https://www.yomiuri.co.jp/note/hensyu-techo/20210619-OYT8T50000/
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読売新聞はおもしろいよ。
青柳俊哉「朝の先端で」、徳永孝「沈まない太陽」、池田清子「訪問」(朝日カルチャーセンター福岡、2021年06月07日)
朝の先端で 青柳俊哉
朝の先端で
バラの花がめくられている
中心部から盛りあがる無数の小花が
外側にひらかれるとおもうまもなく
凄まじく 縁にむかってきえていく
落下することのない噴水の花弁の運動
庭先のバラの空間の 絶えまない紡錘形の尖り
それがしっとりとわたしを見ている
潮の満ちてくるベッドでは 朝の夢が
蚕のまゆで編んだ貝殻のように
横たわっていて その中へわたしは
バラの意識の花弁をめくって沈める
バラの花を描きながら朝の変化を描いている。青柳は朝の時間の速さ、光が差す前の世界、動き出す前の世界が描きたかったという。
「それがしっとりとわたしを見ている」「バラの意識の花弁をめくって沈める」「落下することのない噴水の花弁の運動/庭先のバラの空間の 絶えまない紡錘形の尖り」という行が印象に残るという受講生の声。バラが開いていく様子が巧みに描写されている。「噴水の水の運動が具体的でイメージが広がる。いつもより抽象性が少ない、と感じた」という声も。
私も、「落下することのない噴水の花弁の運動」は大変おもしろいと思う。バラの描写だけれど、噴水がバラに見えるという感じもする。譬喩と実在のものが入れ替わる感じ。譬喩にはそういうおもしろさがあると思う。「意味」を超越して、イメージが自立して動く。
バラにかぎらず、花はしばしば性と結びつけて描かれる。この作品にも、そういう匂いが漂っている。「潮の満ちてくるベッド」などが、誘惑的である。
私は「蚕のまゆで編んだ貝殻のように」の「貝殻」の譬喩につまずいた。青柳は「つぼみの子宮」のイメージだという。私がつまずいたのは「貝殻」が固い印象があるのと、「殻」に死のイメージを感じたからである。「貝」だったら生きている印象があるが……。
*
沈まない太陽 徳永孝
夕方の薄雲から見える
白銀の太陽
いつまでもじっと動かない
妖精の国では
巨人トローが沈む太陽を支え
そこでは時が止っている
成長せず老いず死もない
妖精は彼らの論理で動く
悪意無く人間の思いに違うことも
妖精の見える人を
彼らの世界へつれて行こうとする
とりこになった人は
時の止った世界から抜け出せない
囚われたリディアは
彼女の知恵と恋人エドガーの宝剣アローの力で
トローをたおし時を取り戻して
人間の世界へ連れて帰って来れた
知恵も宝剣も持たないぼくは
妖精に囚われないよう
気をつけなければ
「妖精の国、登場する巨人らに対する知識がないのでわからないことが多いが、時の止まった世界がポイントだと思う」「妖精の国が悪い国と想像したことがない。白銀の太陽というのも自分の持っているイメージと違う」「最終連は妖精の国の魅力とは相反するようで、違和感がある」という声。
妖精のイメージが、一般に、幻想的、夢幻的、やさしさに満ちているファンタジーという感じが強いためだと思う。この詩でもファンタジーであることにかわりはないのだが、「時が止まる」「不老不死」が必ずしもいいこととはいえないのではないかという問題提起をしている。受講生が指摘していたが「時の止まった世界」をどう掴むかによって、感想が違ってくると思う。ふつうは、不老不死は「理想」であるけれど、何も変化がないというのは楽しくないかもしれない。死んでもかまわないから、変化がある方がいい、変化のない世界に閉じ込められては楽しみがない、と言いたいのかもしれない。
妖精の国が太陽を支える巨人トローだけで説明されていて、ほかの妖精たちの姿が具体的に見えてこないのが残念。ほかの妖精の姿も描かれると、「妖精に囚われないよう」にしなければならないということが、わかりやすくなるかもしれない。
*
訪問 池田清子
数十年ぶりの訪問でした
駅まで迎えに行ったとき
すぐにわかりました
仏壇の前で
たくさんの話をしました
長崎のこと、熊本のこと
年をとったら
いろんなことが起こること
声も、話し方も
長い前髪をかきあげる仕草も
変わりませんでした
