「朝日歌壇俳壇」(朝日新聞2009年03月30日朝刊)
朝日歌壇に、とてもおもしろいことが起きていた。永田和宏が1席2席に選んでいる歌。(他の選者も選んでいるが。)
アメリカで刑に服している郷が、公田の歌を読み、彼のことを思いやっている。郷は公田が今回投稿してきた作品を読まずに今回の歌を詠んでいるはずだが、そこに不思議なつながりがある。公田は缶コーヒーで暖をとりながら眠り、目覚めて冷めたコーヒーを飲む。一方、郷は獄中にあって、温かい食事をとっている。公田はどうしているだろうと思っている。そして、自分のいまを静かに責めている。まるで、公田が必死の工夫で暖かさを手に入れようとしているという歌を詠んでいるのを知って書いたかのようである。
ふいに、涙が体の奥から(目からというより、もっと奥から)あふれてきた。
どうして、こんなふうに、まるで相聞歌のようなやりとりが起きたのか。
私は二人の歌をつづけて読んできているわけではないから簡単にはいえないけれど、たぶん、短歌という形が必然的に今回の二人の作品を引き寄せたのだろう。短歌には、相聞のながい歴史がある。そういうものが、ふたりのことばをつらぬき、互いを呼び合ったのだ。
いいなあ、と思う。こういうことが偶然おき、そしてそれが必然に思える。そういう歴史というか、伝統というか、そういものがことばのなかにあるというのは、とてもすばらしいことだと思う。
私は短歌を書かないが(読むこともめったにしないが)、短歌という文学形式をもっていることを、なぜか誇らしく感じた。
*
同じページに掲載されている「短歌時評」。種村弘「本物そっくりがリアルか?」という文を書いている。
「カタルシスに向かうために編み出された一種のスタイル」という指摘にはっとした。そうか、文学とは(芸術とは)カタルシスに向けてのスタイルだったのか。芸術は結局、カタルシスとスタイルのふたつが存在しないと芸術にならないということだろう。そして、重要なのは「スタイル」ということになる。さらにいえば、「スタイル」の共有が重要になる。
先に取り上げた公田と郷のふたつの歌は、自分の境遇を読みながら、自分の苦悩を解放するという「スタイル」が呼び寄せ合ったものということになるのかもしれない。「スタイル」の共有が偶然を必然にかえたのである。
以上は、歌に関する感想。以下は、少し、違った感想。
*
種村は、つづけて書いている。
この一文にはどきりとした。
私は「北の宿」の歌詞のカタルシスとスタイルは理解できるが、逆のことを考えたからだ。
たとえば、私よりずっと世代の若いひとたちの書く詩、そのことば、そのスタイルがぴんとこない。これは、私にとって、一種の危機なのかもしれない。私が詩を読むときのスタイルの危機なのかもしれない、と思った。
具体的にいえば、たとえば私は森川雅美の書いていることばのほとんどが「ぴんとこない」。「肉体」を感じない。ことばを「頭」で書いているのではないか。そうしたことをあるとき指摘したら、森川から「肉体を書いている」と反論があった。同じようなことが、浜江順子の詩の感想を書いたときにも起きた。
しかし、どうにも、私にはわからないことがある。
たとえば、いま、さくらの季節だが、花の美しさにひかれるように、その体に触ってみたくなる。その幹に手で触る。ごつごつ、ざらざらしている。触覚がそう感じる。それを感じる手は「肉体」か。たしかに「肉体」であるだろうけれど、私にとっては、それだけでは「肉体」ということばをつかう気持ちになれない。手がさくらの幹に触れて、触れることで、目で見ているだけでは感じなかったごつごつ、ざらざらを感じ、そこにさくらの生きてきた年月を感じるだけでは「肉体」でさくらを知ったという気持ちにはなれない。そこから、手(触覚)でも目(視覚)でもない領域にまで「肉体」がぐらりと動いたとき、初めて「肉体」ということばをつかいたい。さくらを見て美しいと感じ、幹に触ってごつごつした感じを確かめ、年月を感じ、そのあと、その手を通してさくらの声が聞こえたとき、あるいはその瞬間さくらのいろからいきいきとしたにおいがひろがったととき、--そういう変化がことばでつたわってきたとき、私は「肉体」を感じる。その人の「いのち」を感じる。
