惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

翡翠

2015-02-27 20:30:50 | 野鳥

 JRAの後藤浩輝騎手、自殺。享年40。
 ファンでした。ショックです。
 騎手としてだけでなく、豊かな趣味を楽しむ、明るい性格の好人物として、存在をうれしく思っていました。それだけに、「なぜ!?」と叫びたくなります。
 たび重なる落馬事故で、体調が思わしくなかったのでしょうか。ご冥福をお祈りします。

 

 

 カメラをずらす間に、カワセミは動くし、背後の漣も変化してしまいます。このステレオグラムには無理がありすぎ。
 ご愛嬌ということで。
 左側のフレームではウンチしてますね。

 

 「ベストSF2014」に5人目の投票がありました。nyamさん、ありがとうございます。

 明日28日(土)、24時まで投票を受け付けています。どうぞよろしくお願いします。
 要領はこちらから。


書影がいっぱい

2015-02-26 21:06:16 | SF

 ちょっとこの画像を見てください。

 

 

 右は隔月刊となった〈SFマガジン〉の4月号。只今、書店に並んでいます。
 特集はハヤカワ文庫SFが間もなく2000番に達するのを記念しての「ハヤカワ文庫SF総解説 PART1」。1番エドモンド・ハミルトン『さすらいのスターウルフ』から500番ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』までが紹介されています。
 森下は172番カート・ヴォネガット・ジュニア『ブレイヤー・ピアノ』の解説を担当しました。

 

 雑誌の表紙には1番から81番までの書影が並んでいます。
 この書影の列は口絵5ページから目次の右上まで及び、すべての表紙が見られるのですが、なぜか112、114、120、123番の4冊が「未刊行」ということで空白になっています。どうしたんだろう?
 じっと睨んでみると、どうやらこの4冊は〈ターザン〉シリーズに割り当てられていたみたい。いずれ出るんでしょうか?

 

 で、左側にあるもう1冊。

 

 こちらにも書影がずらりと並んでいます。高井信さんが執筆した「日本ショートショート出版史〔1957~1997〕~星新一とその時代~」という原稿のプリントアウトを高井さん自身が製本したもの。内容チェックのためで、非売品です(こちらを参照。私は特別にわけてもらいました♪)。

 

 でもね、私的な原稿とはいえ、この「本」は凄いですよ。星新一さんがデビューしてから亡くなるまでの間に出たショートショート本を網羅する書誌。いったい何冊あるのか、すべて高井さんが蒐集したものでカラーの書影がついています。私の2冊のショートショート集『夢の咲く街』(集英社文庫コバルトシリーズ)と『平成ゲマン語辞典』(双葉社)も載せてもらっています。
 これはいずれきちんとした本として刊行されるんじゃないかなあ。皆さん、希望を高井さんや出版社にどんどん寄せてください。


春風

2015-02-25 21:08:48 | 草花

 夕方、散歩の途中で寄った100円ショップ(ダイソー)に春蒔き種が出ていました。
 ダイソーには季節限定商品も多くて、この手のものはいつでも手に入るわけではないんですよね。

 

 ここの種がありがたいのは、2袋で100円(+税)と値段が安いこと。
 そのぶん中身の量は少ないのですが、コンテナ栽培だとたくさん苗を育てるわけではないので、これで十分。
 今日はホウレン草やルッコラの種を買ってみました。3月になれば、蒔けるかな。

 

 写真は早春に咲く椿「春風(しゅんぷう)」。


 

 

 3~4年前に庭の隅に植えた苗が2メートルあまりの大きさに育ちました。

 

 ご覧のように、微かな赤みをおびていますが、遠くから見ると、ほとんど真っ白な花。
 別名「香姫」といって香り椿の一種とされていますが、そばに行って鼻を近づけなければ、匂いはよくわかりません。
 ひとつひとつの花の寿命は短いものの、たくさんつぼみがつくので結構長く楽しめます。

 

 「ベストSF2014」に4人目の投票がありました。本橋牛乳さん、ありがとうございます。

 

 さらなる投票、お待ちしています。要領はこちら


こんなところに!

2015-02-24 20:47:26 | まち歩き

 夕方、ちょっと足を伸ばして、多摩川近くのホームセンター、くろがねや調布店まで。
 近くのスーパーで買い物を頼まれていたのと、鶴川街道の揺れる歩道橋を渡りたかったのもありました。

 

 で、ホームセンターで用を済ませて出ようとしたところ、駐車場出入り口の脇に奇妙なオブジェがあるのが目に入りました。
 枯れ尾花に紛れそうになっていますが、これはまさしく、あの怪獣!

 

 

 これまで何度も通っているのに、気づいたのは初めて。なぜ、今までわからなかったのかしらん。

 

 しかし、なぜ、こんなところに?

 

 像の前の「定礎」を見ると、「竣工記念」とあって、東宝株式会社や建設会社の名が並んでいます。日付は「1999年9月」。ここの施設が完成したのを記念してのことでしょうね。

 

 実は、以前、ここは「東宝日曜大工センター調布店」だったのです。5年ほど前に閉店し、そのあとに現在のくろがねやさんが開店しました。
 このゴジラの像は由緒があるので、そのまま置いてあるということでしょうか。おそらく、知る人は少ないのでは。
 これを機会に、私も、できるだけ多くの人に喧伝したいと思います。我が街に来たら、ぜひ、立ち寄ってみてください。

 

 「ベストSF2014」に3人目の投票がありました。らっぱ亭さん、ありがとうございます。
 引き続き、たくさんの投票、お待ちしています。要領はこちらをどうぞ。


「今」

2015-02-23 21:25:17 | ことば

 本を読んでいて、「なるほど」と思うことがありました。

 

 辞書における「今(いま)」の説明について。
 使われる場面によって広がりのある言葉ではありますが、ここでは、もっとも基本となる意味を。辞書では筆頭に出て来る説明です。

 

 私がもっぱら使っている『集英社国語辞典』では次のようにあります――

 

   過去と未来の境にある時。この時。ただいま。現在。

 

 『広辞苑』(第一版)では――

 

   現在。まのあたり。現今。

 

 時々、参照する小中学生向けの『例解国語辞典』(三省堂)では――

 

   現在の一瞬(いっしゅん)。

 

 説明になっているとは、ちょっといいがたいところがありますね。同じことを言いかえているだけのような。しいていえば「過去と未来の境にある時」という語釈が、説明といえば、説明っぽい。

 

 読んでいる本とは、国広哲弥『日本語を斬る』(研究社)なのですが(森下註:正しくは『日本語学を斬る』でした。わせいさんのコメントで教えてもらいました。)、国広さんによれば、このところ辞書の編纂者の語釈についての実情が明かされるようになったが、彼らは「意味論の理論的な基本を必ずしも学ばないで、日常的な感覚だけに頼っているために無用な苦労をしている場合がある」とのこと。その例として「今」「ここ」「右・左」が取り上げられています。

 

 国広さんは、まず、「このような時間・空間・位置を表わす語の語義記述には、その使い手のその時、その場所が基準になる」。そこを押さえておけば簡単だといいます。
 で、国広さんによる「今」の定義は――

 

   話者が「いま」といった時。

 

 「なるほど」と思いました。ただ、その一方で「それではミもフタもないような……」という気がしなくもありません。

 

 これは「右・左」の説明でも同様でした。
 国広さんは、この概念を、人の頭を上から見た図を示して、中央より「右側」を「みぎ」、「左側」を「ひだり」としているのです。人が自然に身につけた無定義習得語だから、これでいいのだとか。