惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

白粉花

2011-07-31 21:30:15 | 草花
 今日は涼しかった。室温はほぼ26度で一定。外はもう少し温度が低かったでしょう。
 7月は、初めがもう梅雨も明けたかのようで暑く、おしまいはまた梅雨になったかのようで涼しい。奇妙なひと月でした。

Oshiroibana1107 ステレオグラムはオシロイバナ。熱帯アメリカ原産で、オシロイバナ科の多年草。

 花は、赤、ピンク、黄、斑入りと色々なバリエーションがあり、アメリカでは「ペルーの不思議」と呼ぶそうです。
 これは白い花ですが、メシベの先が赤く、オシベの先が黄色い。取り合わせが面白いので撮ってみました。
 オシベは普通5本ですが、なぜか、この花には3本しかありません。手抜きでしょうか。
 また、夕方、花開くオシロイバナは明け方には閉じますが、その際、ツユクサと同じようにオシベとメシベを巻き上げて自家受粉するそうです。

 ところで、オシロイバナには花びらがないといいます。先の開いたラッパ状の、この「花」は、実は萼(がく)ということになるようです。
 花びらも萼も葉っぱの変化したものですが、2重に作るのは面倒なので、やはり手抜きして、萼だけにしたのでしょうか。それにしても色鮮やかです。


秋の田村草

2011-07-30 21:07:02 | 草花
Akinotamuraso1107 今日のステレオグラムはアキノタムラソウ。ようやく写真が撮れました。シソ科の多年草。

 「秋の」とついていれば「春」は? 「夏」は? と聞きたくなりますが、どちらもちゃんとあるそうです。
 ハルノタムラソウは春に白い花を、ナツノタムラソウは初夏から夏にかけて濃紫の花をつけるそうです。

 それにしても「田村草」という名には違和感があります。「田村」って何? 人の名前なんでしょうか?
 「山田草」とか「中村草」なんてないですよね。なぜ「田村」だけ?

 花は下の段から順に咲いてゆくので、時間を経た形が積み重なって見られます。
 いちばん上がつぼみ。2段目が咲いたばかり。3段目、4段目と時間が経っています。
 2段目の段階を手元の図鑑では「大口を開けたカバ」と呼んでいます。なるほど。黒っぽい2つの「歯」はオシベの先端の葯。

 葯は花粉を出し終わると、3段目、4段目のようにくるりと下を向いてしまいます。
 その後でメシベが、他の花の花粉を受け入れようと首を伸ばすそうです。3段目のいちばん左の花の「上唇」の先に見えている小さなY字型の突起がそうだと思います。
 この花は、あくまでも「異花受粉」でゆく道を選んだわけですね。

 〈小説推理〉9月号発売中。担当のSFレビューで次の5作を取り上げています――

  • ロバート・チャールズ・ウィルスン『クロノリス―時の碑―』(茂木健訳、創元SF文庫)
  • 田中啓文『罪火大戦ジャン・ゴーレⅠ』(ハヤカワSFシリーズJコレクション)
  • オーエン・コルファー『新 銀河ヒッチハイク・ガイド〈上・下〉』(安原和見訳、河出文庫)
  • 小川一水『天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち』(ハヤカワ文庫JA)
  • 梶尾真治『ゆきずりエマノン』(徳間書店)
 『罪火大戦ジャン・ゴーレ』と『新 銀河ヒッチハイク・ガイド』は東西バカSF対決。日本のバカが勝つか、イギリスのバカが勝つか。暑い夏に読み比べてみよう!

