詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中山直子「死の陰の谷」

2011-01-27 23:59:59 | 詩(雑誌・同人誌)
中山直子「死の陰の谷」(「ガニメデ」50、2010年12月01日発行)

 中山直子「死の陰の谷」には「北ドイツの古きハンザの町にてうたう」というサブタイトルがついている。ドイツの町で日本語の聖書とドイツ語の聖書をつきあわせて読みながら、日本語を教える(?)様子を描いている。日本語にドイツ語の発音記号をつけて、さらに逐語訳をつける。

途中まではよかったが 合わないところに来た
『たとい我 死の陰の谷を歩むとも
 わざわい恐れじ
 汝 我とともにいませばなり……」
「これが『死』で ここが『陰』 ここが『谷』です
 『の』は属格を表します」
「日本語の聖書はそうなっているのですが
 ルター訳は単に『暗黒の谷』なのですが」
なるほどラテン語系の言葉だが
「死の陰の」ではなく
「暗黒の」(あるいは「闇の」)と訳されている
調べてみよう あとでヘブライ語原文を
見ておくよ と言うことになったが
聞くのを忘れて そのまま帰って来た

 ここにあるのは「散文」としてのことばの動きである。ある事実を踏まえ、その事実をさらに先へ進めていくことばの運動である。
 日本語を動かしていって、途中でドイツ語の運動とは違うということを明確に意識した。「逐語訳」ができない部分に来た。そのことをまっすぐに書いている。
 あ、まっすぐに動くことばは清潔で美しい。その美しさのなかに、散文独自の詩があると思った。きょう読んだ榎本のことばが、ことば自体のなかに「沈黙」を抱え込む、ことばのなかの「沈黙」を爆発させる詩だとすれば、中山が書いているのはことばを完全に「声」にしてしまうときの、声帯の充実のような美しさである。まっすぐというのは、きちんと発声された「音」、ゆるぎのない「声」という印象から生まれてくる。
 それは、ことばがつまずいたとき(逐語訳がうまくいかなくなったとき)でさえ、とても正確に「声」になっている。
 ここまで「声」が完全にまっすぐになると、必然的に、その「声」がもたらすもう一つのもの、音楽で言えば旋律のようなものがくっきりと見えてくる。「意味」がくっきりとみえてくる。
 「声」としての詩ではなく、「意味」としての詩が、自然に見えてくる。(「意味」が「声」の色に引き裂かれない--ということかもしれない。そこにも「色」はあるのだけれど、耳に心地よい「色」なのだ。これは、中山の「散文」の力である。)
 その、「意味」の部分。

今朝 大きな聖書を見ていて ふと注に目が入った
--ヘブライ語ツァルマヴェトは「闇」を意味する
 七十人訳ギリシャ語聖書で「死の陰」と訳された
 恐らく死の危険が迫っている状態を表すのであろう
なるほど そうだったのか
では 日本語聖書の訳者たちの心には
「闇の谷」より「死の陰の谷」の方が
しっくりとしたのだろうか 主な日本語訳は
四つともそう訳されている(さらに言えば
中国語の聖書では「死蔭的幽谷」である)
「死の陰の谷」とはどこなのだろう
そこはまったくの「暗黒」なのだろうか
死の危険の迫って来る場所なのか
ヘブライ語では「死の陰」の語感を ただ
「闇」の一語で表現できているのだろうか
暗黒は即ち「死」の領域なのか……

 「闇」と「死の陰」。それは「同じもの」であるはずだが、違っている。表現が違っている。
 こういうことを私は「誤読」と呼ぶ。(この場合は「誤訳」といった方がいいのかもしれない。)そして、その「誤読・誤訳」には、その人の「本能」のようなものが入ってくる。「誤読・誤訳」には、一種の願い・欲望のようなものがある。
 「闇」を「死の陰の谷」と訳したとき(誤訳、あるいは「超訳」と言った方が「いま」の時代には通りがいいかな?)、そこにどんな「本能」(欲望)が入り込んだのか。
 何だろう。何が「死」ということばを呼び寄せたのだろう。
 中山のことばを追う前に、私は、日本語の聖書の部分を読み返してみた。「死の谷」と「闇」を重ねるようにして読んでみた。

