惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

『ケイコ、目を澄ませて』

2024-11-01 21:21:34 | 映画
昨夜は市の映画会に出かけていました。500円で劇場で映画鑑賞ができるのはありがたい。

作品は、三宅唱監督『ケイコ、目を澄ませて』。
2022年に公開された時、見たいと思いながら、見逃してしまいました。

耳の聞こえない女性がプロボクサーとしてスタートを切って間もない頃の話。小笠原恵子さんの自伝「負けないで!」をもとにしたドキュメンタリータッチの16ミリ作品です。

主演の岸井ゆきのさんがすべてといっていい映画だと思います。彼女の一挙手一投足を見続けるだけで1時間40分があっという間に終わります。
演技力というより、内側から溢れてくる存在感が凄い。もっとも、それも演技ではあるのでしょうが。
シナリオにはもうひと工夫できるのではないかと感じる部分がありましたが、ようやく見ることが出来て良かった。作品の魅力について、しばらく考え続けると思います。

今日、畑に芽生えたばかりの小カブの苗を植えました。


カブやダイコンなどの根菜類は、本来は、直播きにしなくてはなりません。大事な主根が、苗の植え替えで傷むと、きちんとした野菜にならないといいます。

なぜ、あえて苗の形で植えるかというと、種を蒔いても芽生えないからです。
土の中の虫が種そのものか、あるいは、芽生えてきた根や双葉を食べてしまうのではないかと考えています。
不耕起のせいか、土の中の生きものが多いようです。

なので、苗を育てるポットを紙製のもの(手作り)にして、ポットごと土に埋めると、紙は溶けてしまうので、根は傷まないのではないかと思って試しています。
うまくゆくかな?


「鳩時計スピーチ」

2020-05-05 21:05:43 | 映画

 今朝もイチゴが1~2個、消えているような気がしましたが、どこにどれだけあったのか、記憶がはっきりしないのでよくわかりません。もう少し、見てみなくては。

 今日は長ネギの植え付けをしました。2月の始めに種蒔きし、苗の丈が30センチ近くになったので。

 昨年と同じく、板を利用しての密植栽培。育てた苗、約40本と、再生苗(料理に使ったネギの根を埋めて、芽を出させたやつ)を15本ほど(いちばん手前の列)。
 収穫まで7か月ぐらいかかるでしょうか。葉っぱを食べる野菜なのに、ネギは特別、時間がかかります。

 永年、〈ニューヨーカー〉誌を中心にノンフィクションを書いてきたジョン・マクフィーさんの『ノンフィクションの技法』(栗原泉訳、白水社)に出てくる同誌の校閲が凄いことは軽く触れました。
 正しくは「校閲部」ではなく「事実確認部」というのだそうです。同誌に載る記事に出てくる事実関係が正しいかどうか、すべての事項を、ありとあらゆる手段で確認し、可能な限り間違いを排除するのが、その任務。マクフィーさんは、確認出来なかった数字を適当に記して原稿を渡すこともあったとか。事実確認部が正確な数字を調べ出してくれるので、それを当てにしてのことです。こうなると単なる校閲ではなく、調査担当助手のような役割ですね。

 えっ! と驚くようなエピソードも。
 事実確認部のリチャード・サックスという担当者と組んでスイスに関する記事の仕事をした時、マクフィーさんたちはキャロル・リード監督の映画『第三の男』中の有名なセリフが、グレアム・グリーンの書いた脚本にも、後にグリーン自身がノペライズした作品にも登場しないことを発見したといいます。
 そのセリフは、オーソン・ウェルズが扮する主役ハリー・ライムが、友人と観覧車に乗った後で言う、次のようなもの(本書に載っているものをそのまま引用します)――

イタリアではボルジア家が権勢をふるった三〇年間、戦争やテロ、殺人や流血が絶えなかった。だが、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチやルネサンスが生まれたんだ。スイスはといえば、兄弟愛と民主主義と平和が五〇〇年続いた。それで何が生まれたって? 鳩時計さ。

 英語では

You know what the fellow said - in Italy, for thirty years under the Borgias, they had warfare, terror, murder and bloodshed, but they produced Michelangelo, Leonardo da Vinci and the Renaissance. In Switzerland, they had brotherly love, they had five hundred years of democracy and peace – and what did that produce? The cuckoo clock.

