秋山基夫「黄色い砂」(「ペーパー」4、2008年11月01日発行)
秋山基夫「黄色い砂」はプロローグに石川啄木の「東京」を掲げている。
1連目は、「蟹が波打ち際を這っていく」ではじまり、2連目は「蟹と見えるものは実は汽車だ」にかわる。3連目では「汽車は列島をしゅっしゅっぽっぽと休みなく走り回る」、4連目は「都会の駅舎の中をふるさとさんが洋傘をもち中折帽をかぶってうろうろする」とつづく。とても奇妙なことばの運動である。それにくわえて、「汽車」とか「駅舎」という古いことばが登場するので、これは一体何?という気持ちになる。
そして、この詩(?)には「『黄色い砂』のための物語」というものがついている。「黄色い砂」という「詩」が、どういう「物語」をもっているか、を注釈したものである。そのなかに、啄木、朔太郎などが出て来る。「蟹」は「東海の小島の磯」の「蟹」であり、「汽車」は「フランスに行きたしと思へど」の「汽車」である。「ふるさと」は啄木の「いしもと追はるる」の「ふるさと」である。都会は漱石「坊ちゃん」の江戸であり、都会と対比的に描かれる「田舎」には田山花袋も出て来る。その他のことばの来歴(?)がていねいについている。
さらに。この「物語」は「参考文献および若干のノート」というものをしたがえている。
これいったい何?
これを読むと、秋山が書きたかったものは、「詩」なのか「物語」なのか「ノート」なのか、判然としなくなる。どれも書きたかったのだろう。とだけ書いて、そのことに関しては判断を保留する。
私がおもしろいと思ったのは、「物語」の部分である。特に、「ノート」の(注1)につながる部分である。駅のホームについての説明である。
「ノート」の1の部分を見ると、文献のタイトルが並んでいるだけで、それう見るかぎりは「塗料」なんか、どこにも出てこない。
変でしょ?
詩に、長い長い注釈(物語)をつけ、さらにその「物語」に注までつけているのに、それは不完全なものである。これはいったい、なんのための注?
いま引用した文章は、結局、いろいろ文献を踏まえながら、実は「知らない」ものを残したまま、ことばは動いているということを証明している。
そのことを私は批判するつもりはない。むしろ逆である。どんなときでも、ことばは「知らない」ものを含んだまま動くのである。というよりも、「知らない」ものがあるからこそ、ことばはなにかを追いかけて動くことができる。未知の領域へ動くことができる。「知っている」ものだけだったら、未知の世界へは入っていけない。
したがって、といっていいのかどうか、よくわからないが……。
「ニス」は独立した生き物のように動いて、「汽車」のなかへ入り込み(ホームに少しは触れはするけれど、そこを離れて)、朔太郎の「夜汽車」を呼び寄せる。そして、
と官能の世界に迷い込む。さらに「夜汽車」から「照明」に移り、ガラスに移り、そして、
あれれ。いつのまにか、「歴史」になってしまっている。
何を書いていたのだったっけ? 「ニス」は、そのときどうなるの?
わからなくなりますね。わからないのだけれど、そのわからないくらいに、次々とことばがことばに刺激されながら動いていることだけは、とてもよくわかる。「知らない」を含んだまま動きはじめたので、どこかが緩んでいるのである。論理の「文法」が緩んでいるのである。そして、逸脱するのである。
その瞬間がおもしろいのだ。
あれ、こんなことがテーマだったっけ? 違うんじゃないの? そう思う瞬間の、なにかが、私に、この変な感じこそ「詩」であると告げる。詩はいつでも逸脱していくものである。逸脱する力が詩なのだ。
詩のなかでは秋山の逸脱は小さい。しかし、散文のなかでは逸脱が大きい。
まるで「物語」のなかで逸脱したくて、それ出発点として「黄色い砂」を書いたように思えて来るのである。なにごとかを説明するふりをして、なにかを補足するふりをして、逸脱を手に入れる。
「物語」を読むと、私が感心した部分は、秋山がほんとうに狙って書いた部分なのか、自然にそうなってしまったのか、よくわからないが、狙って書いたものだとしたら、とてもすばらしい。とてもおもしろい。
秋山基夫「黄色い砂」はプロローグに石川啄木の「東京」を掲げている。
1連目は、「蟹が波打ち際を這っていく」ではじまり、2連目は「蟹と見えるものは実は汽車だ」にかわる。3連目では「汽車は列島をしゅっしゅっぽっぽと休みなく走り回る」、4連目は「都会の駅舎の中をふるさとさんが洋傘をもち中折帽をかぶってうろうろする」とつづく。とても奇妙なことばの運動である。それにくわえて、「汽車」とか「駅舎」という古いことばが登場するので、これは一体何?という気持ちになる。
そして、この詩(?)には「『黄色い砂』のための物語」というものがついている。「黄色い砂」という「詩」が、どういう「物語」をもっているか、を注釈したものである。そのなかに、啄木、朔太郎などが出て来る。「蟹」は「東海の小島の磯」の「蟹」であり、「汽車」は「フランスに行きたしと思へど」の「汽車」である。「ふるさと」は啄木の「いしもと追はるる」の「ふるさと」である。都会は漱石「坊ちゃん」の江戸であり、都会と対比的に描かれる「田舎」には田山花袋も出て来る。その他のことばの来歴(?)がていねいについている。
さらに。この「物語」は「参考文献および若干のノート」というものをしたがえている。
これいったい何?
