あれこれ忙しくしておりました。更新できなくてすみません。
でも、おかげで年内の締切はあと1件というところまでこぎつけました。これをクリアできれば年越しの準備が始められます。
大泉実成『萌えの研究』(講談社)や本田透『萌える男』(ちくま新書)――傑作!――を読んで、「オタク」や「萌え」について考えました。
大泉さんの本には「オタク3世代論」というのがあると書いてあって、
- 第1世代……1960年前後生まれ。現在45歳前後。テレビの影響が決定的。
- 第2世代……1975年前後生まれ。現在30歳前後。ファミコンでゲームに目覚めた。
- 第3世代……1985年前後生まれ。現在20歳前後。パソコンでゲームをやってきた。
となるのだそうです。
現在50歳代なかばの私なぞはオタク以前の存在なのですが、でも、まったく無関係とはいえないような気がします。
さらにいえば、私よりもっと年長の伊藤典夫・横田順彌・荒俣宏といった人たちがオタクのルーツなのではないかと考えるのです。SFや本の世界に耽溺するライフスタイルを、彼らは若い人たちに教えた。それよりさらに年長の植草甚一さんあたりになると、今のオタクへつながる流れとは別なのかもしれませんが。
で、我々が何に「萌え」たのかというと、伊藤典夫さんや私の場合は西谷祥子さんのマンガに登場する少女だったのかも。周囲には「不思議の国」や「鏡の国」のアリスに萌えている人もいました(今も?)。そんな我々にとって、少し後になりますが、大島弓子さんの「綿の国星」のチビ猫の登場はショッキングな出来事でした。
でも、「彼女」たちと付き合う時間はそんなに多くありませんでした。マンガだったせいで、アニメやゲームほど継続して長く楽しめる対象ではなかったということのなのかもしれません。が、それより何より、SFというジャンル全体に関心がいってしまい、「萌え」は主たる目的にはなり得なかったのでしょう。
「萌え」にばかりうつつをぬかす世相が、そんな過去を生きてきた私には、ちょっと寂しく映るのは事実です。