殿岡秀秋『記憶の樹』(ふらんす堂、2010年03月25日発行)
殿岡秀秋『記憶の樹』の巻頭作品「影の樹」は不思議な詩である。
私の小学校には校庭にケヤキの木があった。私はその木を忘れたことはない。2メートルくらいの高さに大きなこぶがあり、そのこぶを超えたところから枝が広がっている。思い出がいろいろあるが、まあ、殿岡の詩とは関係がないので書かない。大きな木の存在を忘れる、見落とすということが、私にはちょっとわからない。
そういう大きなものを見逃していたと書いたあとで、
と書く。
殿岡は学校が苦手だったらしい。学校が楽しい場所ではなかったようだ。いろいろな詩に学校が嫌いだったということが形をかえて書かれている。「学校」をつくりあげている「大きな」何か--それが嫌いだったのだ。自分を「弱い」と感じ、大きなものに向き合うのが苦しかったのだ。
「長い休み」は「不登校」のことを書いている。
そして、その詩のなかに、「大きなもの」が、別の形で登場する。見逃していた「大きなもの」が。
「不登校時代から数十年が過ぎて/父の通夜の日に」母から聞いた話だという。「父」は殿岡を護ってくれていた「大きな存在」である。それは大きすぎて殿岡には当時は見えなかった。そして、それは、母のことばをとおして、突然目の前にあらわれた。ちょうど、小学校の卒業写真の楠木のように。
「影の樹」では「大きなもの」は殿岡を苦しめた。だから、それを見ようとしなかった。「長い休み」では、「大きなもの」(父)は学校に行けと言ってやはり殿岡を苦しめた。そういう一面しか、殿岡は見て来なかった。見えなかった。しかし、その「大きなもの」(父)は、他方で殿岡を護ってもいた。
自分では気がつくことがないけれど、気づかれない形で、何かに護られるということもある。そのときの「保護」の大きさは、大きすぎて、護られている人間には見えない。そういうことがあるのだ。
殿岡は、それに気がついた。
その視点から、「影の樹」の3行を読み返すと、すこし違った風景が見える。
きっと、それは永遠に見えない。それが存在している間は見えない。その存在が消えたときに、その存在が隠しているものが、そまりその存在の「背後」にあったものが、ふいにあらわれ、人間を驚かし、その驚きのなかで、はじめて失ったものの「大きさ」を知ることしか人間はできない。
そういうことに対する深い悲しみのようなものが、この詩集にはある。
殿岡は「実り」という詩で、それを別のことばで言い換えている。
「大きなもの」が、ことばとして結晶するためには「時間が必要だ」。「時間」のさなかにいては、それは見えない。
小学校の思い出を書き綴って何になるのか--この詩集に対しては、そういう批判が可能なのだが、その反論として、殿岡はきっと言うだろう。そのとき体験したこと、そのときそこに存在していた様々な「大きなもの」を明確につかみとり、ことばにするためには「時間」が必要だったのだ、と。「大きなもの」を失うという体験のなかで、ほんとうに「大きなもの」を知る。知った。父のことを書きたくて、その一篇を書きたくて、様々な詩が書かれているのだと思った。
詩集の「あとがき」に、
ということばがある。それを読んだとき、私は、この詩集に書かれているふたつの「樹」、学校の楠と父を思った。実際にはそうではないのだが、その部分は読まなかったことにして、私は私の肉体のなかで楠と父が殿岡にとっての「二本の樹」だと思うことにしておく。
殿岡秀秋『記憶の樹』の巻頭作品「影の樹」は不思議な詩である。
小学校の卒業写真を見る
同じクラスの子が並ぶ背後に
巨大な楠木が枝葉を茂らせている
子どもたちの顔は半分くらい覚えているが
この巨木は
ぼくの記憶の印画紙に焼きついていない
楠木は校庭の中央に立っている
校門と教室の往復のたびに
その近くを通ったはずなのに
目の前に大きく
立つものが見えていなかった
私の小学校には校庭にケヤキの木があった。私はその木を忘れたことはない。2メートルくらいの高さに大きなこぶがあり、そのこぶを超えたところから枝が広がっている。思い出がいろいろあるが、まあ、殿岡の詩とは関係がないので書かない。大きな木の存在を忘れる、見落とすということが、私にはちょっとわからない。
