季村敏夫『ノミトビヨシマルの独言』(2)(書肆山田、2011年01月17日発行)
きのう「ことばの気迫」という表現をつかった。季村の詩集からことばの気迫を感じる、と。しかし、この「気迫」について、どう説明していいかわからない。感じる、としかいいようがない。
「生かされる場所」。
1連目の最後の2行は、「学校教科書」の文法では間違いである。しかし、「父であるわたしが/息子でもあることが」「ふしぎ」(不思議)であると、「ふしぎ」ということばでつないでしまうと「間違い」は「間違いではない」にかわる。「ふしぎ」という思いのなかに「父であるわたしが/息子でもあることが」溶け合ってしまう。矛盾したこと、わけのわからないことを、それが「存在する」と断定してしまうのが「ふしぎ」ということばなのである。
「ふしぎ」というのは「理由」がわからない。「説明」がつかない、ということでもある。いま、ここにある何か、その現象がどうして起きているかわかるとき、私たちはそれを「不思議」とは言わない。原因・理由がわからないときに「不思議」と言う。「不思議」は、したがって、いまここにある現象(ことがら、もの)を、ここに「ある」と断定しているのである。
その「ある」ものを「ある」と「断定」すること--そこから1連目を読み直すと、4、5行目よりも、1行目から3行目の方が問題が大きいかもしれない。
倒置法で書かれたこのことば。「わたしが、父であり(る)」、そして「おまえが、息子である」ことが「ふしぎ」とは、どういうことか。私に男の子どもがいれば、私は必然的に「父」になる、子どもは「息子」になる。そこに「ふしぎ」が入り込む余地はない。説明も、理由も、全部はっきりしている。そのはっきりしていることを「ふしぎ」と感じること--それの方が「不思議」である。
しかし、ここでは、季村は、「父」「息子」という関係ではなく、「ある」ということそのものを「ふしぎ」と感じているのだ。2、3行目の、父-息子の「関係」そのものに「ふしぎ」はない。いま、ここに「わたし」が「ある」ということを「ふしぎ」と感じているのだ。
なぜ、生きているのか。なぜ、この世に存在しているのか。--その「理由」「原因」を季村は自問しているのである。
そして、「生きている」ではなく、タイトルにあるように「生かされる」と感じるのだ。生きているのは、生まれてきたからである。だが、生まれてくるというのは、「わたし」自身の「意思」とはいえないかもしれない。私は「生きている」のではなく、「生かされている」。
それは、なぜ?
季村は、その問いと向き合う。
そのとき、
はっきりとわかる。「わたし」がここに「ある」のは、「わたし」に「父」がいて、「わたし」はその「父」からみれば、「息子」だからである。「わたし」がいま、ここに「ある」のは、父-息子(わたし)という関係が「ある」(あった)からである。
「関係」を起点にした「名称」は、状況によってかわる。「父」は「父」であることもあれば、「息子」であることもある。そうであるなら、「父であるわたしが/息子でもあることが」「ふしぎ」(不思議)であるというのは、「父=息子」という「関係」がふしぎなのではなく、「ある」ということが不思議である、という1-3行目に書かれていたことにもどる。季村は、4-5行目でも、「ある」ことが「ふしぎ」であると書いているのだ。
季村は「ある」というとこ、「生きている」ということそのものを「ふしぎ」ととらえ、なぜ、いま、ここに、「わたし」は「ある」のかと考えはじめている。
そのことを思うとき、父と同じように、「母」も見えてくる。2連目である。
「わたし」が父であり、息子であるなら、「母」もまた「母」であり、「子」(娘)でもある。ここで季村が「娘」ではなく「子」ということばをつかっているは、「父-息子」「母-娘」は「親-子」という「関係」に抽象化できるからだろう。
2連目では、ひとが「生きる」とき、そこに「親-子」という関係があるということを明確にしている。
「わたし」は「わたし」の「息子」の「父」であると同時に、「父」と「母」の「子」なのである。--季村は、ここでは、そういう「肉親」の「いのち」の関係を見ている。その関係のなかへ突然、3連目が飛びこんでくる。
これはきのう読んだ「アピ」の「波の火がおそう」と重なり合う。「波の火がおそ」い、「波の火につつまれる」。
この「波の火」は、南海の島の「戦場」のようにも読むことができるし、また空襲で焼き尽くされる「街」とも読むことができる。
