惑星ダルの日常(goo版)

(森下一仁の近況です。タイトルをはじめ、ほとんどの写真は交差法で立体視できます)

30年

2019-11-04 21:33:49 | 日記・エッセイ・コラム

 ベルリンの壁が崩壊したのは、現地時間で1989年11月9日の夜のこと。もうすぐ30年目がやって来ます。
 思い返すと、私たちが生きてきた世界の構造が大きく変わった時点でした。

 生まれてからずっと米ソの対立という東西両陣営が世界を二分する構図が続いていました。それが崩れ、「パックス・アメリカーナ」の世界になるかと思っていたのですが、アラブの春は訪れることがなく、イスラム過激派が西欧文明に攻撃を加え、貧しい人々が豊かな国を目指すうねりが巻き起こりました。世界は流動化しています。

 東西対立という構図を支えたのは、社会主義対資本主義という政治的・経済的イデオロギーでしたが、良い意味でも悪い意味でも、それが世界各国のあり方を固定化する重しになっていたのだと感じます。

 今、そうした支えとなる主義主張は消え、「大きなストーリーの時代は終わった」ということになっています。しかし、大きくなくても、やはり人々を鼓舞し、前を向かせるストーリーは必要なように思います。
 それを語る人はどこにいるのか。語るべきテーマは何か。

 たくさんの材料があり、それぞれのテーマごとにストーリーは生まれているようですが、それらの多くを束ねる視点が欲しいものです。


大ハズレ

2016-01-29 21:05:13 | 日記・エッセイ・コラム

 そういえばお年玉付き年賀はがきの当選番号がとっくに発表されているんだ、と思い出し、家人に年賀はがきをチェックしてもらいました。
 2人分合わせて約200枚。当たりはがき、ゼロ!

 3等だと下2ケタの当たりがふたつあるわけですから、100枚で2枚、200枚だと4枚当たるのが平均なのに、まったくなし。見事にハズレっぱなし。
 こうなると、いっそ縁起か良いような気がします。今年は平穏無事の良い年にちがいない。

 夕方、図書館で雑誌をめくっていたら、「スナップエンドウは乾燥に強く、水遣りは過多にならないように」と書かれているのが目に留まりました。
 知らなかった。今年は特に水を念入りに遣っているのだが、それは良くなかったのね。今後、気をつけよう。
 こうやって少しずつ家庭菜園づくりも上達してゆく――と信じたい。

 〈小説推理〉3月号が発売になりました。担当のSFレビューで次の4作を取り上げています――

  • 神林長平 『絞首台の黙示録』 (早川書房)
  • 筒井康隆 『モナドの領域』 (新潮社)
  • つかいまこと 『世界の涯ての夏』 (ハヤカワ文庫JA)
  • 円城塔 『プロローグ』 (文藝春秋)

 締切の都合で、どれも昨年11~12月の作品。これで年間ベストがえらべるなぁ。
 「ベストSF2015」募集中です。こぞって投票してください。


展望ロビー

2015-12-15 21:19:21 | 日記・エッセイ・コラム

 ちょっと仕事が忙しくて、ブログの更新をなまけてしまいました。

 今日も朝からずっと机に向かっていて、一段落したのは夕方。日没は4時29分なので(それでも一時よりは1分だけ遅くなりました)、もう外は暗くなっていました。でも、散歩には行きたい。
 明るいうちならば深大寺周辺のハケの道を歩けるのですが、暗いと難しい。こんな時には市の中心部方面へ足が向きます。

 目的地は文化会館の展望ロビー。12階にあるので、階段を上れば少しは運動になるはず。
 たどりついたロビーの窓から多摩川方面を望むとこんな具合。

 空には月齢4ぐらいのお月さま。日が暮れてから、空の雲が消えたようです。

 文化会館1階のエントランスホールには、今も水木しげるさんへの献花台が設けられています。花束を捧げる人は途切れないみたい。みんなに愛された人だったんだと実感します。


