川越文子『美しい部屋』(思潮社)。孫の誕生と、それにともなう思いが静かに語られている。書かれていることがらは孫をもった女性にとって共通の思いだろう。そこに目新しいものはない。そして目新しくないということが、この詩集のよさかもしれない。目新しくないことがらでも、そのつど書いていけば、おのずといままで書かなかったことを書いてしまう。持続のなかで、作者だけの発見が必然的に生まれてくる。「おさがり」はそういう作品だ。
なるほどなあ。風景は「おさがり」か。大切に受け継いでいかなければならないのは、「おさがり」としての風景そのものもそうだが、私たちの周囲にあるものすべてが私たちだけに属すのではなく、後世に「おさがり」として伝えていかなければならないという意識だろう。川越はそうしたことを声高には言わない。あくまで「孫がかわいくてしかたがない」という口調の中に隠して語る。その、一種の無邪気さが美しい。
一歳九ヶ月しかはなれていないあかんぼうなので
身につける全てのものがおさがり
おしめはもちろん
哺乳びんさえ
ベビーベッドにはすりキズがあり
だぼだぼの乳児服にはよだれのしみ
でも そのなかで
一心に問いかけてくるまっさらな笑顔
お古ばかりに包まれているから
なおさら目立つ まっさらなひとみ
お古がなんだい!
おれは生まれてきたばかりだ と
ああ そうだった
思ってみればわたしたちが立つ風景のすべては
おさがりだった
なるほどなあ。風景は「おさがり」か。大切に受け継いでいかなければならないのは、「おさがり」としての風景そのものもそうだが、私たちの周囲にあるものすべてが私たちだけに属すのではなく、後世に「おさがり」として伝えていかなければならないという意識だろう。川越はそうしたことを声高には言わない。あくまで「孫がかわいくてしかたがない」という口調の中に隠して語る。その、一種の無邪気さが美しい。