季村敏夫『ノミトビヨシマルの独言』(5)(書肆山田、2011年01月17日発行)
私は季村の詩を「誤読」している。季村が書いている「事実」ではなく、私は私が読みたいものを読んでいる。そういう過失を犯しているのはわかっているが、私はそれをやめられない。間違って読んでも季村のことばは、季村のことば自身の力でそこに存在しつづける。そういうことが「確信」できる。だから、私は好き勝手に読むのである。
「わが父の教えたまいし歌」。
「遅れが思考の原型だ」という「哲学」。その抽象的なことばの内容は、はっきりとはわからない。いや、ぼんやりとだって、わからないのだが、直感的にわかったような気持ちになる。
なぜか。
「遅れが思考の原型だ」という文体に緩みがないからだ。余分な修飾語がない。どのような「遅れ」、どのような「思考」か、その「どのような」がないことによって、それこそ「原型」としての「遅れ」と「思考」が固く結晶している--そう感じる。そこには精神が張り詰めている。精神でしかありえないすばやい運動がある。
この緊密さの一方、「初めての子を喪い、二人目の子が授かったころ、躯でわかったような気がします。」というのは、とてもゆったりした文体である。そして、そこには前の文章では書かれなかった「精神」のかわりに「躯」ということばが登場している。
緊密な「精神」--ゆったりした「からだ」(と、季村には申し訳ないが、簡単に書き直して私の文章をつづける)、その組み合わせのなかに、私は、なんとなく「日本語」の文体そのものを感じるのである。
「漢文」と「和文(?)」の組み合わせの確かさを感じるのである。
この組み合わせ、そこから生まれてくる緩急の運動--それは、季村が多くのことばを潜り抜けてきているからである。そういうことを印象づける。多くのことばをくぐりぬけてきたからこそ、そこに揺るぎなさがあり、それを信じることができる。私がどんなに「誤読」しようが、季村のことばは「正確」でありつづけることができる--そう確信してしまうのだ。
そして--といっていいのかどうかよくわからないけれど……。
ここに書かれている「精神」(これは正確には書かれていないけれど)と「遅れ」と「からだ」の関係は、まさに、季村の「文体」なのだという印象と重なる。
「文体」のなかには「遅れ」がある。「ことば」のなかには「遅れ」がある。「ことば」はいつでも全体的に遅れる。何かが起きる。何かを感じる。それは「精神」が先に感じることもあれば、「からだ」が先に感じることもある。逆もある。どっちの場合も、「ことば」はうまく動かない。うまく動かないのだけれど、なんとか動こうとする。そして、「遅れ」ながらも、なんとか、ある瞬間に追いつく。そのとき、「ことば」のなかで、「精神」と「からだ」が一致する。合体する。そして、そこに「人間」が立ち上がってくる。
季村の「ことば」を読むと、その立ち上がってくる「人間」が見える--とは、私には言い切れないのだけれど、つまり、そんなことははっきりとはわからないのだけれど、動き--予感が感じられるのだ。
それは、言いなおせば、私の「ことば」が季村の「ことば」に対して「遅れ」ているからである。季村の「ことば」に追いつけないために、季村の書いている「人間」を私ははっきりとはつかみつれない。けれど、あ、ここに「人間」がいる、とは強く感じるのだ。その「人間」は私の知らない人間である。(私は季村本人さえも知らない。)知らない人間であるから、その人間に対して「誤解」してしまう(誤読してしまう)のは仕方ないことだなあ、と私は思っている。(開き直っている?)でも、どんなに「誤解・誤読」しようと、「人間」は私の「誤解・誤読」とは関係なく生きつづける。それが「世界」である。その、不思議で、おもしろい「世界」への「入り口」が季村の「ことば」にはあるのだ。
これは「遅れ」が「思考の原型」であるを言い換えたものである。「過去」と「現在」がたぎる。そのなかには、「未来」がある。「未来」があるということは、しかし、「いま」はわからないのだ。「いま」のなかに「過去」があることはわかっても、そこに「未来」があるとわかるのは--「未来」という時間になってからなのだ。
「未来」さえも、「遅れ」てやってくるのだ。あらゆるものが「遅れ」てやってくる。「遅れ」て、ことばになる。
いま、ここに書かれている季村の「ことば」さえ、やはり季村にとっては「遅れ」とともにやってきたものに違いないのだ。
そのことを季村は知っている。
自分のことばは遅れている--そう自覚しながら、やってくることばを正確に受け止め、それを書く。あ、これは、すごい力だと思う。
「気づくことを私はいつも避けてきた。」というのは、意図的な「遅れ」である。そして、その意図的な「遅れ」のなかには、それに先立つ絶対的な「予言」のようなものがある。
「遅れ」はいつでも「遅れ」抱けてはないのだ。
「過去」と「現在」がたぎるとき、そこに「未来」があるように、どのような「ことば」にも「予言」のような絶対的な「未来」がある。
季村のことばは、それをはらみながら動いている。だから、とても強い。強い力で響いてくる。
私は季村の詩を「誤読」している。季村が書いている「事実」ではなく、私は私が読みたいものを読んでいる。そういう過失を犯しているのはわかっているが、私はそれをやめられない。間違って読んでも季村のことばは、季村のことば自身の力でそこに存在しつづける。そういうことが「確信」できる。だから、私は好き勝手に読むのである。
「わが父の教えたまいし歌」。