「たとい我 闇(死の陰)の谷を歩むとも/わざわいを恐れじ/汝 我とともにいませばなり」。
 そして、この「闇」はもともと「比喩」なのだと気がついた。私はいつも何も恐れはしない。あなた(神)がいつも私といっしょにいるからだ。暗い「闇」の谷というのは、何かおそってくるかわからない場所である。何が起きるかわからない場所である。それだけで充分に「怖い」のだけれど、「怖さ」が実感できないこともあるかもしれない。それで、人にとっていちばん「怖い」ものである「死」を「闇」の「比喩」に重ね合わせたのだ。たとえ、死の危険があるときでさえ、私は何も恐れない。神がいっしょにいるから。
 神がいっしょにいるから何も恐れない。その「意味」を強調するために「闇」ということば(比喩)がヘブライ語では選ばれ、その比喩ではまだまだ不完全だと感じたギリシャ人が「闇」を「死の陰」と言い換えた。「比喩」をもっと「わかりやすい」ものにしたのだ。
 私はヘブライ語もギリシャ語も(したがってヘブライ人もギリシャ人も)全く知らないが、そこには「ことば」に対する感覚の大きな違いがある。--というのは、私の、勝手気ままな「独断」である。
 ヘブライ語(ヘブライ人)は「もの」を抽象化しない。「もの」に抽象を持ち込まない。「闇」は「闇」で充分である。ことばと闇は直接結びついている。(変な言い方になるが、一種の「一元論」的な世界である。)ところが、ギリシャ語(ギリシャ人)は、ことばと「もの」を直接結びつけない。そこに「抽象」を持ち込む。「もの」を抽象化して理解する。「イデア」化して理解する、といえばいいかもしれない。「闇」の本質とは何か。何も見えない。絶対的な無。死。そういう「抽象」によって、ことばを整理・統合するのだ。
 もしそうだとすると、きっとそれは「神」に対する態度にも反映する。
 ギリシャ人(ギリシャ語)にとっては神は肉体と直接ふれる存在ではなく、「抽象」として存在するものではないのか。「死の陰の」谷という「訳語」を採用した日本人(日本語)、中国人(中国語)も、そうかもしれない。神は、人間にとっては「抽象的」存在、「意味」を介在して、その向こうにあらわれてくるものかもしれない。
 けれど、きっとヘブライ人には違うのだ。神は直接的な存在である。直接神に触れたことがある人のことばなのだ。神に直接触れたことがあるから、闇にも直接触れる。闇を「死の陰」というように抽象化して「比喩」の「意味」を強調する必要などないのだ。
 神と人間との関係そのものが、ヘブライ人とギリシャ人(日本人、中国人)とは全く違うのだ。
 そして、そこまで考えて、では、ドイツ人は?
 ドイツ語(ルター訳)ではヘブライ語の「闇」はどうなっているか。「暗黒の」である。「死の陰の谷」ではなく「暗黒の谷」。あ、ドイツ人もまた神を直接感じているのだ。「比喩」ではなく、「意味」ではなく、実在の「もの」、「いま」「ここ」にあるものとして感じているのだ。(「比喩」というのは、「いま」「ここ」にないものを借りて「いま」「ここ」にあるものを表現する方法だからね。)

 びっくりしてしまった。

 この「びっくり」は中山の散文の力(ことばを積み重ね、意味を深めていくという力)があって、初めて目の前にあらわれてくる「びっくり」である。
 私は中山のことばを通じての間接的な「びっくり」だが、中山は直接ドイツにいて、ドイツ語に触れ、ドイツ人に触れているのだから、私の「びっくり」をはるかに超えて驚いたに違いない。

 最終連は、中山のことばは「散文」であることをやめて、それまでとは違った運動をする。

私がドイツに居て詩篇に仮名を振っていた頃
まだ八月だったのに急に寒くなり
セーターと上着を借りて来ていた そして
あなたが来る前の晩までは 暑くて
外で眠れるほどだったのに などと言われていた

 神を直接的に感じてこなかった(と思う)中山にとって、つまり、この世界があり、そこには次元が違ったところに神がいると考える中山にとって、神と人間がいっしょにいる、直接触れ合っていると考える人間の存在は驚愕でしかないだろう。そのとき、神がこの世に直接いるように、死もまた、このいのちの世界に同時に、手に触れられる形で(目に見える形で--闇という形で)存在すると知るのは、恐怖だ。



 「闇」を「死の陰」と「誤読・誤訳」するのは、「死」ということばによって死を近づけて考えるようであって、逆に遠ざけることなのだ。死を「死」ということばによって、まるで「現実」ではなく、単なる「ことば」として存在させるだけなのだ。いつでも人間といっしょにある「死」を人間から分離し、人間を「生/死」の「二元論」にしてしまうのが「死の陰」という「比喩」なのだ。「二元論」ではなく、人間を「生死」の固く結びついたものと考えるとき、その人には「人/神」ではなく、「人-神」という常に直接体面としての世界があるのかもしれない。



ロシア詩集 銀の木
中山 直子
土曜美術社出版販売

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誰も書かなかった西脇順三郎(173 )

