佐賀県の鹿島市は2003年に韓国の釜山外国語大学と「官学
国際交流協定」を結び、相互の交流と協力を推進しているとのこと。
「姉妹都市」や「姉妹校」ならよく耳にする話だが、国内の
自治体が外国の大学と国際交流協定を結ぶケースまであるとは、
うかつにも「ヲタク」が今回初めて知ったことである。
ところで、鹿島市と釜山外国語大学の両者を結びつける
きっかけになったのが、今年で25回目を迎えた「ガタリンピック」。
日本で最も干満の差が大きい(6m)と言われる有明海の広大な
干潟を舞台に行われる「干潟運動会」のようなイベントだ。
言うまでもなく、「ガタリンピック」とは干潟とオリンピックの合成語。
関連記事を翻訳練習してみた。
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■부산외대-일본 규슈 가시마시 18년간 끈끈한 우정
釜山外大 - 日本・鹿島市...18年間に及ぶ厚い友情
(釜山日報 9月6日)
・'가타림픽' 1992년부터 참가
・釜山外大、鹿島「ガタリンピック」に1992年から参加
부산외국어대와 일본 규슈 사가현 가시마 시가 18년간
끈끈한 우정을 이어오고 있다.
釜山外国語大と日本の鹿島市(九州・佐賀県)との間には、
18年間にも及ぶ厚い友情関係がある。
부산외대 사회체육학부 학생 40여명과 정용각 교무처장,
이재혁 입학홍보처장 등은 7일 가시마에서 열린 제25회
'가타림픽'(갯벌올림픽)에 참가해 갯벌수영과 갯벌스키 등
다양한 종목에 출전했다. 진흙을 의미하는 가타와 올림픽을
합친 가타림픽은 아리아케 해의 넓은 갯벌에서 일본 각지
관광객들과 외국인 등 2천여명이 뒹굴며 즐기는 축제의
한 형태.
釜山外大社会体育学部の学生40数名とチョン・ヨンガク教務部長、
イ・ジェヒョク入学広報部長らは7日、鹿島市で開催された第25回
ガタリンピック(干潟オリンピック)に参加し、干潟水泳や干潟
スキーなど多様な種目に出場した。干潟の「ガタ」とオリンピックを
合成してできたガタリンピックは、有明海の広大な干潟を舞台に、
日本各地から訪れた観光客や外国人など2000人以上が
泥まみれになりながら楽しむお祭りのようなイベントだ。
이 대회에서 부산외대 사회체육학부는 누구보다도 귀한 손님
이다. 지난 1992년부터 올해까지 한번도 빠지지 않고 매년
'선수단'을 파견하고 있기 때문. 그동안 IMF경제위기와 독도
문제로 인한 한·일 관계 악화, 최근 신종플루 등 몇 번 위기가
있었지만 부산외대의 가타림픽 행은 이어지고 있다.
このガタリンピックにとって、釜山外大社会体育学部は、
誰よりもありがたいお客さんだ。1992年から今年まで1度も
欠かさず、毎年、「選手団」を派遣しているためだ。これまで、
アジア通貨危機や竹島問題による韓日関係の悪化、今年の
新型インフルエンザ問題など、何度かの危機があったが、
釜山外大のガタリンピック参加は途切れることなく続いてきた。
5선의 구와하라 마사히코 가시마 시장을 비롯한 가시마
관계자들도 매년 부산외대를 방문해 특강 등을 통해 학생
들을 만나고 있다. 구와하라 시장은 3년 전 부산외대에서
행정학 명예박사학위를 받았고, 1999년에는 가시마와
부산외대가 교류협정을 맺기도 했다.
釜山外大と鹿島市の両者は、ガタリンピック参加がきっかけとなり
2003年には官学国際交流協定を結んだ(※)。現在、5期目を
務める桑原允彦(まさひこ)鹿島市長をはじめとする同市関係者らも、
毎年、釜山外大を訪問し、特別講義などを通じ学生らとの交流を
続けている。3年前には桑原市長が釜山外大から行政学の
名誉博士号を授与された。
(※)本文では1999年となっているが、鹿島市の
公式ホームページで確認の上、訂正した。
가시마는 학생들이 규슈에 도착한 날부터 떠나는 날까지
교통과 숙식을 후원하면서 편안하게 대해주고 있다. 학생
들도 대회가 끝난 뒤 대회 관계자들과 천막 철거 등 뒷정리를
함께 하면서 땀을 흘렸다.
鹿島市は学生らが九州に到着した日から帰国する日まで、
交通や宿泊の便宜を図るなど、彼らの大会参加が円滑に進む
ようサポートしている。学生らも大会終了後、関係者らとともに
テントの撤去作業に汗を流すなど後片付けにも参加する。
구와하라 시장은 "가시마 시민들은 매년 학생들이 대회
참가만이 아니라 뒷정리까지 하는 것을 지켜보면서 감동을
받고 있다"고 강조했다.
桑原市長は、「鹿島の市民らも、毎年、釜山外大の学生たちが
大会に参加してくれ、その上、後片付けまで手伝ってくれている
姿を見て、深い感銘を受けている」と強調した。
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)