詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「朝日歌壇俳壇」

2009-03-30 10:45:36 | その他(音楽、小説etc)
「朝日歌壇俳壇」(朝日新聞2009年03月30日朝刊)

 朝日歌壇に、とてもおもしろいことが起きていた。永田和宏が1席2席に選んでいる歌。(他の選者も選んでいるが。)

温かき缶コーヒーを抱きて寝て冷めれば冷えしコーヒーを啜る
                     (ホームレス)公田耕一
囚人の己れが〈(ホームレス)公田〉想いつつ食むHOTMEALを
                     (アメリカ)郷隼人

 アメリカで刑に服している郷が、公田の歌を読み、彼のことを思いやっている。郷は公田が今回投稿してきた作品を読まずに今回の歌を詠んでいるはずだが、そこに不思議なつながりがある。公田は缶コーヒーで暖をとりながら眠り、目覚めて冷めたコーヒーを飲む。一方、郷は獄中にあって、温かい食事をとっている。公田はどうしているだろうと思っている。そして、自分のいまを静かに責めている。まるで、公田が必死の工夫で暖かさを手に入れようとしているという歌を詠んでいるのを知って書いたかのようである。
 ふいに、涙が体の奥から(目からというより、もっと奥から)あふれてきた。
 どうして、こんなふうに、まるで相聞歌のようなやりとりが起きたのか。
 私は二人の歌をつづけて読んできているわけではないから簡単にはいえないけれど、たぶん、短歌という形が必然的に今回の二人の作品を引き寄せたのだろう。短歌には、相聞のながい歴史がある。そういうものが、ふたりのことばをつらぬき、互いを呼び合ったのだ。
 いいなあ、と思う。こういうことが偶然おき、そしてそれが必然に思える。そういう歴史というか、伝統というか、そういものがことばのなかにあるというのは、とてもすばらしいことだと思う。
 私は短歌を書かないが(読むこともめったにしないが)、短歌という文学形式をもっていることを、なぜか誇らしく感じた。



 同じページに掲載されている「短歌時評」。種村弘「本物そっくりがリアルか?」という文を書いている。

初めて演歌を聴いた外国人は「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」という歌詞の「味」を理解できるだろうか。不合理な後ろ向き感が全く非現実的だ、と思うのではないか。
 だが、演歌を好む日本人にしても、これが現実に近いからいいとか共感できると思っているわけではない。演歌的「女心」とは、あくまでジャンルに特有のカタルシスに向かうために編み出された一種のスタイルなのだ。

 「カタルシスに向かうために編み出された一種のスタイル」という指摘にはっとした。そうか、文学とは(芸術とは)カタルシスに向けてのスタイルだったのか。芸術は結局、カタルシスとスタイルのふたつが存在しないと芸術にならないということだろう。そして、重要なのは「スタイル」ということになる。さらにいえば、「スタイル」の共有が重要になる。

 先に取り上げた公田と郷のふたつの歌は、自分の境遇を読みながら、自分の苦悩を解放するという「スタイル」が呼び寄せ合ったものということになるのかもしれない。「スタイル」の共有が偶然を必然にかえたのである。

             以上は、歌に関する感想。以下は、少し、違った感想。



 種村は、つづけて書いている。

 ならば、この歌詞がそのリアルさを失うのは、現実の「女心」が絶滅したときではなく、このスタイルがカタルシスを生み出せなくなったとき、ということになる。外国人ならぬ若い世代の日本人が「ぴんとこない」と思ったときが危機なのだ。

 この一文にはどきりとした。
 私は「北の宿」の歌詞のカタルシスとスタイルは理解できるが、逆のことを考えたからだ。
 たとえば、私よりずっと世代の若いひとたちの書く詩、そのことば、そのスタイルがぴんとこない。これは、私にとって、一種の危機なのかもしれない。私が詩を読むときのスタイルの危機なのかもしれない、と思った。
 具体的にいえば、たとえば私は森川雅美の書いていることばのほとんどが「ぴんとこない」。「肉体」を感じない。ことばを「頭」で書いているのではないか。そうしたことをあるとき指摘したら、森川から「肉体を書いている」と反論があった。同じようなことが、浜江順子の詩の感想を書いたときにも起きた。
 しかし、どうにも、私にはわからないことがある。
 たとえば、いま、さくらの季節だが、花の美しさにひかれるように、その体に触ってみたくなる。その幹に手で触る。ごつごつ、ざらざらしている。触覚がそう感じる。それを感じる手は「肉体」か。たしかに「肉体」であるだろうけれど、私にとっては、それだけでは「肉体」ということばをつかう気持ちになれない。手がさくらの幹に触れて、触れることで、目で見ているだけでは感じなかったごつごつ、ざらざらを感じ、そこにさくらの生きてきた年月を感じるだけでは「肉体」でさくらを知ったという気持ちにはなれない。そこから、手(触覚)でも目(視覚)でもない領域にまで「肉体」がぐらりと動いたとき、初めて「肉体」ということばをつかいたい。さくらを見て美しいと感じ、幹に触ってごつごつした感じを確かめ、年月を感じ、そのあと、その手を通してさくらの声が聞こえたとき、あるいはその瞬間さくらのいろからいきいきとしたにおいがひろがったととき、--そういう変化がことばでつたわってきたとき、私は「肉体」を感じる。その人の「いのち」を感じる。
 目も手も「肉体」の一部である。視覚も触覚も人間の感性の一部である。それにはそれぞれ名前がついているから、それはそれで独立したものである。しかし、人間の体から目と手を切り離すことはできない。切り離しても目は目であり、手は手であるかもしれないが、切り離された痛みは、目、手、それとも残された体のどちらに属するのか。それは切り離せないのではないか。どこかでしっかりつながっている。そのつながっている体の奥深い部分を、ことばがくぐりぬけ、手で触ったのに、目で見たのに、耳が何かを聴いてしまう--そういうときに「肉体」が「肉体」になる。
 「肉体」のなかで「感覚」の領域侵犯がおきる。ことばが、そういう「スタイル」をとるとき、私は「肉体」を感じる。その「スタイル」にリアルさを感じる。
 森川の詩の一部には、そういうものを感じない。浜江の作品の一部にも感じない。彼等が書いているのは「本物」の肉体らしいけれど、私にはリアルには感じられない。これはきっと、ことばの書き方の「スタイル」が全く違ってきているということだろう。
 二人が新しいのか、私が古すぎるのか。



