれるメロディー」が「蛍光電飾が/哮哮と 夕暮れにきらめいて」にかわる。
 この変化に触れた瞬間、私は見てはいけないものを見てしまったような気になる。「ラブホ」と聞いて、聞いてはいけなかったものを聞いたのとは逆の気持ち。「記号」ではなく、「記号化」を拒んでいるものがそこにある、それを見せつけられた気持ち。
 この書き方は矛盾している。
 ほんとうは、それを見逃してはいけない。だから、これこそ見たかったものだ、というのが「正しい」感想なのかもしれないが、私は「3・11」という記号に支配されてしまっていて、見なければならないものなのに、見てはいけないものを見たと感じるようになってしまっている。その、いやな感じが、そこに含まれているために、こんな書き方になるのだろう。
 「蛍光電飾」「哮哮」。いまどき、だれが、こんなことばをつかうか。つかわない。だからこそ、それは「記号」ではないのだ。それはあえて言えば、石毛の「肉体(欲望/あるいは本能)」である。剥き出しの、醜い裸である。ことばにし、世界に存在させたもの、それはすべて「石毛の肉体」である。だから「自販機」も「石毛の肉体」なのだが、その「石毛の肉体」のなかで「リズム」「メロディー」「自販機」と「蛍光電飾」「哮哮」がぶつかりあっている。
 それは、さらにこうかわっていく。

  異国の軽快なうた コーヒールンバ
  うたって ごらん
  自販機 変奏コーヒールンバ
  瓦礫の山に こだまする
  ニヒルな愛のうた

  遠く崩れ落ちた 原発建屋がみえる
  子どものあそぶ 声もない
  理不尽な寂寥 コーヒールンバ
  だれも通わぬ 瓦礫砂漠
  異彩を放つ コーヒールンバ

  瓦礫の片隅で
  自販機は ただひとり
  うたを うたっている
  そこだけが やけに明るい
  コーヒールンバ!

 アラブの砂漠。石油の宝庫。原発の反対側(?)にあるもの。そしてコーヒールンバ。そういうものも意識されているか。
 ことば(意味)はいつでも「後出しじゃんけん」のように、テキトウに変えることができる。感想と言おうが、批評と言おうが、大差はない。だから、私はいつでも「後出しじゃんけん」を叩き壊すために、また別の詩の感想を書く。感想を「意味」に閉じ込めたくない。
 その曲が「コーヒールンバ」とわかったとき、石毛は何を思ったか。それはわからない。けれど、過去に聞いたことがある、その曲を知っているということだけは確かである。その自分が知っている「確かなもの」を頼りに、いまおきている「記号化」を叩き壊さなければならない。「3・11」の記号化の動きを叩き壊さなければならない。
 いま、この詩から、私が感じるのは、そういうことだ。
 そして、この安直な感想も、絶対に叩き壊さなければならない。

 私は感想で何が書いたのか。きっと他人には、わからないだろうなあ。でも、書いておきたいことなのである。

 


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岡部淳太郎「庭園」、金井裕美子「捨てる」

2021-06-02 08:29:17 | 詩(雑誌・同人誌)

岡部淳太郎「庭園」、金井裕美子「捨てる」(「spirit」22、2021年05月28日発行)

 岡部淳太郎「庭園」は静かにことばが動く。

この場所に 一人
私は立ちつくしている
そよぐものはそよぎ
あらがうことなく
そのままに
充足されてあり
池の蓮はそのままで
かたく緑だ
小さな道
ここを横切るだけのしるし
近くの林の葉は
動かぬものとして
私に届こうとし
空気を媒介にして 伝言を送る
砂利や白い石の記憶も
この中に入ってきて
まるで以前からここにあったかのように
思えてくる


 「空気を媒介にして」が窮屈な感じがしないでもないけれど、次の行の「石の記憶」のためには、これくらいの窮屈感があった方がスムーズかもしれない。
 「この場所」が「ここ」と言い直され、「この中」ともう一回変化するところがとてもいい。「この中」があって「ここ」なのだ。だから、再び「ここ」が登場する。
 そして、それは特別なことではなく「そのまま」であり、「そのまま」とは「まるで以前からここにあったかのよう」ということなのだが、それは「庭園」だけではなく、「私」の存在そのものがそうなのだ。
 「ここ」と「そのまま」。無為。「あらがうことなく」、ただ無為そのものとして存在する。その瞬間の静けさが、さらっと書かれている。

 金井裕美子「捨てる」は、こうはじまる。

飲むことも
出すこともできず
溜まって
分離しだしている
腐りかけている


 それは、何だろう。最終連で明らかになる。

息をころして
口角をゆるめず
こぼさないように
咽喉を開いて
舌もろとも
吐き出し
感情を入れずに
捨てる


 ことばである。ことばが腐りかけている。たぶん、怒り、不満のことば。だからこそ、「感情を入れずに/捨てる」。何でもないことだが、一番大切なことばを省略すると、その瞬間に、ことばが詩になる。言いたいことを言ってしまうのではなく、言いたいことは読者に想像させる。想像した瞬間、ことばは自分のものになる。それは「共有」というよりも「略奪」に近いかもしれないが、詩人とは略奪されても略奪されても、なお書き続ける人のことだろう。

 

 

 


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とうてつ「走る名」ほか

2021-06-01 09:49:15 | 詩(雑誌・同人誌)

 

とうてつ「走る名」ほか(「現代詩手帖」2021年06月号)

