惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

筒美京平さん

2020-10-12 20:35:53 | ひと

 久しぶりの青空。午前中はまだ雲が多かったのですが、午後からきれいに晴れました。

 夕方の西の空。夕焼こそしていませんでしたが、空そのものが黄金色に輝いていました。

 この写真を撮った散歩の時に口ずさんでいたのは「枯葉のうわさ」。弘田三枝子さんが歌った名曲です。
 なぜこの歌だったかは、いうまでもなく、作曲した筒美京平さんが亡くなられたと聞いたから。享年80。

 弘田三枝子さんが7月に亡くなられた際にも書きましたが、彼女の「渚のうわさ」と「枯葉のうわさ」の二部作は、私にとって日本の歌謡ポップスの最高峰。作詞:橋本淳、作曲:筒美京平の黄金コンビの1967年作品です。

 筒美さんの最初の大ヒットは、翌1968年、いしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」(詞は橋本淳)ですが、その前のいしださんのヒット「太陽は泣いている」(詞:橋本淳、曲:筒美京平)とあまりにもギャップがあるため、私はこの2曲はかなり時間的に離れているものと思い込んでいました。
 でも、同じ年の発売なんですね。「太陽――」が1968年6月。「ブルー・ライト――」が同年12月。
 「太陽――」は、ボーイッシュな子役でデビューしたいしださんのそれまでのイメージそのまま。「ブルー・ライト――」は大人の女性といった感じ。20歳のいしださんが突然、変わってしまいました。

 実は、ふたつの曲のあいだには「ふたりだけの城」(詞:橋本淳、曲:筒美京平)という、ほとんど売れなかった曲があります。今、聞いてみると、これは「ブルー・ライト――」の序章のような楽曲で、クニャクニャした女の鼻歌路線です。ここからいしださんの変身は始まっていたんですね。
 で、「ブルー・ライト・ヨコハマ」で見事に変身が完成した、と。

 勝手な想像ですが、筒美さん自身もこの曲でヒットを放つコツをつかんだのではないでしょうか。
 それまで、1950~60年代アメリカンポップスの精髄を自家薬籠中のものとして曲作りしていたのが、日本語の歌詞を強く意識した曲作りをするようになったように感じます。そのことが和洋の絶妙なミックスを生みだした。
 南沙織さんや岩崎宏美さんをビデューから輝かせたのも、この見事な曲作りのたまものでしょう。
 たくさんの素晴らしい曲をありがとうございました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