福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

チングと釜山方言

2006年03月25日 |  〇映画・映画音楽


△映画「チング」(プサン日報)

■ 영화 '친구'가 전국에 퍼뜨린 부산 사투리
映画「チング -友へ- 」が全国に広めたプサン方言
(プサン日報 3月25日)

◎ "내가 니 시다바리가?"(プサン方言)
「オレはお前のパシリか?」

※「시다바리(シタバリ)」の語源は日本語の「下っ端」あるいは
「下働き」か?

동수(장동건)가 준석(유오성)에게 한 말이다.
눈을 치켜뜨고 언젠가는 준석을 넘어서고
말겠다는 의지를 담아 내뱉은 이 대사는
부산 말의 전 국민화에 큰 공을 세웠다.
トンス(チャン・ドンゴン)がチュンソク(ユ・オソン)に言った言葉だ。
上目づかいにチュンソクをにらみつけ、いつかはお前をこえて
やるという意志を込めて投げつけたこの台詞は、プサン方言の
全国化に大きく寄与した。

대수롭지 않은 심부름을 시키는 동료나 후배에게
이 말을 즐겨 썼다.
この台詞は、つまらない用事を頼もうとする同僚や後輩に対して
よく使われる流行語となった。

◎ "마이 무따 아이가 고마해라."(プサン方言)
「腹いっぱい食うたろが。もうやめちょけ」(北九州方言)

영화의 뒷부분,여러 차례 칼에 찔리며 동수
(장동건)가 죽기 전 한 말이다.
映画の終わり近くで、刃物でめった刺しにされながら、トンス
(チャン・ドンゴン)が死ぬ前に言った言葉だ。

친구끼리 떡볶이를 더 먹기 위해 쟁탈전을 벌이다가
친구를 식탁에서 물러서게 하려고 주로 사용했던
말이다.
これは主に中高生たちが友達同士でトッポッキ(棒餅の
おやつ)争奪戦を繰り広げながら、友達をテーブルから追い払う
ために使われる流行語となった。

이런 유행어를 낳은 장동건은 완벽한 부산 사투리를
익히기 위해 곽경택감독※ 이 녹음해 준 대사를
이어폰으로 쉴 새 없이 반복 학습했다고 한다.
こうした流行語を生んだチャン・ドンゴンは、完璧なプサン方言を
身につけるため、クァク・ギョンテク監督がテープに録音して
渡した台詞を、朝から晩までイヤホンで聞きながら反復練習した
という。

※1966年生まれ。プサン市出身

・・・・・・・・・・・

2001年に公開され大ヒットを記録した映画「チング(友へ)」に
まつわる流行語の話題がプサン日報に出ていた。

「チング」は、7、80年代のプサンを背景に「男の美学」を描いた
叙情的なやくざ映画だった。

チュンソク役のユ・オソンが、なかなか渋い味を出していた。


△「ヲタク」の持っているビデオ。円で囲んだ俳優がユ・オソン。

ユ・オソン。

逆立ちしても「韓流スター」にはなれそうにない俳優だが、
「ヲタク」は彼のような俳優が好きだ。

「ヲタク」はこの映画に痛く感動し、実は、ビデオも持っている。
つい懐かしくなり記録してしまった。

(終わり)

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福沢諭吉

2006年03月25日 |   〇日韓関係

*「福沢諭吉自叙伝」イサン出版

最近、韓国各紙の書評欄では、韓国で初めて翻訳出版された
「福翁自伝(韓国語題名:福沢諭吉自叙伝)」を扱った記事が
目だった。

それにしても、今、なぜ韓国で福沢諭吉なのか?

総じてどの書評記事でも共通していたのは、「征韓論」や
「脱亜論」の提唱者としての側面からのみ福沢を一面的に見るの
ではなく、「日本近代化の父」としての彼の思想や苦悩、努力や
業績をトータルに見ていく必要があるという主張だった。

現代韓国社会の片隅に、新しい時代を開いて行った「変革期の
巨人」として福沢諭吉を再評価しようとする人々が少数とは言え、
存在しているのだ。

ここで、そうした書評記事の中から、京郷新聞の記事を一つ
翻訳して紹介する。

・・・・・・・・

■ 1만엔 지폐속 ‘日 근대화의 아버지’
1万円札の中の「日本近代化の父」
(京郷新聞 3月24日)

