詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

真岡太朗「飽和のとき」

2006-10-03 15:19:10 | 詩集
 真岡太朗「飽和のとき」(「石の詩」65)。
 見えるものと見えないものについて考えた。きのう取り上げた千島の作品の「罪のかかとが高い靴をはく」は「かかとが高い靴」がどれだけ具体的に描かれようと、結局眼には見えない。「罪」そのものが肉眼には見えないからである。肉眼には見えないけれども「かかとが高い靴」というイメージが鮮烈なので、一瞬、見えないものが見えたような気持ちになる。たぶん肉眼ではなく、精神の眼には、それが一瞬見えるのだと思う。見えると錯覚させるような力が千島のことばにあり、それが魅力となっている。
 真岡もまた見えないものを描いているのだが、それは千島の「比喩」と違って肉眼で見えるような感じがする。

真夏に野の花の数は少ない
草たちの種子は充実して落ちて
もう来年の春へ行っている
土の中にはそういうものが潜んでいる

 私は(そして多くの読者もそうだと思うが)、肉眼で草の種子を見たことがある。あるいは種子を土のなかに埋めたことがあり、その種子が季節がめぐれば芽吹くのを見たことがある。「来年の春」「つちのなかに(略)潜んでいる」というのは肉眼では見ることができないが、それはやがて肉眼で見ることができるし、それはかつて肉眼で見つめながら、肉体(手)を動かすことで隠した(埋めた)ということを知っている。
 こうした肉眼で見たものを最初にはっきり提示しておいて、真岡は徐々に肉眼で見えないものを積み重ねる。
 2連目は次のようにつづく。

何度か埋葬に汗を流しあった隣人を
野の墓に今深く埋めはしたが
あの人はまたあの静かな暮らしを
ひっそりとはじめる様な気がしてならない

 3行目の「あの」が絶妙に美しい。
 「あの人」の「あの」はだれにでもわかる。とても具体的だ。「あの静かな暮らし」の「あの」は見えるようでいて、もしかしたら見えないかもしれない。「あの人」の「あの」が具体的であるのに対し、「あの静かな暮らし」の「あの」は抽象的である。「あの人」の「あの」は「あの人」を知らないひとにも、名前と写真で提示できる。伝えることができる。ところが「あの静かな暮らし」の「あの」はその人を知っている人以外には「あの」だけでは伝えることができない。一方、知っている人には「あの」以外のことばは邪魔である。ことばで説明すればするほど「あの」は見えなくなる。そういうものがある。肉眼で見つめながら、精神の目で、こころのうちに引き込んだ「あの」なのである。
 そんなふうに「あの人」という具体から「あの静かな暮らし」という精神(抽象)へ進んだあと、真岡のことばは、精神、こころでしか把握できないものを描き始める。3連目以下はつぎのようにつづく。

あの人を排斥した人はいないが
生き方をまねた人もない
野の花もまたそうだ
人の思いを深く静かにさせる世界がある

参会者は帰りつくして
草いきれひとりたかぶる共同墓地には
線香の煙りが渦巻いているばかりとなったが
どうしても人の気配が感じられる

こういうときにあらわれる人は
ひたすら透明で
どうしても
胸の中から出てゆこうとしない

 ここに描かれたものが「見えない」ものであることは「ひたすら透明」ということばが象徴しているように、けっして肉眼では見えない。しかし、「あの人」が胸のなかに居座っているのは、精神の眼にはくっきり見える。精神の眼にくっきり見えるだけではなく、精神の手で触ることもできる。押しても引いても「出てゆこうとしない」肉体として、そこにあるのがわかる。
 この精神の眼で見て、精神の手で触ることを「感じる」(4連目の最終行)という。「感じる」がゆえに、まるでそれが精神の眼で見たものではなく、肉眼で見たもののように錯覚する。

 この精神の眼と肉眼の融合(一体感)は、「あの静かな暮らし」の「あの」からはじまっている。














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする