石井萌葉「返り血アリス」、藤川みちる「this world」(「ココア共和国」5、2011年01月01日発行)
石井萌葉「返り血アリス」はことばが軽い。そして速い。もっともその速さは短距離競走のような速さではなく、肉体の中からあふれだしてくる若さによる速さである。歩きはじめると、楽しくて自然に足が速くなる。目的地も、歩く意味もわからない。けれど、自然に動いてしまう。そんな具合に、ことばを書くと、自然にことばが速くなる。
「チェシャ猫」から「アタシ」への移動がとても速い。猫を放り出して「アタシ」が動きはじめる。「アタシ」は猫じゃない。だから「こんな所」に居座ったりはしない。「旅」に出る。
でも、どこへ?
これは野暮な質問である。
「旅」と決めたら、部屋を一歩出るだけで旅なのだ。それは幼い子供が「家出する」と思って少し遠い公園まで行って、それから帰ってくるのとおなじである。距離も場所も関係ない。「決意」だけが問題である。
「決意」というのは、肉体の奥からあふれてくる自然な感情である。勢いのある感情のことである。
「チェシャ猫まぁなんて貴方は/救いようの無い馬鹿なの」という2行は、猫に対する批判ではなく、「アタシ」は馬鹿にはならないわ、という「決意」、あふれる感情なのである。
ここにはあふれる感情があるだけで、「意味」もない。
--ということを書きはじめると、あ、なんだか、この詩を壊してしまうなあ。余分なことは書くまい。
石井を動かしているのは、あふれてくる感情だけである。あふれてくることばだけである。あふれてくるから、それを前へ前へと放り投げる。「血血返り血アリス」ということばを放り投げる。
「血血返り血アリス」ということばがどんな「意味」をもっているか、石井にはわからない。ただ、そのイメージが見える。実感できる。そしてことばになっている。だから、そのことばにぴったりする次のことばを探している。きっと、それは「真実」のことばとぶつかったとき、きれいな音を立てて、「これが真実だよ」と教えてくれるはずである。そういう「音」に出会うまで、石井と「血血返り血アリス」を前へ前へと放り投げて進む。
「旅」とは、ぴったりくることばを探して動くことなのだ。「真実」とはぴったりくることばなのだ。いまのところ石井には「血血返り血アリス」ということばだけが「真実」なのである。
だから何度でも、その唯一信じられる「真実」を前の方に放り出して、そのことばについていく。そうすると、次のことばが「アタシ」の進んだ道のわきから追いかけてくる。そして、その追いかけてくることばのなかにある何かが、また、「血血返り血アリス」ということばを前へ前へと放り投げるときの力になる。
最後の方は、ことばが失速する(「血血返り血アリス」がまるで、父帰り、その父をナイフで刺してみたら、自分自身を刺してしまった、そこには血まみれの自分の「人形」があった--という「オチ」を想像させる)が、「でもいいの。」と石井は書く。確かにどうでもいいのだ。「求めていた」ということだけが、ことばにとって必要なことだからである。
*
ことばを前へ放り投げて、それを追いかけて進む--ということばの運動は、藤川みちる「this world」にも共通する。
何度か出てくる英語がとてもおもしろい。
そこに書かれている英語は、藤川にとっては石井の「血血返り血アリス」である。「知っているけれど知らないことば」である。「音」があって、それから「意味」をこめる。たとえばaccidentに「事故」、destiny に「運命」。「意味」をこめながら、しかし、同時に「意味」を剥奪する。藤川がそれまで知っていた「事故」や「運命」とは違った何かを、その「音」のなかに探す。その「音」が別の「音」とぶつかって、新しい音を引き出し、そこから探している「意味」があらわれるといいのになあ--と、ここにないものを探しながらことばが動く。
ことばを自分の前に放り投げる。そして、それを追いかける。あとから「意味」が生まれるかもしれない。生まれないかもしれない。「でもいいの。」動いていくことが詩の唯一の目的であり、存在理由なのだから。
石井萌葉「返り血アリス」はことばが軽い。そして速い。もっともその速さは短距離競走のような速さではなく、肉体の中からあふれだしてくる若さによる速さである。歩きはじめると、楽しくて自然に足が速くなる。目的地も、歩く意味もわからない。けれど、自然に動いてしまう。そんな具合に、ことばを書くと、自然にことばが速くなる。
チェシャ猫まぁなんて貴方は
救いようの無い馬鹿なの
何時間、何千年こんな所に
居座ったってね
アタシの求める世界には
絶対にならないわ
真実を確かめる旅に出るの
嘘、誘惑。そんな話術は必要ないわ
毒、罠。そんな小細工はめんどうでしょう
「チェシャ猫」から「アタシ」への移動がとても速い。猫を放り出して「アタシ」が動きはじめる。「アタシ」は猫じゃない。だから「こんな所」に居座ったりはしない。「旅」に出る。
でも、どこへ?