切れる日

2015-12-03 21:23:09 | 日記・エッセイ・コラム

 なんか、いろいろ切れてしまう日でした。

 最初は室内用のヌクヌクズボンの紐。厚手のジャージパンツみたいなものですが、ゴムでなく紐でしばって腰に留めるようになってます。それが、昼過ぎ、着替えていて結んだ拍子にプチンと切れてしまいました。
 切れた端は穴の中に潜っていったので、千枚通しで少しずつずらして引っ張り出しました。やれやれ。

 2つ目は自転車のブレーキケーブル。
 夕方、ホームセンターからドラッグストアへ回って買い物を済ませ、帰途についている途中で、後ろブレーキのケーブルがプッツン!
 明日にでも修理しなくては。

 3つ目は、夕食後に見ている立川談志師匠のDVD全集。今日の演目が「首提灯」だったのです。
 金が入り、酒もくらって良い気分の八五郎。品川へ繰り出す途中で田舎侍と出会い、道を訊かれる。気が大きくなっているものだから、からかっているうちに、武士に居合い抜きで首をスパッと切られてしまった。しかし、本人は気づかずに歩いてゆく。歩いて揺れるたびに、首がだんだんと横向きに回って……。
 これは映像つきでないと楽しめない高座ですね。1979年、43歳の時の家元。
 芸は、この後、もっと精緻になってゆき、晩年は首が回る様子も変わったといいます。いや、これでも十分過ぎるほど上手いんですけど。

 というわけで、紐・ケーブル・首と、今日はあれこれ切れました。


渋谷フランセ

2015-11-17 21:00:07 | 日記・エッセイ・コラム

 立川談志師匠のDVD全集で、いちばん最初に入っている「明烏」を観ました。この有名な噺は、なぜか小学館のCD『東横落語会』には入ってないんですよね。
 1978年、家元が42歳の時の高座。

 遊びの今昔のマクラから始め、自分の政治家生活をダシにしたり、昨今の18歳頃の女性の違いに触れたりしてから、本編へ。
 上手いんだよなぁ。堅物の若旦那の口調や肩のすぼめ方に対して、若旦那を吉原へ連れてゆく源兵衛と太助の能天気でありながら、世話好きなところ。店の婆さんの首のすくめようまで、やはり映像で観ると格別。テンポもメリハリも絶品で、若い頃から家元は別格級の上手さだったことがわかります。
 なぜ、東横ではやっていないのか。
 立川志らくさんの「解説」によれば、この噺に「〈童貞喪失〉というテーマしか見出せず、やがて興味の対象ではなくなったからであろう」とのこと。童貞喪失というか、女性との交遊の喜びがテーマなんですよね。それだけじゃあ、足りなかったのか。

 赤瀬川原平『世の中は偶然に満ちている』(筑摩書房)を読んでいると、1981年12月22日の項に、渋谷東急プラザ2階の喫茶「フランセ」で、たまたま川本三郎さんと出遭った、とありました。
 ここを読んで、突如として懐かしい気分に襲われたのです。

 渋谷フランセ。私も利用しました。文春の編集者・A宮さんに原稿を渡すのは、だいたいここだったと思います。当時、私は駒沢に住んでいたので、渋谷まで出て、東急プラザ2階のこの店で編集者と会ったりしていたのです。
 A宮さんは、元アナウンサーでパリに行ったりなさってるA宮塔子さんのおじさん。〈オール讀物〉の書評原稿や短い小説を注文してくださってました。
 趣味の豊かな、楽しい方で、コーヒーも実に美味しそうに飲んでたなあ。

 その後、私は転居し、フランセも店をたたみ、この春には東急プラザが取り壊されてしまった。過ぎ去った年月を感じます。
 同じ頃、赤瀬川さんもフランセに行ってたのだと知ったのも、うれしいような、なぜか寂しいような。