監督 ガブリエル・アクセル 出演 ステファーヌ・オードラン、ジャン・フィリップ・ラフォン、グドマール・ヴィーヴェソン、ヤール・キューレ、ハンネ・ステンスゴー
5月25日の感想の補足。「午前十時の映画祭」の「みんなの声」に疑問を書いたのだが、どうも反応が違う方向に動いてしまう。
5月25日に書いた疑問は、以下の通り。
私が「お粥」といい加減に書いた部分に反応が返ってきて、肝心のハーブを摘むシーン、姉妹が顔を見合わせるシーンについての反応がない。やっぱり、私の勘違い?
私がこのシーンにこだわるのは、理由がある。
この映画は、一種のグルメ映画で、豪華なフランス料理に視線が集中してしまいがちなのだが、バベットがこの村に紹介したのは(持ち込んだのは)豪華料理だけではない。
いつもみんなが食べている「お粥(ビールパン?)」も工夫次第でおいしくなる。野原に生えているハーブを加えるだけで味が変わる。そういうことを描いている重要なシーンである。ビールパンにどのハーブなら合うのか。ハーブを摘みながら、匂いを嗅ぎ、それを加えた時の味を想像する――そういうことをバベットはしていると思う。
そしてその工夫が思いがけない効果を生む。ビールパンがおいしくなるだけではない。おいしくなることで何かを省略できる。それは例えばビールの量かもしれない。その結果、つかうお金が節約できる。野原のハーブはただ。ビールはいくらかお金が必要。
そういうことが積み重なって、姉妹が金銭を勘定するシーンにつながる。
貧乏な姉妹。バベットに給料は払えない。給料を払わなくても、食べる人数が増えれば食費がかさむはずである。ところが、逆に、
「バベットが来てから、経済的に余裕が出てきた」
姉妹が驚くシーンがあるが、その背景には、そういう「事実」があるのだと思う。そして、その「事実」の裏付けとなるのがハーブを摘むシーン、野原でハーブを探すシーンだと思う。
料理には材料に金をかけるものがある。晩餐会の豪華なフランス料理のように。一方で、工夫で味をよくするものもある。(この工夫はもちろん豪華料理にも生かされている。)「バベットの晩餐会」は、このことを描いていると私は思う。
そこが単なるグルメ映画ではない。
そう感じて、私はこの映画を「傑作」と評価するのだけれど・・・。
グルメだけを描くなら、映画の前半に、若い姉妹のせつない恋愛がえんえんと描かれるのも奇妙ということになるが、この映画をグルメ映画ではなく、人間の生き方の映画としてみると違ってくる。
質素であっても、工夫して、信念をもって生きる。その生き方が、やがて人生そのものの味を完全に味わうための下地になる。ただ豪快に遊び、放蕩すれば人生が楽しいわけではない。質素、堅実に、自分の信念に従って生きたものが、最良の料理・神の祝福を受ける、神の祝福を存分に味わうことができる。
そういうことを語る映画だと思う。
そう思うからこそ、私が見たはずのシーンは幻なのかなあ、それとも今回の上映にあたってカットされたのかなあ、と気になるのである。
5月25日の感想の補足。「午前十時の映画祭」の「みんなの声」に疑問を書いたのだが、どうも反応が違う方向に動いてしまう。
5月25日に書いた疑問は、以下の通り。
記憶していたシーンが2か所、欠落している。その2か所はもしかすると、私がでっち上げたものかもしれない。
一つはバベットが野原でハーブ(と思う)を探し、摘み取るシーン。それを入れると近所の老人に配っているお粥(?)が格段においしくなるのだ。もう一つは、バベットが留守の間、姉妹がお粥を作る。これがまずい。口に含んだ老人がまずいと顔をしかめる。それを見て姉妹が「どうして?」と顔を見合わせる。その顔を見合わせるシーンがない。
私が「お粥」といい加減に書いた部分に反応が返ってきて、肝心のハーブを摘むシーン、姉妹が顔を見合わせるシーンについての反応がない。やっぱり、私の勘違い?
私がこのシーンにこだわるのは、理由がある。
この映画は、一種のグルメ映画で、豪華なフランス料理に視線が集中してしまいがちなのだが、バベットがこの村に紹介したのは(持ち込んだのは)豪華料理だけではない。
いつもみんなが食べている「お粥(ビールパン?)」も工夫次第でおいしくなる。野原に生えているハーブを加えるだけで味が変わる。そういうことを描いている重要なシーンである。ビールパンにどのハーブなら合うのか。ハーブを摘みながら、匂いを嗅ぎ、それを加えた時の味を想像する――そういうことをバベットはしていると思う。
そしてその工夫が思いがけない効果を生む。ビールパンがおいしくなるだけではない。おいしくなることで何かを省略できる。それは例えばビールの量かもしれない。その結果、つかうお金が節約できる。野原のハーブはただ。ビールはいくらかお金が必要。
そういうことが積み重なって、姉妹が金銭を勘定するシーンにつながる。
貧乏な姉妹。バベットに給料は払えない。給料を払わなくても、食べる人数が増えれば食費がかさむはずである。ところが、逆に、
「バベットが来てから、経済的に余裕が出てきた」
姉妹が驚くシーンがあるが、その背景には、そういう「事実」があるのだと思う。そして、その「事実」の裏付けとなるのがハーブを摘むシーン、野原でハーブを探すシーンだと思う。
料理には材料に金をかけるものがある。晩餐会の豪華なフランス料理のように。一方で、工夫で味をよくするものもある。(この工夫はもちろん豪華料理にも生かされている。)「バベットの晩餐会」は、このことを描いていると私は思う。
そこが単なるグルメ映画ではない。
そう感じて、私はこの映画を「傑作」と評価するのだけれど・・・。
グルメだけを描くなら、映画の前半に、若い姉妹のせつない恋愛がえんえんと描かれるのも奇妙ということになるが、この映画をグルメ映画ではなく、人間の生き方の映画としてみると違ってくる。
質素であっても、工夫して、信念をもって生きる。その生き方が、やがて人生そのものの味を完全に味わうための下地になる。ただ豪快に遊び、放蕩すれば人生が楽しいわけではない。質素、堅実に、自分の信念に従って生きたものが、最良の料理・神の祝福を受ける、神の祝福を存分に味わうことができる。
そういうことを語る映画だと思う。
そう思うからこそ、私が見たはずのシーンは幻なのかなあ、それとも今回の上映にあたってカットされたのかなあ、と気になるのである。
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