下宿では
映画きちがい 映キチさんと呼ばれていました
キャンディス・バーゲンがいいと言っていました
シャガール
ワーズワースの草原の輝き
紀要の発行で
編集後記を最初に書きたいと主張したら却下されたそうです
私には 今でも意味がよくわかりません
喫茶店で
赤い服の女の人と向かい合っているのを見ました
長崎駅に見送りに行ったとき
好きな人と別れるときはあんな顔をするんだ
というような顔をしていました
翌年、結婚式に出席しました
いつまでも覚えているものですね
もう一生会えないかもしれないので
もうしばらく思い出してもいいですか
まだ やきもちを妬いてくれますか
「若いころの想い出。想い出に浸り、しんみりする。半分わかる」「後半は飛躍があってよくわからないところがあるが、詩を感じる。前半は散文的すぎる印象がある」
たしかに全体の構成はアンバランスな印象が残るが、後半を目立たせるという効果も上げていると思う。
「編集後記を最初に書きたい」という気持ちは、わかる、わからないと反応が分かれた。私は、そういう気持ちは、わかる。
五連目。「好きな人と別れるときはあんな顔をするんだ/というような顔をしていました」をどう読むか。
私は作者の「意図」とはまったく違う風に読んだ。「好きな人」を池田と読んだのである。男性は池田が好きである。池田も彼が好きである。しかし、彼は何らかの事情で結婚できない。池田は「赤い服の女の人」と結婚する。そういうことがわかったあとの別れ。彼は池田に対して「好きな人と別れるときの顔」をしてみせた。「というような顔をしていました」という言い回しが、なんとも複雑でおもしろい。
結婚式には参加したが、もう一生会えないかもしれないと思っていたがふたたび会った。今度こそ(互いに高齢なので)もう会えないかもしれない、と思っている。
最後の「まだ やきもちを妬いてくれますか」に目を向ければ、結婚できない事情は池田の方にあった。結婚できないと知って、彼は「赤い服の女」と見合い(?)し、結婚した。それは、池田と結婚できなかったための「やきもち」の仕業である、とも読むことができる。
人間のこころは、いつでも行動とぴったりかさなるわけではない。書いている池田にはもうしわけないが、そういう隠された「ドラマ」が書かれていると、私は「誤読」してみた。前半は淡々と書き、青春時代のことをいきいきと思い出し、辛い別れ(複雑な事情のわかれ)を劇的に展開する。
そう読むと、おもしろいと思いませんか?
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José SARAMAGO 『Enasayo sobre la ceguera』と雨沢泰・訳『白い闇』( NHK出版、2001年02月25日発行)
私が読んだ『白い闇』は2001年に出版されている。改訂版が出ているようだが、私は読んでいない。その2001年版なのだが、前回書いたように、訳がサラマーゴの「文体」を十分にくみ取っているとは思えない。ラジオ講座の初級についていくのがやっとの私が言うのは問題があるかもしれないが、その私でさえ、これではサラマーゴがかわいそうと思う「訳文」である。ほんの書き出しを読んだだけだが。
きょう指摘したいのは、邦訳の8ページ、前のページから始まった段落の最後の部分。止まったままの車に向かって、後続の車から人が降りてくる。窓を叩く。
なかにいる男は人びとのほうに首をめぐらし、それから反対側に顔を向けた。男ははっきりとなにごとか叫んでいる。その口の動かし方から判断すると、いくつかの単語をくりかえしているようだ。一語ではない。ある人がようやく車のドアをあけたとき、なにを言っているのかわかった。目が見えない。
El hombre que está dentro vuelve hacia ellos la cabeza, hacia el otro, se ve que grito algo, por los movimientos de laboca se nota que repite una palabra, una no, dos, así es realmente, como sabremos cuando alguien, al fin, logre abrir una puerta, Estoy ciego.
