惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

ダリア

2005-09-30 20:37:21 | インポート
 9月最終日。あれこれ外の用があったので午後早めに家を出て自転車で走り回りましたが、その途中、植物公園の前を通りかかり、「そういえば最近、ご無沙汰しているなあ。せっかく年間パスポートを持っているのにもったいない」と思ったので中に入ってみました。
DAHLIA0509  秋のバラのシーズンには少し早く、まだあまり咲いていませんが、ダリアがたくさん花をつけていました。
 私が小学生の頃、ダリアのブームがあったのでしょう、我が家でも球根をいくつも植えて庭の隅に咲かせたものです。しかし、このところあまりダリアを植えている庭を見かけません。大きくなり過ぎるのが嫌われるのでしょうか。
 でも、花はさすがに派手です。園芸用の花の中でも、華麗さはトップクラス。大したものだと思って見てまわりました。
 が、自分ちで咲かそうという気にはならなかったですね。我が家には似合わない。

『イド』

2005-09-29 21:14:25 | 映画
 午後4時半より下高井戸の「不思議地底窟・青の奇跡」で不二稿京(ふじわら・けい)監督の映画『イド』
 「青の奇跡」は居酒屋と小さな芝居小屋を兼ねたようなアングラ色漂うスペース。不二稿さんご自身がやっておられる店だそうです。

 本当は午後4時から上映ということで、その時間に合わせて自転車で出かけたのですが、お店に入ると「新しく編集し直していて、それがもうすぐ届くのですが、上映開始は30分ほど遅れます」という。その後、監督も駆けつけて来て「どうもすみません、もう少しお待ちください。本当はあと一箇所、手を入れたいところがあるのだけど……」というような意味のことをおっしゃる。一度完成しても、手を入れ続けているらしい。

 やがて始まった映画は大変に不気味で気色の悪いものでした。途中、「オレの内臓は映画が終わるまで持ち堪えられるだろうか」と心配になったほど。

 血と贓物と暴力とフリークが織り成す地獄の祝祭。
 町工場と養豚所のある線路沿いの小さな街の路地の中央には不思議な井戸があり、大きなネジでしっかりと蓋がされている。しかし、その蓋を突き破って時折り、水だか血だかが噴出してくる。
 森で目覚めた殺人鬼(記憶をなくしているらしい)がその街に住みつき、それを追って刑事もやって来る。やたらに食事をさせられ並はずれて大きくなった小学生、その小学生にいじめられる精神的に発達の遅れた男、警官を誘惑する女装の男子高校生、一家惨殺事件でひとり生き残った女などが入り乱れるうちに、暴力沙汰が起き、工場長は殴り殺される。工場従業員が死体を隠すが、騒ぎはさらに拡大してゆく……。

 寺山修司の映画をもっと絶望的に、その上、血まみれにしたような感じとでもいえばいいでしょうか。気持ちの悪い映像ですが、よくこれほどのイメージが作れるものだと感心しないわけにはいきませんでした。
 物語の根底には「畜生」としての人間への凝視があるのでしょう。何が人をこれほどまでに悲観的にさせるのか、考えさせられてしまいました。

 一度観ただけでは、よくわからないところも多い。かといって何度も観る気には、今のところ、なれません。なんとも困った映画というべきか。


間違い

2005-09-28 20:09:10 | 本と雑誌
 めげた。どうしてこんな間違いをしてしまったのだろう?

 今日届いた〈小説推理〉11月号。私の担当しているSF書評なんですが――

 ……広大な銀河系に進出していった人類が何を見て、何をするのか。そのありさまが、中世初頭以降、ヨーロッパ人が新世界やアジア、アフリカへ航海した様子と似ているのである。……

 などと書いてあるのです(エリザベス・ムーン『栄光への飛翔』についての文章です)。
 太字の「中世」は「近世」でなくてはなりません。

 単なる誤植ではなくて、私の書き間違い。
 いったいなぜ、こう書いてしまったのか。見当がつきません。

 というわけですので、〈小説推理〉をご覧になった方々、また、これからご覧になる方々、どうか「中世」は「近世」と置き換えてお読みいただきますよう、伏してお願い申し上げます。


数学パズル

2005-09-27 21:00:36 | 本と雑誌
 夕方、ママチャリを漕いで吉祥寺まで。
 パルコの書店「リブロ」で『自給自邸――セルフビルド魂万歳』(INAX出版)など6冊を購入。

 今、パルコは「PECカードで5パーセントOFF」セールなのでかなり助かります。今日は合計12,000円あまりだったので600円ちょっと得をした。我が家の近所のパルコでも同じなのですが、本の品揃えがちょっとね……。

 お楽しみに買った1冊が中村義作&阿邊恵一『間違いさがしパズル傑作選』(ブルーバックス)。
 数学は苦手ですが、数学パズルがなぜか好きで、中学・高校の頃、時間をかけて解くのを楽しみにしていました。社会人になってからはほとんどやってなかったのですが、この本を見て久しぶりに脳ミソがウズウズする感じを覚えたのです。
 オビには有名な〈3人のお客が旅館で1万円ずつ合計3万円払ったところ、女将が5000円まけてやろうといったので、お金を持っていった仲居は……〉というやつが載っている。面倒だけどなんとか解くことが出来たので「買って他のもやってみよう」と思ったらしい(なんか無意識のうちに手に取っていました)。
 帰って第1問もやったら、これもわかった。よしよし。

 でもねえ、解答を読んでもいまひとつすっきりしないのですよ。説明のしかたがピタリとツボを突いていないような感じ。これは私の理解力、もしくは数学的能力の問題なんでしょうねえ。


「かからん」

2005-09-26 20:09:55 | うんちく・小ネタ
 昨日、ディープインパクトについて「束になってもかからない」と書いたところ、旧知の小泉さん(@一の日会)から――

 「束になって(かかって)も敵わない」ですか?
 こういう用法があるのでしょうか?(流行でしょうか?)

 というメールを頂戴しました。

 そうですよねえ。「束になってかかる」という(正当な)用法からすれば、「束になってもかからない」は「集団になっても挑戦しようとしない(情けない者たち)」という意味になってしまいますよねえ。

 お詫びして訂正します。小泉さんがおっしゃるとおり、正しくは「束になっても敵わない」でした。

 でも――ここから言い訳ですが――同郷の家内に訊いてみると「〈束になってもかからない〉でいいんじゃない」といいます。
 なぜかというと、高知では「かからない」を「かなわない」の意味で使うのですよ。たとえば「なんぼやってもかからんかった」は、「いくら挑戦してもかなわなかった」という意味になります。
 だから、たぶん田舎では「束になってもかからん」と普通にいっていた……ような気がするんですね。
 「流行」ではなくて、「方言」でした。ということで、どうぞお許しを。