詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ゲーリー・ソト「農場の詩」

2006-05-14 22:00:27 | 詩集
 ゲーリー・ソト「農場の詩」(越川芳明訳)(「現代詩手帖」5月号)。
 詩人が描いているカリフォルニアと私が暮らした田舎は風景が違う。しかし、どんな風土のなかでも生きている人間、生きている虫には差がないようだ。

鍬がぼくの影の上を
行ったり来たりして 雑草や
太った毛虫が真っ二つにちょん切られ
ちぢんで
環のようになって
風と一緒に飛んでいった

 この6行、特に「太った毛虫が真っ二つにちょん切られ/ちぢんで/環のようになって」の3行がとても気に入った。鍬でも鎌でもなんでもいいが、草と一緒に毛虫を切る。その毛虫が黒い血を流しながら丸くなる。私とは何の関係もない虫、殺されてあたりまえの虫なのに、なぜかとても親密な感じがする。ゲーリー・ソートはそんなことはひとことも書いていないが、こんなふうにきちんと描写するのは、その毛虫に何かを感じているからだろう。
 「貧乏」を感じているのかもしれない。
 「貧乏」というのは、自分がもたないもので何かをされたとき、それを防ぎようがないということだ。毛虫が鍬や鎌に対して何の防御方法ももたないように、貧乏はまたあらゆるものに対して防御方法をもたない。切られたら、腹を抱えるようにして丸くなって死んでいく。これは哀しい。
 貧乏に救いがあるとしたら、そんなふうにしていつも何かの具体的な死をみつめることかもしれない。人はいつでも死ぬ。無残に死ぬ。だが、それまでは生きている。何があっても生きている。--矛盾でしかいえないが、不思議な交感がある。毛虫と肉体を共有できる。憎しみと、声にならない怒りを共有できる。そしてたぶん、殺されるときに流れ出る血の熱い熱い感じを。

 無情の美しさを感じた。なつかしく感じた。とてもとてもなつかしく感じた。

コメント
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