人間と文学

2011-07-29 22:00:15 | ひと
 人は、自分のもっているモデルの範囲内でしか、ものごとを捉えられないだろう。だから、ある人物を見て、「ああいう人だ、こういう人だ」と判断するのも、当人の抱いている人間観の中でのことになってしまう。
 小松左京という人のことを考えていると、どうしても自分の持っている人間観、人物像というものの小ささ、ありきたりさに気づかざるを得ない。
 やたらにデカくて、想像の範囲を超えた人なんですよね。
 一日、小松さんのことを考えていて、そう思わざるをえませんでした。

 たとえば『SFへの遺言』の冒頭部分にある、第五福竜丸事件についての次のような言葉――

 ……珊瑚礁の島が1つ全部煙になってしまった。広島に落ちたのは20キロトンだけれども、その頃になるとメガトン級になってきた。僕らは戦争中に1トン爆弾の威力は知っているわけですよ。1トンというのは、どんなにものすごいか。それの2万発分が原爆、さらにそれが百万発分になってきたので、これは人類史はもうお笑いだと思ったんだな。
 あきれて、笑うしかないことをやってしまうようになった人類。
 その人類のことを知り、考えることを自分の仕事にしようとした小松さん。こんな人、そうそうはいません。
 上の発言のあとには次のような言葉が続きます――
 その時の決意は運動とか党派性でやってもどうにもならん。これは「個人の責任」として引き受けるよりしょうがない。だから、文学だったんですね。
 ここにある「文学」は、従来の意味での「文学」とはすでに別ものとしかいいようがありません。小松さんという人間はもちろん、その文学も、特別でした。

小松左京さん

2011-07-28 21:32:23 | ひと
 亡くなられてしまった……。

 SFを読み始めた時にはもう凄い作家でした。田舎の家の縁側で読んだ『果しなき流れの果に』や『日本売ります』……。
 縁あって『SFへの遺言』(1997 光文社)と『日本沈没 第二部』(2006 小学館)に携わらせてもらえたことは、人生の奇跡か。いくら感謝してもしたりないぐらい可愛がっていただきました。

 お聞きした色々なエピソードが次々と甦ってきます。
 星新一さんとの夜ごとの「ラブコール」。新婚時代、奥さんのためにアパートで毎日書いてはちゃぶ台に載せておいた『日本アパッチ族』。徳間書店の社長に「賞金とパーティーを持ってくれ」と持ちかけて創設した日本SF大賞……。
 これから思い出しては整理してゆかなくてはなりません。

 本当にありがとうございました。


露草

2011-07-27 21:07:34 | 草花
 朝、小雨が降ったので少し涼しいかなと思っていたのですが、午後から夜にかけて蒸し暑さが増してきました。やっぱり夏だ。

Tsuyukusa1107 今日のステレオグラムはツユクサ。ツユクサ科の一年草。夏の朝の花ですね。

 花びらは3枚。上の2枚は大きくて青い。下の1枚は小さくて白い色をしています。

 問題はオシベ。
 黄色い小さな花のようなのが3つありますが、これがオシベです。ただし派手なだけで花粉をつけない「お飾り」です。虫を誘う役目を担っているとのこと。
 それより少し先に、黄色と茶色が混じったようなものがありますが、これもオシベ。やはり葯(花粉袋)ばかりが目立ちますが、ほとんど花粉はつけません。虫を誘う係の「補欠」といったところでしょうか。

 そのさらに先に、先端がくるくる巻きになった3本の器官があります。この中央がメシベで、両側の2本がいわば「本命のオシベ」。きちんと花粉をつけ、子孫を残す任務を果たします。

 つまり、ツユクサのオシベは6本あり、きちんと花粉をつけるのは長い2本だけなんですね。「お飾り」は虫の勧誘に徹し、栄養を消費する花粉製作からは手を引いてしまっています。

 実は、ツユクサにはもうひとつ秘策があります。それは3本の「くるくる」。

 この写真はお昼近くになって撮ったので、もう花も終わろうとしているところ。この段階になると、万一、虫の力で受粉できなかった時のことを考え、本物のオシベとメシベをくるくると巻き上げ、自分ちで受粉してしまうのだそうです(つまりこの3本も最初はまっすぐ伸びていたのです)。
 「自家受粉」あるいは「同花受粉」ですね。本命は他の花との異花受粉で、これはあくまで最後の「保険」。あれこれ考えて、ツユクサも必死のようです。