惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

『21世紀少年』

2007-10-02 20:32:51 | アニメ・コミック・ゲーム
 昨日、本屋に行ったら下巻がたくさん並んでいました。もちろんすぐに買って帰り、今日、数か月前に買ったまま読まずにおいてあった上巻と併せて一気読み。

 これで『20世紀少年』(浦沢直樹著、小学館ビッグコミックス)の物語もおしまい。ずいぶん長い間、楽しませてもらいました。

 なんか、気が抜けてしまったような感じになりました。
 『20世紀少年』22巻と『21世紀少年』2巻――1970年以降の現実と、昔、自分たちが思い描いた未来とを思い浮かべながら、どきどきわくわくしながら読み続けていたように思います。
 もしかしたら、読み返してみると「あの興奮は何だったのだろう?」ということになるかもしれませんが、先へ先へと引っ張りつづけた力とキャラクターたちの素晴らしい魅力に感謝。

 この作品には少年の心を捉える物語の魔力と、現実の不可解な側面との関係が潜んでいます。それは間違いがない。そして、そのことが私を夢中にさせた原因だったのではないかと思います。


少女マンガ

2005-12-20 20:30:29 | アニメ・コミック・ゲーム
 昨日の話の関連で、少女マンガについて。

 大学生時代は〈ヤングコミック〉などの青年マンガと一緒に少女マンガも読んでいました。購読していたのは〈月刊セブンティーン〉〈別冊りぼんコミック〉など。水野英子さんの『ファイアー』が連載されていた頃で、一条ゆかりさんなんかが登場してきてましたっけ。
 で、私のお気に入りは、昨日も書いたように西谷祥子さん、大島弓子さん。ほかには萩尾望都さん、樹村みのりさん(「病気の日」が特に好きでした)。
 あ~、こんなこと書いていると凄く恥ずかしいけれど、反面、うれしい気持ちもフツフツと……。

 学生時代はボロアパートにひとり住まいでしたが、ある時、上京してきた田舎の叔父が同行の町長さんと一緒に部屋へやってきたことがありました。その時、見た部屋の中の光景がよほど印象的だったのでしょう、町長さんにはそれから会うたびに「キミの部屋は女の子のマンガばっかりだった」といわれました。

 少女マンガを読むようになったのは、たぶん〈COM〉に矢代まさ子さんの作品が載っていたから。日常をていねいに描く作風を見て、少女マンガの可能性を知りました。
 SFを読みながら、日常の細かな手触りの大切さを考えていたんでしょうかねえ~。奇妙な大学生時代だったかもしれない。


萌えた?

2005-12-19 20:38:37 | アニメ・コミック・ゲーム
 あれこれ忙しくしておりました。更新できなくてすみません。
 でも、おかげで年内の締切はあと1件というところまでこぎつけました。これをクリアできれば年越しの準備が始められます。

 大泉実成『萌えの研究』(講談社)や本田透『萌える男』(ちくま新書)――傑作!――を読んで、「オタク」や「萌え」について考えました。
 大泉さんの本には「オタク3世代論」というのがあると書いてあって、

  • 第1世代……1960年前後生まれ。現在45歳前後。テレビの影響が決定的。
  • 第2世代……1975年前後生まれ。現在30歳前後。ファミコンでゲームに目覚めた。
  • 第3世代……1985年前後生まれ。現在20歳前後。パソコンでゲームをやってきた。
 となるのだそうです。
 現在50歳代なかばの私なぞはオタク以前の存在なのですが、でも、まったく無関係とはいえないような気がします。
 さらにいえば、私よりもっと年長の伊藤典夫・横田順彌・荒俣宏といった人たちがオタクのルーツなのではないかと考えるのです。SFや本の世界に耽溺するライフスタイルを、彼らは若い人たちに教えた。それよりさらに年長の植草甚一さんあたりになると、今のオタクへつながる流れとは別なのかもしれませんが。

 で、我々が何に「萌え」たのかというと、伊藤典夫さんや私の場合は西谷祥子さんのマンガに登場する少女だったのかも。周囲には「不思議の国」や「鏡の国」のアリスに萌えている人もいました(今も?)。そんな我々にとって、少し後になりますが、大島弓子さんの「綿の国星」のチビ猫の登場はショッキングな出来事でした。
 でも、「彼女」たちと付き合う時間はそんなに多くありませんでした。マンガだったせいで、アニメやゲームほど継続して長く楽しめる対象ではなかったということのなのかもしれません。が、それより何より、SFというジャンル全体に関心がいってしまい、「萌え」は主たる目的にはなり得なかったのでしょう。

 「萌え」にばかりうつつをぬかす世相が、そんな過去を生きてきた私には、ちょっと寂しく映るのは事実です。


「萌え」とは?