 短歌は、「スタイル」の「肉体」を共有している。けれど「現代詩」は「肉体」を共有していない。いや、私だけが共有していないのか。
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吉浦豊久「禿頭蕪村について」

2009-03-30 00:43:32 | 詩(雑誌・同人誌)
吉浦豊久「禿頭蕪村について」(「ANTHOLOGY TOYAMA2008」2008年11月01日発行) 

 吉浦豊久「禿頭蕪村について」は俳人蕪村、南画家蕪村のふたりについて書いたものである。

深夜二時頃
ハゲた蕪村が 尻からげて 土砂降りの室町通を小走りに
馬提灯が欲しいなどと 連れの太祇に話しかけながら
師走の句会の帰えり

そんなことを思いながら
研ぎだされたカエデ葉やつつじの花に 蕪村を嗅ぎ廻った
五月晴れの京都の朝は気持ちいい
ここは 詩仙堂の山続き 金福寺の裏山
ここには 蕪村が再興したカヤ葺きの蕪村庵や 与謝蕪村の墓があり
門人呉春景文兄弟の墓などもある

祇園祭が一名屏風祭とも呼ばれ
蕪村の俳諧一門に京の富裕層が多かった
そこで生まれたのが屏風講
病いで倒れる位描きまくった軸屏風の稼ぎを
茶屋遊びに注込んでいた蕪村という男

  ほととぎす平安城を筋違に

俳人蕪村は中学生でも知っているが 南画家謝春星となると それ中国の人け
竹田曰く「大雅逸筆 春星戦筆」
謝春星は蕪村の画号の一つである
門人松村呉春の描いた法衣の禿頭蕪村像が残っている

 どう感想を書いていいのかわからなかった。なんにも考えずに、ただ、蕪村の禿頭の肖像(呉春が描いたもの)を見て、思いつくままに、ことばを動かしている。そのことばにしたがって蕪村が、ふわっと浮き上がってくる。それだけ--といっていいのかどうかわからないが、そういう詩である。そして、思いつくままなのに、なぜか、そこに「文体」がある。「わざと」を感じる。「わざと」そういう書き方をしているのだ、という印象がある。つきはなしたような、一種の「距離」がある。そのために、不思議な「清潔感」がある。なまなましくない。蕪村が、たとえば金稼ぎのために軸屏風を描きまくった、そしてその金で茶屋遊びをした。放蕩をした、と書かれているのだが、そのことが、不思議に「くらし」と密着してこないのである。さっぱりとした「笑い話」のように響いてくるである。
 なぜか。
 「それ中国の人け」
 ふいに挿入された富山弁が、蕪村を「くらし」から引き剥がしてしまうのである。「それ中国の人け」とは「それは中国の人ですか?」という疑問形、質問なのだが、そういう蕪村を知らない人の「くらし」がふいにでてきた瞬間、吉浦の書いていることが「くらし」から切り離される。
 吉浦のことばは「文化」のことばである。そこに書かれている蕪村像も「文化」の像である。茶屋遊びで放蕩しても、それは放蕩という「文化」なのである。
 富山で、ふつうにくらしている人とは無関係である。
 この「無関係」という視点が「清潔感」をひきだしている。

