ジム・ジャームッシュ監督 ビル・マーレイ主演
ある日、男に手紙が届く。昔の恋人からだ。「19歳の息子がいる」。その恋人は誰なのか。それを求めて男は過去の恋人を訪ねる。そんなストーリー。
まずタイトルがあらわれるまでがすばらしい。ピンクの便箋、ピンクの封筒。投函され、集められ、スタンプを押され、仕分けられる。一連の流れのなかで、いつもピンクの封筒(少し規格からはずれているのか、他の封筒よりはみだしている)がきちんと映像化される。それは映画だからあたりまえといえばあたりまえなのだが、その丁寧さのなかに、「これはあくまで映画ですよ」という「おことわり」の感じが残っている。あ、手作りってこういうことだなあ、と思う。ここまでで、もう100 点満点の映画。あとは付録です。付録。
そして、あたりまえのことながら、助走の部分で 100点満点なら付録だって100 点になるしかない。
細部がとてもユーモラスであたたかい。隣人のおせっかい(恋人のリストをつくれ、恋人をこの順序で訪問しろ、ピンクの花束を持っていけ……)など、ことばで説明すればとてもつまらないことだが、ビル・マーレイのポーカー・フェイスと隣人の親切の押し売りの感じが、それがあたりまえという雰囲気で展開される。恋人のリストを受け取りにゆくときの携帯電話の使い方も、なんとういか、初めて携帯電話を買って使う時の「試しがけ」に似たばかばかしい楽しさがあって、そうなんだよな、携帯電話って、本当はこんなふうに使うべきなんだよなあ、なんて思ってしまう。(実際、待ち合わせの時なんか、そういう使い方になるねえ。どういう使い方かは映画を見てね。)
あとは、もうほんわかムードで、くすくす、にこにこしながら 100点満点の映像と音楽の変奏を楽しむだけ。オールヌードで出てくるシャロン・ストーンの娘の現代っ子ぶりとか、ジェシカ・ラングの秘書のレズっぽい嫉妬の感じとか。それらが、なんというか、昔のビル・マーレイと恋人たちとの関係のようにも見えるところが、ジム・ジャームッシュの「腕」なんだろうなあ。
訪問した先々の恋人の家での夕食のおかしさもいい。どの家庭もそれなりに豊かなはずなのに、貧乏・子だくさんの隣人の家での料理よりはるかにまずそう、というのも、幸せって何?と思わせて、笑わせる。
ビル・マーレイが着ているジャージーと同じように腕と脚の部分に2本線の入ったジャージーを「息子」とおぼしき青年が着ているというのも、なかなかかわいらしい設定だ。ありふれたものが一番ありふれていない、というか、それぞれに個性を隠しているというところか。
この映画は、いったい誰が手紙を書いた恋人なのかわからないまま終わる。それがまた楽しい。ほんとうに恋人が書いたのか。おせっかいな隣人、ビル・マーレイがどんな行動をするか知り尽くしているが書いたのか。手紙が届く寸前に家を出ていく恋人が書いたのか。それともビル・マーレイ自身が書いたのか。まあ、そんなことは、どうだっていいんですね。人には何かが恋しくなる時がある。恋しくなったら恋しくなったものを大切にする。それだけです。
ある日、男に手紙が届く。昔の恋人からだ。「19歳の息子がいる」。その恋人は誰なのか。それを求めて男は過去の恋人を訪ねる。そんなストーリー。
まずタイトルがあらわれるまでがすばらしい。ピンクの便箋、ピンクの封筒。投函され、集められ、スタンプを押され、仕分けられる。一連の流れのなかで、いつもピンクの封筒(少し規格からはずれているのか、他の封筒よりはみだしている)がきちんと映像化される。それは映画だからあたりまえといえばあたりまえなのだが、その丁寧さのなかに、「これはあくまで映画ですよ」という「おことわり」の感じが残っている。あ、手作りってこういうことだなあ、と思う。ここまでで、もう100 点満点の映画。あとは付録です。付録。
そして、あたりまえのことながら、助走の部分で 100点満点なら付録だって100 点になるしかない。
細部がとてもユーモラスであたたかい。隣人のおせっかい(恋人のリストをつくれ、恋人をこの順序で訪問しろ、ピンクの花束を持っていけ……)など、ことばで説明すればとてもつまらないことだが、ビル・マーレイのポーカー・フェイスと隣人の親切の押し売りの感じが、それがあたりまえという雰囲気で展開される。恋人のリストを受け取りにゆくときの携帯電話の使い方も、なんとういか、初めて携帯電話を買って使う時の「試しがけ」に似たばかばかしい楽しさがあって、そうなんだよな、携帯電話って、本当はこんなふうに使うべきなんだよなあ、なんて思ってしまう。(実際、待ち合わせの時なんか、そういう使い方になるねえ。どういう使い方かは映画を見てね。)
あとは、もうほんわかムードで、くすくす、にこにこしながら 100点満点の映像と音楽の変奏を楽しむだけ。オールヌードで出てくるシャロン・ストーンの娘の現代っ子ぶりとか、ジェシカ・ラングの秘書のレズっぽい嫉妬の感じとか。それらが、なんというか、昔のビル・マーレイと恋人たちとの関係のようにも見えるところが、ジム・ジャームッシュの「腕」なんだろうなあ。
訪問した先々の恋人の家での夕食のおかしさもいい。どの家庭もそれなりに豊かなはずなのに、貧乏・子だくさんの隣人の家での料理よりはるかにまずそう、というのも、幸せって何?と思わせて、笑わせる。
ビル・マーレイが着ているジャージーと同じように腕と脚の部分に2本線の入ったジャージーを「息子」とおぼしき青年が着ているというのも、なかなかかわいらしい設定だ。ありふれたものが一番ありふれていない、というか、それぞれに個性を隠しているというところか。
この映画は、いったい誰が手紙を書いた恋人なのかわからないまま終わる。それがまた楽しい。ほんとうに恋人が書いたのか。おせっかいな隣人、ビル・マーレイがどんな行動をするか知り尽くしているが書いたのか。手紙が届く寸前に家を出ていく恋人が書いたのか。それともビル・マーレイ自身が書いたのか。まあ、そんなことは、どうだっていいんですね。人には何かが恋しくなる時がある。恋しくなったら恋しくなったものを大切にする。それだけです。