詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

山本純子「俳句の朗読について」「満月」

2006-10-26 13:28:06 | 詩集
 山本純子「俳句の朗読について」「満月」(「息のダンス」7)。
 芭蕉の「庭掃いて出でばや寺に散る桜」という句を朗読する。そのときの練習についておもしろいことが書かれている。

 この句は挨拶句だから、ということで、増田先生は「御礼の挨拶の練習から始めましょう」とおっしゃる。それでわたしは、レッスンに集まっているメンバーに向かって、正座して三つ指をつきながら、「お世話になりました」「ありがとうございました」と、頭を下げた。そこからは、「ご飯もおいしゅうございました」「お布団も快適でございました」「本当によくしていただきました」などど、思いつくままに続けていって、からだのなかに感謝の息をふくらませる。
 その後「庭を掃いてから出たいのですが」「先を急いでおりまして」「本当に失礼します」と続けて、恐縮の息を付け加える。
 そして息がつかめたところで、改めて「お世話になりました」「本当に失礼します」と挨拶し、それと同じ息で「庭掃いて出ではや」と声に出す。そうすると、「庭掃いて出ではや」という表現で、間違いなく感謝と恐縮のメッセージを伝えることができる。ことばの奥の息がメッセージを伝えるのだ。

 ことばではなく、「ことばの奥の息」がメッセージを伝える。肉体がメッセージを伝える。
 これはちょっと怖い話である。いや、かなり怖い話である。
 意味、あるいは気持ちを伝えるのは「ことば」ではなくなるからである。「ことば」は息に「形」を与えるものにすぎない。極言すれば、ことばは音にすぎない。人は「ことば」を聞く前に「息」を聞いているのである。
 昔、「ラストワルツ」という映画があった。その1シーンに、少女が男の胸を叩きながら「I love you」を繰り返す。そのとき字幕は「ばかばかばか」。探していた男にめぐり合った喜びに「どこにいたの、ばかばかばか」というときの呼吸(息)が「I love you」と同じだと字幕の訳者は感じ取ったのだろう。なるほどなあ、と感心したのを覚えている。そして改めて思うのは、「書かれたことば」にも「息」があるということだ。あのとき字幕が「愛してる、愛してる」だったら、「息」があわない。少女のうれしさが肉体のなかに入ってこなかっただろうと思う。
 私は詩を読むとき、声には出さない。朗読はしない。黙読だけである。しかし、意味ではなく「息」を探して読んでいるということに、きょう、気がついた。私は詩の感想を書くのにしばしば「肉体」という表現をつかう。肉体が感じられるとき、私は安心する。私が「肉体」と書いているものが「息」に近いと思ったのだ。
 「息」が身近に感じられたとき、書かれた詩から、やはり気持ちが伝わってくる。「息」が感じられないとき、それはいったい何が書いてあるのかわからない。「意味」は理解できるが、これはいったい何?という印象しか残らない。
 ことばと「息」について思いめぐらしながら、「息のダンス」のなかの山本の詩を読み返してみると、どの詩からも「息」が伝わってくる。無理のない声が伝わってくる。頭で理解するというより、ことばのひとつひとつに肉体が反応していることがわかる。
 どの詩も簡潔で愉快だが、「満月」が特に印象に残った。エッセイを読んだせいもあるのだろうが、この詩は、朗読するととてもおもしろいだろうと思う。朗読するひとの「息」次第でさまざまな表情をみせるだろう。
 この詩だけはぜひとも山本の「息」で聞きたいと思った。特に最終行の「息」を聞きたいと思った。山本のひとがらがそこにくっきりと浮かび上がっているからだ。

あら、満月だわ
と思いながら
大通りへ向かって歩いていくと
向こうから
どこかのおじさんだわ
という輪郭の人が
やってくる

おじさん
ちょっと歩いて立ち止まり
道の端へよろけたり
また真ん中へもどったり
そんなことしながら
やってくるので

あら、いやだわ
変な人だわ
と、わたし
くっとあごを引いて
くっとかばんを握りしめて
歩いていくと

おじさん、突然
わたしに向かって手をさしのべ
勢いつけて、とととっと
やってくるので

あら、いやだわ
本格的にいやだわ
と、わたし、
もちろん、わきへ身をかわし

横目で見ると
おじさん
細いひもをつかんでて
その先
黒い小さな犬が
わたしの足に
くんくん駆け寄り
しっぽを振るので

こんな場合
やはり
わたしとしては
こう言った

いいお月さんですね

 どうですか? 美しい挨拶でしょ? 実際に聞きたくなるでしょ?
 こんな美しい挨拶に出会えるならば、月夜の晩は犬を連れて散歩しなければ、と黒い犬を飼っている私は思ってしまうのだ。


コメント
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