「救出」は「だれを」救出に? 母を想定するならば、「波の火」が暴れているのは「空襲の街」になる。「父」を想定するならば、南海へ出生した父のいる「戦場」になる。その二つは地理的には離れているが、「息」(肉体をとおってあふれだすもの)にとっては、そんな距離など問題ではない。どれだけ空間的に(地理的に)離れていても、「息」はよびかけあう。
あ、こんなことを考えると、ますますわからなくなる。
季村は何を問題にしているのか。「いま」「ここ」は「どこ」なのか。
いまは戦争中で、母が空襲の火のなかを逃げ回っているのか。あるいは、父が南海で炎につつまれているのか。「わたし」は生まれているのか。母の胎内にいるのか。
それは、どんな理解の仕方でもかまわない。どんな「関係」でもかまわない。季村は、いくつもの「関係」が「ある」と、ただそれだけを行っている。
「関係」はもんだいではなく、「ある」ことが大切なのだ。
「ある」というのは、「もの」があると同時に「こと」があることだ。
「こと」は何度も季村の詩に出てくる。「もの」(人間)と違って「こと」は見えない。父は見えても、父である「こと」は見えない。息子は見えても、息子である「こと」は見えない。
その見える「ある」と見えない「こと」をつなぐのが「なる」かもしれない。
「わたし」は「父」に「なる」、そのとき「息子」は「息子」に「なる」。そして、「わたし」は「父」として、ここに「ある」。その関係を意識すると「こと」が、意識のなかに立ちあがってくる。意識のなかで見えてくる。
「こと」は「ことば」になる。(三つの巴、三叉路と繰り返される「三」についても書かなければならないのだろうけれど、長くなりすぎるので省略する。父、母、子、でもいいし、「ある」「なる」「こと」でもいいのだが、いま、ここをつくる基本を季村は「三」を中心にして考えている。--これは、詩集を読んで確かめてください。)
「こと」は「ことば」にしなければならない。それは簡単には「なる」のではない。「ことば」に「する」という意思があって、はじめて「なる」のだ。
あ、私は、ふいに『日々の、みすか』を思い出した。阪神大震災後に書かれた季村の詩集だ。そこでは、阪神大震災という「こと」が「ことば」に「なる」までの過程が書かれていた。その詩集もまた、「こと」を「ことば」に「する」詩集だったのだ。「ことば」にすることで「こと」をはっきりと自分の肉体に取り戻すのだ。「こと」を自分の肉体に取り戻したとき、ひとはほんとうに「生きる」のである。
「生かされる」を超えて「生きる」。
ここまで書いてきて、やっと「ことばの気迫」がわかった。「生かされる」から「生きる」への強い意思の転換。その激しい熱意。それが季村のことばに満ちている。そして、そのことばの気迫が強いために、「こと」と「こと」をつなぐ関係をときどきショートさせてしまうのだ。「こと」と「こと」はほんとうは離れている。離れているけれど、それを季村は、一点に凝縮する。離れた「こと・は(端)」と「こと・は(端)」が凝縮し「こと・ば(場)」になる感じだ。凝縮しすぎ、絡み合い、それがときどき「矛盾」や「間違い」に見える。たとえば、1連目の「わたしが、父であり、/おまえが、息子であるこ」のように。しかし、それは「矛盾」でもなければ「間違い」でもない。固く結晶しすぎた「真実」なのである。その真実のなかをとおって、生きていることの「光」が鮮やかに飛び出してくる。そのときの輝きが、この詩集の全体からあふれている。
まだ2篇の感想を書いただけなのに、私は、20冊の詩集を読んで、あれこれ思ってしまったような、激しい興奮状態のなかにいる。
この詩集はおもしろい。
アマゾン・コムの「アフリエイト」のリストにはまだ入っていないので、書店か、発行元に問い合わせ、ぜひ、買って読んでください。これを読まないと2011年は始まらない。
発行元の書肆山田は、
東京都豊島区南池袋2-8-5-301
電話03-3988-7467
きのう「ことばの気迫」という表現をつかった。季村の詩集からことばの気迫を感じる、と。しかし、この「気迫」について、どう説明していいかわからない。感じる、としかいいようがない。
「生かされる場所」。
ふしぎ、である
わたしが、父であり、
おまえが、息子であることが
父であるわたしが
息子でもあることが
