海埜今日子
「砂街」(「すぴんくす」2、2006年11月25日発行)。
海埜のことばは読んでいるうちに、これは誰の声?とわからなくなる。「砂街」の書き出し。
「旅がすけるまで歩きたかった。」と私(海埜)の欲望だろう。「唐突なまでに砂。」は海埜が見たものだろう。「現実」の風景だろう。
それにつづく「写真たちのめくれ、すどおりが加速され、すれちがったどんなものもかきあつめ、という動作の際で、ささやく時間をながめている。」は何だろう。
砂の動きを見ることで、海埜の意識の中に出現してきた記憶だろうか。砂は動く。その動きは写真たち(アルバム?)をめくっていくとき感じに似ている。何かがすぎさっていく。たとえば「時間が」。そして、そのとき写真(アルバム)をながめているのではなく、海埜は「ささやく時間をながめている」。この「ながめている」は普通の散文なら「ながめていた」と過去形で書かれるものであるけれど、そのときの記憶のよみがえり、思い出の印象が強いので現在形として、そこに立ち上がっているのだろう。
「歩きたかった」という欲望は過去形で書かれ、それよりも過去の記憶は「ながめている」と現在形で書かれる。日本語の文章は、感覚が強くなると過去形は消えて、現在形として立ち上がってくる。人間の感覚には今という「現在」しかないからだろう。
新しい街へ入って、その瞬間に、なまなましい感覚が覚醒する。そういう動きがここでは書かれている。--私は、そんなふうに思いながら、この詩を読み始めた。
「あせた道しるべ、風をあえぐくるしい街。」は再び「現実」の風景だと思う。では、それにつづく、「気流をまとうようにして、想いたちがよぎっていたから、うつむくそぶりであたためていたんです。」は誰の声だろう。海埜の声だろうか。海埜の声だとすれば、「あたためていたんです」はいつ、どこでのことだろうか。それとも「砂」の声? しかし「砂」が「うつむく」ということがあるだろうか。
わからないまま、「草の香りが待たれるわきで、むかしの規律がさわいでいる。」に出会う。そしてその瞬間、あ、さっきの声は「草」の声だったのか、と思う。
街外れの風景。砂がある。そして草がある。風が吹き、砂が移動する。人も(旅人も)行き過ぎる。草は動かず、動いていくものの「思い」をだきしめている。--そんなふうに風景を見つめている海埜の姿が浮かんでくる。
「砂の底がかつてのながれだ。いないひとをささえたくなる、そんなこともありました、ね。」は草の声であり、同時に、草に託された海埜の声でもある。
海埜はそこにあるものを描写しながら、そこにあるものに海埜自身の声を託す。そうすることでそこにある存在と一体となり、海埜の宇宙を拡げていく。
海埜にとって世界とは自己(海埜)と他者が出会い、その区別を意識しながら同時にその区別を乗り越えて融合して広がるものだろう。そして、その乗り越え、融合するとき、海埜は声を託すのである。
同じ号の「門街」の最後の方に、次のことばが出てくる。
「たくす」は他者と一体となることである。そして、そういう行為をとおして世界(宇宙)は広がっていく。世界(宇宙)は私の外に広がると同時に私の内部にも広がるものだからである。そして、私と他者(私と私の外部)が区別をなくすとき、宇宙は無限の広さになる。
海埜のことばは、そういう奇跡のような一瞬をことばにしようとしているように感じられる。
海埜のことばは読んでいるうちに、これは誰の声?とわからなくなる。「砂街」の書き出し。
旅がすけるまで歩きたかった。唐突なまでに砂。写真たちのめくれ、すどおりが加速され、すれちがったどんなものもかきあつめ、という動作の際で、ささやく時間をながめている。あせた道しるべ、風をあえぐくるしい街。気流をまとうようにして、想いたちがよぎっていたから、うつむくそぶりであたためていたんです。草の香りが待たれるわきで、むかしの規律がさわいでいる。砂の底がかつてのながれだ。いないひとをささえたくなる、そんなこともありました、ね。
「旅がすけるまで歩きたかった。」と私(海埜)の欲望だろう。「唐突なまでに砂。」は海埜が見たものだろう。「現実」の風景だろう。
それにつづく「写真たちのめくれ、すどおりが加速され、すれちがったどんなものもかきあつめ、という動作の際で、ささやく時間をながめている。」は何だろう。
砂の動きを見ることで、海埜の意識の中に出現してきた記憶だろうか。砂は動く。その動きは写真たち(アルバム?)をめくっていくとき感じに似ている。何かがすぎさっていく。たとえば「時間が」。そして、そのとき写真(アルバム)をながめているのではなく、海埜は「ささやく時間をながめている」。この「ながめている」は普通の散文なら「ながめていた」と過去形で書かれるものであるけれど、そのときの記憶のよみがえり、思い出の印象が強いので現在形として、そこに立ち上がっているのだろう。
「歩きたかった」という欲望は過去形で書かれ、それよりも過去の記憶は「ながめている」と現在形で書かれる。日本語の文章は、感覚が強くなると過去形は消えて、現在形として立ち上がってくる。人間の感覚には今という「現在」しかないからだろう。
新しい街へ入って、その瞬間に、なまなましい感覚が覚醒する。そういう動きがここでは書かれている。--私は、そんなふうに思いながら、この詩を読み始めた。
「あせた道しるべ、風をあえぐくるしい街。」は再び「現実」の風景だと思う。では、それにつづく、「気流をまとうようにして、想いたちがよぎっていたから、うつむくそぶりであたためていたんです。」は誰の声だろう。海埜の声だろうか。海埜の声だとすれば、「あたためていたんです」はいつ、どこでのことだろうか。それとも「砂」の声? しかし「砂」が「うつむく」ということがあるだろうか。
わからないまま、「草の香りが待たれるわきで、むかしの規律がさわいでいる。」に出会う。そしてその瞬間、あ、さっきの声は「草」の声だったのか、と思う。
街外れの風景。砂がある。そして草がある。風が吹き、砂が移動する。人も(旅人も)行き過ぎる。草は動かず、動いていくものの「思い」をだきしめている。--そんなふうに風景を見つめている海埜の姿が浮かんでくる。
「砂の底がかつてのながれだ。いないひとをささえたくなる、そんなこともありました、ね。」は草の声であり、同時に、草に託された海埜の声でもある。
海埜はそこにあるものを描写しながら、そこにあるものに海埜自身の声を託す。そうすることでそこにある存在と一体となり、海埜の宇宙を拡げていく。
海埜にとって世界とは自己(海埜)と他者が出会い、その区別を意識しながら同時にその区別を乗り越えて融合して広がるものだろう。そして、その乗り越え、融合するとき、海埜は声を託すのである。
同じ号の「門街」の最後の方に、次のことばが出てくる。
こういがそよぐたびに、さわられていたきもちをはしる。草のうごめきを指におぼえたかったのだから、かれらはわすれたむねにちかいばしょで、われたあかりをたくす。
「たくす」は他者と一体となることである。そして、そういう行為をとおして世界(宇宙)は広がっていく。世界(宇宙)は私の外に広がると同時に私の内部にも広がるものだからである。そして、私と他者(私と私の外部)が区別をなくすとき、宇宙は無限の広さになる。
海埜のことばは、そういう奇跡のような一瞬をことばにしようとしているように感じられる。