さて、レースは最強と思っていたアンライバルドが来ません。最終コーナーを回って後ろの方でしきりに鞭を入れているけれど、まったく伸びず。
対照的にロジユニヴァースは良いところに位置していて、内側からきれいに抜け出しました。完勝。皐月賞の雪辱を果たしましたね。横山ジョッキーの嬉しそうだったこと。
私の馬券は当たりませんでしたが、でも、最終レースの目黒記念は当てたので、まずまず満足。
バクチで勝つと嬉しいなあ。
さて、レースは最強と思っていたアンライバルドが来ません。最終コーナーを回って後ろの方でしきりに鞭を入れているけれど、まったく伸びず。
対照的にロジユニヴァースは良いところに位置していて、内側からきれいに抜け出しました。完勝。皐月賞の雪辱を果たしましたね。横山ジョッキーの嬉しそうだったこと。
私の馬券は当たりませんでしたが、でも、最終レースの目黒記念は当てたので、まずまず満足。
バクチで勝つと嬉しいなあ。
我が家の引っ越し当日の26日に亡くなられた栗本薫さん。私にとってはどうしても「中島梓さん」ということになりますが、それはお会いした1979年初頭、彼女はSF界では作家というより、評論家として仕事をなさっていたから(といっても、すぐに「グイン・サーガ」を書き始めましたが)。
特に忘れられないのは、1979年4月から文化放送で始まった「ハヤカワSFバラエティ」というラジオ番組でのお付き合い。
当時、ブームが拡大中だったSFをテーマとする対談&トーク番組(確か、週1回で15分か20分だったような)で、中島さんがキャスターを担当。田舎の放送局を辞めて上京後、間もなかった私は台本書きをやらせてもらいました。
といっても彼女は私の台本をほとんど当てにせず、ご自分のペースで話を進められましたが……。それでも、毎週、お会いして一緒に仕事をしていたので、随分と親しく感じていました。
当時、中島さんは「才女」の名をほしいままにしていて、番組の録音スタジオに報道部の記者がやって来て、時事問題についてコメントを求めたりすることもありました。
そんな時、中島さんは決してひるむことなく「ちょっと待ってください」と額に手をやり、数秒考えた後にスラスラとコメントを述べられ、「なるほど、これは確かに才能溢れる人だ」と感嘆したものでした。
その後、放送も終わり、なんとなく遠ざかっていましたが、しかし、56歳での逝去はなんとも残念。
ご冥福をお祈りします。
本も身のまわりの品もしっかり荷造りを終えて、余裕で引っ越しを迎えることができそう。前回とはえらい違いだ。少しは学習能力があるということでしょうか。
きちんと整理をして箱に詰めなくては、という強迫観念から逃れられたのが、楽になった第一の理由ではないでしょうか。
どうせすぐに荷解きをするのだから、とりあえず運びやすいような形にしておけばそれでOK、と割り切るのがいいようです。
ようやく引っ越しのコツを掴んだようなのに、たぶん、これが生涯最後の引っ越しになるかもしれないな。それが良いと思っています。
とはいうものの、あぶなかった。最終コーナーでは後ろから2番目。普通にゆけばこれでも問題なかったのでしょうが、安藤勝己騎手が迷ってしまったそうですね。「コースを内にとるか、外からゆくか」と。
ダッシュがなかなかかからず、「さすがの最強牝馬も今日は届かないか」と思っていたら、最後の最後にぐいぐいと詰め寄ってゴールではわずか鼻差ながら、差し切ってしまいました。
ハラハラしたけれど、やっぱりあきれる強さ。凄い馬です。
本の整理を終了。長く続いた古本屋での処分もひとまずおしまいとなりました。
私の計算では、ミカン箱にして55個分、本を売り払ったことになります。2000冊あまり?
残っているのは、その4倍くらいでしょうか(文庫本がどれくらいになるのか、よくわかりませんが)。なんとか書庫に収まりますように……。
他に、単行本や文庫も少し運び、こちらは書架に並べてみました。
移動書架の棚は、奥行きがA4用のとB5用のとがあります。
A4用だと普通の単行本を並べ、その前に文庫本を並べるとぴったり収まります。しかし、B5用だとはみ出してしまう。
本のサイズで使い分けるようにするつもりなのですが、ジャンルとの兼ね合いが難しそう。
とりあえず、本の移動が始まったので少し安心しているところ。仮住まいと自宅との間を、カートを押して何回も往復しています。