惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

別離

2024-05-21 21:23:31 | ひと
田舎から訃報。

ものごころついた頃から可愛がってくれていた叔母が亡くなりました。
なんだか、小さい頃から最近まで、ずっと同じような顔で見守ってくれていた気がするなあ……。

今夜は故人を偲んでいます。


「金延幸子インタビュー」

2024-02-04 21:22:36 | ひと
昨夜はサッカーアジアカップのテレビ観戦をしていて日記が書けませんでした。日本はベスト8どまり。無念。

今日は午前中、雨。午後も曇ったままで日没後ようやく雲が晴れました。寒い一日。


庭のロウバイの花。雨に濡れ、ガラス細工のようです。

土曜日のNHK・FM、ピーター・バラカンさんの「ウィークエンドサンシャイン」で、金延幸子「青い魚」がかかりました。ヴィム・ヴェンダース監督の映画『Perfect Days』の挿入歌なのだそうです。

金延さんといえば……と思い、〈SFマガジン〉2月号(今、店頭に並んでます)を引っ張り出しました。「金延幸子インタビュー フィリップ・K・ディックとの日々」という記事が掲載されているのです。インタビュアーは高田蓮さん(ミュージシャン:高田渡さんのご子息ですね)。

一度、ざっと読んではいたのですが、ヴェンダース監督が「青い魚」(もしくはこの曲が入ったアルバム『み空』)を好んでいたようなヒントがあるのかと思って読み直してみたのです。
ヴェンダースとの関りについては何もありませんでした。
ただ、金延さんの『み空』がアメリカで聞かれたきっかけは、来日したポール・ウィリアムズさん(ロック評論誌〈クロウダディ〉を創刊したサブカルチャー評論家)と彼女が結婚してアメリカに渡り、友人だったディックが気に入ったあたりかららしい。

金延幸子さんの名前は大学時代に少し聞いたことがありましたが、曲の記憶はなく、その後のこともまったく知りませんでした。
こんな経歴があり、今またこんなふうにしてもどってきたとは。新鮮な驚き。

そんなこんなで、金延さんの曲をネットで聞いたり、ついでに学生時代の記憶が蘇って南正人さんの曲を聞いたり。思わぬ展開の午後となりました。


「田舎のバス」

2024-01-07 20:55:26 | ひと
中村メイコさんが、昨年の大みそかに亡くなられたとか。享年89。

昔から親しんでいた有名人が亡くなるたびに「自分たちの時代は終わりつつあるなあ」と感じてしまいますが、メイコさんの訃報はひとしおその感が強い。もの心ついた時からずっと活躍なさっていて、最期まで現役でおられたからなのでしょう。芸能界の生き字引でした。

「上を向いて歩こう」誕生秘話や、美空ひばりさんとの親交など、忘れられないエピソードがいくつもありますが、いちばん親しく思うのは「田舎のバス」かな。三木鶏郎作詞作曲でメイコさんが歌って大ヒットしました。
発売は1955年といいますから、私はまだ4歳の頃。
でも、昔のヒット曲は何年もラジオから流れていたので、いつの間にか覚えていました。小学校に上がる前から口ずさんでいたんじゃないでしょうか。

小さい頃に覚えた歌は忘れないものですね。今も歌えます。
ついこの間、元日に息子一家が来宅した際にも、家の人が「三木鶏郎ソング集」を出してきたので、ピアノを囲んで一緒に歌ったのでした。
今思えば、亡くなったばかりのメイコさんを追悼する歌になっていたんですね。

中村メイコさん、たくさんの良い思い出をありがとうございました。天国でも明るいお声を響かせてください。


豊田有恒さん

2023-12-05 20:44:23 | ひと
豊田有恒(とよた・ありつね)さんの訃報に接しました。享年85。→豊田さんの公式ツイッター

SFの大先輩であり、優しい友人のような方。いつお会いしても親しみ深く接してくれて、「同じSF仲間でよかった」と感じる存在でした。

最初は読者としてお名前を覚えました。短編「火星で最後の……」は強い印象を残しています。
小中学生の頃に夢中になったアニメ「エイトマン」「鉄腕アトム」「宇宙少年ソラン」などのシナリオを書いておられたことを知ったのは、しばらく経ってからだったと思います。

SFのほかにも関心の範囲が広く、古代史、原発、韓国などに関する発言がたくさん。比較的最近の『世界史の中の石見銀山』(祥伝社新書 2010)は名著。

個人的なことでは、私がSFの仕事を始めた頃、豊田さんご夫婦それぞれがバイクに乗っておられ、私もライダーだったので、年齢を超えて話が合いました。そして、乗ってみたいと思っていたホンダの単気筒 CB250RS-Zを譲ってもらったりもしたのでした。

ついこの前までお元気に講演などなさっていたのに。
本当に残念です。
あの笑顔をいつまでも忘れないと思います。


昨日

2023-11-05 21:23:02 | ひと

昨日は飛行機で高知に日帰り。

いつもの実家での用ではなく、1年前に病没した高校時代の後輩を偲ぶ会に出席するためでした。
山岳部で1年下の彼を知る人々30人ほどが集まりました。

私は高校時代の彼を知るぐらい。でも、なぜか懐かしく、親しみを感じていました。享年はたぶん69。
山の関係の人、インド映画の関係の人、それぞれが思い出を語り合ううちに、彼の人となりと生涯が私の胸の内で像をつくってゆきます。輪郭は私が思っていたとおりでしたが、細部がより具体的に。そして、正義感が強く、自分を無にして他人のために働いた彼の生き方が伝わってきました。

その足跡のうち、インド映画に関する部分については、cinetamaさんがブログ「アジア映画巡礼」に書かれた「元吉仁志さんのこと」でさらに詳しく知ることができました。

山・アジア深部・インド映画。彼の好奇心の深部にあったものが何だったのか、今日も時おり思いを巡らせていました。