詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

川口浩史監督「トロッコ」(★★)

2010-06-26 23:30:17 | 映画

監督 川口浩史 出演 尾野真千子、原田賢人、大前喬一、ホン・リウ、チャン・ハン

 台湾の緑、特にトロッコでゆく山の中の湿気を含んだ緑はとても美しい。そして、不安になった帰るときの2人の幼い兄弟の姿はとてもいい。
 けれど。
 なぜ、トロッコ? なぜ、台湾? それがまったくわからない。
 わからなくてもいいのかもしれないけれど、変だなあ。不全感が残るなあ。
 幼い兄弟と、村の子供たちの対立、融合も、わざわざ台湾へいかなくてもいいと思う。日本の小さな集落(もっとも、いまは、そういう集落にはこの映画にでてくるほど、たくさんの子供は遊んでいないけれど)でもいいのではないか。山の緑にしても、日本には日本の山の緑の美しさがある。
 芥川龍之介の「トロッコ」の、ひとりの主人公を、ふたりに置き換えたところは出色。ふたりにすることで、兄の一生懸命我慢している感じが切実になってとてもいいのだけれど、それでも、ねえ。なぜ、台湾? 
 日本が舞台だとなぜ、いけない? 日本にはトロッコがない? 子供がたくさんいる集落がない? だとしたら、そのことに則した映画にしないと。
 これでは、絵空事。
 お兄ちゃんの頑張りが泣かせるだけに、とても残念。

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尾崎まこと『千年夢見る木』

2010-06-26 00:00:00 | 詩集
尾崎まこと『千年夢見る木』(竹林館、2010年06月14日発行)

 尾崎まこと『千年夢見る木』は「童話集」と書かれている。「童話」であるか「詩」であるか、定義すると面倒なので、そういうことは私は考えない。ただ、ことばとして読んだ。
 「青麦畑」が印象に残った。特に、その2連目。

午後
山から風が降りてきて
教室では
お腹を空でいっぱいにした子供たちが
木立のようにざわめくことがある
てんでばらばらに
象さんが 亀さんが
キリンさんがね
などと嘘を
正直に語りはじめる

 「嘘」とは、子供がおもいついたそれぞれのことば、事実を踏まえないことば、いわば空想のことだろう。その事実を踏まえないことばを「正直」と尾崎は呼んでいる。
 このとき「正直」とは、自分自身の空想に対して正直、ということになる。
 あ、いいなあ。
 たしかに、それは正直である。思っていることをそのまま語る。だれかを騙すためではない。だれかを困らせるためでもない。ただ、自分を喜ばせるために語る。
 ことばは、たしかに、こういう運動のためにこそある。

算数の答は置いといて
後ろの黒板に
チョークで白い雲を画く
すると
一面の青麦畑の海が開ける

 この連は、まさに、正直そのものである。
 雲は空にある。その空が大地(青麦畑)を呼び寄せる。青麦畑は、しかし、そのとき大地ではなく、海。
 このことばのまっすぐな運動がとても気持ちがいい。

 このあとは、しかし、むずかしい。

一生会うことは
叶わないけれど
姉さん、と
巻きあがる風に呼んでみる
これは僕の嘘

 「僕」はすでに子供ではない。
 ここには「おとなの残酷な嘘」(童話)がある。尾崎のことばには、そういうものがときどきまじっている。
 これは「正直」であるか、どうか。私は、疑問を感じる。






千年夢見る木 尾崎まこと童話集
尾崎 まこと
竹林館

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