雨沢が「一語ではない」と訳している部分は「una no, dos,」である。私なりに訳すと「いや一語ではない、二語だ」である。ことばは音が聞こえないとき、いくつの単語を言っているかわかりにくい。長い単語もあれば短い単語もあるからだ。だからこそ「一語かな? いや違う、二語だ」と書くことで、サラマーゴは、車の外にいる人たちが、男がなんと叫んでいるのか聞き取ろうとしている様子を描いている。そして、その「二語」が、最後の「Estoy ciego 」(私は/盲目、という二つの単語)につながっている。「una no, dos,」は、「目が見えない」(私は盲目だ)の重要な「伏線」なのである。
雨沢の訳で、もちろん意味は通じる。しかし「一語ではない」では、「二語」のそれぞれがわかったときの衝撃度が違う。「二語だ」とあるからこそ、「Estoy cieg」の二つの単語の重みがわかる。
さらに、この「Estoy cieg」の「Estoy 」の意味が、本を読み進むうちに重みを増す。「Estoy 」(私は……です)の「私」が次々に増えていき、「estamos 」(われわれ)に変わっていく。「見えない」だけなら「No puedo ver nada 」でも通じる。でも、ここではどうしても「estoy 」という「一人称」が必要なのだ。
私はこうした「伏線」のことを「呼応」と呼んでいるが、雨沢の訳は「呼応」を見落としている。前回書いた「信号」を「semáforo 」ではなく「disco 」と表現しているのに通じる。文学は「意味」ではなく、「表現」の細部なのだ。
そして、この表現の細部に関していえば。
サラマーゴのこの小説にはコンマ「, 」が非常に多い。(この小説にかぎらず、多いのだと思う。「Caín 」という小説もコンマだらけである。「Caín 」は、未読。友人が送ってくれたので、手元に持っているだけ。)サラマーゴはコンマによって「文体」をつくっている。意識の躍動というか、変化そのものをあらわしている。雨沢はコンマを読点「、」ではなく句点「。」にかえて訳出している。ときどき、省略もしている。それはそれでひとつの工夫だし、読みやすいのだが、どうしても「呼吸」がつたわらない。
たとえば「ある人がようやく車のドアをあけたとき」の「ようやく」は日本語訳では読みとばしそうになる。読みとばしても問題はない。しかし、この「ようやく」をサラマーゴは「, al fin, 」とコンマで挟んで強調している。この強調は「意味」の強調であるだけでなく「呼吸」の強調である。「肉体」全体でことばを動かしているのである。「呼吸(コンマ)」には、とても重要な意味があるのだ。雨沢の訳文では「ようやく」は「あけた」という動詞にかかる。原文では「 asi' es realmente」と呼応しながら「 sabremos 」(わかった)にかかっているようにも感じられる。私はネイティブではないので、これは一種の感覚にすぎないのだが。
呼吸の重要性は、「una no, dos 」の前後を見るとよくわかる。「 una palabra, una no, dos, así 」とサラマーゴは書いている。「一語をくりかえしている。いや、一語ではない。二語だ」というのが私の考える「訳」である。雨沢は「いくつかの単語をくりかえしているようだ」と訳しているが、サラマーゴは「 unas palabras」と「複数形」では書いていない。最初は「一語」だと思った。それが「二語」だった。その「認識」の変化が呼吸そのものにあらわれている。そして、その「二語」とは「Estoy ciego 」だったと書いている。( そして、この「一」が「二」に増えるというのは、先に書いたことの繰り返しになるが、「私」が「私たち」に増えていくことにつながる。)
この衝撃。コンマが、その衝撃を高めている。
このコンマの意味は、簡単な日常会話でもつかみとることができる。
¿Cómo estas?(元気?)
