中山直子「死の陰の谷」(「ガニメデ」50、2010年12月01日発行)
中山直子「死の陰の谷」には「北ドイツの古きハンザの町にてうたう」というサブタイトルがついている。ドイツの町で日本語の聖書とドイツ語の聖書をつきあわせて読みながら、日本語を教える(?)様子を描いている。日本語にドイツ語の発音記号をつけて、さらに逐語訳をつける。
ここにあるのは「散文」としてのことばの動きである。ある事実を踏まえ、その事実をさらに先へ進めていくことばの運動である。
日本語を動かしていって、途中でドイツ語の運動とは違うということを明確に意識した。「逐語訳」ができない部分に来た。そのことをまっすぐに書いている。
あ、まっすぐに動くことばは清潔で美しい。その美しさのなかに、散文独自の詩があると思った。きょう読んだ榎本のことばが、ことば自体のなかに「沈黙」を抱え込む、ことばのなかの「沈黙」を爆発させる詩だとすれば、中山が書いているのはことばを完全に「声」にしてしまうときの、声帯の充実のような美しさである。まっすぐというのは、きちんと発声された「音」、ゆるぎのない「声」という印象から生まれてくる。
それは、ことばがつまずいたとき(逐語訳がうまくいかなくなったとき)でさえ、とても正確に「声」になっている。
ここまで「声」が完全にまっすぐになると、必然的に、その「声」がもたらすもう一つのもの、音楽で言えば旋律のようなものがくっきりと見えてくる。「意味」がくっきりとみえてくる。
「声」としての詩ではなく、「意味」としての詩が、自然に見えてくる。(「意味」が「声」の色に引き裂かれない--ということかもしれない。そこにも「色」はあるのだけれど、耳に心地よい「色」なのだ。これは、中山の「散文」の力である。)
その、「意味」の部分。
「闇」と「死の陰」。それは「同じもの」であるはずだが、違っている。表現が違っている。
こういうことを私は「誤読」と呼ぶ。(この場合は「誤訳」といった方がいいのかもしれない。)そして、その「誤読・誤訳」には、その人の「本能」のようなものが入ってくる。「誤読・誤訳」には、一種の願い・欲望のようなものがある。
「闇」を「死の陰の谷」と訳したとき(誤訳、あるいは「超訳」と言った方が「いま」の時代には通りがいいかな?)、そこにどんな「本能」(欲望)が入り込んだのか。
何だろう。何が「死」ということばを呼び寄せたのだろう。
中山のことばを追う前に、私は、日本語の聖書の部分を読み返してみた。「死の谷」と「闇」を重ねるようにして読んでみた。
「たとい我 闇(死の陰)の谷を歩むとも/わざわいを恐れじ/汝 我とともにいませばなり」。
そして、この「闇」はもともと「比喩」なのだと気がついた。私はいつも何も恐れはしない。あなた(神)がいつも私といっしょにいるからだ。暗い「闇」の谷というのは、何かおそってくるかわからない場所である。何が起きるかわからない場所である。それだけで充分に「怖い」のだけれど、「怖さ」が実感できないこともあるかもしれない。それで、人にとっていちばん「怖い」ものである「死」を「闇」の「比喩」に重ね合わせたのだ。たとえ、死の危険があるときでさえ、私は何も恐れない。神がいっしょにいるから。
神がいっしょにいるから何も恐れない。その「意味」を強調するために「闇」ということば(比喩)がヘブライ語では選ばれ、その比喩ではまだまだ不完全だと感じたギリシャ人が「闇」を「死の陰」と言い換えた。「比喩」をもっと「わかりやすい」ものにしたのだ。
私はヘブライ語もギリシャ語も(したがってヘブライ人もギリシャ人も)全く知らないが、そこには「ことば」に対する感覚の大きな違いがある。--というのは、私の、勝手気ままな「独断」である。
