韓国の新聞(電子版)を読んでいて、まるで日本の歴史ある大学を
思わせるような西欧式赤レンガの建物の写真が目に付いた。
△史跡248号に指定されている「大韓医院」。
この建物は1907年、「大韓医院」として建設された後、
朝鮮総督府病院、京城帝国大付属病院として
使用され、韓国独立後はソウル大病院本館として
使用された。現在は、博物館となっている。
ⓒプレシアン
プレシアン(8月21日付)の報道によれば、大韓帝国末期の
1907年、伊藤博文統監の指示により建設されたというこの
「大韓医院」をめぐり、現代韓国医学会を代表するソウル大病院と
ヨンセ(延世)大病院との間で歴史論争が繰り広げられようとして
いるという。
ソウル大医学部が準備している「大韓医院」の100周年記念事業を、
ヨンセ大医学部関係者が強く批判したことが端緒になっている。
--- "서울대병원-연세대병원 '역사 전쟁' 시작됐다"
「ソウル大病院-ヨンセ大病院、火がついた『歴史論争』」
という題名のかなり長い記事から部分部分を抜粋しながら翻訳
練習を試みた。
まずは、ヨンセ大関係者によるソウル大病院批判の論理から。
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"대한민국 정부가 설립한 서울대병원이, 일제가 식민
지배를 목적으로 세운 대한의원 100주년을 기념하기
위해 국민의 세금으로 현재 진행하고 있는 모든 사업은
당장 중단돼야 한다. 서울대 병원이 정말 국민의
병원으로 거듭나기 위해서는 그 역사에 짙게 드리운
일제의 잔재를 과감하게 걷어내려는 결단이 어느
때보다도 필요하다."(연세대병원 여인석 교수)
「現在、大韓民国の政府が設立したソウル大病院が、日本が
植民地支配を目的に建設した大韓医院100周年を記念するため
国民の税金を使いながら進めている全ての作業は直ちに中止され
なければならない。ソウル大病院が本当に国民の病院として生まれ
変わるためには、その歴史に深く刻まれた日本帝国主義の残滓を
果敢に取り除く決断がいつにもまして必要な時だ。」(ヨンセ大病院
ヨ・インソク教授)
여 교수는 더 나아가 "서울대병원이 대한의원을 국가
중앙의료기관의 효시로 자랑스럽게 내세우며 기념하겠다는
것은 대한민국 정부가 일제 통감부나 총독부 설립
100주년을 '근대국가 100주년'으로 기념하겠다고 나서는
것과 다를 바 없다"고 서울대병원의 처신을 강하게
비판했다. 대한의원을 기념하는 것은 일제의 한국
지배를 기념하는 것과 다를 바 없다는 것.
ヨ教授はさらに、「ソウル大病院が大韓医院を国家の中心的
医療機関の誇るべき嚆矢として記念することは大韓民国政府が
日本の統監府や総督府の設立100周年を『近代国家100周年』と
して記念することと同じことだ」としながら、ソウル大病院の取り
組みを強く批判した。大韓医院を記念することは日本の韓国支配を
記念することと同じだという指摘だ。
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これに対するソウル大病院関係者の反論は次のようなもの。
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"식민지 시대의 역사가 정면으로 마주 대하기 부담스러운
역사라 해서 무한정 회피하고 있을 수만은 없다.
대한의원, 심지어 총독부의원과 경성제국대학 부속의원의
역사조차 한국 의료계 전체가 반성적으로 공유해야 할
경험적 자산이다. 서울대병원의 기념사업 등을 무슨
'가공할 역사인식'을 만들고 유포하려는 술책으로
몰아가는 것은 매우 유감스럽다."(서울대병원 전우용 연구팀장)
「植民地時代の歴史に正面から向き合うことが気の重い作業だから
と言って、その全てを避けて通ることはできない。大韓医院、
さらには総督府医院や京城帝国大学付属医院の歴史もまた、
韓国医療界の全体が反省的に共有すべき経験的な資産だと
言える。ソウル大病院が準備を進めている記念行事を何か
『恐るべき歴史認識』を世に広めようとする策動でもあるかのように
非難することは実に残念でならない。」(ソウル大病院、チョン・ウヨン
研究チーム主任)
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最後に、この論争の今後の推移に関心を寄せる韓国医学会の
大方の見方が集約された意見として紹介された関係者の声を
翻訳する。
例によって全く余計なお世話ではあるが、「ヲタク」も下記のような
意見に「共感」を感じる。
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"이 참에 제대로 된 논쟁이 필요하다.개인적으로는 대한의원
100주년을 기념하는 것은 말이 안 된다고 본다.그러나 대한
제국 시절 일제가 주도했던 근대화의 공과를 학문적 대상으로
진지하게 논의해보는 것은 꼭 필요한 일."
「この機会に、きちっとした論争が必要だ。個人的には大韓医院
100周年を記念するなど、とんでもない話だと思うし反対だ。
しかし、大韓帝国時代に日本が主導した近代化について、その
功罪両面を学問的対象として真摯に論議することは、是非、
必要なことだと考える。」
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(終わり)