惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

姫檜扇水仙

2015-06-30 21:30:25 | 草花

 ミミズ御殿をすっぽり覆うネットが完成。
 さっそく設置しようとしたところ、「ミミズのおしっこ」の取り出し口にぴったり合わせたはずの穴が小さくて、なかなかはまりません。あれこれ頑張っているうちに、取り出し口を固定してあった接着剤が剥がれてしまいました。
 というわけで、御殿そのものを半分、解体しての大修理に。

 いざという時のために、ミミズを飼う内側の籠と外のプラスチック覆いとの二重構造にしてあるので、ミミズそのものを出し入れする必要はないのですが、それにしてもちょっと大変でした。
 修理は明日までかかるので、今夜、ミミズたちは仮の屋敷で過ごしてもらっています。

 川崎市の緑ヶ丘霊園に行ったら、林の縁にヒメヒオウギズイセンが咲いていました。

 アヤメ科ヒメトウショウブ属の交雑種。もとは園芸品種として明治中期に渡来したもののようですが、今ではあちこちで野生化しています。
 葉っぱの濃い緑と朱色の花の取り合わせが鮮やかです。

 今日の落語タイムは5代目古今亭志ん生師匠の十八番「火焔太鼓」。
 志ん生といえば、この演目でしょう。元はささいな噺だったのを、師匠が膨らませて自分の代表作に仕立てたとか。

 昨日の「替り目」と同じく、夫婦の会話が主となる落語です。商売下手の道具屋と、抜け目のないおかみさん。
 安く買ってきた太鼓を、店の小僧がはたきをかける拍子に打ち鳴らしてしまう。通りがかってその音を聞きつけた赤井御門の守の家来が「買いたいから、屋敷に持参せよ」。
 おかみさんは、「こんな汚い太鼓で商売しようなんて思わず、買い値の1文で譲って、後の商売につなげなさいよ」と、主人を送り出す。ところが、この太鼓が……。

 道具屋がぼやいたり、おかみさんが愚痴ったりと、うだつの上がらない庶民の様子が明朗に描かれます。そこへ、思いもよらぬ大きな儲け話が成立するところが、うれしい驚き。気分が晴れます。

 昔は火焔太鼓なるものが今ひとつよくわからないままに聴いていたのですが、雅楽の公演に何度か足を運んだおかげて、はっきりとしました。よく舞台の中央にでんと据えられている、優美な太鼓。あれが火焔太鼓ですね。太鼓そのものの周囲に炎のような飾り彫りがあしらわれています。漢字の「楽」という字の元になった楽器。
 おそらく平安時代あたりからの由緒あるものを、落語の道具屋は手に入れたのでしょう。古いからこそ汚かった。太鼓は打ち鳴らせば打ち鳴らすほど、良い音になるのでしたっけ。


替り目

2015-06-29 21:35:58 | 演芸

 今日の落語タイムは5代目古今亭志ん生「替り目」。昭和30年(1955)お正月のNHKライヴ音源です。

 志ん生師匠を聞いていると「これぞ落語」という気がします。声といい、しゃべりっぷりといい、落語の楽しい部分がそのまま浸みこんでくる。能天気というか、天衣無縫というか、明るくて陽気な気分になれるんですよね。「もう、このままで何も問題なしっ!」と、すべてを肯定できる声であり、話し方なんです。

 「替り目」は酔っ払いの亭主がおかみさんにレロレロと管を巻き、つまみのおでんを買いに行かせる。出かけた(と思った)とたんに独り言で、「実はいい女房なんだよねぇ」とノロケ始めたところが……。
 ただ酒を飲みたいばかりに、かみさんに甘える困ったオヤジと、半分あきれながら、でも結構愛想よく相手をするおかみさん。どちらも可愛いんですよねえ。その可愛さが志ん生師匠そのものの可愛さに思えてくる。

 師匠は噺への入り込み方が半端じゃないように思います。計算して演出しているようには、とても思えない。この噺では出てきませんが、地の語りがあると、そこまでも何だか噺の中の人物の興奮なり、怯えなりが乗り移っているように感じます。第三者の説明とは思えないのです。
 作為を感じさせない笑いですが、これが永年の修行で身に付けた芸だとしたら……。
 恐るべき落語家だったというべきでしょう。

 〈小説推理〉8月号が発売になりました。担当のSFレビューで次の4作を取り上げています――

  • 梶尾真治 『怨讐星域〈Ⅰ〉~〈Ⅲ〉』 (ハヤカワ文庫JA)
  • オキシタケヒコ 『波の手紙が響くとき』 (ハヤカワSFシリーズJコレクション)
  • 田丸雅智 『家族スクランブル』 (小学館)
  • 飯野文彦 『ゾンビ・アパート』 (河出書房新社)