ヘブライ語(ヘブライ人)は「もの」を抽象化しない。「もの」に抽象を持ち込まない。「闇」は「闇」で充分である。ことばと闇は直接結びついている。(変な言い方になるが、一種の「一元論」的な世界である。)ところが、ギリシャ語(ギリシャ人)は、ことばと「もの」を直接結びつけない。そこに「抽象」を持ち込む。「もの」を抽象化して理解する。「イデア」化して理解する、といえばいいかもしれない。「闇」の本質とは何か。何も見えない。絶対的な無。死。そういう「抽象」によって、ことばを整理・統合するのだ。
もしそうだとすると、きっとそれは「神」に対する態度にも反映する。
ギリシャ人(ギリシャ語)にとっては神は肉体と直接ふれる存在ではなく、「抽象」として存在するものではないのか。「死の陰の」谷という「訳語」を採用した日本人(日本語)、中国人(中国語)も、そうかもしれない。神は、人間にとっては「抽象的」存在、「意味」を介在して、その向こうにあらわれてくるものかもしれない。
けれど、きっとヘブライ人には違うのだ。神は直接的な存在である。直接神に触れたことがある人のことばなのだ。神に直接触れたことがあるから、闇にも直接触れる。闇を「死の陰」というように抽象化して「比喩」の「意味」を強調する必要などないのだ。
神と人間との関係そのものが、ヘブライ人とギリシャ人(日本人、中国人)とは全く違うのだ。
そして、そこまで考えて、では、ドイツ人は?
ドイツ語(ルター訳)ではヘブライ語の「闇」はどうなっているか。「暗黒の」である。「死の陰の谷」ではなく「暗黒の谷」。あ、ドイツ人もまた神を直接感じているのだ。「比喩」ではなく、「意味」ではなく、実在の「もの」、「いま」「ここ」にあるものとして感じているのだ。(「比喩」というのは、「いま」「ここ」にないものを借りて「いま」「ここ」にあるものを表現する方法だからね。)
びっくりしてしまった。
この「びっくり」は中山の散文の力(ことばを積み重ね、意味を深めていくという力)があって、初めて目の前にあらわれてくる「びっくり」である。
私は中山のことばを通じての間接的な「びっくり」だが、中山は直接ドイツにいて、ドイツ語に触れ、ドイツ人に触れているのだから、私の「びっくり」をはるかに超えて驚いたに違いない。
最終連は、中山のことばは「散文」であることをやめて、それまでとは違った運動をする。
神を直接的に感じてこなかった(と思う)中山にとって、つまり、この世界があり、そこには次元が違ったところに神がいると考える中山にとって、神と人間がいっしょにいる、直接触れ合っていると考える人間の存在は驚愕でしかないだろう。そのとき、神がこの世に直接いるように、死もまた、このいのちの世界に同時に、手に触れられる形で(目に見える形で--闇という形で)存在すると知るのは、恐怖だ。
*
「闇」を「死の陰」と「誤読・誤訳」するのは、「死」ということばによって死を近づけて考えるようであって、逆に遠ざけることなのだ。死を「死」ということばによって、まるで「現実」ではなく、単なる「ことば」として存在させるだけなのだ。いつでも人間といっしょにある「死」を人間から分離し、人間を「生/死」の「二元論」にしてしまうのが「死の陰」という「比喩」なのだ。「二元論」ではなく、人間を「生死」の固く結びついたものと考えるとき、その人には「人/神」ではなく、「人-神」という常に直接体面としての世界があるのかもしれない。
中山直子「死の陰の谷」には「北ドイツの古きハンザの町にてうたう」というサブタイトルがついている。ドイツの町で日本語の聖書とドイツ語の聖書をつきあわせて読みながら、日本語を教える(?)様子を描いている。日本語にドイツ語の発音記号をつけて、さらに逐語訳をつける。
途中まではよかったが 合わないところに来た
『たとい我 死の陰の谷を歩むとも
わざわい恐れじ
汝 我とともにいませばなり……」
「これが『死』で ここが『陰』 ここが『谷』です
『の』は属格を表します」
「日本語の聖書はそうなっているのですが
ルター訳は単に『暗黒の谷』なのですが」
なるほどラテン語系の言葉だが
「死の陰の」ではなく
「暗黒の」(あるいは「闇の」)と訳されている
調べてみよう あとでヘブライ語原文を
