詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岩佐なを「ポン太(芸者さんではなく)」

2009-03-15 12:35:01 | 詩(雑誌・同人誌)
岩佐なを「ポン太(芸者さんではなく)」(「歴程」557 、2009年02月28日発行)

 「歴程」577 では何人もの人が「中也」について書いている。岩佐なをも書いている。その「書き方」がちょっと変わっている。「ポン太(芸者さんではなく)」の前半。

町にもタヌキがいるようで
(これは全くひゆではなくて)
町のタヌキは夜にごはんをさがしてる
子ダヌキもいるのかな
その町のタヌキが一度は手にした
ボタンこそ中也が
月に向っても浪に向っても
抛れなかった一粒
そのくせ町で落としてしまった一ヶ
「拾うんじゃないよ」と
タヌキは誰かに言われたそうな
握った掌をやわらかく開けば
ボタンもあたためていた
ボタンもタヌキのしあわせも
ポタンと路に落ちてしまって
次にヒトの靴の爪先がそれを
蹴りコロコロリころがり
子ダヌキは拾いに行かなかったのかな

  2行目の「(これは全くひゆではなくて)」の「て」が、まず、おもしろい。「て」がないと、1行目はただ自分に言い聞かせているという感じがする。ところが「て」があると、とたんに目の前に「聴き手」があらわれてくる。「聴き手」ににたいして念押しをしている感じがくっきりと浮かび上がってくる。
 それが「おもしろさ」の要因だ。
 「聴き手」と「読み手」というものは実は違った存在である。
 文学というか、書きことばは「読み手」、「読者」を求めているが、そのときのことばは、1行ずつ「読者」を想定はしていない。ずーっととおして読んでくれるひとを想定していることが多い。全部読み通したときに、筆者の書きたいことが伝わればそれでいい、ということを前提としているものが多い。
 「聴き手」というのは、「読み手」と違って、いやになったらいつでも「聴き手」であることをやめる。「読み手」ももちろんやめることはできるが、「読み手」がいようがいまいが「書きことば」は最後まで完結することができる。ところが「聴き手」がいないとき、「話しことば」は「完結」できない。語り手は最後まで語ることはできるが、それが語ったという「証拠」はどこにもない。「書きことば」は文字として残るが、「話しことば」は空気のなかに消えて行ってしまう。(「話したとば」は録音して残せるから、「完結」できるという見方もあるかもしれないけれど、「話しことば」は録音を前提としていないから、それは「話しことば」であっても、別のものである。あえていえば「録音記録ことば」であって、「話す」「書く」とは別のものである。「印刷ことば」に対して「録音ことば」というようなものである。)

 「聴き手」を前提とした「話しことば」は、「聴き手」をひきつけ、そこにとどめておくためにいろいろ努力をしなくてはならない。2行目の「なくて」の「て」、目の前にいる「聴き手」に対して、しっかりと念押しをしているときの、その口調なのである。
 話しことばは、書きことばとちがって、あれ、いま、なんて言ったのかなと思っても確かめる方法がない。「もういっぺん言って」と聞き直すことはできるはできるけれど、語り手が質問を遮るように次のことばを言ってしまえば、その瞬間は、やはり聞きそびれたことばは聞きそびれたままである。
 語る方は語る方で、そういう「あいまい」な感じを利用して、ことばを動かすことができる。