1連目の最後の2行は、「学校教科書」の文法では間違いである。しかし、「父であるわたしが/息子でもあることが」「ふしぎ」(不思議)であると、「ふしぎ」ということばでつないでしまうと「間違い」は「間違いではない」にかわる。「ふしぎ」という思いのなかに「父であるわたしが/息子でもあることが」溶け合ってしまう。矛盾したこと、わけのわからないことを、それが「存在する」と断定してしまうのが「ふしぎ」ということばなのである。
「ふしぎ」というのは「理由」がわからない。「説明」がつかない、ということでもある。いま、ここにある何か、その現象がどうして起きているかわかるとき、私たちはそれを「不思議」とは言わない。原因・理由がわからないときに「不思議」と言う。「不思議」は、したがって、いまここにある現象(ことがら、もの)を、ここに「ある」と断定しているのである。
その「ある」ものを「ある」と「断定」すること--そこから1連目を読み直すと、4、5行目よりも、1行目から3行目の方が問題が大きいかもしれない。
ふしぎ、である
わたしが、父であり、
おまえが、息子であることが
倒置法で書かれたこのことば。「わたしが、父であり(る)」、そして「おまえが、息子である」ことが「ふしぎ」とは、どういうことか。私に男の子どもがいれば、私は必然的に「父」になる、子どもは「息子」になる。そこに「ふしぎ」が入り込む余地はない。説明も、理由も、全部はっきりしている。そのはっきりしていることを「ふしぎ」と感じること--それの方が「不思議」である。
しかし、ここでは、季村は、「父」「息子」という関係ではなく、「ある」ということそのものを「ふしぎ」と感じているのだ。2、3行目の、父-息子の「関係」そのものに「ふしぎ」はない。いま、ここに「わたし」が「ある」ということを「ふしぎ」と感じているのだ。
なぜ、生きているのか。なぜ、この世に存在しているのか。--その「理由」「原因」を季村は自問しているのである。
そして、「生きている」ではなく、タイトルにあるように「生かされる」と感じるのだ。生きているのは、生まれてきたからである。だが、生まれてくるというのは、「わたし」自身の「意思」とはいえないかもしれない。私は「生きている」のではなく、「生かされている」。
それは、なぜ?
季村は、その問いと向き合う。
そのとき、
父であるわたしが
息子でもあることが
はっきりとわかる。「わたし」がここに「ある」のは、「わたし」に「父」がいて、「わたし」はその「父」からみれば、「息子」だからである。「わたし」がいま、ここに「ある」のは、父-息子(わたし)という関係が「ある」(あった)からである。
「関係」を起点にした「名称」は、状況によってかわる。「父」は「父」であることもあれば、「息子」であることもある。そうであるなら、「父であるわたしが/息子でもあることが」「ふしぎ」(不思議)であるというのは、「父=息子」という「関係」がふしぎなのではなく、「ある」ということが不思議である、という1-3行目に書かれていたことにもどる。季村は、4-5行目でも、「ある」ことが「ふしぎ」であると書いているのだ。
季村は「ある」というとこ、「生きている」ということそのものを「ふしぎ」ととらえ、なぜ、いま、ここに、「わたし」は「ある」のかと考えはじめている。
そのことを思うとき、父と同じように、「母」も見えてくる。2連目である。
待つ、待たされる
子であり、母であるひとが
家のなかでうなだれる
「わたし」が父であり、息子であるなら、「母」もまた「母」であり、「子」(娘)でもある。ここで季村が「娘」ではなく「子」ということばをつかっているは、「父-息子」「母-娘」は「親-子」という「関係」に抽象化できるからだろう。
2連目では、ひとが「生きる」とき、そこに「親-子」という関係があるということを明確にしている。
「わたし」は「わたし」の「息子」の「父」であると同時に、「父」と「母」の「子」なのである。--季村は、ここでは、そういう「肉親」の「いのち」の関係を見ている。その関係のなかへ突然、3連目が飛びこんでくる。
波の火につつまれる
これはきのう読んだ「アピ」の「波の火がおそう」と重なり合う。「波の火がおそ」い、「波の火につつまれる」。
この「波の火」は、南海の島の「戦場」のようにも読むことができるし、また空襲で焼き尽くされる「街」とも読むことができる。
うごめきのなかの
おまえを包む精霊
王である父とその息の子が
救出に向かって
波の火をくぐったこと
