江代充「諸物」(「現代詩手帖」2011年01月号)
江代充「諸物」の文体は間接的な手触りがある。そこに書かれていることが、「もの」であるよりも、ことばそのもの、という感じがある。まず、ことばそのものに出会い、その不思議な手触りを経たのちに、その先にある「もの」(世界)に出会う--そういう感じがいつでもする。
ここから浮かび上がる「世界」は叔母が洗濯物を干している姿である。女の人が洗濯物を干している姿は誰もが見かけたことがあるはずだ。背伸びをしているのは、物干し竿か紐かに洗濯物を懸けるためだろう。「人の身の丈にさえぎられて」と書いてあるが、これはきっとシーツか何かを干していて、その姿そのものは見えないけれど、洗濯物の動きから、洗濯物の向こう側の女の人の動きが、背伸びをしているようにみえるということだろう。そういうとき、たいてい日は差している。日がその場に当たっている。
--何も不思議なことは書かれていないようにみえる。けれど、とても不思議だ。どうも、私には、そのありふれた風景がすっきりとは見えないのである。一度、ことばの順序を私なりに動かしてみないと、そこに書かれていることがわからないのである。--というと誇張になってしまうが、どうも、何かが違うのである。
たとえば、1行目。
「やせた道」という言い方が変であるだけではなく、「戸外に日の当たる」の「戸外」と「日」をわざわざ組み合わせることが変である。家の中はふつうは日が当たらない。戸外というのは日があたる--太陽の光があふれている場所である。江代は「戸外」というだけでは満足できず、「日のあたる」とことばを繰り返しているのである。さらに「戸外」を「やせた道」と言い直し、そこに「日があたる」ということばを重ねているのである。そしてそのとき「道」を修飾するのに「細い」ではなく「やせた」と、わざと、何事かを考えないことにはわからないようなことばをつかうのである。ことばと想像力の「定型」を破るのである。
と、ここまで書いてきて、私は気づくのだが、江代のことばは、いつも「定型」を破るのである。ことばには、なじみのある動き--このことばの次にはこんなことばという一種の「定型」がある。涙は「落ちる」、あるいは「こぼれる」「あふれる」「かれる」とは言っても、「舞い上がる」「つまずく」とはふつうは言わない。そういう、「わざと」が、江代のことばにはある。「やせた」は「土地」(畑)というような言い方ではつかわれる(定型になっている)が、「やせた道」とはふつうは言わない。
そういうことばに出会ったとき、私たちは(私だけかもしれないが)、「意味」よりまえに「ことば」そのものに触れるという感じがする。「定型」からみはだして、そこに存在している「ことば」そのものに触れ、不思議な気持ちになるのである。
詩のつづき。
たとえば、子どもが(たぶん、江代は子ども時代の記憶を書いている)、外へ出ていくこと、叔母に近づいていくことを「手ぶらで」などとは言わない。ここに「定型破り」がある。さらに、子どもの視線からみえるのが腰の高さだとしても「腰の辺りをうろつく」とは言わない。これも「定型破り」である。さらに、子どもである「わたし」が叔母の方に近づき、それを追いかけるようにして母が家の中から出てくることを「その方へ」「出てゆき」とは言わない。シーツを「幅のある二つの布を折り返した」というふうには描写しないし、話し合うことを「交互に話しかける」とは言わない。叔母と母というふたりとも知っているはずのひとのことを「ふたりの女」とは言わないし、声が聞こえることを「おんなことばがみとめられた」とも言わない。
江代は、ことばの「定型」を破ることで、そこにつかわれていることばそのものを「不安定」にする。同じ情景を描くにしても、「定型破り」のことばをつかうと、そこには「ことば」が「ことば」だけで存在する瞬間がある。「意味」でも「情景」でもなく、純粋な「ことば」そのものが瞬間的に存在する一瞬がある。
そのとき、きっと、見慣れた「情景」(風景)の向こうに、錯覚のようにして何かがあらわれる。それは見たことがあるのか、それともこれから見ることになるのか、よくわからない、一種の宙ぶらりんの何かである。