これは野暮な質問である。
「旅」と決めたら、部屋を一歩出るだけで旅なのだ。それは幼い子供が「家出する」と思って少し遠い公園まで行って、それから帰ってくるのとおなじである。距離も場所も関係ない。「決意」だけが問題である。
「決意」というのは、肉体の奥からあふれてくる自然な感情である。勢いのある感情のことである。
「チェシャ猫まぁなんて貴方は/救いようの無い馬鹿なの」という2行は、猫に対する批判ではなく、「アタシ」は馬鹿にはならないわ、という「決意」、あふれる感情なのである。
ここにはあふれる感情があるだけで、「意味」もない。
--ということを書きはじめると、あ、なんだか、この詩を壊してしまうなあ。余分なことは書くまい。
血血返り血アリス
ドレスを染めて何処へ行くの
血血返り血アリス
足跡辿って着いてくうさぎ
血血返り血アリス
笑顔が可愛い気分屋少女
血血返り血アリス
アリスはきっと辿りつく
回る ラララ 彼女は
スキップしながら探してる
回る回る回る
ホントの自分を探してる
血血返り血アリス
垂れ目が可愛い我が儘少女
血血返り血アリス
誰よりも幸せの意味を知る
血血返り血アリス
探し物が見つからないの
血血返り血アリス
アリスはきっと辿り着く
石井を動かしているのは、あふれてくる感情だけである。あふれてくることばだけである。あふれてくるから、それを前へ前へと放り投げる。「血血返り血アリス」ということばを放り投げる。
「血血返り血アリス」ということばがどんな「意味」をもっているか、石井にはわからない。ただ、そのイメージが見える。実感できる。そしてことばになっている。だから、そのことばにぴったりする次のことばを探している。きっと、それは「真実」のことばとぶつかったとき、きれいな音を立てて、「これが真実だよ」と教えてくれるはずである。そういう「音」に出会うまで、石井と「血血返り血アリス」を前へ前へと放り投げて進む。
「旅」とは、ぴったりくることばを探して動くことなのだ。「真実」とはぴったりくることばなのだ。いまのところ石井には「血血返り血アリス」ということばだけが「真実」なのである。
だから何度でも、その唯一信じられる「真実」を前の方に放り出して、そのことばについていく。そうすると、次のことばが「アタシ」の進んだ道のわきから追いかけてくる。そして、その追いかけてくることばのなかにある何かが、また、「血血返り血アリス」ということばを前へ前へと放り投げるときの力になる。
回る回る ラララ 彼女は
深い森の中で探してる
回る回る ラララ 彼女は
やっと見つけた
地面に小さな人影
その首にナイフを突き刺すと
アリスは驚いた
何千人何万人もの人を殺めて
やっと見つけた探し物
それは
--血まみれドレスを着た
アリス--
でもいいの。アリスはずっと求めてた。
本当の姿がどうであっても
アリスにとっては 最高の終わり方。
最後の方は、ことばが失速する(「血血返り血アリス」がまるで、父帰り、その父をナイフで刺してみたら、自分自身を刺してしまった、そこには血まみれの自分の「人形」があった--という「オチ」を想像させる)が、「でもいいの。」と石井は書く。確かにどうでもいいのだ。「求めていた」ということだけが、ことばにとって必要なことだからである。
*
ことばを前へ放り投げて、それを追いかけて進む--ということばの運動は、藤川みちる「this world」にも共通する。
生かすも殺すも
自由自在な神様は
その時居眠りでも
してしまったんだろう
筆先から
滲んだink が
紙の上に
小さな染みを作った
それはきっと
accident
けれどきっと
destiny
ちいさなbug は
増幅し繁殖しながら
新しい秩序を
生み出していく
僕らのstory
可能性はinfinyty
ならばこの手で
変えてしまおう
this world!
何度か出てくる英語がとてもおもしろい。
そこに書かれている英語は、藤川にとっては石井の「血血返り血アリス」である。「知っているけれど知らないことば」である。「音」があって、それから「意味」をこめる。たとえばaccidentに「事故」、destiny に「運命」。「意味」をこめながら、しかし、同時に「意味」を剥奪する。藤川がそれまで知っていた「事故」や「運命」とは違った何かを、その「音」のなかに探す。その「音」が別の「音」とぶつかって、新しい音を引き出し、そこから探している「意味」があらわれるといいのになあ--と、ここにないものを探しながらことばが動く。
ことばを自分の前に放り投げる。そして、それを追いかける。あとから「意味」が生まれるかもしれない。生まれないかもしれない。「でもいいの。」動いていくことが詩の唯一の目的であり、存在理由なのだから。
季刊ココア共和国vol.5 | |
秋 亜綺羅,藤川 みちる,石井 萌葉 | |
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