見ておくよ と言うことになったが
聞くのを忘れて そのまま帰って来た
ここにあるのは「散文」としてのことばの動きである。ある事実を踏まえ、その事実をさらに先へ進めていくことばの運動である。
日本語を動かしていって、途中でドイツ語の運動とは違うということを明確に意識した。「逐語訳」ができない部分に来た。そのことをまっすぐに書いている。
あ、まっすぐに動くことばは清潔で美しい。その美しさのなかに、散文独自の詩があると思った。きょう読んだ榎本のことばが、ことば自体のなかに「沈黙」を抱え込む、ことばのなかの「沈黙」を爆発させる詩だとすれば、中山が書いているのはことばを完全に「声」にしてしまうときの、声帯の充実のような美しさである。まっすぐというのは、きちんと発声された「音」、ゆるぎのない「声」という印象から生まれてくる。
それは、ことばがつまずいたとき(逐語訳がうまくいかなくなったとき)でさえ、とても正確に「声」になっている。
ここまで「声」が完全にまっすぐになると、必然的に、その「声」がもたらすもう一つのもの、音楽で言えば旋律のようなものがくっきりと見えてくる。「意味」がくっきりとみえてくる。
「声」としての詩ではなく、「意味」としての詩が、自然に見えてくる。(「意味」が「声」の色に引き裂かれない--ということかもしれない。そこにも「色」はあるのだけれど、耳に心地よい「色」なのだ。これは、中山の「散文」の力である。)
その、「意味」の部分。
今朝 大きな聖書を見ていて ふと注に目が入った
--ヘブライ語ツァルマヴェトは「闇」を意味する
七十人訳ギリシャ語聖書で「死の陰」と訳された
恐らく死の危険が迫っている状態を表すのであろう
なるほど そうだったのか
では 日本語聖書の訳者たちの心には
「闇の谷」より「死の陰の谷」の方が
しっくりとしたのだろうか 主な日本語訳は
四つともそう訳されている(さらに言えば
中国語の聖書では「死蔭的幽谷」である)
「死の陰の谷」とはどこなのだろう
そこはまったくの「暗黒」なのだろうか
死の危険の迫って来る場所なのか
ヘブライ語では「死の陰」の語感を ただ
「闇」の一語で表現できているのだろうか
暗黒は即ち「死」の領域なのか……
「闇」と「死の陰」。それは「同じもの」であるはずだが、違っている。表現が違っている。
こういうことを私は「誤読」と呼ぶ。(この場合は「誤訳」といった方がいいのかもしれない。)そして、その「誤読・誤訳」には、その人の「本能」のようなものが入ってくる。「誤読・誤訳」には、一種の願い・欲望のようなものがある。
「闇」を「死の陰の谷」と訳したとき(誤訳、あるいは「超訳」と言った方が「いま」の時代には通りがいいかな?)、そこにどんな「本能」(欲望)が入り込んだのか。
何だろう。何が「死」ということばを呼び寄せたのだろう。
中山のことばを追う前に、私は、日本語の聖書の部分を読み返してみた。「死の谷」と「闇」を重ねるようにして読んでみた。
「たとい我 闇(死の陰)の谷を歩むとも/わざわいを恐れじ/汝 我とともにいませばなり」。
そして、この「闇」はもともと「比喩」なのだと気がついた。私はいつも何も恐れはしない。あなた(神)がいつも私といっしょにいるからだ。暗い「闇」の谷というのは、何かおそってくるかわからない場所である。何が起きるかわからない場所である。それだけで充分に「怖い」のだけれど、「怖さ」が実感できないこともあるかもしれない。それで、人にとっていちばん「怖い」ものである「死」を「闇」の「比喩」に重ね合わせたのだ。たとえ、死の危険があるときでさえ、私は何も恐れない。神がいっしょにいるから。
神がいっしょにいるから何も恐れない。その「意味」を強調するために「闇」ということば(比喩)がヘブライ語では選ばれ、その比喩ではまだまだ不完全だと感じたギリシャ人が「闇」を「死の陰」と言い換えた。「比喩」をもっと「わかりやすい」ものにしたのだ。