▲ 후쿠자와 유키치 자서전/ 이산
福沢諭吉自叙伝(「福翁自伝」)/イサン出版

해방 60년이 지나도록 식민지 청산을 얘기하고 극일,
반일을 외치지만 정작 우리는 일본을 너무 모른다.
후쿠자와 유키치(1834~1901)만 해도 그렇다. 그는
근대 일본을 얘기할 때 빠뜨릴 수 없는 인물이다.
解放後60年が過ぎても植民地時代の清算を論じ、克日や反日を
叫んでいるが、実際のところ、韓国人は日本について知らなすぎる。
例えば福沢諭吉(1834~1901)についても同じことが言える。
彼は、近代の日本を語る際、欠かすことのできない人物だ。

메이지 시대의 계몽사상가인 그는 교육자, 언론인,
번역가, 문필가 등 다양한 분야에서 도드라진 업적을
남겼다. 교육자로서 일본 최초의 사립학교인 게이오
기주쿠를 설립했고, 언론인으로서 ‘지지신보’를
창간했다. 또 ‘문명’ ‘개화’ ‘연설’ ‘경쟁’ ‘저작권’ 등
수많은 번역어를 만들어 냈으며, ‘학문을 권함’ ‘문명론의
개략’과 같은 저서들을 남기기도 했다. 일본의 1만엔권
지폐에 그의 초상화가 실린 것을 보면 그가 얼마나
일본인들의 영웅으로 추앙받고 있는지를 짐작할 수 있다.
明治時代の啓蒙思想家である彼は、教育者、言論人、翻訳家、
文筆家として多様な分野で傑出した業績を残した。教育者としては
日本初の私立大学である慶応義塾を設立し、言論人としては
「時事新報」を創刊した。また、「文明」「開化」「演説」「競争」
「著作権」など数多くの翻訳語を考案し、「学問のすすめ」や
「文明論の概略」のような著書も残している。日本の1万円札に
彼の肖像画が描かれているのを見れば、彼が日本の偉人として、
どれほど深い尊敬を集めているのかがよくわかる。

그러나 우리에게 후쿠자와는 정한론자로서 김옥균 등
개화파에게 큰 영향을 준 인물 정도로 알려져 있다.
しかし、韓国では、福沢は征韓論者として金玉均などの
開化派に大きな影響を与えた人物として知られている程度だ。

그 때문인지 부정적인 인물로 그려지고 있다. 일본에서
발간된 수많은 후쿠자와 전기가 그간 소개되지 않은
것도 이런 이유 때문일 게다.
そのせいか、韓国では福沢は否定的な人物として描かれている。
日本で発刊された数多くの福沢の伝記が、これまで紹介され
なかったのも、そうした理由によるものだろう。

이 책은 후쿠자와가 죽기 4년 전에 쓴 자전 전기다. 만년의
후쿠자와가 자신의 인생역정을 구술하고 속기사가 이를
받아쓰는 방식으로 집필된 책은 일본 근대화 시기에
봉건제도와 관습을 떨치고 서양 학문 및 문명 수용에
앞장섰던 ‘근대 일본의 설계자’ 후쿠자와의 노력과
내면세계를 잘 보여준다.
この本は、福沢が亡くなる4年前に書かれた自伝風の伝記だ。
晩年の福沢が自分の人生を口述し、速記者がそれを聞き書きする
方法で書かれたこの本は、日本の近代化の時期に封建制や古い
慣習を振り払い、社会の先頭に立って西洋の学問や文明を日本に
取り入れた「近代日本の設計者」としての福沢の努力や内面
世界がよく描かれている。

인생철학, 건강관리 등도 상세히 소개해 교훈적인 내용이
적지 않다. 정한론자로 알려진 것과 달리 한국관련 기술은
거의 보이지 않는다. 허호 옮김. 1만9천원.
彼の人生哲学、健康管理法なども詳しく紹介されており、
教訓的な内容も少なくない。征韓論者として知られているにも
かかわらず、韓国関連の記述はほとんど見られない。
ホ・ホ訳。19000ウォン(約2200円)。


(終わり)


