四元康祐「妻の右舷」、井坂洋子「冥からの」(「現代詩手帖」12月号)。
夢とそのあと--書いて、ひらがらのまま変換されなかった「あと」の文字を見ながら、あととは「後」のことか、「跡」のことか、と考え始めた。四元の詩を読み、感想を書こうとし始めた瞬間のこと、つまり、いまのことである。
私には詩を読むときの「基準」がない。感想を書くときはやはり基準がない。何となく印象に残ったことばについて思いめぐらしているうちに、けなすつもりで書き始めたのに感動したり、逆に感動を書こうとしたのに批判したりする。感想を書きながら作品を読み返しているうちに、感想そのものが変わってしまうのだ。それをそのまま書いてしまうのだ。夢のなかで起きるできごとが、自分の意思とは無関係に動いていくように、そしてその無関係はやはりどこかで私自身であるように……。こんなことを書くのは、たぶん四元の作品が「夢」について書いているからである。
夢とそのあと。
最後の2行について書こうとして、そのことばが出てきたのだが、その前の連から引用する。妻の夢を見て、目覚めて「おしっこ」(と四元は書いている)をして、台所へゆく。すると、
最後の2行の主語は誰だろう。「その子」だろうか。たぶん詩のことばの流れからいえばそうなるのだろうが、四元自身とも読むことができる。さらには「その子」であると同時に四元であるとも、つまり四元が「その子」になって動いたとも読むことができる。
「夢の跡」が「夢の後」にまで深く残っている。
台所の見知らぬ子供--その子自身、「夢の跡」を背負って「夢の後」にあらわれた存在かもしれない。「死ぬのは……」というのは、子供のことばではない。四元が聞いたり読んだりしたことば、あるいはそういうことばから影響を受けて思いついたことば、四元の詩のなかのことばを借りていえば、四元とだれかの(世界の)あいだを「往ったり来たりしている」ことばなのだろう。何かが死んでしまった後のことば、死んでしまった後、なおかつ残っている生きていた「跡」としてのことばなのかもしれない。
最終連の「濡れた足跡」とは、「その子」が「潮が引」いたあとの場所、つまり「死」んだ後の場所にいた証拠である。そしてまた、「その子」のことばを聞くことで、四元は、台所ではなく、そのことばが動いている場所、つまり潮が引いた後の場所に引きずり出され、やはり足を濡らしているのだから、その足跡は四元の足跡ともなる。
夢はまだつづいているのか。夢の跡が夢の後に刻印されているのか。
読めば読むほどというか、そのことについて書こうとすれば書くほど、その区別はあいまいになる。いや、あいまいというのは正確ではなく、実は意識のなかでは、まるで夢のように鮮やかにくっきり見えすぎて、現実の世界に対応したことばにすることができない。どう書いてみても、私が見ている夢のようなくっきりした状態を再現できない。
四元の見た夢の跡が私のことばに侵入してきているのだ。
(こういう状態が、私は、実はとても好きである。ふいに「詩を書きたい」という欲望が目覚めるからである。)
*
それにしても今回の「年鑑」には「死」ということばが非常に多く登場する。「死」と深いところで肉体的に共鳴している人が編集したのだろうか、という思いが残る。
井坂洋子「冥(よみ)からの」も「冥」が「死」と通じる。
「よってわたしにはふくらんだ空と大地が/果てしなく 重なっているのみ」という行の「よって」ということばが、なぜか気持ちがいい。「のみ」という断定も気持ちがいい。たぶん、これは四元の詩を読んだ直後に井坂の詩を読んだことによって生じる気持ちよさだと思う。
四元の詩には「よって」という理由をあらわすことばのかわりに「それから」という事実の経過を指し示すことばしかなかった。四元の詩にはさまざまな事柄が書かれているが、あらゆることがらに理由はなかった。なぜ、台所に子供がいるのか、理由はなかった。なぜ、濡れた足跡なのか理由はなかった。
ところが井坂は「よって」というのである。「よって」のかわりに「そして」という事実を追加する方法でも描写できるけれど、井坂は「よって」を選ぶのである。そのことばの選択、「よって」を選び取るところに井坂の個性がある。
そして、その「よって」は論理的というよりは、書き出しの「ひとりの人間」ということばが象徴的だが、井坂ひとりの断定、独断である。
その独断が気持ちがいい。独断のなかに「詩」がある。独断を絶対的な個人的思想と読み替えるとき、それが「詩」であることがよくわかる。
夢とそのあと--書いて、ひらがらのまま変換されなかった「あと」の文字を見ながら、あととは「後」のことか、「跡」のことか、と考え始めた。四元の詩を読み、感想を書こうとし始めた瞬間のこと、つまり、いまのことである。