それを「可能性としての情景」と呼ぶことができるかもしれない。想像力のなかではじめて具体化する情景かもしれない。江代は「定型」のことばを破ることで、その「可能性」を引き寄せようとしている。
「叔母さんが洗濯物を干しているよ」と言って「わたし」が戸外へ飛び出したとき、追いかけてきた母が、「何かを見間違えたんだよ。叔母さんは死んだんだよ」と「子どものわたし」に言ったのか。母の臨終に立ち会っているとき、そのことを思い出したのか。あるいは、母が洗濯物を干している姿をみて、ふと、遠い昔に叔母の姿を見たと思い、外へ飛び出したことを思い出し、もし、母が死んだら、そのことを思い出すだろうと思ったのか--いく通りにも読むことができる。いく通りにも「誤読」することができる。
江代のことばはさらにつづく。
さて、どう「誤読」しよう。
どこを歩いても、何をみつめても、母といっしょに見た何かを思い出す。そこにかならず母がいる。「分け前」とは、母がみつめたものの「半分」ということになるかもしれない。それはほんとうは「半分」ではないけれど、「わたし」は「半分」(分け前)と受け止めたいのだ。母がかならずそれをみつめ、そこここにある「諸物」に母の視線が存在すると受け止めたいのだ。
母は死とともに、母のみつめた「もの」を遠くへ持ち去った。「わたし」はその「残り」(分け前)をみつめている。それを「分け前」であると意識するとき、その意識の中へ母がよみがえってくる。
その悲しみと、よろこび。
たとえば、私はそんなふうに「誤読」するのだが、そのとき「分け前」ということばは、ふつうの「分け前」とはまったく違っている。違っていることばを、自然に文体に組み込むために、江代は、それまでの文体で「定型破り」を繰り返したのである。
江代充「諸物」の文体は間接的な手触りがある。そこに書かれていることが、「もの」であるよりも、ことばそのもの、という感じがある。まず、ことばそのものに出会い、その不思議な手触りを経たのちに、その先にある「もの」(世界)に出会う--そういう感じがいつでもする。
戸外の日の当たるやせた道に
人の身の丈にさえぎられ
背伸びをし
物を干している叔母の姿がみえた
ここから浮かび上がる「世界」は叔母が洗濯物を干している姿である。女の人が洗濯物を干している姿は誰もが見かけたことがあるはずだ。背伸びをしているのは、物干し竿か紐かに洗濯物を懸けるためだろう。「人の身の丈にさえぎられて」と書いてあるが、これはきっとシーツか何かを干していて、その姿そのものは見えないけれど、洗濯物の動きから、洗濯物の向こう側の女の人の動きが、背伸びをしているようにみえるということだろう。そういうとき、たいてい日は差している。日がその場に当たっている。
--何も不思議なことは書かれていないようにみえる。けれど、とても不思議だ。どうも、私には、そのありふれた風景がすっきりとは見えないのである。一度、ことばの順序を私なりに動かしてみないと、そこに書かれていることがわからないのである。--というと誇張になってしまうが、どうも、何かが違うのである。
たとえば、1行目。
戸外の日の当たるやせた道に
「やせた道」という言い方が変であるだけではなく、「戸外に日の当たる」の「戸外」と「日」をわざわざ組み合わせることが変である。家の中はふつうは日が当たらない。戸外というのは日があたる--太陽の光があふれている場所である。江代は「戸外」というだけでは満足できず、「日のあたる」とことばを繰り返しているのである。さらに「戸外」を「やせた道」と言い直し、そこに「日があたる」ということばを重ねているのである。そしてそのとき「道」を修飾するのに「細い」ではなく「やせた」と、わざと、何事かを考えないことにはわからないようなことばをつかうのである。ことばと想像力の「定型」を破るのである。
と、ここまで書いてきて、私は気づくのだが、江代のことばは、いつも「定型」を破るのである。ことばには、なじみのある動き--このことばの次にはこんなことばという一種の「定型」がある。涙は「落ちる」、あるいは「こぼれる」「あふれる」「かれる」とは言っても、「舞い上がる」「つまずく」とはふつうは言わない。そういう、「わざと」が、江代のことばにはある。「やせた」は「土地」(畑)というような言い方ではつかわれる(定型になっている)が、「やせた道」とはふつうは言わない。
