今日も夏日。最高気温 25.2℃(隣町アメダス)。
朝、市民農園から戻って庭木の剪定をしていたら、日当たりがよいもんだから、暑くって。明日は外出なんですけど、どんな格好をしてゆけばいいのか、悩ましい。
夕方は駅前の書店へ出かけ、知人はみんな手にしている(ように感じる)筒井康隆さんの新刊を買ってきました。
挿画はとり・みきさん。
まだちょっと読んだだけです。なんだか読むのがもったいない気が。
今日も夏日。最高気温 25.2℃(隣町アメダス)。
朝、市民農園から戻って庭木の剪定をしていたら、日当たりがよいもんだから、暑くって。明日は外出なんですけど、どんな格好をしてゆけばいいのか、悩ましい。
夕方は駅前の書店へ出かけ、知人はみんな手にしている(ように感じる)筒井康隆さんの新刊を買ってきました。
挿画はとり・みきさん。
まだちょっと読んだだけです。なんだか読むのがもったいない気が。
よく晴れて、比較的あたたかい一日。
最高気温 11.0℃(隣町アメダス)。昨日と同様、平年より1℃ぐらい高めとなりました。
仕事の本のかたわら、もったいないので少しずつ読んできた、いしいひさいちさんの『ROCA 吉川ロカ ストーリーライブ』(自費出版)をとうとう読み終えてしまいました。
こんなふうに終わるとは!
以前、朝日新聞の連載四コママンガ「ののちゃん」に、たまに登場していた高校生のファド歌手の物語。四コマのギャグエピソードを積み重ねることで、歌手デビューまでの道のりが描かれます。
主人公の吉川ロカとバディ(といっていいのか)の柴島美乃のキャラが素晴らしい。キクチ食堂のおばばもよい仕事をしています。
すごいものを読んでしまった。しかも、笑いながら。
午後はカーリング日本選手権・女子決勝「ロコ・ソラーレvsSC軽井沢クラブ」。
全部は見られませんでしたが、序盤にロコ・ソラーレがプレッシャーをかけて軽井沢のミスを誘ったのが最後まで効いたような気がします。さすが。
世界選手権での活躍を祈ります。
昨日、少女マンガをテーマにした小説について書きましたが、作者である大島真寿美さんの出身高校は愛知県立昭和高等学校。山田正紀さんと同じなんですね。もちろん、年齢は大島さんがずっと下ですが。
彼女が作家になるにあたっては、山田正紀さんの講演が深くかかわっているということをWikipediaなどで知りました。
大島さんが高校生だった頃、山田さんが母校で講演なさったのだそうです。
質疑応答で、ある生徒さんが「作家になりたいんですが、どうしたらいいんですか?」と質問したところ、山田さんは「新人賞に応募しなさい」と答えられたとか。
それを覚えていた大島さんは、後日、作家をこころざした時、「新人賞に応募しよう、よく漫画を読んでいた集英社にしようと思った」というのです(「WEB 本の雑誌」のインタビュー)。
そんなご縁があったんですねぇ。
今日は、午前中は雨、午後は晴れ、というきっぱりとしたお天気。
朝は家にいて、午後、畑へ出かけて草むしり。その後でひさびさにブックオフへ。
ブックオフへは本を売るのが目的。仕事に使ったり、使わなかったりして用済みになった本をもちこみました。
ついでに中古CDを数枚購入(あさみちゆきさんと山崎ハコさん)。
最近は、かつてエアチェック(死語?)した歌謡曲ばかり聞いていましたが、CDもまた聞きたい気分になりました。
ほんの少しだけど、こちらの姿勢が変わるんですよね。
曇り空から雨が落ちてきたり、かと思うと陽が射したり。最高気温 31.5℃(隣町アメダス)。
いつもなら畑に出かける時間帯に雨が降っていたので、今日は農作業なし。
今日、発売された〈小説すばる〉9月号。新連載の小説に心を引かれました。
この雑誌では北大路公子さんの連載エッセイ「キミコのよろよろ養生日記」を楽しみにしています。
