惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

「強い言葉」

2024-07-13 21:10:47 | ことば
毎日新聞朝刊で中畑貴志さんが主宰しておられる「万能川柳」に、今日、次の句が載っていました――
どう言うの「強い言葉で非難する」  桜川 今賀俊
外交関係の文言としてよく使われますよね――「強い言葉で非難する」。

実際、どんな言葉で非難することになるのか、考えてみるとむずかしい。というか、よくわからなくなってしまいます。

自分ならどんなふうに非難するのか。
すぐに思い浮かぶのが「おまえの母さん出べそ」なのは、情けないというか……。
その次には「バカ、カバ、チンドン屋」が出てきて、これはチンドン屋さんにとってはどうなのかと、別の問題に発展しそう。

凄いののしり言葉を使う国家も、あるにはあります。
「××は火の海になるだろう」なんて言ってたりしますが、これは「非難」というより「脅し」ですからねぇ。

「強い言葉で非難」の例を探してゆきたいと思っています。


「倭」と「和」

2022-11-01 20:58:06 | ことば

 「平城宮跡出土の木簡に『倭歌』の記述」というニュースに興味をそそられました。

 日本を表わすのに「和」という文字をあてることがよくあります。「和食」とか「和風」とか。
 この「和」は、もともと「倭」だったのが変化したのだと理解しているのですが、これで正しい?

 今回の「倭歌(やまとうた)は、後の時代に「和歌(わか)」と呼ばれるようになるのでしょうが、「やまと」→「わ」の変換はいつ頃起こったのでしょう?
 一般には「大和」という国名を名乗るようになったことと関係があるといわれていますね。「倭」という字の意味が芳しくないので「和」に替え、「大」をつけて、国名の「やまと」にあてた、と。

 ということは「倭歌」もそれに準じて「和歌」と書き改められてゆくのか?

 ただし、万葉集の題詞にある「和歌」は別の意味(応答歌、唱和歌)のことだそうで、「倭歌」とはちがいます。
 「和歌」が「倭歌」の意味になるのはいつなのか。そこが気になるのです。

 平安時代に編まれた「古今和歌集」だと「和歌」が「倭歌」を表わしているように思えますが、写本の最初のページの右端を見ると「古今倭謌集」となっていますねぇ。まだ「倭歌」と書かれていたのかも。


「哲学的ゾンビ」

2021-11-05 21:27:51 | ことば

 昨日、神戸地裁で無罪判決が下りた4年前の神戸市北区での5人殺傷事件。
 被告は事件当時心神喪失状態であったというのが無罪の理由ですが、被告は、殺したのは人間ではなく「哲学的ゾンビ」だと信じていたと判断したと言ってもいいようです。

 ゾンビにはあまり興味がなく、「哲学的ゾンビ」という概念にも触れてこなかったので、うっかり内容を誤解してしまうところでした。
 「ゾンビ」と「哲学的ゾンビ」は違うのですね。

 ゾンビは死者が起き上がって動きまわるもの。哲学的ゾンビは外見や行動が人間そっくりでありながら「意識」をもたない人間もどきのこと。哲学者が思考実験のため提唱したのだとか。
 妄想型統合失調症と診断された被告は、両者を明確に区別していたようです。

 もう少しくわしく事件を振り返ってみましょう。

 事件は2017年7月16日早朝に起きました。現在30歳の被告は、読売新聞によれば、高専在学中は成績優秀で大手鉄道会社へ就職が内定していたけれど、突然辞退。高専中退後、アルバイトを経て電子系専門学校で学び、「卒業後はシステムエンジニアの仕事に就いたが、半年で退職、事件当時は無職だった」ということです。

 事件の4日前、インターネットの掲示板で見た「13」という数字が高専時代の同級生の女性の出席番号だったことから、その女性を思い出し、2日後には「お母さんに会いたい。結婚するって言って」という女性の声を聞いた(今月2日付毎日新聞夕刊)そうです。
 事件前日には「神社に来て」という声に応じて礼服に着替えて近所の神社に参拝、「世界の人間は君と私以外、哲学的ゾンビなんだよ」という女性の声を聞いたといいます。
 翌日、再び神社に行くまでに哲学的ゾンビを倒すことが結婚への試練だと思いこんだ被告は金属バットや包丁で3人を殺し、2人に重傷を負わせるという凶行に及んだ、というのが事件の顛末。

 被害者は祖父母や母、それに近所の人たちですから、日ごろから親しくしていたはず。それなのに「人間ではない」と思ったのは、哲学的ゾンビの特徴をよく知っていたということなのでしょう。
 彼が「哲学的ゾンビ」という言葉に馴染んでいたのは、優秀な学生で、知的好奇心も旺盛だったからでしょうか。

 というか、ゾンビと哲学的ゾンビの違いを理解していなかった私が無知なのか。一般的にはどうなんですかねぇ?


宵の口

2021-06-12 20:57:34 | ことば

 いつもの散歩の時間に洗濯機が到着するということで、今日は夕方のお出かけなし。
 と思っていたら、夕食後、お遣いを頼まれて自転車でちょっと離れた店まで。

 地上は薄暗いものの、空はまだほんのりと明るく、心地よい夕風のせいもあって、なんだか浮き浮きした気分。日が暮れて外出するなんて、いったいいつ以来だろう?
 いわゆる宵の口という時間帯ですね。日本語の用法が狂ってしまい、ニュースでは「宵の口」が「夜の始め」という言葉に置き換わってしまいました。つまんない言い換えです。
 「宵の口」にはどことなくゆとりと解放感が漂います。本来の意味で使いたい言葉。

 用を済ませて帰途につくと、宵闇はやや深く。なんとなく「夜がまた来る~♪」と小林旭を気取って口ずさんでみたりしました。

 あ、洗濯機は予定通りに無事到着。今ではすっかり馴染んだ感じで洗面所に居座っております。
 昨日の昼過ぎに注文して、今日午後には据え付け完了。ビックカメラ、仕事が速い。


「訪問」

2021-02-02 20:28:40 | ことば

 不要になった昨年の雑誌をまとめてブックオフへ。

 1月号から12月号までまとめて持ち込んだのですが、値がついたのは9月号以降の分だけ。
 「雑誌は半年前より古いものは、原則、お値段がつきません」とのこと
。昨年、同時期に持ち込んだ時には全部買い取ってもらえたんですけどねぇ。方針が変わったようです。

 夜間、銀座のクラブでお酒を飲んでいた国会議員の人がいて、報道では「銀座のクラプを訪問」と表記されている記事が多いのですが、「訪問」はおかしいと思います。
 「クラブに入店」とか「クラブで飲酒」とするべきじゃないでしょうか。

 「訪問」で間違いではないかもしれませんが、「家庭訪問」とか「会社訪問」とかいった言葉をみればわかるように、相手先とやや距離を置いた感じで、形式張った雰囲気があります。
 議員先生が接待を伴う飲食店を「訪問」したといえば、酒を飲んでホステスと談笑したというより、景気の動向などを聞き取りに訪れたというニュアンスを醸し出していませんか。当事者はそんな印象を世間に与えたかったのでしょうね。
 それに報道機関が乗っかるのもどうかと思います。「夜の街で遊んでいた」とはっきりいえばいいんじゃないでしょうか。