そういうことばに出会ったとき、私たちは(私だけかもしれないが)、「意味」よりまえに「ことば」そのものに触れるという感じがする。「定型」からみはだして、そこに存在している「ことば」そのものに触れ、不思議な気持ちになるのである。
詩のつづき。
わたしが手ぶらでその腰の辺りをうろつくと
母もその方へ立って出てゆき
幅のある二つの布を折り返した向こう側から
交互に話しかける
ふたりの女ことばがみとめられた
たとえば、子どもが(たぶん、江代は子ども時代の記憶を書いている)、外へ出ていくこと、叔母に近づいていくことを「手ぶらで」などとは言わない。ここに「定型破り」がある。さらに、子どもの視線からみえるのが腰の高さだとしても「腰の辺りをうろつく」とは言わない。これも「定型破り」である。さらに、子どもである「わたし」が叔母の方に近づき、それを追いかけるようにして母が家の中から出てくることを「その方へ」「出てゆき」とは言わない。シーツを「幅のある二つの布を折り返した」というふうには描写しないし、話し合うことを「交互に話しかける」とは言わない。叔母と母というふたりとも知っているはずのひとのことを「ふたりの女」とは言わないし、声が聞こえることを「おんなことばがみとめられた」とも言わない。
江代は、ことばの「定型」を破ることで、そこにつかわれていることばそのものを「不安定」にする。同じ情景を描くにしても、「定型破り」のことばをつかうと、そこには「ことば」が「ことば」だけで存在する瞬間がある。「意味」でも「情景」でもなく、純粋な「ことば」そのものが瞬間的に存在する一瞬がある。
そのとき、きっと、見慣れた「情景」(風景)の向こうに、錯覚のようにして何かがあらわれる。それは見たことがあるのか、それともこれから見ることになるのか、よくわからない、一種の宙ぶらりんの何かである。
それを「可能性としての情景」と呼ぶことができるかもしれない。想像力のなかではじめて具体化する情景かもしれない。江代は「定型」のことばを破ることで、その「可能性」を引き寄せようとしている。
花かげもある
ほかげの暗い戸口への帰りぎわに
わたしにも呼び掛ける音声のなかには
叔母が死んだと遺言する
母のことばもあった
「叔母さんが洗濯物を干しているよ」と言って「わたし」が戸外へ飛び出したとき、追いかけてきた母が、「何かを見間違えたんだよ。叔母さんは死んだんだよ」と「子どものわたし」に言ったのか。母の臨終に立ち会っているとき、そのことを思い出したのか。あるいは、母が洗濯物を干している姿をみて、ふと、遠い昔に叔母の姿を見たと思い、外へ飛び出したことを思い出し、もし、母が死んだら、そのことを思い出すだろうと思ったのか--いく通りにも読むことができる。いく通りにも「誤読」することができる。
江代のことばはさらにつづく。
わたしはそのことを耳で聞き分け
道の端に草を見
またそれはそこいらを歩こうとさえしながら
部屋に残した母親の骸と
その分け前をみつめ直した
さて、どう「誤読」しよう。
どこを歩いても、何をみつめても、母といっしょに見た何かを思い出す。そこにかならず母がいる。「分け前」とは、母がみつめたものの「半分」ということになるかもしれない。それはほんとうは「半分」ではないけれど、「わたし」は「半分」(分け前)と受け止めたいのだ。母がかならずそれをみつめ、そこここにある「諸物」に母の視線が存在すると受け止めたいのだ。
母は死とともに、母のみつめた「もの」を遠くへ持ち去った。「わたし」はその「残り」(分け前)をみつめている。それを「分け前」であると意識するとき、その意識の中へ母がよみがえってくる。
その悲しみと、よろこび。
たとえば、私はそんなふうに「誤読」するのだが、そのとき「分け前」ということばは、ふつうの「分け前」とはまったく違っている。違っていることばを、自然に文体に組み込むために、江代は、それまでの文体で「定型破り」を繰り返したのである。
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