私はヘブライ語もギリシャ語も(したがってヘブライ人もギリシャ人も)全く知らないが、そこには「ことば」に対する感覚の大きな違いがある。--というのは、私の、勝手気ままな「独断」である。
ヘブライ語(ヘブライ人)は「もの」を抽象化しない。「もの」に抽象を持ち込まない。「闇」は「闇」で充分である。ことばと闇は直接結びついている。(変な言い方になるが、一種の「一元論」的な世界である。)ところが、ギリシャ語(ギリシャ人)は、ことばと「もの」を直接結びつけない。そこに「抽象」を持ち込む。「もの」を抽象化して理解する。「イデア」化して理解する、といえばいいかもしれない。「闇」の本質とは何か。何も見えない。絶対的な無。死。そういう「抽象」によって、ことばを整理・統合するのだ。
もしそうだとすると、きっとそれは「神」に対する態度にも反映する。
ギリシャ人(ギリシャ語)にとっては神は肉体と直接ふれる存在ではなく、「抽象」として存在するものではないのか。「死の陰の」谷という「訳語」を採用した日本人(日本語)、中国人(中国語)も、そうかもしれない。神は、人間にとっては「抽象的」存在、「意味」を介在して、その向こうにあらわれてくるものかもしれない。
けれど、きっとヘブライ人には違うのだ。神は直接的な存在である。直接神に触れたことがある人のことばなのだ。神に直接触れたことがあるから、闇にも直接触れる。闇を「死の陰」というように抽象化して「比喩」の「意味」を強調する必要などないのだ。
神と人間との関係そのものが、ヘブライ人とギリシャ人(日本人、中国人)とは全く違うのだ。
そして、そこまで考えて、では、ドイツ人は?
ドイツ語(ルター訳)ではヘブライ語の「闇」はどうなっているか。「暗黒の」である。「死の陰の谷」ではなく「暗黒の谷」。あ、ドイツ人もまた神を直接感じているのだ。「比喩」ではなく、「意味」ではなく、実在の「もの」、「いま」「ここ」にあるものとして感じているのだ。(「比喩」というのは、「いま」「ここ」にないものを借りて「いま」「ここ」にあるものを表現する方法だからね。)
びっくりしてしまった。
この「びっくり」は中山の散文の力(ことばを積み重ね、意味を深めていくという力)があって、初めて目の前にあらわれてくる「びっくり」である。
私は中山のことばを通じての間接的な「びっくり」だが、中山は直接ドイツにいて、ドイツ語に触れ、ドイツ人に触れているのだから、私の「びっくり」をはるかに超えて驚いたに違いない。
最終連は、中山のことばは「散文」であることをやめて、それまでとは違った運動をする。
私がドイツに居て詩篇に仮名を振っていた頃
まだ八月だったのに急に寒くなり
セーターと上着を借りて来ていた そして
あなたが来る前の晩までは 暑くて
外で眠れるほどだったのに などと言われていた
神を直接的に感じてこなかった(と思う)中山にとって、つまり、この世界があり、そこには次元が違ったところに神がいると考える中山にとって、神と人間がいっしょにいる、直接触れ合っていると考える人間の存在は驚愕でしかないだろう。そのとき、神がこの世に直接いるように、死もまた、このいのちの世界に同時に、手に触れられる形で(目に見える形で--闇という形で)存在すると知るのは、恐怖だ。
*
「闇」を「死の陰」と「誤読・誤訳」するのは、「死」ということばによって死を近づけて考えるようであって、逆に遠ざけることなのだ。死を「死」ということばによって、まるで「現実」ではなく、単なる「ことば」として存在させるだけなのだ。いつでも人間といっしょにある「死」を人間から分離し、人間を「生/死」の「二元論」にしてしまうのが「死の陰」という「比喩」なのだ。「二元論」ではなく、人間を「生死」の固く結びついたものと考えるとき、その人には「人/神」ではなく、「人-神」という常に直接体面としての世界があるのかもしれない。
ロシア詩集 銀の木 | |
中山 直子 | |
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