1974年、政府転覆を謀ったとして民主化運動の活動家らが
大量に逮捕された「民青学連事件」に関与したとされ、軍事裁判で
懲役20年の判決を受けた日本人の元雑誌記者、太刀川正樹氏
(63、事件当時28歳)に対し、ソウル中央地裁が、去る27日、
35年ぶりとなる再審無罪の判決を言い渡した。
この無罪判決については日本メディアも大きく報じていたし、
正直、「ヲタク」は当ブログで取り上げるつもりは全くなかった。
しかし、太刀川氏が韓国に語学留学した経験を持ち、さらに
韓国人女性を妻に持つ「韓国通」の雑誌記者だったことを知るに
及び、「ヲタク」の気持ちと考えが変わった。
一般の日本紙ではほとんど触れられていなかったが、氏とともに
逮捕され取調べを受けた氏の夫人は、その時のショックが元で
精神を患い、事件後35年間、現在に至るまで入院生活を余儀なく
されている。
さらに、事件当時3歳だった一粒種の子どもさんは、事件後、不慮の
事故でこの世を去った。
実に残酷な話である。
氏と同じく韓国語を学び、韓国の民主化運動に共感し、さらには
韓国人の妻を持つ日本人「ヲタク」としては、この悲劇を単なる
遠い昔の他人事として片付けることはできない。
せめて、氏の深い無念さの一欠片(ひとかけら)でも感じさせて
もらいながら、関連記事の一部を翻訳練習させてもらうことにした。
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■민청학련 연루 억울한 옥살이, 일본인 35년 만에
재심서 무죄
民青学連事件で獄中生活、日本人に35年ぶりの再審無罪
(韓国日報 1月27日)
△太刀川正樹氏
(ハンギョレ新聞)
"35년 만이네요, 달리 할 말이 있겠습니까."
「35年ぶりなんですね。他に言いようがありません」
-中略-
△記者会見に臨んだ太刀川氏と子どもさん(東亜日報)
10개월을 복역하고 이듬해 강제추방 된 그는 88년 서울
올림픽 취재차 서울에 올 때까지 한국 땅을 밟을 수 없었다.
10ヶ月の獄中生活の翌年、強制追放された彼は、88年、ソウル
オリンピックの取材でソウルを訪問するまで、韓国への入国が
許されなかった。
-中略-
그의 억울함은 풀렸지만, 이 사건으로 그가 겪은 고통과 피해는
무엇으로 보상받을 수 있을까. 선고 직후 다치가와씨는
울먹이는 목소리로 "지금은 혼자지만, 그때는 한국인 아내와
함께였다. 그녀도 끌려가 조사를 받았고 그 후유증으로 지금
까지 정신병원에 있다"고 말했다. 엎친 데 덮친 격으로 당시
세 살 된 자식마저 사고로 부모 품을 떠났다.
無念の思いは晴れたが、彼が被った苦痛と被害は癒されようがない。
無罪宣告後、太刀川氏は涙ながらに、「今は一人だが、あの時は
韓国人の妻といっしょだった。彼女も逮捕され調査を受けたが、
彼女はその時のショックが元で精神を患い、あれから今までずっと
病院に入院したままだ」と語った。さらに、事件後、当時、3歳だった
子どもまで不慮の事故で失ってしまった。
평범한 삶을 송두리째 앗아간 한국에 반감도 있을 법 하지만,
그는 "고생은 했지만 덕분에 한국 친구들이 많이 생겼다"고
했다.
平凡な人生を根こそぎ奪った韓国を強く憎んでもおかしくはない
はずなのに、彼は、「苦労はしたが、おかげで韓国人の友人が
たくさんできた」と語った。
△「そんなことよりッ、オマエが、明日開かれる
組合支部のボーリング大会とその後の飲み会に、
珍しく参加しないのはなぜだ?次の選択肢の中から
正直に選びなさい」
①極度の人見知りだから
②一眼レフを購入したつけ(小遣いがないから)
③恋煩いを原因とする無気力症候群
④ガーターを出すことが恥ずかしいから
△「⑤私とデートの予定が入っているから」
(終わり)
参加カテゴリ:地域情報(アジア)