2011-01-27 21:56:53 | 誰も書かなかった西脇順三郎
 『えてるにたす』。「菜園の妖術」のつづき。

何月何日東横でソバを食うのも
前世の宿命としてあきらめる
この神秘的な原因を前世の
因果応報と考える人々は
はしばみの実を食う人々であつた
売つた自分の帽子にまた
めぐり会うのも
偶然も宿命だ
すべて宿命だ
ブラーマンを考えるのも宿命だ
宿命をあきらめる男は
神やブラーマンを信ずる男だ
すべて配剤だ

 この部分は詩としてはそんなにおもしろいわけではない。「何月何日東横でソバを食うのも/前世の宿命としてあきらめる」と、「売つた自分の帽子にまた/めぐり会うのも」の素材の組み合わせに、あ、まねしてみたいな、という感じがあるが、そこに絶対的な詩があるかというと、そこまでは言いたくない感じがする。
 この詩でおもしろいのは、最後の行「すべて配剤だ」が、あまりにも端的に西脇の詩の特徴をあらわしている点である。
 「配剤」--たぶん、天の配剤というときの「配剤」なのだが、西脇は、天のかわりに彼の感性でことばを「配剤」する。
 「事実」の書き方はいろいろある。その「事実」のなかから、どの「ことば」を選び、とりあわせるか。
 ためしに、こんなことをしてみる。

何月何日東横でうどんを食うのも
前世の宿命としてあきらめる

 「ソバ」を「うどん」にかえると、突然、詩が消える。私の印象では詩ではなくなる。「ソバ」という音が、詩の要なのだと気がつく。
 「なんがつなんにち、とーよこで、ソバをくーのも」「なんがつなんにち、とーよこで、うどんをくーのも」
 「ソバ」の音は、狭い音が爆発して終わる。その爆発の感じが、粘着力がなくていい。「うどん」だと、ことばが、「ん」のなかで閉じこもってしまう。「何月何日」「東横」が「うどん」のなかでからまってしまう。からまったものも「宿命」だろうけれど、いやからまったものこそ「宿命」なのかもしれないけれど、からまってしまうと「意味」になってしまう。「ソバ」という音でばらばらになってこそ、気楽に(?)宿命ということばがつかえるのだ。
 そうしたことばのバランス感覚が西脇の詩の大本にあるように私には思える。

 しかし、どうして「配剤」と書いてしまったのかなあ。
 これが、実は、まったくわからない。書いてしまうことで、それまで書いたことが全部「説明」になってしまう。--あ、これは逆か。それまで書いたことがすべて「配剤」を説明してしまう。
 詩は「配剤」である。
 それがわかるだけに、ここで「配剤」ということばをわざわざ書いているそのときの西脇がわからない。

 「意味」はわかる。けれど、「意味」に詩はない。だから、私は、ここでつまずく。「誤読」できずに、さびしい気持ちになる。



文学論 (定本 西脇順三郎全集)
西脇 順三郎
筑摩書房

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松井久子監督「ユキエ」(★★★)

2011-01-27 01:03:40 | 映画
監督 松井久子 出演 倍賞美津子、ボー・スベンソン

 冒頭、夕暮れが映し出される。その夕暮れは美しい。広い空間にオレンジ色の光がゆったり広がる。このオレンジ色のゆったりとした静かさは日本にはないものである。夕暮れを、車が帰ってくる。夕暮れのなかで、車の色があいまいである。家に近づき、木々の暗い緑の陰のなかで、車の色はもっとあいまいになる。そのあと寿司を手作りしている倍賞美津子と家族のシーンがあって、突然21年後になる。そのとき、外は雨。木々はとても美しい緑をしている。静かで深い。葉からあふれそうになりながら、葉のなかにとどまっている。それを雨が包んでいる。--この緑はアメリカ映画にはない緑である。日本の緑かというとそうでもないのだが、どこかで日本の緑に通じる。なつかしい水の緑。東洋の、モンスーン気候を呼吸する緑。それを倍賞美津子がぼんやりとみつめている。まるで、雨にぬれる木々をみたことがないかのように、緑をぬらす雨をみたことがないかのように。(冒頭のオレンジ色の光の記憶があるせいか、ともかく美しく感じる。)
 映画の印象は、この最初に見た夕暮れと、次に見た雨のなかの緑の印象を行き来する。たそがれのゆったりとした広がりと、一回かぎりの雨、その雨に濡れているあの緑の美しさを行き来する。異質なものなのだが、そのふたつが同時にある、ということの不思議な美しさ--その印象のなかを行き来する。