目も手も「肉体」の一部である。視覚も触覚も人間の感性の一部である。それにはそれぞれ名前がついているから、それはそれで独立したものである。しかし、人間の体から目と手を切り離すことはできない。切り離しても目は目であり、手は手であるかもしれないが、切り離された痛みは、目、手、それとも残された体のどちらに属するのか。それは切り離せないのではないか。どこかでしっかりつながっている。そのつながっている体の奥深い部分を、ことばがくぐりぬけ、手で触ったのに、目で見たのに、耳が何かを聴いてしまう--そういうときに「肉体」が「肉体」になる。
「肉体」のなかで「感覚」の領域侵犯がおきる。ことばが、そういう「スタイル」をとるとき、私は「肉体」を感じる。その「スタイル」にリアルさを感じる。
森川の詩の一部には、そういうものを感じない。浜江の作品の一部にも感じない。彼等が書いているのは「本物」の肉体らしいけれど、私にはリアルには感じられない。これはきっと、ことばの書き方の「スタイル」が全く違ってきているということだろう。
二人が新しいのか、私が古すぎるのか。
*
短歌は、「スタイル」の「肉体」を共有している。けれど「現代詩」は「肉体」を共有していない。いや、私だけが共有していないのか。
朝日歌壇に、とてもおもしろいことが起きていた。永田和宏が1席2席に選んでいる歌。(他の選者も選んでいるが。)
温かき缶コーヒーを抱きて寝て冷めれば冷えしコーヒーを啜る
(ホームレス)公田耕一
囚人の己れが〈(ホームレス)公田〉想いつつ食むHOTMEALを
(アメリカ)郷隼人
アメリカで刑に服している郷が、公田の歌を読み、彼のことを思いやっている。郷は公田が今回投稿してきた作品を読まずに今回の歌を詠んでいるはずだが、そこに不思議なつながりがある。公田は缶コーヒーで暖をとりながら眠り、目覚めて冷めたコーヒーを飲む。一方、郷は獄中にあって、温かい食事をとっている。公田はどうしているだろうと思っている。そして、自分のいまを静かに責めている。まるで、公田が必死の工夫で暖かさを手に入れようとしているという歌を詠んでいるのを知って書いたかのようである。
ふいに、涙が体の奥から(目からというより、もっと奥から)あふれてきた。
どうして、こんなふうに、まるで相聞歌のようなやりとりが起きたのか。
私は二人の歌をつづけて読んできているわけではないから簡単にはいえないけれど、たぶん、短歌という形が必然的に今回の二人の作品を引き寄せたのだろう。短歌には、相聞のながい歴史がある。そういうものが、ふたりのことばをつらぬき、互いを呼び合ったのだ。
いいなあ、と思う。こういうことが偶然おき、そしてそれが必然に思える。そういう歴史というか、伝統というか、そういものがことばのなかにあるというのは、とてもすばらしいことだと思う。
私は短歌を書かないが(読むこともめったにしないが)、短歌という文学形式をもっていることを、なぜか誇らしく感じた。
*
同じページに掲載されている「短歌時評」。種村弘「本物そっくりがリアルか?」という文を書いている。
初めて演歌を聴いた外国人は「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」という歌詞の「味」を理解できるだろうか。不合理な後ろ向き感が全く非現実的だ、と思うのではないか。
だが、演歌を好む日本人にしても、これが現実に近いからいいとか共感できると思っているわけではない。演歌的「女心」とは、あくまでジャンルに特有のカタルシスに向かうために編み出された一種のスタイルなのだ。
「カタルシスに向かうために編み出された一種のスタイル」という指摘にはっとした。そうか、文学とは(芸術とは)カタルシスに向けてのスタイルだったのか。芸術は結局、カタルシスとスタイルのふたつが存在しないと芸術にならないということだろう。そして、重要なのは「スタイル」ということになる。さらにいえば、「スタイル」の共有が重要になる。