これを読むと、秋山が書きたかったものは、「詩」なのか「物語」なのか「ノート」なのか、判然としなくなる。どれも書きたかったのだろう。とだけ書いて、そのことに関しては判断を保留する。
私がおもしろいと思ったのは、「物語」の部分である。特に、「ノート」の(注1)につながる部分である。駅のホームについての説明である。
塗料としては何を使ったか。ペンキ、ニスなどを想像するが、これらが使われはじめた年代は知らない。
「ノート」の1の部分を見ると、文献のタイトルが並んでいるだけで、それう見るかぎりは「塗料」なんか、どこにも出てこない。
変でしょ?
詩に、長い長い注釈(物語)をつけ、さらにその「物語」に注までつけているのに、それは不完全なものである。これはいったい、なんのための注?
いま引用した文章は、結局、いろいろ文献を踏まえながら、実は「知らない」ものを残したまま、ことばは動いているということを証明している。
そのことを私は批判するつもりはない。むしろ逆である。どんなときでも、ことばは「知らない」ものを含んだまま動くのである。というよりも、「知らない」ものがあるからこそ、ことばはなにかを追いかけて動くことができる。未知の領域へ動くことができる。「知っている」ものだけだったら、未知の世界へは入っていけない。
したがって、といっていいのかどうか、よくわからないが……。
「ニス」は独立した生き物のように動いて、「汽車」のなかへ入り込み(ホームに少しは触れはするけれど、そこを離れて)、朔太郎の「夜汽車」を呼び寄せる。そして、
煤煙とニスと煙草と乗客や荷物のにおいのいりまじった濃くていくぶん刺激的な「汽車のにおい」の中から、人妻を連れた寄るの旅の感情の等価物として煙草とニスのにおいがときに抽出されている。
と官能の世界に迷い込む。さらに「夜汽車」から「照明」に移り、ガラスに移り、そして、
高浜虚子が送ったガラス障子を正岡子規は非常に喜んだが、室内にいて外気を遮りつつ外が見える文明の利器の普及は便利であるにとどまらず、まさに透明な見えない作用を人々の思想の変革にまで及ぼした。内面の表現とはまさに外から中が見えるようにすることにほかならない。
あれれ。いつのまにか、「歴史」になってしまっている。
何を書いていたのだったっけ? 「ニス」は、そのときどうなるの?
わからなくなりますね。わからないのだけれど、そのわからないくらいに、次々とことばがことばに刺激されながら動いていることだけは、とてもよくわかる。「知らない」を含んだまま動きはじめたので、どこかが緩んでいるのである。論理の「文法」が緩んでいるのである。そして、逸脱するのである。
その瞬間がおもしろいのだ。
あれ、こんなことがテーマだったっけ? 違うんじゃないの? そう思う瞬間の、なにかが、私に、この変な感じこそ「詩」であると告げる。詩はいつでも逸脱していくものである。逸脱する力が詩なのだ。
詩のなかでは秋山の逸脱は小さい。しかし、散文のなかでは逸脱が大きい。
まるで「物語」のなかで逸脱したくて、それ出発点として「黄色い砂」を書いたように思えて来るのである。なにごとかを説明するふりをして、なにかを補足するふりをして、逸脱を手に入れる。
「物語」を読むと、私が感心した部分は、秋山がほんとうに狙って書いた部分なのか、自然にそうなってしまったのか、よくわからないが、狙って書いたものだとしたら、とてもすばらしい。とてもおもしろい。
二重予約の旅秋山 基夫思潮社このアイテムの詳細を見る |