握った掌をやわらかく開けば
ボタンもあたためていた
ボタンもタヌキのしあわせも
ポタンと路に落ちてしまって

 この4行には、話しことばの不思議さ(たのしさ)が凝縮している。「ボタンもあたためていた/ボタンもタヌキのしあわせも」というのは、論理的なことばの動きではない。「ボタンも」と冒頭に2回繰り返されるが、なぜ2回? 「あたためていた」は何を修飾することば? タヌキが掌に握って「あたためていたボタンも」「タヌキのしあわせも」なら、最初のボタンはいらない。また、改行の仕方も奇妙だと指摘できる。「あたためていたボタンも」「ボタンをあたためることができた--手に握ることができたタヌキのしあわせも」であるとしても、改行が奇妙である。
 ところが、この改行、「話しことば」では、改行という形にはならない。息継ぎや、アクセントの変化になってあらわれる。大事なことを言う場合、その音を高くすることで(あるいは逆にひくくするということもあるが)、聴き手の意識をそのことばに集中させる。そのために、息継ぎも「修飾語+名詞」をわざと分離させることもある。「音」として「分離」してしまった方が、そのことばそのものが強く意識に残るからである。
 話しことばは、文法をある程度無視できるのだ。書きことばは文法を無視すると何が書いてあるかわからないが、話しことばは文法が乱れても「音」そのもものの強弱、強調の仕方しだいで何が言いたいかわかるのである。
 岩佐はそういう「話しことば」の特徴をとても巧みに取り入れている。肉体化している。
 この4行では、実際に、何を言いたいのか、はっきり判断できないけれど、繰り返し読んでみたい、その音そのものをまるごと楽しみたいという気持ちにさせられる。「意味」を語るのではなく、「音」を語る。その「音」の重なりのなかにある、ことばにならないつながりを、「音」そのものとして声に出して遊ぶ。
 タヌキとボタンとポタンの関係のようなもの--そういうことばであいまいに語る「重複」のなかにあるもの、そういうものが岩佐にとっての「中也」である、と岩佐は言う。さらに、そして、そのタヌキの名前は「ポン太」であると。
 「音」そのものが遊びながら、「音」そのものをつたえる。音楽である。リズムそのものをつたえる。音楽である。
 後半にもそういう部分がある。

ポンポコポンポコ
箱の中からポン太さん
とても「自分たち史」を残した
かったポン太さんは
もちろん文字を知らな
かった声はシトには伝わらなかった

 「残した/かった」「知らな/かった」という改行、息継ぎと同時に、音そのものをかえる語り。その文法を破るときの不思議な快感。日常のことばの法則をはなれて、のびのびと楽しむ音楽。
 --そういうものを岩佐は中也から吸収したと、告白しているのだと思った。とてもいい「中也論」だと思って読んだ。語り方、ことばの動かしかたか「中也論」になっているのだと感動して読んだ。



 困ったことに--困らなくてもいいのかもしれないけれど、困ったことに、この岩佐の作品、「気持ち悪くない」。最近の岩佐の詩は、ことばの調子がとても自然で、「肉体」を感じさせる。だから「気持ち悪くない」。以前は、「肉体」は「肉体」でも少し違っていた。とても気持ち悪かった。どうしても好きになれないものがあった。この詩には、どうしても好きなにれないものがない。
 岩佐の作品は、絶品の領域に入り込んだのかな?
 それは、いいこと? 悪いこと?
 それもわからない。






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『田村隆一全詩集』を読む(25)

2009-03-15 00:05:41 | 田村隆一
 『新年の手紙』(1973年)で田村は「他人」に出会っている。それまでも人間にであっていたかもしれないが、「他人」には出会っていなかった。
 「水銀が沈んだ日」は寒い日にニューヨークに住む詩人を訪ねたときの作品である。

ここにあるのは濃いコーヒーとドライ・マルチニ それにラッキー・ストライク
ぼくには詩人の英語が聞きとれなかったから

部屋の壁をながめていたのだ E・M・フォースターの肖像画と
オーストリアの山荘の水彩画 この詩人の眼に見える秘密なら
これだけで充分だ ヴィクトリア朝文化の遺児を自認する「個人」とオーストリアの森と
ニューヨークの裏街と