 映画の場面はYouTubeで。

 なぜグレアム・グリーンの書いたものにはこのセリフがなかったのか? オーソン・ウェルズの即興だったというのです。

 英語版のウィキペディアで『第三の男』の項を見てみると、このセリフは現在、出版されている脚本には脚注として載っているようです。ただし、ウェルズのオリジナルというより、古いハンガリーの演劇から引用したとウェルズは言っているとか。"what the fellow said"という最初のひと言がそれを表わしていますね。ウィキペディアの記述はさらにその原典にまで分け入っていて、なかなかに興味深い。

 ここまで明らかになっている「鳩時計スピーチ」問題のきっかけをつくったのが、マクフィーさんと〈ニューヨーカー〉誌の事実確認部だったということなのでしょうね。


1969年

2019-08-18 21:02:25 | 映画

 昨日のつづきのようになりますが、畑で出遭ったバッタ。

 ショウリョウバッタ(精霊蝗虫)のメスですね。これも害虫ではありますが、大きさといい、名前といい、なんだか畏敬の念を覚えてしまい、やっつけられませんでした。

 昨日のNHK・FM、ピーター・バラカンさんの「ウィークエンドサンシャイン」は1969年特集。
 2年前から、毎年、50年前のミュージックシーンを振り返る特集をやってます。前回、前々回とも、とても興味深く聞いてますが、この年、私は高校3年生で、洋楽びたり。映画にも目覚めた頃で、大変思い出深い特集でした(とはいえ、音楽環境がバラカンさんとはまるで違うので、音楽シーンの印象も異なりますが)。

 番組の中で、この年の映画として『イージー・ライダー』に触れ、ステッペンウルフの「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」がかかりました。
 昨日はたまたま、製作・脚本・出演でこの映画に関わったピーター・フォンダさんの訃報が伝わった日でしたが、早朝の番組では情報が入ってなくて、バラカンさんはそのことには触れずじまい。『イージー・ライダー』という映画にはあまり関心しなかったようなことを言ってました。

 が、私にとってはとても重要な映画で、主演したピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソンへの敬愛の念はずっと消えることがありません。南部から西部にかけてのアメリカが排他的で非寛容な土地柄であることは、この映画で思い知りましたし、トランプ大統領時代の今も、その傾向に変わりはないのだと感じています。

 ついでにいえば、ピーター・フォンダさんの姉のジェーン・フォンダさんも、1969年にはとても重要な映画に主演しました。邦題『ひとりぼっちの青春』(原題/原作のタイトルは『彼らは廃馬を撃つ』)で、彼女に対する印象は前作の『バーバレラ』から一転。これまた尊敬すべき俳優となりました。


『万引き家族』

2018-06-18 21:14:40 | 映画

 大阪の地震を知ったのは、朝食をはさんで録画視聴していたサッカーW杯ブラジル対スイス戦が終わった時のこと。ビデオを止めると、ついさっきの地震の情報を伝えているところでした。
 あのあたりには知り合いがかなりいるのですが、さいわい怪我をした人はいない模様。でも、棚(特に本棚――みんな蔵書家なのです)のものが床上に散乱し、大変なことになっているみたい。お見舞い申しあげます。

 サッカーの試合は、1-1の引き分け。ネイマール選手がシュートを外した後、足を痛そうにしている時は「大丈夫だろうか?」と心配しましたが、たいしたことはなかったみたいで何より。
 見なかったのですが、その前のドイツ対メキシコ戦は0-1でメキシコが勝利。メキシコ国内は大変な騒ぎになっているそうです。