そういう大きなものを見逃していたと書いたあとで、
目の前に大きく立つものを
見たくなかった
弱すぎてこの世に生きていけない
とぼくはおもった
今は目の前に立つ
大きなものが
見えているだろうか
と書く。
殿岡は学校が苦手だったらしい。学校が楽しい場所ではなかったようだ。いろいろな詩に学校が嫌いだったということが形をかえて書かれている。「学校」をつくりあげている「大きな」何か--それが嫌いだったのだ。自分を「弱い」と感じ、大きなものに向き合うのが苦しかったのだ。
「長い休み」は「不登校」のことを書いている。
そして、その詩のなかに、「大きなもの」が、別の形で登場する。見逃していた「大きなもの」が。
「あんまり学校に行くのを嫌がるから
あなたを休ませなさいと
お父さんがいったの」
ぼくの長い休みに父が関わっていたことを
そのときはじめて知った
そういえば
いつもはぼくより遅く出かける父が
長い休みの間は
ぼくが起きたときにはいなかった
「自分から行きたいというまで
行かせないようにと私にいったは
必ず行きたいというようになるから
それまでは待てとね」
父はふだんはぼくに学校に行くように
いっておきながら
内心は心配してくれていたのだ
「不登校時代から数十年が過ぎて/父の通夜の日に」母から聞いた話だという。「父」は殿岡を護ってくれていた「大きな存在」である。それは大きすぎて殿岡には当時は見えなかった。そして、それは、母のことばをとおして、突然目の前にあらわれた。ちょうど、小学校の卒業写真の楠木のように。
「影の樹」では「大きなもの」は殿岡を苦しめた。だから、それを見ようとしなかった。「長い休み」では、「大きなもの」(父)は学校に行けと言ってやはり殿岡を苦しめた。そういう一面しか、殿岡は見て来なかった。見えなかった。しかし、その「大きなもの」(父)は、他方で殿岡を護ってもいた。
自分では気がつくことがないけれど、気づかれない形で、何かに護られるということもある。そのときの「保護」の大きさは、大きすぎて、護られている人間には見えない。そういうことがあるのだ。
殿岡は、それに気がついた。
その視点から、「影の樹」の3行を読み返すと、すこし違った風景が見える。
今は目の前に立つ
大きなものが
見えているだろうか
きっと、それは永遠に見えない。それが存在している間は見えない。その存在が消えたときに、その存在が隠しているものが、そまりその存在の「背後」にあったものが、ふいにあらわれ、人間を驚かし、その驚きのなかで、はじめて失ったものの「大きさ」を知ることしか人間はできない。
そういうことに対する深い悲しみのようなものが、この詩集にはある。
殿岡は「実り」という詩で、それを別のことばで言い換えている。
実るには
傷を
巻き込みながら
丸い形になる
時間が必要だ
コトバが様々な色彩と陰影をはらんで
結晶するときも
「大きなもの」が、ことばとして結晶するためには「時間が必要だ」。「時間」のさなかにいては、それは見えない。
小学校の思い出を書き綴って何になるのか--この詩集に対しては、そういう批判が可能なのだが、その反論として、殿岡はきっと言うだろう。そのとき体験したこと、そのときそこに存在していた様々な「大きなもの」を明確につかみとり、ことばにするためには「時間」が必要だったのだ、と。「大きなもの」を失うという体験のなかで、ほんとうに「大きなもの」を知る。知った。父のことを書きたくて、その一篇を書きたくて、様々な詩が書かれているのだと思った。
詩集の「あとがき」に、
ぼくは毎朝、瞑想のなかで二本の樹に家族や親しい友人たちの幸せをいのります。
ということばがある。それを読んだとき、私は、この詩集に書かれているふたつの「樹」、学校の楠と父を思った。実際にはそうではないのだが、その部分は読まなかったことにして、私は私の肉体のなかで楠と父が殿岡にとっての「二本の樹」だと思うことにしておく。
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