 「日本には一九三八年に行った それも羽田に一時間だけね
 まっすぐに戦争の中国へ行ったのだ
 イシャウッドといっしょにね」

寒暖計の水銀が沈んだ日
「戦いの時」のなかにぼくはいた
詩人の大きな手がぼくに別れの握手をした

 田村は詩人と会って、彼が日本に行った、一時間だけだったと話したことを大切なことがらとして書いている。それだけが唯一のことばであったかのように、引用している。そこに、詩人のことばに、どんな「意味」がある? どんな「意味」もない。だから、重要なのだ。
 「他人」とは全体に「ぼく」とは一体にならない存在である。いわば「矛盾」である。矛盾は、田村にとっては、止揚→統合(発展)とつながっていくものではない。むしろ、ふたつの存在、ここでいえば「詩人」と「ぼく」とのあいだに存在するものを叩き壊し、そこに存在するものを、存在以前のものにしてしまうものである。そこに存在するものが、存在以前のものになる時、「詩人」も「ぼく」も、「詩人以前」「ぼく以前」になる。未生のものになる。
 田村は詩人については多くのことを知っていた。しかし、たぶん彼が日本にきたことがあるとは知らなかった。もちろん、日本に来たといっても羽田を通過しただけだから、それは来た、行った、ということにはならないだろうから、だれも知らない「事実」だっただろう。
 その知らなかったものが、ふいに噴出して来る瞬間、詩人と田村のあいだにあった「空気」がかわったと思う。実際、かわったからこそ、田村はそれを一番の記憶として書き残しているのである。
 でも、どんなふうに変わった?
 それは書いていない。書けないのだ。そのときは「変わった」ということしか、わからないからである。

 「人間の家」という作品に、次の行がある。

おれがほしいのは動詞だけだ
未来形と過去形ばかりでできている社会にはうんざりしたよ
おれが欲しいのは現在形だ

 「過去」「未来」は田村にとっては「名詞」なのだ。固定したものなのだ。田村がほしいのは運動そのもの、何度か書いてきた私のことばで説明すれば、ベクトル、→、なのだ。
 詩人が田村に話したことは過去のことである。しかし、それは「過去形」ではないのである。「名詞」として固定化されている「歴史」ではないからだ。詩人の肉体が突然、時間をひっぱりだしてきたのである。「過去」ではなく、「いま」としてひっぱりだしてきたのである。--言い換えると、「いま」、田村はその事実を知った。「過去」はその瞬間「いま」になったのである。それが「現在形」である。「過去」さえも「いま」にしてしまう運動が「現在形」である。
 弁証法が、対立→止揚→統合(発展)という運動をするのに対し、田村のことばの運動は、矛盾→破壊→融合(あるいは溶解)である。
 詩人のことばは、田村が知っていた詩人についてのことがらを破壊する。少なくとも、「過去」を破壊し、まったく別の出来事を「いま」に運んで来る。それを受け止める時、田村の抱えていた「時間」そのものが揺らぐ。「いま」と「過去」がかきまぜられてしまう。他人と出会うと「時間」は動かざるを得なくなるのだ。「他人」とは、いつでも「ぼく」の知らない時間を生きてきた人間だからである。なんらかの真実の話をすれば、そこにはかならず知らないことがまじっていて、それが「時間」をかきまぜるのである。

 こんなとき、頼りになるのはなにか。「肉体」である。「肉体」はいつも「いま」しかない。「過去」は「頭」がつくりあげる運動領域である。「未来」も「頭」がつくりあげる運動領域であり、「肉体」とそこに存在することはできない。「頭」は「いま」「ここ」にいながら、同時に「過去」「未来」にも存在し得るけれど(その領域で運動できるけれど)、「肉体」は「過去」「未来」と「いま」との時間を同時に運動領域とすることはできない。
 ふいに出現してきた「いま」をどうやって受け止めるか。「肉体」で受け止めるしかない。

詩人の大きな手がぼくにお別れの握手をした

 「肉体」で「いま」に生まれてきた「過去」があることを受け止めたという印として握手をするのである。
 ここでは「手」がその仕事をしているが、別の場所、別の機会には、別の「肉体」が、たとえば、眼が、耳が、そういう働きをするはずである。


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田村 隆一
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