福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

GMと共に去りぬ

2009年06月01日 |   〇世界を読む

長らく世界の自動車産業界に君臨してきたアメリカのGM
(ゼネラル・モーターズ)が、6月1日、ついに連邦破産法を
申請したとのこと。

GMの没落は、アメリカの製造業、そしてブルーカラー全体の
没落をも意味している。

長文の記事だったが、連合ニュースの関連記事(破産法申請
直前)を全文、翻訳練習しながら、GMの破産法申請の意味に
ついて学習してみた。

なお、例によって紙面の都合により原文の引用は省いた。

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■GM과 함께 사라진 美블루칼라의 꿈
GMと共に去りぬ...米ブルーカラーの夢
(連合ニュース 6月1日)


△GM本社ビル(デトロイト)

破産法申請を目前に控えた米最大手の自動車メーカーGM
(ゼネラル・モーターズ)は、アメリカのブルーカラーに安定した
職場と中産階級への上昇のチャンスを提供してくれた一つの
巨大な王国であった。

クラーク大学のケリー・チェイスン教授は、「GMは製造業の優位と
勤労者の安定した職場のシンボルだったが、そうした時代が
終わってしまった」と語った。

全米自動車労組(UAW)が高水準の賃金を引き出した結果、GMの
労働者らは、自宅はもちろん、別荘やボートまで所有することが
できたし、社員割引で購入した車に乗って夏のバカンスに出かける
など、中産階級レベルの生活を謳歌した

さらに、GMの労働者は、健康保険料を負担する必要もなく、十分な
年金で安定した老後生活を保障されていた。

労働者たちには世界最大の企業で働いているという自負心も
大きかった。1962年当時、GMはアメリカ国内の46万4000人を
はじめ世界140カ国で60万人を雇用し、収益規模は世界の
ほとんどの国家の国内総生産(GDP)を上回っていた。

GMの利益は、すなわちアメリカの利益」という言葉まで生まれた。

しかし、こうしたGM神話が1980年代から崩れ始めた。

1970年代の石油危機を契機に、消費者の嗜好がGM、フォード、
クライスラーのビッグ3が作る大型車から、燃費のいい小型車に
移り始めた
。そうした消費者の嗜好の変化にうまく乗った日本の
トヨタやホンダが徐々にシェアを伸ばし始めた。

ビッグ3は1990年代にSUV(多目的スポーツ車)開発に活路を
見出そうとしたが、SUV市場でも日本の燃費のいい小型SUVに
市場を奪われ大きな利益を上げることはできなかった。

ペンシルバニア州立大学のテレンス・クエイ教授は、「GMは、
アメリカ人なら当然、自社の車を購入するだろうという慢心に浸った
まま、日本車の脅威を深刻に受け止めようとはしなかった」

指摘した。

その結果、2005年から2009年の第1四半期までの間、GMの
損失額は880億ドル(約9兆円)にも達した。

こうした中、メキシコやアジア地域でGMの工場が一つ、二つと
閉鎖され始めた。また、アメリカ国内でも自動車産業で活気に
満ちていたミシガン州のフリント市が衰退に向かうなど、一時、
自動車産業で大いに潤った五大湖周辺地域が、停滞した
「Rust Belt(サビ地帯)」に変わってしまった。

この過程で、1981年当時でも44万人いたGMの時間制労働者は、
2000年には13万3000人に減少し、2008年には6万2000人に
まで減少
した。

GMのリストラ計画によれば、労組加入の労働者も2011年までに
3万8000人に縮小されるが、これは20数年前のわずか10分の
1に過ぎない規模
だ。

GMの労働者は、1990年代までは、まだ高水準の賃金や
医療、年金サービスを保障されていたが、2005年、GMの労使が
新規採用労働者の賃金の50%削減と2015年までのスト放棄
などに合意
し、労働条件は大きく後退した。

チェイスン教授は、「GMは単なる一企業ではなく、アメリカの
シンボル的な存在だったので、GMの倒産は、アメリカに大きな
衝撃をもたらすだろう
」と語った。



△「オマエの今日の落ち込み方は尋常ではない
めくれたガードレールに愛車を擦りつけたことが原因だな・・・
哀れなものよのう~~~~
そうだ、その調子だッ!もっともっと自分を責めろッ!

(終わり)


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