 ストーリーは、アルツハイマー症状がはじまった日本人の妻と、それを見守るアメリカ人の夫の暮らしである。当然、そこにはさまざまな困難があるのだが、この映画は、その困難さを切実に描くのではなく、不思議な静かさで描く。
 静かさの印象を生み出す一番のものは、夫の態度である。家族の態度である。夫役のボー・スベンソンが大柄であるのも影響しているかもしれない。倍賞美津子が小さく見えるくらい、大きいのである。大きさに、何かが吸収されていく。
 倍賞美津子が何か奇妙なことをしても、周りがパニックにならない。食卓で茹でたエビや寿司を一生懸命もりつけたり、写真を撮る息子に突然怒りだしカメラを壊したりしても、誰もあわてない。さわがない。静かに、じっとしている。落ち着いている。心の中では、いろいろな思いが渦巻いているのだろうけれど、それを内にかかえたまま、外へあふれさせない。そして、倍賞美津子の不思議な行為を吸収してしまう。(もちろん、倍賞美津子のいないところで、家族はあれこれと手だてをたてようとするのだが……。)
 夫も家族も、倍賞美津子の行動を批判したり、正しい(?)行動をとるように強制したりすれば、彼女がパニック状態になるのことを知っていて、そうするのだが、それは最初に見たアメリカの夕暮れの静けさに似ている。広い空間が倍賞美津子の小さな乱れを吸収するのである。
 --と、ここまで書いて、あ、この映画は「呼吸」の映画だと気がついた。
 アルツハイマーを発症した妻。それを見守る夫。最初、そこには奇妙なずれがある。そのずれはもちろんなくなるものではないのかもしれないが、ずれをずれのまま受け入れ、「呼吸」を合わせようとしている--夫がなんとか妻に呼吸を合わせようとしているのがわかる。
 一方、倍賞美津子の方は、何かを自分のなかから取り出したいのだが、それがうまくできずに苦しんでいる。その苦しみのなかに、ときどき「記憶」が鮮烈によみがえってくる。萩(山口県)の思い出。古い寺(?)の石段。揺れるまつりの火(?)。幼い陽に遊んだ海辺や、結婚する前に母が萩焼の茶碗を大事につつむ手つき……。それは非常に美しい。それは実際には彼女にしか見えない光景なのだが、そういう彼女にしか見えない光景(美しい輝き)を映し出される瞬間に、私は、ふと、冒頭の雨のなかの緑を見てしまうのである。倍賞美津子は、あの美しい緑を見ずに、遠い記憶を見ていたのかもしれない。もしかすると、あの緑はアメリカの緑ではなく、倍賞美津子が記憶のなかで知っているの緑の「原型」が、彼女の肉体からあふれて、いま、そこに出現してきたのかもしれないと思ったのである。
 実際、あらゆるものが、ただそこにあるのではなく、倍賞美津子の肉体(いのち)から溢れ出て、具体的なもの、具体的な色、形になっているのである。家のなかのさまざまな調度、写真、その整然とした静かなものたちは、倍賞美津子そのものなのである。
 最後の方に、家にある写真や萩焼の茶碗、花瓶などに、ひとつひとつ「ことば」が張られる。息子の名前、萩焼、などなど。それは一義的には倍賞美津子のうすれていく記憶を混乱させないためなのだが、それは夫にとっては倍賞美津子の「分身」を知ることでもある。
 そして倍賞美津子の「分身」一つ一つに名前をつけていくとき、夫のなかで倍賞美津子がもう一度生きるのである。また、そうすることで夫自身がもう一度「生かされる」のである。
 アルツハイマーの妻を介護しながら生きるとき、夫は妻を一方的に介護しているわけではないのだ。介護すること、妻の記憶をたどることで、自分の大切な一生をもう一度生きている。生かされているのは、自分だと気がつく。
 その象徴が、自分を裏切った共同経営者を告発する文書を破棄するシーンである。裏切られたことにこだわり、それ以後の人生を生きてこなかったのは自分自身であると夫は気がつく。夫が自分の人生を生きてこなかったから、彼の人生を呼吸することで生きてきた倍賞美津子もまた生きることにつまずいたのかもしれないだ。
 この映画は、その夫が「生かされている」と気づき、もう一度倍賞美津子といっしょに生きはじめる部分を、家のあらゆるものに張られた貼り紙でしか表現していないが、その静かな主張が、また、なかなかいい。最後に「ユア・マイ・サンシャイン」の歌が流れるが、じつにしみじみとしている。おだやかな歌声である。しっかりと生きる「呼吸」を感じさせる息づかいである。歌っているのはひとりだが、聴いている人がいる、その聴いている人の「思い」も息にのせているのが伝わってくる。ほーっ、と息が洩れる。あ、こういう歌だったのか、とその歌に気づくように、きっと夫もまた人生に気づいているんだろうなあ、と想像させる。



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