病気を克服して、日常をとりもどしてゆく様子を楽しみにしているなどというのは不謹慎かもしれませんが、この人の文章は本当におもしろい。ツイッターもフォローさせてもらっています。
さて、気になった新連載とは、大島真寿美さんの「生まれたての星」。
目次では「少女漫画黎明期に光を当てた大河長編、待望の連載開始!」と紹介されています。
神田神保町にビルを構えた出版社に勤める若い女性が主人公。アポロ11号の月着陸の話題から始まるので、1969年7月ですね。
高卒で就職し、経理補助として少女マンガ誌〈週刊デイジー〉と〈別冊デイジー〉を編集する部署に配属された、とあります。
花の名前の週刊誌といえば〈週刊マーガレット〉でしょう。発行は集英社。神保町にあります。ちょっと名前を変えて、当時の少女マンガのことを内側から描いてくれるのかな。
今回、〈別冊デイジー〉を姪の小学1年生が夢中で読んでいるところが出てきます。
そのあたりはこんなふう――「ちらりと表紙が見えた。/大きな貝をもった、外国人の女の子。(中略)あれは、夏休みおたのしみ号と銘打たれた最新号――八月号――だ」。
この画像を見ると、〈別冊マーガレット〉1969年8月号そのままですね。
当時の〈マーガレット〉といえば、ちょうど大島弓子さんがデビューしたての頃。衝撃的だった『誕生!』の連載は翌1970年。
さて、どうなるか。楽しみです。
積読本がひとつ片付きました。フランスの哲学者フロランス・ビュルガの『そもそも植物とは何か』(田中裕子訳、河出書房新社2021)。
市民農園で野菜を作ったり、このところ植物との付き合いが深まり、植物という存在をあれこれ考えてみたいと思っていた時に目についたのがこの本。
哲学者が考えるというところが、植物学者の書いたものとは違っておもしろいかもしれないという気がしました。トマス・ネーゲルの名著『コウモリであるとはどのうようなことか』(永井均訳、勁草書房1989)を楽しんだことも少し頭をよぎったかも。
タイトルどおりの内容なのですが、たぶん、著者にとってこのテーマを選択したきっかけのひとつには、最近、「植物を虐待していいのか?」などと、あたかも植物が苦痛を感じる生きものであるかのような論調が一部に出てきていることがあるのではないでしょうか。そして、もうひとつは環境問題の中で植物が果たす役割が大きいので、そこを改めて指摘したいと考えたのでは。
著者は、動物と比較して、植物がどのような生きものであるかを考えるところから出発します。バクテリアや菌類も比較の対象にした方がいいのでは、とも思いましたが、ま、ここらあたりは哲学的伝統にのっとっているのでしょう。
著者は次のようなヘーゲルの考察を紹介しています――
植物の「内面性」や「主観性」はともかく、「真の性的関係」をもたないかどうかは留保したいところ。胞子の運動や花粉と子房との出会いなどを見ると、強い性的関係を感じますし、花という器官の発達ぶりなどを見ても、動物とは別の「性的関係」への指向があるといえそうです。
こういったことはヘーゲルに聞くより、現代の植物学者に聞くべきではなかったでしょうか。最新の科学的事実から出発して、植物と人間との関係を問いなおす方がよかったという気がしてなりません。
あれこれ哲学者の植物に関する意見を参考にしたあげく、著者は「わたしたちと植物には何ひとつとして共通点がないのだ」と、いささか匙を投げているようにも見えます。
けれども――
このあたりが結論になるように思われます。
うーん、植物とは何かについては、やはり自分で考えるべきかもしれません。
夕方の散歩で見た、西の空。
柏野小学校の南側の農道から撮影しました。灰色の層雲の彼方で、高層雲(?)が夕日を浴びています。この後、少しピンクに染まりました。明日は晴れるかな。