惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

古いソファ

2006-07-31 20:50:50 | 日曜大工

 1人用の小さなソファの解体――というか、必要があって背もたれを切り詰めたのですが、半分、解体するようなことになってしまった。
 布をはがし、詰め物を出し、木の背もたれをジグソーで切断してから、ヤスリで形を整え、また詰め物を詰めなおして、新しい布で覆うという作業。

 古いソファの詰め物にはワラまで使われていて感心しました。その上を粗い麻布で覆い、ラグを張って、表面の布があるという丁寧な作り。麻布や表布の見えないところは無数の釘でしっかりと留めてあります。これを抜くのがひと苦労。
 整え直すのは実にルーズな手抜き仕事で、本当は針と糸で縫うべきところも、タッカーを打つことで間に合わせてしまいました。元の椅子を作った職人さんには申し訳ないことです。

 でも、もはや椅子としては使ってなくて、もっぱらオットマンにしているソファなのです。
 そのオットマン(ソファ)を置く場所が窮屈になったので、不用な背もたれを切り詰めてみたのでした。
 元の場所に戻してみると、首尾はまずまず。これで足をのせて本を読むのが楽になりました。


奏楽堂コンサート

2006-07-30 20:38:02 | まち歩き
 午後、上野公園まで出かけ、旧東京音楽学校奏楽堂にて「チェコの宝石~ドヴォルジャークのピアノ曲と歌曲~」というコンサートを聴く。

 ドヴォルジャークの歌曲やピアノ曲は珍しいように感じます。普通は「新世界」などの交響曲か「スラヴ舞曲」(ピアノ連弾か管弦楽)、あるいは「ドゥムキー」といった室内楽曲ではないでしょうか。でも、小ぢんまりとした曲は国の重要文化財である奏楽堂によく似合っていました。ピアノ独奏は息子が担当させていただきました。

 奏楽堂の中に入るのは初めて。前を通るたびに「中はどんなだろう?」と思っていたのですが、夢がかないました。しかも、入館料(300円)だけでコンサートまで聴けるというありがたさ。
 明治23年に建てられた(その後、現在の場所に移築されています)木造洋館はさすがに古めかしく、落ち着いたたたずまい。1階は木で出来た洞窟といった感じの狭い部屋が並んでいますが、2階のホールに上がって驚きました。すっきりと広く、心地よい開放感があります。

 おりしも関東地方は今日が梅雨明け。窓からは木の葉の緑に染まった陽光が射しこみ、セミの声もかまびすしい。そんな中で昼下がりのコンサート。良い時間が過ごせました。

 時々、無料コンサートが開かれているようですから、上野の森の散策の際にはコースに組み入れてみるのもお勧めかと思います。


吉祥寺界隈

2006-07-29 21:32:08 | まち歩き
 午後、自転車で吉祥寺まで。
 ミステリ専門書店「トリック・トラップ」に寄った後、同じ通りを少し駅方向に進んで「ビデオ・インフォメーション・センター」でDVD-RWとMDを購入。その後、「リブロ吉祥寺店」を覗いて、何冊か本を物色。でも、買わずに帰る。

 なぜ本を買わなかったかというと、アマゾンのクーポンを使わないといけないことを思い出したから。500円ぶんあるので、けっこう大きい。
 で、割引後の値段が5000円を超えると、またクーポンが来ます。だから、なるべくまとめて注文したいのです。我ながらセコイですね~。
 でも、これやってたら毎月アマゾンでお買い物することになってしまうなあ。

 吉祥寺からの帰り道、いつもは井の頭公園を抜けてジブリ美術館の裏を通り、杏林病院前へとまっすぐ南下するのですが、今日は少し西寄りにコースを取って「肉のハナマサ三鷹店」へ寄り道。
 最近、ここの安いワインをあれこれ試しているのです。でも、1000円以下だとちょっと条件がきついかな。今度のはどうでしょうか?


ゲスト出演

2006-07-28 20:27:12 | 本と雑誌
 もの書きが他人の作品に実名で登場するのを「ゲスト出演」などといっていいものかどうか。
 しかし、まあ、ともかく、そういうようなことになっております。浅暮三文さんの『ペートリ・ハイル あるいは妻を騙して釣りに行く方法』(牧野出版)の77ページ。

 これは楽しい釣りエッセイ集。特に、結婚をきっかけに毎年の夏、奥さんとヨーロッパへ出かけてはマス釣りをした思い出を語る前半が素敵です。
 その部分の最終回ともいうべきところに、あろうことか私ごときものが登場して、お2人の釣り行脚に水を注す。チョイ役です。
 何をしたのかというと、森下雨村の書いた「細君釣り教育」というエッセイを浅暮さんに手渡す、ただそれだけですが、「浅暮君、ふふふ、こんなのが出てきたよ」というセリフもあります。

 振り返ってみれば、実際にそんなことがあったような気がします。それを浅暮さんがエッセイの題材に紛れ込ませてくれたようです。

 他人に書かれた自分の姿は、なんだか録音された我が声を聞く時のような気恥ずかしさがありますね。
 でも、よろしかったらご一読を。できればお買い上げいただけると、浅暮さんも喜ぶと思います。


昭和33年の科学小説

2006-07-27 20:46:16 | 本と雑誌
 広島の渡辺晋さんのご厚意で雑誌〈医家芸術〉臨時増刊号を送っていただきました。同誌に掲載された座談会のアンコール特集。
 中に昭和33年6月号の「探偵作家楽屋ばなし」というのがあります。出席者は江戸川乱歩さんと式場隆三郎さん。

 そのごく一部――

編集部 今科学小説だの、宇宙小説が盛んでしょう。科学小説と探偵小説ということで先生なんかどういうふうに材料をお使いになるんですか。

江戸川 探偵小説が好きなやつは科学小説も好きですね。日本にはまだはっきりした科学小説は生れていません。まあ科学小説の卵みたいなのがいくらか出ているが、専門の雑誌というほどのものもないので、今のところは探偵小説と一緒にやっていますよ。「宝石」にも科学小説を毎号一つは載せたいのだが、それがないくらいですよ。……(中略)……そのうち出てくるでしょう。そうすると科学小説家というもののグループが出てきて、専門の雑誌も出ると思うのですが、今のところ探偵作家と一緒になっているような形ですね。それに一般の読者が最新科学を別に知っているわけではないでしょう。だから化学方程式を出したり、数学のいろいろな式を出せば、科学的にはなるでしょうが、そういうものは一般人には読めない。結局だれでもわかるように書かなければならない。今の尖端的科学というものは常識的に書けないところにいっていますからね。

 昭和33年(1958)といえば、元々社の〈最新科学小説全集〉はすでに刊行を終え、早川書房の〈ハヤカワファンタジイ〉が前年末から刊行されていた頃。星新一さんのデビューも前年の〈宝石〉11月号でした。
 まだ「SF」という言葉が一般的でなかったことが、よくわかりますね。〈SFマガジン〉の創刊は翌34年の12月でした。