Sí, estoy bien.(もちろん、元気)
コンマの部分で、どれだけ「呼吸」を置くか。それは「Sí」をどれだけ強く発音するかにもかかわってくる。強く発音し、呼吸をおけば「もちろんだよ/もちろんじゃないか」という強調になる。声の響きが違ってくる。
思うに、この雨沢というひとは、「ことば」を「声(会話)」から肉体に叩き込んだのではなく、もっぱら「読む」ことだけで理解しているのだろう。この小説は、人間が突然盲目(白い闇につつまれる)という内容なので、「肉体」感覚がどれだけ「文体」として表現されているかが重要になる。私はやっと二段落を読んだだけだが、雨沢の訳は、その重要な「肉体感覚」(肉体のリズム)を伝えきれていないのではないか、と非常に疑問に感じた。
あえて「二回目」の感想を書いた理由は、そこにある。
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高柳誠『フランチェスカのスカート』(8)(書肆山田、2021年06月05日発行)
「手紙(一)」。主人公(?)船旅をしている。船旅は慣れることがない、という。その理由は。
人間が海の上で過ごすこと自体、きっと道理から外れているのだろ
う。なにしろ四六時中揺れている。足元が定まらないのは、やはり
自然に反することなのだ。
「道理から外れている」「自然に反する」ということばに注目した。「道理」と「自然」は同じ。「外れる」と「反する」は同じ。
そのとき、何が起きるのか。
まだ見たこともな
い未知なものに世界は満ちている。
「見たこともない」ものが「世界」としてあらわれる。「見たこともない」は「道理」が見つかっていないということだろう。「道理」から解放された世界といえるかもしれない。あるいは、「自然」よりも、もっと「自然」なもの。私たちがふつうに「自然」というとき、そこには意識されない「道理」が隠れているが、その「道理」がまだ発見されていない(道理によって支配されていない)世界。それが「未知」というもの。たとえていえば「渾沌」とした世界が、「未知」を隠している。「未生の自然」といえばいいのか。
それを「ことば」でとらえる。「ことば」で再現する。ちょうど「手紙」を書くように。つまり、「未生の自然(未知なもの)」が、ことばによって「生み出される」。ことばは、そういうものを「生み出す」ためにある。
その実践例。
スコールと夜空を焦がす稲妻に、とても立ってはいられない。こち
らの稲妻は、水平線から立ち上がりたちまち空をかけ昇って、光の
刃で視界を切り裂く。
それは、
命の心配を忘れて見とれるほどの壮絶な美し
さだった。
高柳は「道理から外れ」「自然に反する」ものを、ことばで生み出そうとしている。
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金永郎『金永郎詩集』(韓成禮・訳)(新・世界現代詩文庫)(土曜美術社出版販売、2019年10月31日発行)
『金永郎詩集』を読み始めてすぐ気づくことがある。短い詩なのだが、繰り返しが多い。
私は目を閉じた 閉じた (丘に仰向けになって)
ウグイス たった二羽 たった二羽のようだ (だれの眼差しに射られたのでしょう)
これはなぜなんだろう。
よくわからない。
ところが、「牡丹雪」。
風の吹くままに訪ねて行くでしょう
流れるままに契りを交わしたあなただから
もしや! もしや! と耳を澄ましたのが
愚かだとは酷いですね
目張り紙の悲しみに身がしびれ
降る牡丹雪に胸が張り裂け
甲斐がない! 甲斐がない! 知らないはずはないのに
私に愚かだとは酷いですね
この「もしや! もしや!」「甲斐がない! 甲斐がない!」は痛切に迫ってくる。男がもう一度会いに来てくれることを願いながら、それを伝えることができずに、苦しんでいる。その苦しみは「声」にならずに、「胸の中での叫び」として迫ってくる。胸の中で、喉が破れるくらいの大声で「もしや! もしや!」「甲斐がない! 甲斐がない!」と叫んでいる。
そして、その「叫び(大声)」は、「声」になることもできない思いを隠している。というか、それ以外のことばになりようがないのだ。思いはもっともっとある。しかし、ことばになるのは、それだけなのだ。だから、それを繰り返す。一度では足りない。ほんとうは、もっと言いたいことがある。
全ての繰り返しがそうだとは言わないが、この「牡丹雪」では、そういう印象が強い。
