奥付を見ると、2006年6月10日発行の29刷です。初版は1960年10月30日。実に半世紀近く品切れや絶版にしないで出しつづけているわけです。
売れゆきが絶えないということもあるでしょう。しかし、供給を絶やしてはならないという出版社の強い意志を感じます。
金谷武洋『主語を抹殺した男 評伝三上章』によれば、くろしお出版創業者で現会長の岡野篤信と三上章はローマ字運動で知り合った親友だということです。どちらにとっても幸運な出会いだった、といえそうですね。
売れゆきが絶えないということもあるでしょう。しかし、供給を絶やしてはならないという出版社の強い意志を感じます。
金谷武洋『主語を抹殺した男 評伝三上章』によれば、くろしお出版創業者で現会長の岡野篤信と三上章はローマ字運動で知り合った親友だということです。どちらにとっても幸運な出会いだった、といえそうですね。
今日は午後、東京都庭園美術館へ。午後2時からのミユージアムコンサートに息子が出るので、それに合わせてのお出かけでした。来聴してくださった方々、どうもありがとうございました。
次回は3月14日にこんなのもありますので、興味がおありの方はぜひ。
肝心の美術館でやっているアルフレッド・ウォリスの展覧会が実に面白い。
初めて見る画家ですが、「コーンウォール(イギリス)のアンリ・ルソー」ともいうべき素朴画の逸材。とにかく船が好きで好きでしょうがないらしく、そこらのボール紙や板切れに記憶中にある船の絵を描いていたとか。海の上で並んで踊っているかのような船たちの、なんとも楽しそうなこと。
デッサンの技術なんか知ったこっちゃないという無手勝流なので、船が沈んでいるのか浮いているのかわからなかったり、陸上の家の向きが無茶苦茶(とはいえ、主観的にはよくわかります)だったり、橋桁が不ぞろいで、通りぬけている船よりどう見ても狭かったり、灯台が斜めに建っていたり……キャンバス(ではなく、板切れなのですが)の形が歪んでいるのも含めて、とにかく型破り。それが実に愉快で、いいんですよね~。
惚れました。3月末日まで開催中。
どうしてこれまで三上文法に触れる機会がなかったのか、考えてみました。
そもそもは、文法の本を読もうという気が起こらなかった。これはたぶん、中学、高校で齧った文法なるものが、知的刺激の乏しい、つまらないものだったからだと思います。
その後、チョムスキーという人が「生成文法」なるものを唱えていると聞き、「それは凄い」と思ったものの、実際に解説を読むと「どうも違う」という感じを抱いて、あまり信用しなかったのです。とはいえ、この延長上でデレック・ピッカートンやスティーブン・ピンカーを読み、それはそれで面白かった。
文法関連の本で他に読んだ記憶があるのは井上ひさしさんの『私家版日本語文法』(新潮社、1981年)で、ここに三上章がチラッと出てきます。
「ガとハの戦い」という章がそれで、
ともかく、今の仕事が一段落したら三上文法を勉強してみるつもり。
「ベストSF2006」、昨夜から今日の午後にかけて、3人の方から投票いただきました。
どうもありがとうございました。
投票は今夜12時まで受け付けますので、どうぞよろしく。
「ベストSF2006」に森下の投票も加えてみました。
締切は明日(日曜)の午後12時です。投票をお考えの方はお早めに。要領はこちらです。
確かに変だとは思っていたんですよ。日本人が日本人向けに書いているのに、言語学関係の本では例文をすぐに英語で書きたがる。
理由はたぶん、あちらの学説を引用するのに日本語では具合が悪いからなのだろうな、と勘ぐってもいました。
金谷武洋『主語を抹殺した男 評伝三上章』(講談社)を手にとって「ああ、やっぱりそうだったんだ」と思いました。SVO(主語・動詞・目的語)のような形式は現代英語特有のものなので、日本語とは違う構造なのだと書いてある。
三上先生のおっしゃるには、そもそも日本語には主語はいらない。目的語だってなくていいのだ。
いわれてみると、そのとおりです。「Ⅰ love you」は「わたしはあなたを愛しています」というより、「好きです」だもんな。主語も目的語もない。隠れているのではなくて、これできちんとした文だというのが三上章の説らしい。
うーん、これまで三上文法と無縁に生きてきたのが悔しい気がしてきます。これから『象は鼻が長い』をはじめとする三上章の本を読まなくては。三上文法を発展させようとしている金谷さんの本も。