あとでわかる。遅れが思考の原型だということ、父を亡くした直後は理解できなかったのですが、初めての子を喪い、二人目の子が授かったころ、躯でわかったような気がします。初めに遅れありき、清水の舞台から飛び降りて考えればよいのですね。
(谷内注、「躯」を季村は「身」+「区」の正字、匚の中に口三つと書いている)
「遅れが思考の原型だ」という「哲学」。その抽象的なことばの内容は、はっきりとはわからない。いや、ぼんやりとだって、わからないのだが、直感的にわかったような気持ちになる。
なぜか。
「遅れが思考の原型だ」という文体に緩みがないからだ。余分な修飾語がない。どのような「遅れ」、どのような「思考」か、その「どのような」がないことによって、それこそ「原型」としての「遅れ」と「思考」が固く結晶している--そう感じる。そこには精神が張り詰めている。精神でしかありえないすばやい運動がある。
この緊密さの一方、「初めての子を喪い、二人目の子が授かったころ、躯でわかったような気がします。」というのは、とてもゆったりした文体である。そして、そこには前の文章では書かれなかった「精神」のかわりに「躯」ということばが登場している。
緊密な「精神」--ゆったりした「からだ」(と、季村には申し訳ないが、簡単に書き直して私の文章をつづける)、その組み合わせのなかに、私は、なんとなく「日本語」の文体そのものを感じるのである。
「漢文」と「和文(?)」の組み合わせの確かさを感じるのである。
この組み合わせ、そこから生まれてくる緩急の運動--それは、季村が多くのことばを潜り抜けてきているからである。そういうことを印象づける。多くのことばをくぐりぬけてきたからこそ、そこに揺るぎなさがあり、それを信じることができる。私がどんなに「誤読」しようが、季村のことばは「正確」でありつづけることができる--そう確信してしまうのだ。
そして--といっていいのかどうかよくわからないけれど……。
ここに書かれている「精神」(これは正確には書かれていないけれど)と「遅れ」と「からだ」の関係は、まさに、季村の「文体」なのだという印象と重なる。
「文体」のなかには「遅れ」がある。「ことば」のなかには「遅れ」がある。「ことば」はいつでも全体的に遅れる。何かが起きる。何かを感じる。それは「精神」が先に感じることもあれば、「からだ」が先に感じることもある。逆もある。どっちの場合も、「ことば」はうまく動かない。うまく動かないのだけれど、なんとか動こうとする。そして、「遅れ」ながらも、なんとか、ある瞬間に追いつく。そのとき、「ことば」のなかで、「精神」と「からだ」が一致する。合体する。そして、そこに「人間」が立ち上がってくる。
季村の「ことば」を読むと、その立ち上がってくる「人間」が見える--とは、私には言い切れないのだけれど、つまり、そんなことははっきりとはわからないのだけれど、動き--予感が感じられるのだ。
それは、言いなおせば、私の「ことば」が季村の「ことば」に対して「遅れ」ているからである。季村の「ことば」に追いつけないために、季村の書いている「人間」を私ははっきりとはつかみつれない。けれど、あ、ここに「人間」がいる、とは強く感じるのだ。その「人間」は私の知らない人間である。(私は季村本人さえも知らない。)知らない人間であるから、その人間に対して「誤解」してしまう(誤読してしまう)のは仕方ないことだなあ、と私は思っている。(開き直っている?)でも、どんなに「誤解・誤読」しようと、「人間」は私の「誤解・誤読」とは関係なく生きつづける。それが「世界」である。その、不思議で、おもしろい「世界」への「入り口」が季村の「ことば」にはあるのだ。
過去と現在は同時に滾り、ここで起こっていることのなかに、未来まで押し寄せています。
これは「遅れ」が「思考の原型」であるを言い換えたものである。「過去」と「現在」がたぎる。そのなかには、「未来」がある。「未来」があるということは、しかし、「いま」はわからないのだ。「いま」のなかに「過去」があることはわかっても、そこに「未来」があるとわかるのは--「未来」という時間になってからなのだ。
「未来」さえも、「遅れ」てやってくるのだ。あらゆるものが「遅れ」てやってくる。「遅れ」て、ことばになる。
いま、ここに書かれている季村の「ことば」さえ、やはり季村にとっては「遅れ」とともにやってきたものに違いないのだ。
そのことを季村は知っている。
自分のことばは遅れている--そう自覚しながら、やってくることばを正確に受け止め、それを書く。あ、これは、すごい力だと思う。
神戸に舞い戻ってからです。父の酔態を聞かされ、ぞっとしました。羞恥を通り越したおもいに襲われました。過ちといっても、傷ついたひとがいる。父の狼藉を知らされたとき、この過誤をどう受けとめればよいのか、ずいぶん悩みました。ぞっとしたおもいは、わが父の教えたまいし歌、そのことに気づくことを私はいつも避けてきた。
「気づくことを私はいつも避けてきた。」というのは、意図的な「遅れ」である。そして、その意図的な「遅れ」のなかには、それに先立つ絶対的な「予言」のようなものがある。
「遅れ」はいつでも「遅れ」抱けてはないのだ。
「過去」と「現在」がたぎるとき、そこに「未来」があるように、どのような「ことば」にも「予言」のような絶対的な「未来」がある。
季村のことばは、それをはらみながら動いている。だから、とても強い。強い力で響いてくる。
冬と木霊―詩集 (1974年) | |
季村 敏夫 | |
国文社 |