そのあとに繰り返される「愚かだとは酷いですね」「私に愚かだとは酷いですね」は、静かで、その静けさが、とてもつらい。
そして。
この最終行、
私に愚かだとは酷いですね
この行が、とても美しい。繰り返しのようで、繰り返しではない。「私に」ということばが付け加えられている。
この「私に」に注目していえば、繰り返されることばは、自分から発せられるものだが、他人に向けてではなく、自分に向かって叫んでいるのだ。「私に」聞かせるためのことばなのだ。
丘に仰向けになって
はるかな青い空 何気なく眺めていたら
私は忘れた 涙のにじむうたを
あの空は気が遠くなるほどはるかだ
この身の悲しみを 丘こそ知っているだろうが
心惹かれる笑顔が ひとときでも無かっただろうか
気の遠くなる空の下 愛らしい心 粘り強い心
私は目を閉じた 閉じた (丘に仰向けになって)
「目を閉じた」のは「私」である。だから、それは他人に言わなくてもわかる。自分のことだから。しかし、自分に言い聞かせるのだ。いまは目を閉じて、思い出すときだ、と。「愛らしい心」「粘り強い心」が私にはある。私の心は生きている、と。思い出し、言い聞かせるのである。
「見て、紅葉になりそうよ」にも、そういう読み方はできるか。
「見て、紅葉になりそうよ」
みそ甕の置き台に膨らんだ柿の葉が舞い込み
妹は驚いたように見つめ
「見て、紅葉になりそうよ」
秋夕が明後日に迫っている
風がずい分吹くので心配なのだろう
妹の心よ、私を見よ
「見て、紅葉になりそうよ」
「見て、紅葉になりそうよ」は妹のことばである。だから、自分に言い聞かせるというのは少し違うかもしれない。しかし、「妹の心よ、私を見よ」という一行に注目すれば、「見て、紅葉になりそうよ」ということばが「私の心」のなかにあることは一目瞭然だ。私は妹に呼びかけているのではなく、「妹の心」に呼びかけている。そして、「妹の心」が見るのは、私の顔ではなく、姿ではなく、「私の心」なのだ。
私の心のなかに「見て、紅葉になりそうよ」ということばがしっかりと存在している、と詩人は書いているのだ。
「牡丹雪」の「私に愚かだとは酷いですね」の「私に」ということばは原文にあるのかどうか、私は知らない。同じように、一連目の「愚かだとは酷いですね」に「私に」ということばがないのかどうか、私は知らない。もし原文が両方とも「私に」を持っている、あるいは持っていないけれど、韓成禮が日本語に訳すときつかいわけたのだとしたら、この訳は大変すばらしい。原文がそのまま持っているのだとしても、そこに詩のポイントがあると意識し、しっかり翻訳する意識もすばらしい。
私は、ある作品の中で、どうしても書かれなければならないことば、なくても意味は通じるが無意識に書かずにはいられないことばを「キーワード」と読んでいるが、金永郎の詩のキーワードは「私(に)」であると感じた。「私」ということばが書かれていないときも、そこには「私」がいる。抒情の核として存在している。
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デニス・ホッパー監督「イージー★ライダー」(★★★★)(2021年06月12日、中洲大洋、スクリーン1)
監督 デニス・ホッパー 出演 デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソン
若者がバイクに乗ってアメリカを走る。それだけなんだけれど、走り抜けられる(?)人々(動けない人々)との対比がおもしろい。動けない人々のなかには、土地に住みついている人もいれば、「新天地(?)」を求めて、移動してきたヒッピーもいる。土地に住みついている人が「保守的」なのは想像できるが、新天地で共同生活するヒッピーもまた「保守的」である。「自由」について、固定概念をもっている。
その「自由」の定義だが。
これが、いささかむずかしい。ピーター・フォンダがいうセリフのなかに「おれは、このままがいい」ということばがある。このことばが、当時、どう響いたかわからないが、私は妙に納得した。自分であり続ける。ピーター・フォンダが夢見ているのは、ただそれだけだろう。何がしたいわけではない。あえて言えば、何もしたくない。何もしない自由。何ものにもならない自由。つまり、既成の「型」にはまらない自由。
不思議なことに、1969年、1970年には、そういう自由があったのだ。