 『恩讐星域』は、梶尾さんなりの『火星年代記』のようなものなのかもしれません。なつかしくて、同時に、新鮮。とても気持ちよく読めました。


上方落語と江戸落語

2015-06-28 21:15:08 | 演芸

 午前5時起床でなでしこジャパンの応援。
 危なげない試合運びで心配はしなかったのですが、点が取れない。これは延長戦になってしまうかもと思い始めた後半42分、大野選手に替わって途中から入った岩渕真奈選手がゴール前のこぼれ球を蹴り込んで決勝点! いやあ、うれしかった。

 今日のもうひとつの「見もの」は、競馬宝塚記念のゴールドシップ。同じ重賞で3連覇もあり得るかもと期待されたのに、スターティングゲートの中で立ち上がって走り出さない。やっとゲートを出た時、他の馬たちはもう数10メートル先を行ってました。
 もともとやんちゃな馬で、スタートを嫌がったりすることもあったのですが、歳をとり、このところ落ち着いてきたというのがもっぱらの評価でした。なのに、またやってしまいました。
 レースに集中せずに他のことを考えてしまう馬なんでしょうか。この先、どうなることやら。

 録画してあったNHK、ETV特集「洒落が生命 ~桂米朝“上方落語”復活の軌跡~ 」を観ました。3月に89歳で亡くなられた桂米朝師匠の落語人生を語ったドキュメンタリー。
 小学校の時から「落語小僧」だったのですねぇ。家にあった落語全集で噺を覚え、学校でやっていたとか。でも、ずっと、聴いてまわることに専念していたのが、学徒動員で入隊し、体をこわして病院生活を送っていた時に、同室の患者さんに落語を語ったところ、皆の顔色が良くなった。「落語は人を元気づける」と悟って、落語家の道に入る決心をしたと伝えていました。
 正岡容氏が登場しなかったのは、話をすっきりさせるためでしょうか。このあたりが、少し、私の知識と違っていて新鮮でした。

 上方落語復活にかけた執念が凄い。「五条の念仏差し」の正体を突き止めるエピソードを詳しく見せてくれました。あと、古い噺を書き記したノートも。

 個人的に膝を打ったのは、上方落語と江戸落語の違いを簡明に説明してくれたこと。上方落語は、神社の境内などで大勢の客を前に語ったもの。一方、江戸落語はお座敷で語ったもの。それで話の性格や語り口、人物の描き方などが違っているんですね。
 上方落語では「見台」が使われますが、あれを前に置いて語ると下半身の動きが客に伝わりません。それでどうしても、声による語りが主体になるんですね。仕草の表現が損なわれる。枝雀師匠の落語を観ると、見台なしで、腰から下の動きも見える噺の方が絶対、面白い。落語は繊細な芸能なのです。


プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団

2015-06-27 21:06:09 | 音楽

 至福の時を過ごすとはこういうことなのかなと思いました。

 午後2時から市のグリーンホールにて「ロシア・ナショナル管弦楽団 ミハイル・プレトニョフ」公演を堪能。
 ブログラムは――

  • モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 KV491
  • チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64

 モーツァルトの協奏曲は、指揮:ヴァディスラフ・ラヴリック、ピアノ:プレトニョフ。
 ブレトニョフの使うピアノは「SHIGERU KAWAI」だそうで、華やかな音ではなく、いぶし銀のような馴染みやすさと温かみのある音。モーツァルトの音がそのまま胸に沁み込んでくるようでした。音楽に包まれ、音楽に浸る喜び。

 チャイコフスキーの5番は、指揮がプレトニョフ。
 ロシアの大地が感動で揺れ動くような、ロマンチックで雄大で優しい音楽。幽体離脱して、広大な森や湖を見下ろしているような気分になりました。管楽器の音の美しいこと。

 素晴らしい午後のひと時を過ごして、今もしあわせ♪


ネット作り

2015-06-26 21:13:51 | 園芸

 とりあえずの締切をクリアしたので、今日はちょっとした工作。

 ミミズ御殿をすっぽり覆うネットを作ろうとしています。キノコバエ(正式名称:チビクロバネキノコバエ)対策。
 室内に電撃殺虫器をぶら提げておけば、ほとんどは退治できるのですが、できればその前の段階でやっつけたい。今年は無理としても、来年は、侵入を許さず、発生そのものを防ぎたい。
 というわけで、効果を試す意味合いもあって、とりあえずミミズ御殿を網で覆ってしまおうと考えました。

 網の素材は園芸用防虫ネット。網目が0.25mmなので、さすがのキノコバエも通り抜けることはできますまい。
 問題は継ぎ目に隙間をつくらないこと。ミミズ御殿の蓋を開閉する必要があるので、ネットはファスナーで開閉できるようにするつもりですが、その継ぎ目が特に難しそうです。

 今日は切断とだいたいの形づくりまで。何日かかけて少しずつ、ゆっくり作るつもりです。