監督 ブライアン・シンガー 出演 トム・クルーズ、ケネス・ブラナー、ビル・ナイ
第二次大戦の終盤。ヒトラー暗殺計画を描いた作品。
この映画は、映画として成功させるのは非常に難しい。ヒトラー暗殺がなかったことを誰もが知っている。計画が失敗に終わることは誰もが知ってる。知っているけれど、もしかすると……と思わせる緊迫感をどう演出するか。それが難しい。
近年の映画で、結末は誰もが知っているけれど、もしかすると違った結末になるんじゃないか、と思わせた映画が1本あった。ポール・グリーングラス監督「ユナイテッド93」(★★★★★)である。9・11テロで墜落した飛行機。その機内の様子、官制のとのやりとりを描いている。墜落したのは誰もが知っている事実であるけれど、乗客が団結してテロリストと戦いコックピットを奪い返す。操縦桿を握る。そのとき、思わず、もしかしたら助かるんじゃないか。映画なんだから、ここで助かってもいいんじゃないか。助かってほしい。思わず、そう祈ってしまう映画であった。映画だとわかっているのに、登場人物の幸福を祈るというのは、エルマノ・オルミ監督「木靴の樹」(★★★★★)のラストシーン以来の体験だった。
この映画は、そんな気持ちになれない。
私の偏見かもしれないが、トム・クルーズが暗殺計画をリードする将校には見えないのである。知性の力でひとをリードしていくという雰囲気がない。知性--知性の苦悩というものが感じられない。知性のオーラがない。彼の顔は、知性とは無縁であり、その知性と無縁なところがひとを引きつける力になっている。そのことを監督は誤解している。
トム・クルーズは、綿密な計画を頭に描き、それにしたがって行動するというよりも、せいぜいが命令に従ってかっこよく動き回る「ミッション・インポシブル」のスパイがせいぜいの役どころである。計画を誰かが立て、それを遂行するという役には、あの知性と無縁の顔が輝く。かっこいい顔の男はこんな行動も楽々できる、と夢を見させてくれる。
トム・クルーズのまわりには、彼の低い身長が目立たないように小柄な役者をそろえ、それぞれに癖のある顔も配置し、知識人の優越感も、軍人の悲しみもそれぞれに描いているのだが、トム・クルーズだけが、その精神のドラマと無縁なのである。あのヒトラーでさえ、「暗殺計画が実行されようとしている。知っていますか」と教えたくなるような繊細な表情を見せるのに、である。
キャスティングが間違っているとしか、言いようがない。せめてケネス・ブラナーを計画のリーダーにできなかったものか。
演出のテンポ、カメラのリズムも、非常にもったりしている。
トム・クルーズがヒトラーの「巣」からベルリンへ戻る。指揮する。一方、ヒトラーは生きていて、反撃する。トム・クルーズの「命令」とヒトラー側の「命令」が交錯するクライマックスが、実に、たんたんと整理されすぎていて、緊張感がない。ほんとうなら混乱するはずの部分が、まったく混乱しない。暗殺計画が失敗したとわかってからも、実に冷静である。というか、その段階で、次々に「あきらめ」がひろがっていくのだが、その「あきらめ」が期末テストで山が外れてしまったという程度の雰囲気なのである。肝心のトム・クルーズが精神の動きを顔で表現できない役者だからである。中心の人物が「人形」をやっているので、まわりがいくらがんばっても、どうしようもない。
こういう時は、カメラの、視線の力で映画をつくっていく必要がある。そのテンポが歯切れが悪すぎる。
またまた思い出すのは、ポール・グリーングラス監督である。「ボーン・アルティメイタム」(★★★★★)。新聞記者が殺されるまでの駅のシーン。マット・デイモンと彼を暗殺しようとする側の人間をカメラが非常に緊迫感をもった映像で伝えている。カメラがマット・デイモンの視線そのものになったり、敵の視線そのものになったりしながら、動きながら空間とひとを浮かび上がらせるからである。ポール・グリーングラス監督はほんとうに天才である。役者に演技させるのではなく、カメラに演技を引き出させるのである。
この映画、「ワルキューレ」のカメラは、ただ役者が演技するのを待っている。監督もただストーリーをわかりやすく紹介することだけに力をそそいでいる。映画ではなく、紙芝居になっている。
トム・クルーズやブライアン・シンガー監督には申し訳ないが、ポール・グリーングラス監督がいかに天才であるか、ということを実感するだけの映画であった。
*
ブライアン・シンガー監督の「ユナイテッド93」は必見の映画です。「ワルキューレ」を見る時間があるなら、「ユナイテッド93」を見ましょう。