 市民農園では、大根、キュウリ、シシトウなどを収穫。
 収穫した大根の葉っぱに巨大なアブがとまっていました。

 体長3センチほどもあったでしょうか。一部では「最強の昆虫」ともいわれるシオヤアブのようです。畑にいる他の虫を狙ってきたのかな。

 午後は駅前のシネコンで是枝裕和監督『万引き家族』。奇妙な「家族」の謎にみちた関係をめぐる人間ドラマ。

 リリー・フランキー演ずるおっさんと城桧吏の少年がスーパーで万引きをしての帰り道、肉屋の店頭でコロッケを、これはおカネを出して買い、齧りながら歩く途中で、マンションのベランダの内側にいる寂しそうな女の子を見かけて「保護」。自分たちの家族の一員とするところから話が始まります。
 この「家族」、お祖母さんとおっさん、おばさん、女子高生(に扮して風俗で働く少女)に小学生ぐらいの少年という、一見、3世帯同居のように見えながら、実はまるで違うということが、だんだんとわかってくる。この結びつきというか、人と人のつながり方が困ったものでありながら、魅力的。血のつながった家族と、そうでない人たちの寄り添う疑似家族と、どこがどう違うのか、考えさせられます。

 映像は、ここ数作の是枝作品のようにきっちりとした美学で構築されたものではなく、ドラマの中身に集中するかのように、割と無造作なタッチ(とはいえ、しっかり計算されています)。しかし、その「無造作な」感じがなおさらに人間味をあふれさせているように感じました。

 いくつも忘れがたいシーンがあります。
 樹木希林さんが海を眺める表情。安藤サクラがソウメンのお代わりをとりに台所に立った時の、艶っぽいというのとも美しいというのとも違う、存在感のある、なんとも魅力的な肢体。ビルの谷間のボロ家を見下ろす俯瞰図(CG?)。
 何度も反芻したくなる傑作でした。


『三度目の殺人』

2017-09-29 21:14:14 | 映画

 昨夕は、雨の中を(バイクで!)出かけ、神田連雀亭にて「立川三四楼独演会」。

 三四楼くん、今回は古典専念で、「新聞記事」と「井戸の茶碗」。
 例によって肩ひじ張らない高座は、トチッて「巻き戻し」するのも芸にしたりして、まずまずの出来栄え。「井戸の茶碗」の「拙者は受け取らぬ!」の繰り返しが良かった。

 ゲストに、同じ立川流の二つ目、立川がじらさん。
 演目は、落語家が自分の存在そのものに疑問を抱くメタフィクション落語。新作ですが、これぞというオチが見つかれば、傑作になるかも。

 今日は我が町の駅ビル3館がオープン。C館のシネコンで映画を観てきました。
 時間があったので、他のビルも拝見と思ったのですが、B館(ビックカメラほか)は覗けたものの、いくつものショップが入ったA館は入場制限で長い列が出来ていて、中に入るのを断念。千客万来ですな。

 観た映画は、是枝裕和監督『三度目の殺人』。全編、スクリーンから切なさがしたたるような傑作でした。
 紋切型の思考に疑問を投げかける脚本の鋭さ。役者の魅力を存分に引き出した演出。リズム感のある編集がされた映像の心地よさ。素晴らしい。

 小説推理11月号が発売になりました。担当のSFレビューで次の作品を取り上げています――

  • アダム・ロバーツ 『ジャック・グラス伝―宇宙的殺人者―』 (内田昌之訳、新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
  • 藤崎慎吾 『風待町医院異星人科』 (光文社)
  • 柞刈湯葉 『横浜駅SF 全国版』 (KADОKAWA)
  • 荒巻義雄 『もはや宇宙は迷宮の鏡のように』 (彩流社)

 アダム・ロバーツは1965年生まれの英国人作家。大学で文学を教える先生のようですが、2000年からSFも発表しつづけています。『ジャック・グラス伝』は、いかにも英国人の手になるSFという感じで、皮肉とユーモア、それに暴力性とが盛り込まれた楽しい作品。