 きのう、私は、廿楽順治の詩の感想を書いた。廿楽のことばは「無関係」とは逆である。何から何まで、ずるずるっとつながっていく。境目がなくなる。そして境目が消えた瞬間、「肉体」が浮かび上がってくる。それはなつかしくて、同時に、あたたかい。
 廿楽とは逆に、吉浦のことばは「無関係」ということを「くらし」に対して宣言している。「くらし」とは無関係である何か--それは、一方で、「文化」と深く結びついている。
 「文化」の「くらし」からの切り離しがおこなわれている。ちょっと、高踏的である。そのために、「現代詩」とは「距離」がある。「現代詩」と無縁のまま、「詩」をめざしているのかもしれないけれど、うーん、と考え込んでしまった。
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『田村隆一全詩集』を読む(40)

2009-03-30 00:03:03 | 田村隆一
 『小鳥は笑った』には鎌倉の詩がたくさんある。そのうち、私は「白波」と「冬」に強くひかれる。特に「白波」の次の部分。

「杉本観音は、海道より北にあり」
 と『新篇鎌倉志』にあるが、その「海道」を、いま金沢八景行きのバスが走っていて、ぼくは「わかれ道」でおりて、ブラブラ歩くことにする。「わかれ道」のそばに、魚屋があって、「ちょっとお伺いしますが」の、「ちょっと」と云ったとたん、ゴム長をはいたいせいのいいおかみさんが、デバ包丁をふりかざして、「チズ!」と一声。なるほど、店の横手に自家製の地図が打ちつけてあって、その杉板に、杉本寺や報国寺、荏柄天神などの所在が黒のボールペンで描かれている。

 道をたずねようとしたとたん、道をたずねられていることになれている(辟易している)魚屋のおかみさんが、教える代わりに「地図を見て」と言う。いや、「チズ!」とだけ叫ぶ。田村は、私が書いたようなことは省略して、単に「チズ!」という一声があったという事実だけを書いているのだが、この省略--そこに、詩がある。
 詩とは異質なものの出会い。
 人間にとって、いちばん異質なものとは、人間以外のものではなく、人間でありながら自分とは違う時間を生きている人間、つまり「他人」である。
 田村にとって、この作品のなかで近しい人は、『新篇鎌倉志』を書いた人であり、またその本にしたがってブラブラ歩いている人である。遠い人、「他人」とは、そういうブラブラ歩きの人から道を聞かれてうんざりしている人--つまり、魚屋のおかみさんである。ふたりが出会うとき、ふたりの向き合う「ベクトル」はまったく逆である。いわば「矛盾」している。(こういうとき、矛盾ということばはつかわないだろうけれど、いままで私がつかってきた「矛盾」にはこういう組み合わせも含んでいるので、あえて「矛盾」と書いておく。)
 そして、その「ベクトル」は、単に方向をもっているだけではなく、「過去」をもっている。そして、そのふたつのベクトルがぶつかったとき、長い「過去」をもっているベクトルが短い「過去」しかもたないベクトルを破壊してしまう。膨大な過去が、一気に噴出してきて、少ない過去をけちらかしてしまう。
 「チズ!」と一声叫ぶだけで、おかみさんが何度道を聞かれたか、そういう経験をしてきたかがすぐわかる。そして、その一声といっしょに見えてくる地図の、その書き込みによって、いったい何を聞かれたかもわかる。
 その一気に噴き出してきた「他人の過去」に詩人が打ち勝つ方法はない。道を尋ねようとしていた自分を否定し、地図をみつめ、そして単に場所だけではなく、いやむしろ、場所というよりも、別の田村(田村に先だっておかみさんに道を聞いた人)のめざしていたひととのやりとりまで聞いてしまう。田村は「杉本観音」の場所を聞こうとした。しかし、別の田村は杉本寺や報国寺などを聞こうとした。この瞬間の、「他人」の「自己」への闖入。--そこに、詩がある。「他人」の闖入により、「自己」が破壊される一瞬。そこに詩がある。

 「冬」では、田村の「十三秒間隔の光り」という作品に対する土砂からのはがきが引用されている。田村は「岡田港」の灯台と思ってその作品を書いたが、それは「風早崎」の灯台であり、光りの間隔も十三秒ではなく、三十秒周期だという。
 それが「事実」であるかどうかは問題ではない。
 いつでも「他人」は田村の予想外のことばであらわれる。その「予想外のことば」のなかに、田村は驚く。その驚きの中に詩がある。他人のことばが闖入してきて、一瞬、田村のことばを破壊するのだ。

 田村のことばを破壊するのは、たとえばオーデンの詩、エリオットの詩、あるいは西脇の詩のことばというような「文学」だけではない。
 文学とは関係なく(といってしまうと語弊があるかもしれないけれど)、それぞれに自分の時間を生きている「他人」のことばも、同じように田村のことばを破壊する。「他人」のことばの方が破壊力が強いかもしれない。
 そして、そういう田村を破壊することばを田村は正確に受け止めている。拒絶するのではなく、受け入れて、自分を解体する手がかりにしている。

 田村は、鎌倉を歩き回りながら、田村を破壊してくれることば、自然を探している--それがこの詩集だと思う。



あたかも風のごとく―田村隆一対談集 (1976年)
田村 隆一
風濤社

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