そういう意味でいえば、ジャック・ニコルソンの演じた若手弁護士がとても象徴的だ。なにやら「名家」の息子らしい。それが落ち着かなくて、アルコールに逃げている。一方で、マリフアナを勧められると、自分はとんでもないことになりそうだというような自制心を見せたりする。結局、吸ってしまうけれど。そして、ある保守的な土地で(名前は忘れた)、三人は「型にはまらない自由」が嫌いな土地の人に襲われる。三人のうち、「名家出身の弁護士」であるジャック・ニコルソンが死んでしまう。
これもなにやら象徴的。実際に死ななくても、結局、名家の世界から「追放」されることになるだろうなあ。
私はジャック・ニコルソンの大ファンだが、このころから「矛盾」を内に秘めた役どころを得意としていたのか、とてもおもしろかった。ジャック・ニコルソンの肉体が具現化した世界が、その当時のアメリカを如実にあらわしているのだと思った。酒を飲む自由はある、酔っぱらいはまだ許容されている。しかし、マリフアナのような新しい自由はだめ。バイクに同乗するとき、「ヘルメットを持っているか」といわれて、アメリカン・フットボールのヘルメットを持ちだしてくるところなんか、いかにもアメリカの「規律的自由」を引きずっている。
私は、デニス・ホッパーをそんなに見ていないが、「主役」をピーター・フォンダにゆずって、ちゃらちゃらしている感じがおもしろくて、とても好きになった。ジャック・ニコルソンの使い方もおもしろいし、映像的に、ただほうりだしたような広大なアメリカ大陸と、ときどきパパッと時間が交錯するような風景(夕暮れと夜の風景が瞬間的に交錯するような世界)のとらえ方もいいなあ、と思う。
再映(リバイバル)は何回かあったかもしれないが、私は、スクリーンで見るのは初めて。私は音楽には疎いのでよくわからないが、当時は時代を切り開く音楽だったのだと思う。きっと若者には刺戟的だったろうと思う。 (午前10時の映画祭11の一作)
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G7閉幕 首脳宣言 “台湾海峡”に初の言及 五輪開催への支持も
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210613/k10013083281000.html?fbclid=IwAR2IOY1pl3NDFF1FQEg1xoTaTcpvQt3ydnKS2bs5H3cou4CXEpzUUjCxSXE
↑↑↑↑
NHKがこんなニュースをネットにアップしている。
↑↑↑↑
高柳誠『フランチェスカのスカート』(7)(書肆山田、2021年06月05日発行)
「記憶の轍」は
記憶にだけ通行可能の道がある。
と魅力的なことばで始まる。つづいて、記憶が説明される。
記憶はそれ自体で、現実とは異な
る独自の論理や体系をもっているので、町なかを勝手にうろつかれ
て人々とやたらに接触するようなことだけは、なんとしても避けな
ければならない。生硬なままの記憶の切っ先が、人々の日常に次々
と外傷を生じさせて、生活を瀕死状態にしてしまうからだ。
記憶と現実と日常。その共存(?)を可能にするために、町には記憶専用の回路がはりめぐらされている。その回路は、
常に改訂され拡張され続けることを宿命づけられた、記憶その
ものの秘すべき分類図、系統図だ。そこを伏流水のように純粋記憶
が行き来する。
いろいろなことばを通って、高柳は「純粋」ということばをひっぱりだしている。この「純粋」が高柳の求めているすべてである。
「純粋」は「記憶」と同様、誰もがつかうことばである。だが、どう定義すればいいのか。高柳の定義は、こうである。
長い年月をかけて個人の刻印を残らずふるい落と
し、すでにだれのものでもない普遍的な記憶の実体そのものとなっ
てこそ、この通路を往還できる。
「純粋」は「普遍的」、つまり「個人の刻印(個別性)」を排除したもの。つまり、抽象である。あるいは、記号である。
高柳のことばは、ことばの運動というよりも、どこか「記号の運動」という要素があるが、それは運動の「純粋さ」を明確にするための手段である。
最初に「道」ということばがでてきた。しかし、それは「存在」ではなく、むしろ「運動」をうかびあがらせる装置としての「場」である。「道」が純粋なのではなく、「道」を行き来する記憶の「運動」が純粋なのである。