第二次大戦の終盤。ヒトラー暗殺計画を描いた作品。
この映画は、映画として成功させるのは非常に難しい。ヒトラー暗殺がなかったことを誰もが知っている。計画が失敗に終わることは誰もが知ってる。知っているけれど、もしかすると……と思わせる緊迫感をどう演出するか。それが難しい。
近年の映画で、結末は誰もが知っているけれど、もしかすると違った結末になるんじゃないか、と思わせた映画が1本あった。ポール・グリーングラス監督「ユナイテッド93」(★★★★★)である。9・11テロで墜落した飛行機。その機内の様子、官制のとのやりとりを描いている。墜落したのは誰もが知っている事実であるけれど、乗客が団結してテロリストと戦いコックピットを奪い返す。操縦桿を握る。そのとき、思わず、もしかしたら助かるんじゃないか。映画なんだから、ここで助かってもいいんじゃないか。助かってほしい。思わず、そう祈ってしまう映画であった。映画だとわかっているのに、登場人物の幸福を祈るというのは、エルマノ・オルミ監督「木靴の樹」(★★★★★)のラストシーン以来の体験だった。
この映画は、そんな気持ちになれない。
私の偏見かもしれないが、トム・クルーズが暗殺計画をリードする将校には見えないのである。知性の力でひとをリードしていくという雰囲気がない。知性--知性の苦悩というものが感じられない。知性のオーラがない。彼の顔は、知性とは無縁であり、その知性と無縁なところがひとを引きつける力になっている。そのことを監督は誤解している。
トム・クルーズは、綿密な計画を頭に描き、それにしたがって行動するというよりも、せいぜいが命令に従ってかっこよく動き回る「ミッション・インポシブル」のスパイがせいぜいの役どころである。計画を誰かが立て、それを遂行するという役には、あの知性と無縁の顔が輝く。かっこいい顔の男はこんな行動も楽々できる、と夢を見させてくれる。
トム・クルーズのまわりには、彼の低い身長が目立たないように小柄な役者をそろえ、それぞれに癖のある顔も配置し、知識人の優越感も、軍人の悲しみもそれぞれに描いているのだが、トム・クルーズだけが、その精神のドラマと無縁なのである。あのヒトラーでさえ、「暗殺計画が実行されようとしている。知っていますか」と教えたくなるような繊細な表情を見せるのに、である。
キャスティングが間違っているとしか、言いようがない。せめてケネス・ブラナーを計画のリーダーにできなかったものか。
演出のテンポ、カメラのリズムも、非常にもったりしている。
トム・クルーズがヒトラーの「巣」からベルリンへ戻る。指揮する。一方、ヒトラーは生きていて、反撃する。トム・クルーズの「命令」とヒトラー側の「命令」が交錯するクライマックスが、実に、たんたんと整理されすぎていて、緊張感がない。ほんとうなら混乱するはずの部分が、まったく混乱しない。暗殺計画が失敗したとわかってからも、実に冷静である。というか、その段階で、次々に「あきらめ」がひろがっていくのだが、その「あきらめ」が期末テストで山が外れてしまったという程度の雰囲気なのである。肝心のトム・クルーズが精神の動きを顔で表現できない役者だからである。中心の人物が「人形」をやっているので、まわりがいくらがんばっても、どうしようもない。
こういう時は、カメラの、視線の力で映画をつくっていく必要がある。そのテンポが歯切れが悪すぎる。
またまた思い出すのは、ポール・グリーングラス監督である。「ボーン・アルティメイタム」(★★★★★)。新聞記者が殺されるまでの駅のシーン。マット・デイモンと彼を暗殺しようとする側の人間をカメラが非常に緊迫感をもった映像で伝えている。カメラがマット・デイモンの視線そのものになったり、敵の視線そのものになったりしながら、動きながら空間とひとを浮かび上がらせるからである。ポール・グリーングラス監督はほんとうに天才である。役者に演技させるのではなく、カメラに演技を引き出させるのである。
この映画、「ワルキューレ」のカメラは、ただ役者が演技するのを待っている。監督もただストーリーをわかりやすく紹介することだけに力をそそいでいる。映画ではなく、紙芝居になっている。
トム・クルーズやブライアン・シンガー監督には申し訳ないが、ポール・グリーングラス監督がいかに天才であるか、ということを実感するだけの映画であった。
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