先に取り上げた公田と郷のふたつの歌は、自分の境遇を読みながら、自分の苦悩を解放するという「スタイル」が呼び寄せ合ったものということになるのかもしれない。「スタイル」の共有が偶然を必然にかえたのである。
以上は、歌に関する感想。以下は、少し、違った感想。
*
種村は、つづけて書いている。
ならば、この歌詞がそのリアルさを失うのは、現実の「女心」が絶滅したときではなく、このスタイルがカタルシスを生み出せなくなったとき、ということになる。外国人ならぬ若い世代の日本人が「ぴんとこない」と思ったときが危機なのだ。
この一文にはどきりとした。
私は「北の宿」の歌詞のカタルシスとスタイルは理解できるが、逆のことを考えたからだ。
たとえば、私よりずっと世代の若いひとたちの書く詩、そのことば、そのスタイルがぴんとこない。これは、私にとって、一種の危機なのかもしれない。私が詩を読むときのスタイルの危機なのかもしれない、と思った。
具体的にいえば、たとえば私は森川雅美の書いていることばのほとんどが「ぴんとこない」。「肉体」を感じない。ことばを「頭」で書いているのではないか。そうしたことをあるとき指摘したら、森川から「肉体を書いている」と反論があった。同じようなことが、浜江順子の詩の感想を書いたときにも起きた。
しかし、どうにも、私にはわからないことがある。
たとえば、いま、さくらの季節だが、花の美しさにひかれるように、その体に触ってみたくなる。その幹に手で触る。ごつごつ、ざらざらしている。触覚がそう感じる。それを感じる手は「肉体」か。たしかに「肉体」であるだろうけれど、私にとっては、それだけでは「肉体」ということばをつかう気持ちになれない。手がさくらの幹に触れて、触れることで、目で見ているだけでは感じなかったごつごつ、ざらざらを感じ、そこにさくらの生きてきた年月を感じるだけでは「肉体」でさくらを知ったという気持ちにはなれない。そこから、手(触覚)でも目(視覚)でもない領域にまで「肉体」がぐらりと動いたとき、初めて「肉体」ということばをつかいたい。さくらを見て美しいと感じ、幹に触ってごつごつした感じを確かめ、年月を感じ、そのあと、その手を通してさくらの声が聞こえたとき、あるいはその瞬間さくらのいろからいきいきとしたにおいがひろがったととき、--そういう変化がことばでつたわってきたとき、私は「肉体」を感じる。その人の「いのち」を感じる。
目も手も「肉体」の一部である。視覚も触覚も人間の感性の一部である。それにはそれぞれ名前がついているから、それはそれで独立したものである。しかし、人間の体から目と手を切り離すことはできない。切り離しても目は目であり、手は手であるかもしれないが、切り離された痛みは、目、手、それとも残された体のどちらに属するのか。それは切り離せないのではないか。どこかでしっかりつながっている。そのつながっている体の奥深い部分を、ことばがくぐりぬけ、手で触ったのに、目で見たのに、耳が何かを聴いてしまう--そういうときに「肉体」が「肉体」になる。
「肉体」のなかで「感覚」の領域侵犯がおきる。ことばが、そういう「スタイル」をとるとき、私は「肉体」を感じる。その「スタイル」にリアルさを感じる。
森川の詩の一部には、そういうものを感じない。浜江の作品の一部にも感じない。彼等が書いているのは「本物」の肉体らしいけれど、私にはリアルには感じられない。これはきっと、ことばの書き方の「スタイル」が全く違ってきているということだろう。
二人が新しいのか、私が古すぎるのか。
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短歌は、「スタイル」の「肉体」を共有している。けれど「現代詩」は「肉体」を共有していない。いや、私だけが共有していないのか。