この「記憶」を「ことば」と置き直せば、高橋の詩の夢が浮かびあがる。「純粋ことば」が行き来する(純粋に運動する)世界。ことばが自立して、ことば自体のエネルギーで動くとき、そこに出現するのが、詩の世界だ。
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José SARAMAGO『Enasayo sobre la ceguera』は『白い闇』というタイトルでNHK出版から刊行されている。(雨沢泰訳、2001年03月25日発行)。その一行目(書き出し)を読んで私は、あっ、と叫んでしまった。
Se ilumino el disco amarilló.雨沢は「黄色がついた。」と訳している。「黄色」は信号の黄色である。
私が読んだのはスペイン語版でポルトガル語ではないのだが、スペイン語、ポルトガル語は「兄弟言語」のようなものなので、たぶん、「意訳」は入っていないと思う。
雨沢の訳に間違いはない。「disco 」を雨沢は訳出していないが、「信号」という意味がある。ふつうは「semáforo 」をつかうことが多いと思う。それをサラマーゴは円盤という意味もある「disco 」と書いている。これは、とても重要である。なぜか。この小説は「視覚」が重要なポイントだからである。
サラマーゴはノーベル賞を受賞しているし、『白い闇』は映画にもなったので、多くの人が知っていると思うが、突然、人間が盲目になるストーリーである。盲目といっても「白い霧」のようなもので視界を覆われる。そして、その病気は感染する。その書き出しの一文。日本語で読んだときは特に何かを感じたわけではないが、スペイン語で読んでびっくりした。「disco 」の一語が、非常に刺戟的なのである。
信号が黄色に変わった(黄色の光に変わった)でも「視覚」は表現されるが、サラマーゴはあえて「まるい(円盤)」を明確にしている。そこには作者の強い意識が動いている。私は四角い信号や、三角の信号は見たことがないが、たぶん、どんな形をしているにしろ、「赤、黄色、青(緑)」の光が交差点にあれば、それを信号と思うだろう。信号を見るとき、わざわざそれが四角か三角か丸かを意識しない。色だけを意識する。だからこそ雨沢も「黄色」だけを訳出している。しかし、それでは小説の導入として不十分なのである。サラマーゴは、視覚を意識しているからこそ、視覚を刺戟することばをあえて挿入しているのである。刺戟するために「disco 」ということばをつかったのだ。それは、そのすぐあとにあるもう一つの信号の描写にもあらわれている。
En el indicador del paso de peatones apareció la silueta del hombre verde. (横断歩道にある緑色の男の絵が明るくなった。)「男の絵」は原文では「男の影」である。影はもともと暗い。それが明るくなった。男の姿(シルエット)は、たしかに周りの黒や青(緑)よりも明るい。その明るい部分は、なんとサラマーゴはシルエット(影)と読んでいるのである。この「矛盾」のようなことばの使い方にも、意識が刺戟される。
単に「具体的」な形、色だけではなく、たとえば「ゼブラゾーン」について触れた部分もそうである。シマウマに似ていないのに、ゼブラゾーンと呼ばれるのはなぜか。譬喩は一種の抽象であり、抽象化は形而上学(哲学)へとつながっていくが、そういうことが書き出しの一段落で「予告」されているのである。「意味」ではなく、「ことば」そのものの具体的な効果によって。
雨沢の訳文で「意味」は全部わかるが、サラマーゴのことばは、ことばが「意味」になるとき、通り抜ける「意識、感覚」の回路が非常に微妙な形で文章化している。言語化している。そのことに気づき、私はあっと叫んだのである。ことばによって視覚が刺戟され、目覚める。何気なく見ていたものが、もっと具体的に迫ってくのである。そのために、これから始まる視覚の異変が生々しく迫ってくる。
雨沢の訳が間違っているというつもりはないが、ずいぶん簡略化している。そして、その簡略化された部分に(訳出されていない部分に)、サラマーゴの意識が動いている。雨沢の訳では不十分である。まだるこっしくても、信号の丸いライトが黄色に変わったとか、なんとかして「丸い」を訳文に入れないことには、サラマーゴの工夫(意識)が反映されているとは言えない。