「救出」は「だれを」救出に? 母を想定するならば、「波の火」が暴れているのは「空襲の街」になる。「父」を想定するならば、南海へ出生した父のいる「戦場」になる。その二つは地理的には離れているが、「息」(肉体をとおってあふれだすもの)にとっては、そんな距離など問題ではない。どれだけ空間的に(地理的に)離れていても、「息」はよびかけあう。
あ、こんなことを考えると、ますますわからなくなる。
季村は何を問題にしているのか。「いま」「ここ」は「どこ」なのか。
いまは戦争中で、母が空襲の火のなかを逃げ回っているのか。あるいは、父が南海で炎につつまれているのか。「わたし」は生まれているのか。母の胎内にいるのか。
それは、どんな理解の仕方でもかまわない。どんな「関係」でもかまわない。季村は、いくつもの「関係」が「ある」と、ただそれだけを行っている。
「関係」はもんだいではなく、「ある」ことが大切なのだ。
大地にたたきつけられ
父たることを知り
子であることを知らされ
ともに立ち上がったことが
ふしぎで、ある
遠ざかっているのに
森の精霊にいざなわれ、
ざわめきのなかに声を感じ取れるのが
ふしぎ、である
おまえとわたしが死んでも
森や波は動きをとめないだろうことが
ふしぎ、である
「ある」というのは、「もの」があると同時に「こと」があることだ。
「こと」は何度も季村の詩に出てくる。「もの」(人間)と違って「こと」は見えない。父は見えても、父である「こと」は見えない。息子は見えても、息子である「こと」は見えない。
その見える「ある」と見えない「こと」をつなぐのが「なる」かもしれない。
「わたし」は「父」に「なる」、そのとき「息子」は「息子」に「なる」。そして、「わたし」は「父」として、ここに「ある」。その関係を意識すると「こと」が、意識のなかに立ちあがってくる。意識のなかで見えてくる。
三つの巴になった三叉路から
野犬が飛び出し
ことばが目覚めたこと
ふしぎ、である
「こと」は「ことば」になる。(三つの巴、三叉路と繰り返される「三」についても書かなければならないのだろうけれど、長くなりすぎるので省略する。父、母、子、でもいいし、「ある」「なる」「こと」でもいいのだが、いま、ここをつくる基本を季村は「三」を中心にして考えている。--これは、詩集を読んで確かめてください。)
「こと」は「ことば」にしなければならない。それは簡単には「なる」のではない。「ことば」に「する」という意思があって、はじめて「なる」のだ。
あ、私は、ふいに『日々の、みすか』を思い出した。阪神大震災後に書かれた季村の詩集だ。そこでは、阪神大震災という「こと」が「ことば」に「なる」までの過程が書かれていた。その詩集もまた、「こと」を「ことば」に「する」詩集だったのだ。「ことば」にすることで「こと」をはっきりと自分の肉体に取り戻すのだ。「こと」を自分の肉体に取り戻したとき、ひとはほんとうに「生きる」のである。
「生かされる」を超えて「生きる」。
ここまで書いてきて、やっと「ことばの気迫」がわかった。「生かされる」から「生きる」への強い意思の転換。その激しい熱意。それが季村のことばに満ちている。そして、そのことばの気迫が強いために、「こと」と「こと」をつなぐ関係をときどきショートさせてしまうのだ。「こと」と「こと」はほんとうは離れている。離れているけれど、それを季村は、一点に凝縮する。離れた「こと・は(端)」と「こと・は(端)」が凝縮し「こと・ば(場)」になる感じだ。凝縮しすぎ、絡み合い、それがときどき「矛盾」や「間違い」に見える。たとえば、1連目の「わたしが、父であり、/おまえが、息子であるこ」のように。しかし、それは「矛盾」でもなければ「間違い」でもない。固く結晶しすぎた「真実」なのである。その真実のなかをとおって、生きていることの「光」が鮮やかに飛び出してくる。そのときの輝きが、この詩集の全体からあふれている。
まだ2篇の感想を書いただけなのに、私は、20冊の詩集を読んで、あれこれ思ってしまったような、激しい興奮状態のなかにいる。
この詩集はおもしろい。
アマゾン・コムの「アフリエイト」のリストにはまだ入っていないので、書店か、発行元に問い合わせ、ぜひ、買って読んでください。これを読まないと2011年は始まらない。
発行元の書肆山田は、
東京都豊島区南池袋2-8-5-301
電話03-3988-7467
窓の微風―モダニズム詩断層 | |
季村 敏夫 | |
みずのわ出版 |