 「現代詩手帖」の「新人作品」の選者が交代した。06月号から小池昌代と岡本啓。一回目の「選考」。
 とうてつ「走る名」、張文経「にているものたち」、羽田野新「還元・再構成「家族」」と読み進み、私は、非常にとまどった。(張文経の「経」は正字だが、私のワープロは正字をもっていないので、通用字体で代用した。)
 何にとまどったかというと、区別がつかない。内容も、文体も違うはずなのだけれど、とても似ている。それぞれの作品に「署名」がなければ、私はひとりの作品と思って読んだかもしれない。
 どこが似ているか。その具体的な指摘はむずかしいのだが。

 とうてつ「走る名」を読んでみる。

ハレルヤ
馬の名前なんて知らない
乗るのは
初めてではないが


 「馬の名前」は二通り読むことができる。馬の種類の名前。たとえば、サラブレッド、アラビア馬……。もうひとつは馬一頭ずつの名前。ハイセイコー、ディープインパクト……。とうてつはたぶん後者の意味でつかっている。「走る名」は「走る馬の名」と読むことができる。名前を知らなくても、人間は馬に乗ることはできる。しかし、名前を知っていると知らないでは、「乗り方」がかわってくる。「名前」を知っているということは、それは自分ではないと知ることだが、同時に自分ではないがゆえに自分といま密接な関係を持っていると知ることでもある。密生な関係、親密な関係であるからこそ、「名前」でその存在を明確に把握する。「名前」を意識するとき、そこには無意識の一体感がある。嫌いなひとであっても(馬であっても)、「名前」を意識するとその存在が自分にかかわってくる。
 とうてつの詩には「奥武島に住む大城さん」という固有名詞が出てくる。一方、「名前を忘れてしまった先生」も出てくる。その中間項(?)の存在として、「馬」がいる。「名前」をまだ知らない。でも、知りたいと思っている。
 詩の最後の連。

卒業生に
花束を渡しに生徒が予定通り走り出して
その隙に
幸福も絶望もただでは済まない
そんなことはわかっている
わたしの乗っている
馬の名前はなんですか


 知ってどうなるわけではないが、というわけではない。たしかにかわるのだ。知った瞬間に、「馬」は「わたし」にとってかけがえのないものになるのだ。たとえば「奥武島に住む大城さん」になるのである。
 問題は。
 なぜ、とうてつは、名前を知ったあとの「馬」を書かないか、である。「名前」を知る前の「馬」と自分との関係を、「奥武島に住む大城さん」「名前を忘れてしまった先生」を引き合いに出して書くかということである。
 ここには何か、奇妙な「回避」がある。「回避」されているものを、書かれていないものを、たぐりよせて書こうとする矛盾のようなものが書かれている。変な言い方だが。たぶん、これを、書こうとして書けないものをたぐりよせ、ことばにすることが詩であると定義しなおせば、この詩を「入選」として選んだ小池、岡本の意識につながるか。小池も岡本も、書こうとして書けないものに向き合い、それをたぐりよせ、ことばにしようとしている作品に現代性を感じているのだろう。
 張文経「にているものたち」は、ずーっと一般名詞を書いたあとで(たとえていえば、「馬」あるいは「サラブレッド」と書いたあとで)、「すべての人の子の名前」という一行が出てくる。これは「固有名詞」のようであって、「すべて」がつくことで逆に「ひとりひとり」が消えて「群」になってしまっている。そういうことを書いたあとで、

ぼく、に似た
いなくなれない ひとが言うとき
また待つことをはじめる
いる、いない
をひとつにする
空のことば、といき、に
ふれる


 「いなくなれない」「いる、いない/をひとつにする」が象徴的である。ひとつにするのは「空らことば、といき」そのものではなく、そういうことばをひきよせる張自身である。そして「ひとつにする」ではなく「「ひとつになる」とき、張は「いなくなる」ことができる。
 とうてつは「わたしの乗っている/馬の名前はなんですか」と詩をしめくくっているが、その静かな疑問は、「わたしの名前を知っていますか」というかなしい叫びというよりも、馬の名がなきらかになったとき、「わたし」は「〇〇という名の馬に乗った人間」といして名前を消せるのだ。自分に最初からついている名前を消して、(その自分をいない状態にして)、新しくひとと出会いなおすことができる。そういう屈折した欲望、何か人間本来がもっている欲望とは逆の、矛盾した感情がここにあるように思える。
 羽田野の作品は「父」「母」「姉」という二行ずつ減っていく断片で構成されているが、「父」「母」「姉」は入れ替えが可能に見える。つまり、それは「父」「母」「姉」ではなく、あくまでも羽田野の別の「名前(呼称)」にすぎない。
 「固有名詞」として確立されていない「わたし(自己)」を、「固有名詞」は持たないが一般名詞(概念)を持った存在の「名前(固有名詞)」を問うことを通して、まさぐっている。そういうことばの運動として読むと、三人の作品は、まったく同じものに見えてしまう。
 概念と戦う「固有名詞という概念」の自己主張、自己拡張の運動。概念体としての自己確立の運動というよりも、固有名詞を他者にあずけ、無名(一般名詞)をめざすうん象。そして、共存。
 これは、なんとういか、鈴木志郎康がやっていたこととは、まったく逆だね。鈴木は「プアプア」という「固有名詞」を確立した上で自己拡張をめざした。概念(一般名詞)と闘い、それを個人のものとして所有するには、まず自己という肉体がないといけない。これが半世紀(それ以上になるのかも)前の詩のことばだとすれば、いま、ひろく試みられているのは、とても抽象的だ。「肉体」をもたない運動のように見える。「肉体/固体」を消す運動、その敬したによって個性的であろうとしている。しかし、この個性(固有性)は、あまりにも「抽象的」だ。そのため、とても似ていると感じてしまう。たまたまかもしれないが。

 

 


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