2005-07-17 20:51:04 | アニメ・コミック・ゲーム
 昨日のSF大会オープニングの写真説明で野田昌宏さんのお名前が間違っておりました(「昌弘」となっていました)。お詫びして訂正いたします。

 このことを電話で教えてくださったTさん(ありがとうございます)が、その後、ついでに(というか、こちらが本題だったのかもしれない)14日の日記で紹介した2冊の文庫本のカバーについて、
 「ハヤカワのやつの方は萌えではなくて、単にマンガの絵を使ってあるだけです」
 と、断言なさる。

 ポール・J・マコーリイの『4000億の星の群れ』のことですね(ジャンプして早川書房の「新刊案内」ページが表示された場合は、一度「戻る」ボタンを押し、もう一度クリックしてみてください)。
 うーむ、これは「萌え」線ではないのか。
 もう1冊のアン・ハリス『フラクタルの女神』の方については何もいわなかっので、こちらは「萌え」の対象と見ていいらしい。
 どこが、どうちがうのか?

 家の者に聞いてみました。
 妻なる女性――「どちらも好きじゃない」
 20代前半の息子――「『4000億――』は明らかに違う。『フラクタル――』の方もビミョー」
 「侘び・寂び」の世界もいわくいいがたいところがありますが、今やそれと並ぶ日本文化のキーコンセプトとなった「萌え」も同様なようですね。

 勝手に推測するところでは、萌えの場合、露骨に成熟した女性のエロスを感じさせてはならないのではないでしょうか。無垢で、可愛くて、親しみやすい存在であって欲しい、エロスを本人が強く自覚していてはいけない――そんなような気がする。

 Tさんは「萌えは難しいから、うかつに使わない方がいいですよ」と助言してくださる。
 でも、まあ、誤解を正すところから正確な理解に到達するしかないので、今後も何か気になった場合は使うつもりです。変だと思われたら、厳しいツッコミを入れてください。


ダンさん

2005-07-06 21:25:48 | アニメ・コミック・ゲーム
 朝日新聞朝刊でマンガ家の永島慎二さんが先月10日に亡くなられていたことを知る。

 高校時代に読んだ『漫画家残酷物語』(朝日ソノラマ・サンコミックス)が何といっても強烈でした。貸本屋向けのマンガ雑誌にポツリポツリと発表していた短編をまとめたものだと思いますが、マンガに情熱を傾ける青年の姿を描き、他に例のない私マンガ的境地を拓いていました。主人公たちの激しい生き方は、マンガに限らず、真摯に向き合う対象を持つことの崇高さと悲惨さとを教えてくれたものです。
 雑誌〈COM〉に連載されていた『フーテン』を読んだのも、ほぼ同時期だったはず。新宿でフーテンと交流する主人公のナガヒマヒンジことダンさんは、私の中では、アメリカ西海岸でヒッピーと同居していたSF作家フィリップ・K・ディックと通じるところのある人物でした。

 亡くなられた6月前半当時、朝日新聞東京版では「中央線の詩/青雲・阿佐ヶ谷」という企画特集で永島さんを取り上げています(5月31日~6月15日掲載分)。この連載が永島さんへの手向けになってしまったのは何とも感無量。
 それにしても朝日新聞はもう少し早く取材した人の消息を知ることができなかったものでしょうか。訃報が遅過ぎると思いました。

 我が家のどこかに〈刑事〉に掲載された「陽だまり」(だったと思います。『漫画化残酷物語』中の一編)を切り抜き、綴じた自家製本があるはずなのですが、例によって発掘することができません。残念。

 この前の高田渡さんといい、永島さんといい、中央線沿線の文化人には個性的で、影響力の強い人が多いですね。

 永島さん、素晴らしいマンガをありがとうございました。安らかにおやすみください。