私には詩を読むときの「基準」がない。感想を書くときはやはり基準がない。何となく印象に残ったことばについて思いめぐらしているうちに、けなすつもりで書き始めたのに感動したり、逆に感動を書こうとしたのに批判したりする。感想を書きながら作品を読み返しているうちに、感想そのものが変わってしまうのだ。それをそのまま書いてしまうのだ。夢のなかで起きるできごとが、自分の意思とは無関係に動いていくように、そしてその無関係はやはりどこかで私自身であるように……。こんなことを書くのは、たぶん四元の作品が「夢」について書いているからである。
夢とそのあと。
最後の2行について書こうとして、そのことばが出てきたのだが、その前の連から引用する。妻の夢を見て、目覚めて「おしっこ」(と四元は書いている)をして、台所へゆく。すると、
台所に見知らぬ子供がいた
つまらなそうな声で、その子は言った
「死ぬのは恐くない。潮が引くと
みんな往ったり来たりしているから」
それから濡れた足跡を床に残して
ガラス戸の向こうの明るみのなかへ入っていった
最後の2行の主語は誰だろう。「その子」だろうか。たぶん詩のことばの流れからいえばそうなるのだろうが、四元自身とも読むことができる。さらには「その子」であると同時に四元であるとも、つまり四元が「その子」になって動いたとも読むことができる。
「夢の跡」が「夢の後」にまで深く残っている。
台所の見知らぬ子供--その子自身、「夢の跡」を背負って「夢の後」にあらわれた存在かもしれない。「死ぬのは……」というのは、子供のことばではない。四元が聞いたり読んだりしたことば、あるいはそういうことばから影響を受けて思いついたことば、四元の詩のなかのことばを借りていえば、四元とだれかの(世界の)あいだを「往ったり来たりしている」ことばなのだろう。何かが死んでしまった後のことば、死んでしまった後、なおかつ残っている生きていた「跡」としてのことばなのかもしれない。
最終連の「濡れた足跡」とは、「その子」が「潮が引」いたあとの場所、つまり「死」んだ後の場所にいた証拠である。そしてまた、「その子」のことばを聞くことで、四元は、台所ではなく、そのことばが動いている場所、つまり潮が引いた後の場所に引きずり出され、やはり足を濡らしているのだから、その足跡は四元の足跡ともなる。
夢はまだつづいているのか。夢の跡が夢の後に刻印されているのか。
読めば読むほどというか、そのことについて書こうとすれば書くほど、その区別はあいまいになる。いや、あいまいというのは正確ではなく、実は意識のなかでは、まるで夢のように鮮やかにくっきり見えすぎて、現実の世界に対応したことばにすることができない。どう書いてみても、私が見ている夢のようなくっきりした状態を再現できない。
四元の見た夢の跡が私のことばに侵入してきているのだ。
(こういう状態が、私は、実はとても好きである。ふいに「詩を書きたい」という欲望が目覚めるからである。)
*
それにしても今回の「年鑑」には「死」ということばが非常に多く登場する。「死」と深いところで肉体的に共鳴している人が編集したのだろうか、という思いが残る。
井坂洋子「冥(よみ)からの」も「冥」が「死」と通じる。
ひとりの人間には 一人ずつの
空と大地と海が用意されている
満々とした水を抱え 氾濫もせず
一定の場所を動かなかった(わたしの)海は
きょう旅だっていった
よってわたしにはふくらんだ空と大地が
果てしなく 重なっているのみ
巨大な上下の布団のあいだを
常闇(とこやみ)の国の支社がぼこぼこと足踏みしめ
時々転倒しているのみ
「よってわたしにはふくらんだ空と大地が/果てしなく 重なっているのみ」という行の「よって」ということばが、なぜか気持ちがいい。「のみ」という断定も気持ちがいい。たぶん、これは四元の詩を読んだ直後に井坂の詩を読んだことによって生じる気持ちよさだと思う。
四元の詩には「よって」という理由をあらわすことばのかわりに「それから」という事実の経過を指し示すことばしかなかった。四元の詩にはさまざまな事柄が書かれているが、あらゆることがらに理由はなかった。なぜ、台所に子供がいるのか、理由はなかった。なぜ、濡れた足跡なのか理由はなかった。
ところが井坂は「よって」というのである。「よって」のかわりに「そして」という事実を追加する方法でも描写できるけれど、井坂は「よって」を選ぶのである。そのことばの選択、「よって」を選び取るところに井坂の個性がある。
そして、その「よって」は論理的というよりは、書き出しの「ひとりの人間」ということばが象徴的だが、井坂ひとりの断定、独断である。
その独断が気持ちがいい。独断のなかに「詩」がある。独断を絶対的な個人的思想と読み替えるとき、それが「詩」であることがよくわかる。