で。
文学というのは、やはり原文で読まないといけないのだ、と思った。(私は、原文で読んだわけではないが。)「意味」ではなく、どういう「表現」をするかが文学の基本なのだ。それを知るには「原文」に触れるしかないのである。
どうでもいいことかもしれないが、付け足し。
信号の色を、雨沢は最初は「緑」と訳出し、二段落目では「ようやく青に変わり」と「青」と訳している。いまでは、日本語の青と外国語の緑は同じ色と知っているひとは大勢いるが(信号の青を、外国語では緑ということを知っているひとは大勢いるが)、どちらかに統一した方がいいだろうとも思った。
山田亮太『誕生祭』(七月堂、2021年05月27日発行)
山田亮太『誕生祭』の「ふっかつのじゅもん」という作品がある。
ひとつのか らだでふたりの
じかんをい きるや
わらか いたま しいのこ
うかん そのた めにただ
しくか きうつ すひとり
でもお ぼえて いればな
んどで もきみ はよみがえる
ことばが意味とは無関係に分かち書きされ改行されている。ことばが音になって広がる。音は意味とは無関係だけれど、どういう音でも意味と無関係に生きつづけるわけにはいかない。どうしても、どこからともなく意味はやってきて、音と汚してしまう。ことばを汚してしまう。この不思議な力に、ことばはどこまで耐えられるか。
そして、そのとき耐えることがいいのか、耐えるのをやめて意味を受け入れてしまうのがいいのか、判断に迷う。
たぶん、人間は、意味やストーリーがないと、存在の実感を持てない動物なのかもしれない。
あるいは逆に、脳は(人間は)いつでも意味を捏造して生きている。捏造したもので自己満足してしまうだらしない生きものなのかもしれない。
こういうことは、これ以上考えない。
この詩を取り上げたのは、そういうことを書くためではなく、実は、この詩を読んだ瞬間、私は「光る手」を思い出した。そのことを書いておきたい。
「光る手」は
浴槽から突き出た指の数を数えて、
その数をできるだけ素早く叫ぶゲーム。
と始まる。風呂で子どもと遊んでいる。あるいは教育している。これは山田が体験したこととして書かれている。子ども時代の記憶を書いている。
そのあと連を替えて、
高村光太郎が生まれたのは、一八八三年、
と、突然、高村光太郎が出てくる。
そのあと、「ぼく」と「高村光太郎」が交互に(連を変えるごとに)入れ替わる。
ふたりの関連性、ふたりをつなぐ「意味」は、あるか。まあ、探し出そうとすればみつかるだろう。
最後のそれぞれの連では、東日本大震災(と、想像できる)と原子力が登場する高村光太郎の詩「生命の大河」について触れている。「父と子」という生命のつながり、「原子力」という新しい命とそれがもたらす破壊。ここから、ある「意味」を捏造する(山田の思いとは関係なく、私自身の「誤読」を展開する)ということは、できる。こういう後出しじゃんけんは、いつでも、どんな作品に対してもできる。
でも、今回は、私は意味を捏造しない。捏造できる、というところでとどめておく。どんなときでも、私はどっちにしろ、捏造した意味を壊すために次の感想(別の作品の感想)を書くのだから、捏造はことばにしようが、しまいが、同じことだ。
私はただ、この「ぼく」と「高村光太郎」のことばの関係が、どこかで「ふっかつのじゅもん」につながっていると感じたということは書いておきたい。
山田は「ひとつのからだ」である。しかし、「ふたりのじかん」(父と子か、山田と高村光太郎か)を生きることはできる。思い出す(想起する)ということを通して、時間は二重化する。そのとき、その時間をつらぬくのは何か。山田のことばか。山田が読んだ(と思われる)高村光太郎のことば、高村光太郎についてのことばか。どっちでも、かまわない。区別しても、それは、どこかでかならず接触し、接触したら最後、互いに浸食し合う。越境し合う。そして、その越境は、侵入なのか、死なのか、生なのか、また区別はできない。でも、この「浸食し合う」「越境し合う」の「し合う」というのが、「よみがえる(ふっかつ)」ということばにつながっていくのだろうと思う。
そこには何かしらの「許容」というものがある。「拒絶」(排除)ではなく、異質なものを取り込むことで生まれ変わるという運動がある。
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