詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

渡辺由和「箱」

2010-04-28 00:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)
渡辺由和「箱」(「熱気球」9、2010年03月23日発行)

 渡辺由和「箱」を読み、あ、いいなあ、と思った。ぐい、と引き込まれる一瞬がある。1連目はちょっと俗悪というか、手垢がついたようなことばが丁寧に集められていて、そこでいやになってしまうと、この詩の、ぐいと引き込む部分にたどりつけない。(と、あらかじめ、ことわっておく。最後まで、読んでください。そして、最後まで読んで、あ、いやだなあと思っても、ちょっと我慢して私の感想を読んでみてください。)

微笑む女性が
薄絹をまとって
小箱を手にした
小ぶりの絵画がある
背景はセピア色で

柔和に上蓋に右手をそえて
接近を拒んでいる風だ
作者の意図か
小箱が気になる
悪意さえ感じる

僕の興味は小箱なのだが
理想に違わず、添えた手の
指は細く柔らかい
使い道も、中身も解らない

むろん絵画なのだが
身じろぎできない
動かない視線にも
指先にも
強い力が働いている

小箱がなぜここに必要なのか
微笑みだけで充分だと
神秘を秘め事をとするか
封印すべきは封印と
終の棲家でも語れないことは
誰にもあると
歳を重ねて納得もした

それでも
女が封印しているものが何か
どこか乱されながら
許された男がその指を外す姿を
想像する

 3連目の「理想に違わず」。この一節がすばらしい。ふいに、渡辺の「肉体」があらわれて暴走する。「理想に違わず」ということばはなくても、この詩は成り立つというか、渡辺の見ている絵のことを伝えることができる。
 いや、そんなふうに渡辺の「理想」などというものを紛れ込ませない方が、「純粋」に絵を紹介することになるかもしれない。
 けれど。
 けれど、そうではなくて、「理想」という絵を描いた作者には無関係なものを持ち込んだ瞬間から、渡辺と画家とがぶつかりあうだけではなく、そこに描かれていた女性とも「肉体」が触れ合うのである。
 「理想」。「想像」ではなく、「理想」。ひとは誰でも、自分自身の「理想」をもっている。それはまだ実現されていない何かであり、その実現されていないものが人間を動かしていく。ないものに向かって、何かが動く。その瞬間に「理想」がある。
 そういう瞬間を私は美しいと思う。
 「理想に違わず」ではなく、「想像に違わず」だったら、この詩は俗悪である。「想像」ではなく「理想」。まだ実現していない何かが、あらゆる俗悪を洗い流していくのである。

身じろぎできない
動かない視線にも
指先にも
強い力が働いている

 これは、したがって単なる絵画の説明ではない。
 女性が何か秘密を抱えていて、その「肉体」が小さな箱をもつとき、その肉体の細部に彼女の秘密と、それを秘密にしようとする意思のようなものがあらわれる。「強い力」がそこにはある。
 そんなふうにして、「強い力」で秘密をもっていてもらいたい、何事かを封印していてほしい。
 それが渡辺の「理想」なのだ。

 「想像」ではなく「理想」がことばを美しくする。

 これは最終連の「想像する」と比較すると、はっきりするだろう。最終連は、俗悪である。渡辺の描く「想像」は、あらゆる男が思い描くことに結びつく。あるいは、あらゆる女も、同じことを思い描くかもしれない。人間なら誰でも思い描くかもしれない。男の手が女の指にふれる。それを強引に動かす。自分の力で支配する。そのときの肉体の関係から、別の肉体の関係へなだれていく……。
 そのとき「理想」はどこかへ消えてしまっている。そこでは「欲望」が暴走している。「欲望」は暴走してしまうと、俗悪である。暴走し尽くし、蕩尽にまでいたると美しくなるかもしれないが、渡辺のことばは、そこまでは行かない。

 渡辺の詩を読むのは、今回が初めてなので、私にはまだ渡辺がよくわからない。(いままでも無意識に読んできたかもしれないが、申し訳ないが、記憶には残っていない。)よくわからないから、次は「想像」にまみれていないことばの運動を読んでみたい--そう、伝えたい。それを伝えたいと思って、この感想を書いた。

コメント
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