監督・脚本 ウディ・アレン 出演 ユアン・マクレガー、コリン・ファレル、ヘイリー・アトウェル、サリー・ホーキンス、トム・ウィルキンソン
殺人を犯したあと、ユアン・マクレガーとコリン・ファレルの兄弟の対応ががらりと変わる。兄ユアン・マクレガーは何もなかったかのよう。冷徹になる。弟コリン・ファレルはウツ状態になる。そのふたりのやりとりの、「リアル」さがおかしいのはおかしいのだが、うーん、笑えないねえ。
なぜだろう。
きっとふたりの「役」が「労働者」だからだろうなあ。ユアン・マクレガーは、父の経営するレストランを手伝いながら、ビジネス投資で金をもうけようと思っている。コリン・ファレルは自動車整備工場で働きながらギャンブルから抜け出せないでいる。あ、リアルだなあ。
ふたりが暮らしている「家庭」が、またまたリアルだなあ。母の兄(ユアン・マクレガーとコリン・ファレルにとっては叔父)は整形美容の医師で大成功。父はレストランをなんとか経営しているが、妻から兄の自慢話ばかり聞かされ、ぜんぜん尊敬されていない。兄弟も父への軽蔑のことばを聞きつづけているので、父を尊敬していない。ふたりにとって尊敬に値するのは叔父、あこがれの対象は叔父。あ、こういう姿もなんだか身につまされるねえ。
で、笑えないんです。
自分の身の回りにいないような金持ち階級が、こういう問題で悩む、リアルな会話をするなら、それはおかしいんだと思う。
たとえば、前作の「それでも恋するバルセロナ」の画家のやりとり。ハビエル・バルデムとペネロペ・クルスがスカーレット・ヨハンソンの前で痴話喧嘩をする。ペネロペ・クルスがスペイン語でまくし立てると、そのたびに状況が不利になるハビエル・バルデムは、「英語で言え。スカーレット・ヨハンソンにわからないじゃないか」と口を封じる。ハビエル・バルデムはスカーレット・ヨハンソンに知られたくないことは、スペイン語でしゃべるんだけれど。ね、この男のいいかげんさ。首尾一貫しない姿勢。それは、まあ、私の個人的事情(そして、たぶん多くの観客の事情)とはかけ離れているかは、「ことばのやりと」(おしゃべり)として愉快だ。
でもねえ。これが身近な問題となると、ちょっとねえ。「笑い」の対象にするのは、ちょっとやめてくれないかなあ、という気持ちになる。
そのせいなんだろうなあ。あ、このせりふ、おもしろいじゃないか、と何度も思ったけれど、それを具体的にはぜんぜん思い出せない。「それでも恋するバルセロナ」なら、「英語で話せ」を覚えているからねえ。
あ、悪口ばかり書いているのに★3個なのは……。
ユアン・マクレガーとコリン・ファレルの演技がおもしろい。冷徹な一方、焼き餅をやくユアン・マクレガー、愛されているのに愛に見向きもせずにだんだん弱虫になっていくコリン・ファレル。まったく逆の人間なのに、なぜか、二人一緒にいると、あ、兄弟だなあ、と思ってしまう。ウディ・アレンの演出の力かな?
そして。ロンドンの風景が、イギリス映画のように美しかったのもいいなあ。アメリカ映画にはない街の色合いだね。
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