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外国人妻

2006年03月25日 |  〇文化・歴史

嫁不足に悩む韓国の農村や漁村で、中国(主に朝鮮族)や
東南アジア出身の女性との国際結婚が増えているという
ニュースは、折に触れ目にしてきた。

しかし、実際は都市部でも同じような傾向が広がっているのだと
いう。

以下、関連記事から一部を抜粋・翻訳して記録しておく。

・・・・・・・・・・・

■ 도시총각도 동남아로 '결혼원정'
都市部の未婚男性も妻求め東南アジアに「お見合いツアー」
(ソウル経済新聞 3月24日)
 
개발도상국 여성과의 국제결혼이 초혼의 고학력 도시
거주자들에게로 빠르게 확산되고 있다. 장가를 못 가
애를 태우던 농어촌 지역 노총각이나 재혼자가 주로
문을 두드리던 국제결혼이 30대 초중반은 물론 20대
고학력 도시인들에게까지 확산되고 있다.
発展途上国の女性との国際結婚が初婚で高学歴の
都市在住者にも急速に広がっている。嫁不足に苦しむ
農・漁村の未婚男性や再婚希望者が、主にその門を
叩いてきた国際結婚が、都市部の30代初めから半ばは
もちろん、20代の高学歴者にまで広がりを見せている。

통계청에 따르면 2004년 외국인을 아내로 맞아들인
남성 2만5,594명 가운데 69.6%가 서울과 6대 광역시,
경기도 거주자였다. 특히 서울의 경우 2001년
2,527명에서 2004년 6,565명으로 3년 새 2.6배나
늘었다. 여성의 국적은 중국이 1만8,527명(72.4%)로
가장 많았고 베트남(2,462명), 필리핀(964명),
몽골(504명), 태국(326명), 러시아(318명) 등의
순이었다. 일본과 미국 여성은 각각 1,224명과
344명에 그쳤다.
統計庁によれば、2004年、外国人女性と結婚した男性、
2万5594人のうち、69.6%がソウルと6大都市および
ソウル近郊の首都圏在住者であった。特にソウルの場合、
2001年の2527人から2004年の6565人へと3年間に
2.6倍も増加した。女性の国籍は、中国が1万8527人
(72.4%)でもっとも多く、ベトナム(2462人)、フィリピン
(964人)、モンゴル(504人)、タイ(326人)、ロシア(318人)
などの順であった。日本とアメリカの女性は、それぞれ
1224人、344人にとどまった。

도시 남성이 개도국 여성을 배필로 받아들이는 이유는
조건을 앞세우는 한국 여성과 결혼하기가 너무 힘들기
때문이다. 고 실장은 “국제결혼을 택하는 남성 대부분은
우리 여성들에게 상처를 입은 사람”이라며 “부모를
모셔야 한다거나 모아둔 재산이 많지 않은 남성들이
한국 여자와 결혼하기 힘들어 외국에서 배우자를 찾고
있다”고 설명했다.
都市部の未婚男性が発展途上国の女性を妻にするのは、
条件を重要視する韓国の女性との結婚が困難になっている
ためだ。ある国際結婚斡旋業者は、「国際結婚を選択する男性の
ほとんどは、韓国人女性に傷つけられた経験を持っている。親の
面倒を見なくてはならないとか、貯金や財産が少ない男性は
韓国人女性と結婚するのが難しいので外国で配偶者をさがす
のだ」と説明する。

윤인진 고려대 사회학과 교수는 “여성의 소득수준
증가와 독신여성에 대한 사회적 인식 변화로 적합한
배우자를 찾기 어려운 남성들이 늘고 있다”며 “도시
지역의 국제결혼 증가에는 이 같은 구조적인 측면이
있다”고 말했다.
高麗大社会学科のユン・インジン教授は「女性の所得水準の
向上と独身女性に対する社会的認識の変化により、自分に
あった配偶者をみつけることが難しい男性が増えてきた」と
指摘した上で「都市部での国際結婚増加には、このような
構造的な側面がある」と分析する。

윤 교수는 “미국ㆍ유럽의 선진국에서는 수십년 전부터
‘신부 우편주문(mail order bride)’라고 해서 제3세계
여성들을 신붓감으로 데려왔다”며 “한국의 경제력이
높아지고 있어 이런 추세는 더욱 확산될 것”이라고
내다봤다.
ユン教授は「欧米の先進国では数十年前から<郵便注文の
花嫁(mail order bride)>と呼ばれる第3世界出身の妻を
迎えてきた。韓国の経済的な発展により、今後ともこうした
傾向が一層広まるだろう」と予想する。

(終わり)


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