詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池井昌樹「滝宮祭禮図屏風」

2011-01-07 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
池井昌樹「滝宮祭禮図屏風」(「現代詩手帖」2011年01月号)

 池井昌樹はいつも同じことを詩に書いている。池井にかぎらず誰もが同じことしか詩に書けないのかもしれない。詩は、いつでも「ひとつ」なのだ、きっと。
 「滝宮祭禮図屏風」は池井が子どものころ遠出をした「滝宮」と、「滝宮祭禮図」に出合ったときのことを書いている。その後半。

「滝宮祭禮図」。作者不詳制作年不祥六曲一双のそのふる屏風に私は見惚れた。右隻には祭禮で賑わう参道が描かれ、左隻には、御殿橋というのだろうか、屋根のある小さな木橋の下で幾人かの少年が沐浴している。どの少年も皆笑っていて、中でもとりわけ笑顔の盛んな一人の瞳(め)が私の瞳を凝(じっ)と視ている。半世紀近い以前、否(いや)、それよりももっと以前、それよりももっずっと以前から、紛れもない私自身の瞳がこの私を凝と視ている。幾重にも重なり合い渦を巻く私の奥処、あの産土の奥処から、たまゆらの灯がとこしえに私を凝視める。誰に教わった訳でもない。私の脳裏の暗黒に、金砂子をちりばめたあの六曲一双の巨大な夜空が、いま燦然と押し開かれたのだ。

 いつも同じことを書いているというのは、「それよりももっと以前、それよりももっずっと以前から、紛れもない私自身の瞳がこの私を凝と視ている。」という感覚である。私の瞳が私をみつめる--それは時間を超えて存在する私のことである。それは、いまここでは「過去(以前)」として書かれているが、見つめ合う視線は往復するわけだから、その往復のなかで「過去」は「未来」にもなる。「過去」と「未来」は融合し「永遠」になる。この池井の感覚は、私にはすでになじみのものである。何度も書いてきたので、そのことについては、今回は書かない。
 この詩で、私は一か所、飛び上がるほど驚いたことばがある。

誰に教わった訳でもない。

 うーん、これは何だろうか。
 私はぼんやりと池井の詩を読んでいたので断定はできないが、これに類似したことばを池井はいままで書いてはいないと思う。池井は「誰」とは限定しないが、「誰か」から常に教わってきている。「時間」を超える存在があるということを教わってきている。
 たとえば、同時に発表されている「鎌田公園の河馬」の次の部分。

祖父の手に手を繋がれていると、祖父の手でない手の温もりが次から次から重ねられ繋げられて行く気がした。あれは誰の手だったのだろう。

 ここには「繋ぐ」という動詞が出てくる。「時間」はここでも超えられているが、そこには必ず「繋ぐ」ものがあった。「繋ぐ」があったから「時間」は超えられたのである。一人では超えられない「時間」も「繋ぐ」ことで超えられる。その「繋がり」のなかに池井はいる。
 ところが、「滝宮祭禮図屏風」では池井は、その「繋がり」から離れている。「誰に教わった訳でもない。」では、それは、どうやって池井の所へやってきたのか。

作者不詳

 この「不詳」が、いま、池井が向き合っているものかもしれない。「不詳」ものがあるのだ。「不詳」という存在が「誰か」を超えて存在する。池井からは隔絶した「絶対的他者」というものかもしれない。「私自身の瞳がこの私を凝と視ている。」というときの「私自身」を「絶対的自己」だとすると、その対極に「絶対的他者」は存在するかもしれない。そして、それはたぶん「同一」の存在、「ひとつ」の存在なのである。「絶対的自己」と「絶対的他者」が「ひとつ」になったとき、

私の脳裏の暗黒に、金砂子をちりばめたあの六曲一双の巨大な夜空が、いま燦然と押し開かれたのだ。

という世界がはじまるのだ。いま、池井はその世界を「滝宮祭禮図屏風」と重ねて書いているが、これからは、池井の「現実」そのものとして切り開いていくのだと思う。




母家
池井 昌樹
思潮社


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ナボコフ『賜物』(35)

2011-01-07 10:18:31 | ナボコフ・賜物
 3人の恋人が森で順番に自殺を試みる。そのシーン。

ルドルフはオーリャのもとに引き返すべく踵を返したが、彼女のことろに辿りつかないうちに、二人とも乾いた銃声をはっきりと聞いたのだった。ところがヤーシャの部屋で日常の風景はその後何時間もまるで何事もなかったかのように続き、皿に残ったバナナの抜け殻も、ベッドの脇の椅子に載った『糸杉の小箱』も『思い竪琴』も、寝椅子の上に置かれたピンポンのラケットもそのままだったのだ。即死だった。
                               (77-78ページ)

 これは書かなくてもわかりきったことである。誰かが自分の部屋から離れた場所で自殺する。そのとき、彼の部屋は彼がそこを離れたときのままであるというのはわかりきったことである。「もの」とは非情なものである。人間の感情など配慮しない。
 ところが、こんなふうに書かれてしまったものを読むと、あ、ヤーシャが最後の瞬間に思い浮かべたもの、見たものは、自分のその部屋だったという気がしてくるのだ。そこに書かれているのは「非情」とはまた別なことがらである、とふいに感じ、悲しみがおそってくる。
 雪の森で自殺する。そのとき、最後の瞬間に見るのは、森ではなく、記憶の部屋である。--ということが事実であるかどうかは、誰にも確かめられない。確かめられないからこそ、それが部屋であってもいいのだ。ヤーシャはきっとそれを見た、と感じてしまうのだ。
 だが、これは、いったい誰が書いたものなのか。誰のことばなのか。ヤーシャのことばではない。
 この不思議さに、私は衝撃を受ける。ナボコフの天才を強く感じるのはこういう瞬間である。
 部屋の描写をし、「即死だった。」と短く事実を書いて、世界はヤーシャの部屋から森へと引き返す。

即死だった。しかし、何とか生き返らせようとして、ルドルフとオーリャは茂みをかき分けて葦辺まで彼の体を引きずって行き、そこで必死に水を掛けたり、さすったりしたものだから、後で警察が死体を発見したとき、それは土と血と水底の泥にまみれていた。
                                 (78ページ)

 この視線の交錯はとても劇的だ。



ロシア美人
ウラジーミル ナボコフ
新潮社

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